二度あることは三度ある
第8話
目の前にある弟の足。馴染みのある部屋の匂い。扉の向こうから聞こえてくる両親の声。目が覚めたばかりだが、頭は冷静に周りの状況を把握していく。
「マジか…」
ある予感が頭に浮かぶ。体を起こして、部屋に飾ってあるカレンダーに目をやる。そこには昨日、正確には大学生として飲み会に参加していた日の、十年前の日付が書かれている。
「もう一度、ここからやり直しってことかよ…」
机を強く叩くと、弟が起きてしまった。そして、部屋の扉が開き、母親が顔を出した。
「大きい音がしたけど、大丈夫?」
「うん。寝ぼけて机にぶつかっただけ」
「怪我は?」
「特に無いよ」
早く公園に行って、あの男性と話がしたい。その気持ちに急かされる。朝食と学校の準備をさっさと済ませ、家を出た。出かける際にも、母親は体調が悪くないか聞いてきた。どうやら、いつもと自分の様子が違うことが気になるらしい。走って公園に向かう。前回よりもだいぶ早く到着したにも関わらず、あの男性は既にいた。相変わらずブランコに座り、揺れている。朝一で、大人が児童公園のブランコで遊んでいる。傍から見たら、かなり怪しい状況だ。
「久しぶりですね」
男性は昨日とは打って変わって、穏やかな口調で話しかけてきた。
「久しぶりって。昨日の夜に会っているじゃないですか」
「確かに。望月さんからしたらそうですね。失礼しました」
「あんたでも謝れるんだな」
「私を何だと思っているんですか」
「長髪モジャモジャの胡散臭い奴。そして、俺をこのおかしな状況に追い込んでいる張本人」
「胡散臭い奴、は正直すぎますよ」
「色々聞きたいことがあるけれど、まずあんたの名前は?」
男性は急に笑い出した。
「聞きたいことの一つ目が、私の名前ですか。相変わらずというか、真面目ですね。岡です」
「岡さんは、俺に何をさせたいんですか。また、十一歳に戻して」
「今までお伝えしてきた通りです」
「本気で、俺がプロや日本代表になれるって思っているんですか」
「はい。私は望月さんであれば、必ずなれると思っています」
「理由は?」
「私の悲願を達成するためには、望月さんの可能性にかける必要があるからです」
「…。それ、答えにはなってないでしょ。それに、悲願ってなんですか。そろそろ教えてください」
「教えません」
「馬鹿言わないでください」
「馬鹿言っていません」
岡さんは、こちらの質問をはぐらかして笑う。相変わらず、つかみどころが無い。
「じゃあ最後にもう一つ質問なんですが。このやり直しは、その岡さんの望みが叶うまで、何度も続く感じですか」
岡さんは急にブランコから立ち上がった。そして、こちらを向き、肩をすくめる動作をした。そして、幸運を、と言って姿を消した。今回も何も本質的なことは聞けなかった。恐らく、今後も教えてくれないだろうという予感がする。
「本当にプロにならないといけないのか…」
登校時間のギリギリまで、頭を空っぽにして、ブランコを漕ぎ続けた。
「…。Aチームは以上のメンバーです。次に、Bチームのメンバーの発表です。まずは望月。」
「はい」
自分の名前が呼ばれたので、ビブスを貰いにコーチのもとに行く。またBチーム。今回も、夏合宿に参加できるAチームには入れなかった。
「望月、最近どうした?元気ないぞ。早い夏バテか?」
「そんな感じかもです」
柴崎コーチが声をかけてくれる。自分の座る場所に戻ると、神戸がBチームのキャプテンおめでとう、と言ってくれた。何も、おめでとう、では無い。
言葉では表現できないひっかかりを感じつつ、二度目のやり直しの日々を送っていると、あっという間に一学期の終業式の日を迎えた。夏休みの宿題に加えて、道具箱や授業で使った楽器類。そして、大量の返却物。それらを、ランドセルや手提げ袋に詰め込んで教室を出る。
「下手くそ。チビ!」
廊下に悪口が響く。声のする方に目をやると、案の定、深津がいる。もちろん、悪口の矛先は前ちゃんに向けられている。深津の行動なんて、以前は全く記憶していなかった。前ちゃんと友達になったことで、改めて観察すると。かなりの頻度で深津は絡んできていた。前ちゃんはもう深津の相手をしないと決めているのか、無視をするようになっている。それが深津にとってはより気に食わないらしく、以前よりも絡む回数が多くなっている気がする。
「おい、今日も練習来るのか。下手くそなくせに」
前ちゃんは何事もないように、自分と神戸を見つけると手を振ってきてくれる。その後ろで深津はまだ叫んでいる。
「下手くそは努力したって意味ないんだよ!ずーと下手くそのまま~!」
今までだったら軽くあしらうことができた。しかし、最近の上手く発散できないストレスが、不意に漏れ出てしまったのかもしれない。無意識に足が深津の方に向かう。目の前にいくと、怒りが静かに沸騰して、右手に持っていた手提げ袋を深津の頭に向かって振りかぶった。
「深津君が前野君に対して、いじわるな言動を繰り返していたことは事実だそうです。ですので、そのことに対して、望月君が前野君の代わりに怒ったことは、学校側としては特に悪いこととは考えていません。ただし、暴力を振ってしまったことは、看過できません。どんな事情や背景があるにせよ、暴力を振るった方が悪くなってしまいます。一度、ご家庭でも、望月君とご両親でしっかりとお話ください」
隣にいる母親は、先生と深津の母親に何度も頭を深々と下げる。深津の母親も、もとはうちの息子が悪いと言って、頭を下げる。形式上の謝罪として、自分と深津も一度だけ頭を下げて、その場は解散した。
夏休み二日目。家に前ちゃんと前ちゃんの母親がやってきた。母親同士はリビングで話すから、子供たちは遊んでてと言われたため、前ちゃんを自分の部屋に招き入れる。適当に座ってもらい、お互い持っているゲームをしようと、携帯ゲーム機の電源を入れる。
「深津を無視しろって言ったの、神戸と望月だったじゃん。それなのに、なんで望月が殴ってるんだよ。まぁ俺は、殴られた深津の泣きべそ見れて、面白かったから良いけど」
前ちゃんはゲーム画面を見つつ、笑いながら冗談っぽい口調で話す。
「本当にごめん。そうだよね。俺が大人げ無かった」
「大人げとかは知らないけど、超ビックリした。なんで歩き出したんだろうって思ったら、いきなり殴ったから」
「ごめん」
「何で謝るんだよ。俺のために怒ってくれたんでしょ」
「そうだけど…。それもあるけど、本当のところは自分のイライラをぶつけて、八つ当たりしただけなんだよね」
「なんかイライラすることあったの?」
「前ちゃんには分からないかもしれないけど、何で頑張って練習しても、サッカー上手くならないんだろうって。自分の頭の中で想像できるプレーが、現実では上手くできないことにイライラしてた」
そう、二度目のやり直しで一番つらいと感じたことは、また十一歳の体から始めなくてはいけないことだ。お世辞にもサッカーが上手いとは言えないが、高校生並みのレベルまでは上達した。少なくとも、練習では狙った場所にある程度正確にボールが蹴れるようになっている。しかし、この体ではまだ再現できない。そのギャップからくるストレスが、次第に落ち着きを失わせていた。それは、純粋にバスケが好きな前ちゃんには、分からない感情だろう。しかし、前ちゃんから意外な言葉が返ってきた。
「分かるわー。何でこんなに頑張っているのに、上手くいかないんだろうって弱気になること、俺もある。って、そんな顔して見てくるほど、驚く?」
どうやら、相当驚いた顔をしていたのか、前ちゃんは笑い転げた。
「で、深津が前ちゃんに、下手くそが努力したって意味が無い的なことを言ったとき。自分に言われているような気になって、かっとなった」
「文哉、それで殴ったのか」
弟が寝静まると、両親にリビングに呼ばれた。どうやら、自分と前ちゃんが話していた会話が母親に聞こえていたらしい。その内容が母親から父親に伝わっていた。
「そういう理由もあるんだったら、この前の時に話してくれれば良かったの」
父親は軽い口調で言う。
「そもそも、父さんもお母さんも、友達を思っての行動だって分かっているんだから。暴力はダメだったけどな」
「だって、なんか八つ当たりするって、最高に格好悪いじゃん」
「まぁな。確かに格好悪い」
「ほら」
「でもな。父さんは一方で嬉しいんだ。文哉が怒りの気持ちを前面に出すぐらい、サッカーを頑張っているんだなって。正直、父さん知らなかったよ。そして、ごめんな。悩んでいることに、気が付かなくて」
「いや、俺も言っていなかったし」
父親は日本酒をおちょこに注ぐ。その表情は穏やかである。
「これはお父さんの経験談に即した助言だ。だから、たくさんある内の一つの意見として、気軽に聞いて欲しい。文哉、残念なことだけど。努力をしても、結果が出るとは限らないんだ」
「うん」
「むしろ、頑張っても結果が出ないことの方が、大いにある。父さんだって、仕事の失敗は数えきれない程ある」
「うん」
「そんな時、良くないのは。不貞腐れること。怒り散らすこと。そして、諦めること」
父親の優しい言葉が、深く心をえぐる。
「上手くいかないからこそ、心を落ち着かせるんだ。冷静になって、目標から逆算して、今自分がやるべきことを、具体的に認識する。やるべきことは、どんなに小さいことでも良い。それを、一つずつ真摯にやっていく。焦りは禁物だよ」父親は自分の肩を、優しく叩く。
そうだ。体が子供に戻ったからと言って、心も頭も子供に戻る必要は無い。むしろ、精神年齢が高いことは自分の強みにするべきだ。一回目のやり直しで失敗した理由。それは、全国レベルが未経験だったことで、反射的に諦めてしまったこと。だったら、今度は大学からじゃない。中高の時から、全国レベルを経験できる環境に身を置くんだ。
今、自暴自棄になっている場合じゃない。
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