第3話
「ふー。何だろう。この疲れているのに充実しているとも感じる満足感は」
少しぬるめの浴槽につかりつつ、この上ないリラックス状態を満喫する。サッカーの練習は一時間半で終わり、十八時には家に着いた。母親から、父親が帰宅する十九時までに風呂に入っておくように言われて、現在の状況である。
晩御飯の後、宿題や明日の準備を終わらせる。まだ二十二時前であるが、自然と眠気を感じベッドに横たわった。
「お兄ちゃん。今日も一緒に寝ていい?」弟が心細げな声で質問してくる。
「毎日こっち来てたら、ベッド分かれているのに意味ないだろ。もう小二なんだし」
「でも…」
「まぁ、良いよ。でも頑張って一人で眠れるようになろうな」
そう言うと弟は嬉しそうにベッドに潜り込んできた。思い返せば、結局弟は小二の間ずっと自分のベッドで寝ていた。来年自分が中学生になると、今使っているこの部屋は自分だけのものになる。そして、弟は母親が使っている部屋に引っ越すことになる。最初は兄として、弟が寂しがらないか、一人で寝れるようになるのかと心配をしていた。しかし、人間は追い込まれるとその状況に適応できるらしい。結局すぐに一人で寝れるようになっていた。
「お兄ちゃんは今日元気だよね」
「そうか」
「うん、お風呂で鼻歌うたってた」
「あはは、確かに」
「良いことあったの?」
「うーん、久しぶりにサッカーが楽しかったかな」
「下手くそなのに?」
「下手くそ言うなよ。そんなこというなら、自分のベッドに戻らせるぞ」
「嫌だ。ごめんね」
すると、弟は持ってきていた自分の掛け布団に包まった。そう、改めて、いや想像以上に自分がサッカーが下手なことを今日再認識した。子供だから筋力が無いとか、足の長さがとか言い訳を探せばいくらでもあるだろう。でも、それ以上に、シンプルにセンスが無い。才能が無い。
「こんなんじゃ、日本代表どころかプロになることさへ、夢のまた夢でしょ」
声に出してみると、それが更に現実味が無いことに思える。第一、望月家はアスリートの家系ではない。父母の両家とも、公務員や教師が多い。唯一アスリートだったと言えるのは、いとこの兄ぐらい。その兄は大学まで陸上の長距離を続けて、現在は消防士になっている。この頃から、子供の運動能力は母親の遺伝に大きく影響を受けることが認知されている。その肝心な母親は、幼少期から大の運動嫌いと聞く。こんな状況で、子供がサッカーでないにしろ、プロのアスリートになったら奇跡に近い。そんなことを、ああでもない、こうでもないと考え続けてしまうと、不安ばかりが大きくなっていくことを感じた。
「やばり思考のループに入っているから、もう考えずに寝よう」自分にそう言い聞かせて、無理やり眠りに落ちた。
「以前から、皆さんに伝えていた通り。卒業文集では、『将来の夢』について書いてもらいます」
担任の先生は黒板に大きく『将来の夢』と書き出した。各自に原稿用紙が三枚配られる。
「モッチーは何て書くの?」
隣の席の神戸に質問される。周りのクラスメイトも気になるのか、わざわざ体をこちらに向け直してくる。
「公務員かな。父さんもそうだし」
「良かった。僕もお父さんと同じのトラックの運転手って書こうかと思っているんだけど…。お父さんと一緒ってダサいかな?って心配で…」
「ダサくないよ」と冷静に返答する。
「モッチーがそう言ってくれて、勇気出てきた」
この会話は前回もしている。神戸のその後はというと、トラックの運転手にはなっていない。しかし運転手になりたいという夢は本当だったらしく、都営バスの運転手として働いているはずだ。
ふと目の前を見ると、体をこちらに向けていた女子がこっちをじっと見つめている。
「何?」
「スポーツクラブに入っている男子って、皆プロの選手になりたいんだと、思ってた」
「ああ、野球なら野球選手。サッカーならサッカー選手みたいに?」
「そう。あと、メジャーリーグ行きたいとか、W杯優勝したいとか?」
「それって、今の時点でプロになれそうなぐらい、上手な子だけじゃないの?」
「もしかして、望月ってサッカー上手じゃないの?」
「残念ながら」
「何その言い方。大人みたい」
その女子は自分の疑問が解決したのか、満足そうに前を向く。自分たちと同じように教室のあちこちで、皆が夢を語っている。その声はどれも明るい。
「そりゃ、俺もなれるものなら、一度でいいからプロのサッカー選手になってみたいよ」
誰にも聞かれないようにつぶやく。しかし、小学六年生にもなると、夢は手に届く可能性のあるものしか発言してはいけない、という不文律がある。少なくとも自分はそう感じていた。だから前回も公務員を選んだ。両親も喜んでくれたし、実際にその夢は実現した。つまり、自分は昔から冷静に現実を見てこれたということだ。
今回もプロのサッカー選手とは書かない。ただ、今回は高校ぐらいまでは続けてみたいという前向きな気持ちはある。
十一歳に戻ってきてから二日目も、あっという間に学校は終わった。
「ねぇ、今日この後ゲーム持って、公園に集合ね」
帰りのホームルーム後、すぐに神戸が誘ってきた。ランドセルを背負いながら、いいよと返事をして教室を出る。
「お前なんか、バスケ選手になれるわけないじゃん!」
すると、人を小馬鹿にするいじわるな心を纏った大声が、廊下に響き渡った。声をする方をみると、隣のクラスの教室の入口に、少年が二人立っている。その一人、小学六年生の平均身長よりも低い少年が、大きな声で反論する。
「何で、お前が決めるんだよ」
「はぁ? 何で逆になれると思っているの? チビで3Pもリングに届かないくせに」
会話の途中からしか聞いていないが、状況的に、確実に人の夢を茶化している方の少年が悪いだろう。しかし、小柄な少年は次の瞬間に殴りかからないかと思うぐらい興奮している。もし殴ったら、お前が悪いことなるぞと心配しながら、その二人の口論を見守った。そんな状況に割って入ったのが、意外にも隣にいた神戸だった。
「前ちゃん!一緒に帰ろう!」
前ちゃんと呼ばれた小柄な少年は、神戸の声に気づきこちらを見ると、無言でドカドカと近づいてきた。声をかけた神戸は、前ちゃんの肩に手を回し、歩き始めた。後ろではもう一人の少年が叫び続けている。
校門を出ると無言だった前ちゃんは、やっと口を開いた。
「あー。マジであいつムカつく」
「ね。相変わらず深津っていじわるで、性格悪いよね。あんなの相手しちゃ駄目だよ」
そうだ。先程いじわるを言っていた少年は深津だ。小学生の時には一度も話したことなく、中学校は別々になったので、全く覚えていなかった。
「何であいつにプロになれないとか言われなくちゃいけないの?チビなのは今だけで、将来は2m行くし」
それは無いだろと心の中でツッコミを入れてしまう。
「深津も同じチームなの?」
「うん。まぁ」
前ちゃんは少し戸惑いながら肯定する。恐らく、一緒に歩いているから神戸の友達なんだろうぐらいは分かっているが、話したことが無いので、こいつ誰?って顔をしている。
「二人ともレギュラー?」
「いや、俺はベンチにも入っていない…。あいつはレギュラー」
「そうなんだ…」
「でも、そんなの関係ない」
「関係ないって、何が?」
「だから、将来の夢の話をしてるじゃん」
「うん」
「今、チビで、3Pがリングに届かないの関係なくない?」
「うん?」
「だ、か、ら。それは事実だけど、俺がプロのバスケ選手になれないことには関係なくない?むしろ俺は絶対にプロになりたいって思っているから、ご飯だって沢山食べてる。練習だって一人でも沢山している」
「うん、前ちゃんは頑張り屋さんだもんね」
神戸が相槌を打つ。その言葉に気を良くしたのか、前ちゃんの興奮はある程度収まった。するとその後は、自分たち二人に前ちゃんはずーっとバスケの話をしてくれた。あの選手のドライブがカッコよいとか、この選手のダブルクラッチの滞空時間がやばいなどなど。その話ぶりからしても、前ちゅんがバスケが大好きであることが分かる。しかし、今までの話からしても、恐らく背が低いだけでなく、上手では無いのだろう。体のサイズが重要になるバスケと言えども、小学生のレベルであれば、突出して上手な選手はチームの中心として使われるはずである。だからこそ、自分でも禁断の質問だと分かっていても、前ちゃんに聞いてみたいという衝動に駆られた。
「あのさ、否定している訳ではなくて、純粋な興味なんだけど。どのくらい本気でプロになれると思っている?」
「え?どのくらいって…。なると思っているから100%?」
「どうしてそんなに自信があるの?」
「自信?えー、これって自信なのかな。俺は単純にバスケ選手になりたいから、なるって思っているだけだよ」
「すごいね」
「すごいか?バスケが好きだから、上手になってバスケで生活してみたいって考えるのは普通じゃない」
「下手でも同じこと言える?」
「言える。だって、バスケが好きなのは変わらない。頑張って練習しているし、諦めなければなれる」
「前ちゃん、カッコイイ!」と神戸はこの頃に流行していたリズムネタの芸人の真似をする。
商店街の方に住んでいる前ちゃんと途中で分かれて、神戸と二人で歩き続ける。
「前ちゃんって、まっすぐですごいな」
「凄いよね。うちはお母さん同士が仲良くて幼稚園の頃から知っているけど、昔からバスケ頑張っているよ。前ちゃんが頑張っているのを見ると、なんか元気でるんだよね」
相変わらず神戸は人が良い。
「そういえば、前ちゃんって名前何ていうの?」
「
名前を聞いて、立ち止まる。その名前には思い当たる節がある。
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