第4話
「
宿題が終わり、ぐてーと顔を机に伏せながら、前ちゃんの本名を呟いてみる。記憶が確かであれば、前ちゃんはプロのバスケット選手になっている。残念ながら日本代表やプロリーグの顔に選ばれるような選手ではない。ただ、プロリーグが発足した際に、勤務する区役所内で地元出身の選手が誕生したことが話題になった。実家に戻った際にも、母親から小学生の同級生であることを教えてもらい、記憶に残っていた。そうだ、それが前ちゃんこと、前野選手だ。
「改めて凄いな。本当にプロになっている」
帰り道の前野選手の言葉を思い出す。バスケが好きだから、なりたい。なりたいから、なる。その言葉は本当に無邪気だった。そして、
「諦めなければなれる…ね」
諦めない。それがいかに難しいことか。人間は成長するにつれて、色々なことに折り合いをつけていく。自分の限界が見えて、【こうなりたい】よりも、【こうであればなれる】、という方を選択していく。自分自身、高校受験も就職も、上を目指して失敗するよりも、身の上にあった確実を取ってきた。そう考えると、人生の中で無謀なことをしたのは美穂へのアプローチだけかもしれない。母親の付き添いの病院で働いていた美穂。たまたま出会って、美穂に一目ぼれをした。いくら地元の病院とはいえ、もう二度と会えないのではないか。そう思い、一目ぼれをしたことを正直に伝え、連絡先を伝えた。最初はデートさへ断れたが、どうしても頼み込んで了承してもらった。結婚まで漕ぎつけられた勝因は、美穂曰く、「しつこかったから」らしい。
「諦めなければプロのサッカー選手になれる?」
(なれない…)
小声で自問自答をする。
「だれがそう決めたの?」
(…)
「自分だろ?沢山練習したことあるか?」
(…)
「無いよな。今、意味不明なことに、幸運にも再挑戦の機会が目の前に転がってきているぞ。」
(…)
「一度ぐらいプロになってみたいなら、一度ぐらい盲目的になっても良くないか?」
ランドセルの中から今日配られた原稿用紙を取り出す。そして、一枚目の一行目、上からニマス空けて、将来の夢を書いた。
子供に戻ってから一か月ほどが経った。もうすぐ夏休みという時期になった。サッカーチームでは、八月に行われる夏合宿のチーム分けが発表された。
「・・・。Aチームは以上のメンバーです。次にBチームのメンバー発表です。まずは、望月。神戸…」
「はぁー、Bチームか…」
「でも最近、望月頑張っているぞ。だから、この夏はBチームのキャプテンを任せた」
Bチームのビブスを貰いに行く際に、柴崎コーチに励まされた。そう、最近の自分は頑張っている。チームの練習日以外にも自主練をするようになった。苦手なリフティングやパスも少しだけ上手くなった気がする。実際にやる気だけみれば、前回は選ばれなかったキャプテンを任されることになったので、成長はしている。してはいるが、劇的に上手くなれるはずもなく、結局は五年生が中心のBチームである。二十人の六年生のうち、Bチームにいるのは、五人だけ。つまり後輩から見れば、下手な六年生はBチームという認識なのだ。
家に帰り、母親にBチームであることを伝える。
「Bチームは、長野には行かないのよね?」
「そうだよ」
母親は聞くなり、少し機嫌が良くなったように見受けられた。それもそのはずだ。子供がAチームで長野に行く場合、三日間の日程の内、二日目には保護者も参加しなければならない。朝早く出発して、炎天下の中のドリンク作りやBBQの買い出し、コーチへのおべっかなどを散々やらされ、夜遅くに都内に戻る。まさに、スポーツクラブの闇の一つ、保護者の無償奉仕の強制である。そうであれば、息子が下手なことを許容して、Bチームにいてくれている方が良いのだろう。ただ、自分としてはいつまでもBチームに居るわけにはいかない。だから、少し前から温めていた計画を、この機会に打ち明けることにした。
「あの、母さん。ちょっと相談したことがあるのだけれども」
「何?」
「サッカースクールって行っても良いかな?」
「それは、チームを変えたいってことかしら」
「そういうことではない。えーと、チームはこのままで。チームとは別に、サッカーを教えてもらえる塾みたいなところに行きたい」
「サッカーの塾ね。そんなものもあるのね。でも、ちょっと待って。文哉、そんなにサッカーしたいの?」
「うん」
「でも、スクールってこの近くにあるの?お母さん見たこと無いけれど」
そう言われると思って、用意していたチラシを机の上に出した。夕食作りの最中の母親は、手を止めて椅子に座り、チラシを熟読し始めた。
「ふーん、こんな場所にスクールがあるのね。…授業料って、高ぃ!」
母親は、ハッとした顔で自分を見た。お金の話を子供達の前ではなるべくしない。それは、両親が気を付けていたことだと、大人になって教えてもらっていた。
「とりあえず、お父さんに相談ね」
「いいぞ」相談するなり、父親はすぐに了承してくれた。
「いいの!」
母親の顔を見る。
「私は駄目なんて、一言も言っていないでしょ。それよりも。まず一言目は、お父さんにありがとう、でしょ?」
「ありがとう、父さん!」
父親は白米を頬張りながら、笑ってくれた。
「しかし。文哉がそんなにサッカーやりたいとは知らなかったよ。そもそも、仲良しの友達が行くから、付いていくって感じで始めなかったか?」
「確かに、そんな感じだった」
「どういう風の吹き回しだい?」
「上手になりたいなって思って…」
「良いな。どんなことでも、もっとできるようになりたいという気持ちは大切だな。ただ、父さんからのお願いは、これまで以上にお母さんを助けてあげること。あとは、学校の勉強を一生懸命やること。弟に優しくすること。約束できるか?」
「約束する」
「よし、頑張れ」
父親は右手を差し出した。自分も右手を差し出して握手をする。父親と同じく公務員になったから知っている。家族を支える父親の給料がどのくらいか。そして、その中から子供の習い事に月一万以上払ってくれる大変さを。それを快く思ってくれる父親。本当に恵まれている。だからこそ、自分が言ったことに責任を持たなければならない。
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