第3話 花火

 どーん、と心臓を揺らすような大きな音が鳴っている。眠い目をこすりながら体を起こすと、固い物の上で長い間寝ていたのかあちこちが痛んだ。暗さにだんだんと目が慣れて来て、自分が今、学校の廊下のような場所にいることに気付く。いつの間にか日が落ちていたようだ。顔を上げると、「二年三組」と書かれた札が目に入った。学校なんてどこも似たような造りだと思うが、私が通ったことのある所ではなさそうだ。小学校は一学年に一クラスしかなかったし、中学からは組の名前がアルファベット表記だった。

 また、どーんと骨に響くような音が鳴り、窓から廊下にぱっと光が差した。窓の外を見ると、暗い田畑が広がっており、炭を固めたような林の向こうの空に打ち上げ花火が上がり続けていた。青や赤、黄色の花が幾重にも咲いては枯れるのを繰り返している。

 しばらく呆然と、いつまでも終わらない花火を眺めていた。振動で体が粉々になってしまいそうだ。

 ふと、背後で足音がした。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。ブラウスと吊りスカート、おかっぱの髪という古いモノクロ写真から抜け出てきたような格好をしている。少女は私を見上げた。

「ねえ、お姉さん。私の妹を見なかった?」

「見てないけど……」

「迷子になっちゃったみたいで。ねえ、一緒に探してくれませんか?」

 私が答える前に、少女がするりと手と手をからめてきた。意外に強い力で引っ張られる。転びそうになりながら、足早に進む少女になんとかついてゆく。

「サヤちゃーん! どこにいるの?」

 少女が必死に叫ぶ声。私も、「サヤちゃーん」と控えめな声を出してみる。花火の音は絶えず、私たちの声をかき消してゆく。

 夜の学校には、私たちの他には誰もいないようだ。電灯もついていないが、花火の光でぼんやりと明るい。黒板の落書きや、並べて貼られた書道の紙、金魚の入った水槽、廊下の隅にぽつんと忘れられた上履き。様々な物がどこか寂しげに息をひそめている。

「ねえ、サヤちゃんは先にお家に帰ってるんじゃないのかな?」

 私が聞くと、少女はふるふると首を横に振った。

「帰って来ないの、もう何日も。家族みんなと近所の人で探し回ってるけど、靴が片方しか出て来なくて」

「え?」

 ぞわり、と背筋が冷えた。私より先を行く少女の顔は見えない。手を離そうとしたけれど、とても強く握られていて振り払えなかった。

「一緒に花火大会に行く途中だったの」

 ぐすん、と少女が鼻をすする。

「花火、終わらないよぅ……」

 そのとき、あんなに響いていた花火の音が急に止まった。廊下の先に、誰かがいる。

「サヤちゃん?」

 よく見えなくてそう呟いた私のそばで、少女が甲高い悲鳴を上げた。がたがたと震えているのが、繋いだ手から伝わってくる。

 ゆっくりと近付いてくるのは、真っ暗な服で身を包んだ痩せた女だった。彼女の腕の中で、幼い子どもがぐったりとしている。濡れたような髪が、子どもの血の気のない額に張り付いていた。

「探しているのは、この子だね」

 女がしゃがみ込んだ。少女が駆け寄り、もう永遠に起きることのない子どもの頬をなでる。

「ごめんね、サヤちゃん。ごめんね」

 私も思わず涙ぐんだとき、女の視線がこちらを向いた。怪しくにたりと笑う。

「君はそろそろ、起きて」


 ふと気が付くと、私は真っ昼間の病院の廊下に立っていた。白昼夢を見ていたらしい。頭が鈍く痛む。こめかみを押さえていると、

「くらげ、一匹すくえたよ。君のおかげだ」

と耳元で声がした。私の顔をニコニコしながらのぞき込んでいるコトリさんをにらむ。

「あんなものを見たのに、どうしてそんな」

「僕は美しいものが好きだからね」

 肩にくらげをのせていたおばあさんは、何事もなかったようにうつらうつらとしている。少し、ほっとした。彼女の肩には、もう何もない。

「線香、買ってきてね。よろしく」

 コトリさんは茶目っ気たっぷりに笑う。

「ね、君も必要だろう?」

 そうささやいた彼女の視線は、私を越えてどこかに注がれているようだった。

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