百合作家彼女

おおきたつぐみ

百合作家彼女

「それじゃ私、先に寝るね」

 土曜深夜、ローテーブルに置かれたノートパソコンにすごい速さで入力し続けている万智まちの背中に言う。

「もうこんな時間か。何にも週末っぽいことができなくてごめんね」

 振り向いた顔にはクマが目立つ。昨日夜から同じスウェット姿のまま、ほとんど寝ないで食事以外はずっとパソコンに向かっているのだ。そんな顔を見て、ついため息が出てしまう。

「締め切りだって聞いていたからいいけど……今夜も寝ないの?」

「うん、この週末で一旦書き上げてあとは校正に充てたいから、書けるところまで書いてから寝るわ。――結花ゆか、おいで」

 呼ばれて近づくと、ぎゅっとハグしてくれた。温かくて優しい万智の匂い。今日一日、同じ部屋の中にいたのに、小説執筆にかかりきりの万智とはほとんど会話もなかった。この様子では明日もそうなるだろう。せめて一緒に眠れたらいいのに。

「寂しい思いさせてるよね、ごめん」

「ううんいいよ、完成したら読ませてね。無理しすぎないでね」

「ありがとう、一番に見せるからね。じゃあ、おやすみ」

 疲れた顔をしながらも目が輝いている。万智は今楽しいのだ、幸せなのだ。だから邪魔してはいけない。

「うん、おやすみ」

 ちゅっと軽くキスすると、またすぐにパソコンに向き直った万智の背中を見てから寝室に入り、一人で寝るには少し大きいベッドに潜り込んだ。

 このベッドを二人で決めた時は私も楽しくて幸せで、わくわくしたっけ。


 大学三年の冬から付き合った私たちが社会人三年目になって、同棲を決めたのは半年ほど前のことだった。お互いの仕事が忙しくて平日はほとんど会えないし、万智は週末も時折出勤していたから、このままだと自然消滅してしまいそうで、私のアパートの更新を機に思い切って一緒に住みたいと言った。

 あの時、万智の顔に一瞬浮かんだのは迷いだった。万智は実家住まいだから両親になんて言えばいいのか迷っているのだと思ったけれど、そうではなかったのだ。万智はすぐに笑顔になって、そうだね、一緒に住もうと言ってくれたけれど、あの時、万智は私に打ち明けるかどうか迷っていたのだ――百合同人作家であることを。


 それから私たちは万智が動ける週末には不動産屋に行き、何軒か内覧してマンションを契約し、持ち寄るものを確認してから家具店や家電量販店を回り、引っ越し屋さんを決めた。まるで付き合い始めのように新鮮で楽しくて、私は浮かれていた。万智が何度か言いかけて飲み込んだ言葉を気にしないくらいに。

 一週間後にお互いに引っ越しを控えた土曜の夜、私の家で荷物の段ボール詰めを手伝ってくれていた万智は、意を決した様子で切り出した。

「あのね、私、ずっと言えなかったんだけれど、実は小説を書いている」

 はっ? と素っ頓狂な声が出たのは、万智と小説が全く結びつかなかったからだった。文章を書くのもあまり好きではなかったはずだ。

「小説って……いつから? どうして?」

「結花は、百合って……知ってる?」

 立て続けに問いただすと、万智からも逆に問われた。

「百合? 女の子同士の恋愛とか関係性のことだよね……作品はほとんど見たことはないけれど。万智は百合小説を書いているの?」

 万智と恋仲になりながらも百合作品に触れてこなかったのは、女性同士の恋愛や関係を消費物として扱われているような気がするからだった。だからといって生々しいものを見たいわけでもない。もともと小説や漫画も読まず、気楽にドラマや映画を楽しむ方が好きだった。そんな私のことをわかっているから、万智は何も言えなかったのだろうか。

「そう。でも、オリジナルではなくて、二次創作。わかる?」

「よくわからない」

「二次創作っていうのは、もともとアニメとか漫画とかの一次創作があって、その設定とかキャラクターを使って自分なりの漫画や小説やイラストを創作することなの。私は去年の春に放映していた『闇の姫』っていうアニメの二次創作をしているの。『闇の姫』、覚えている?」

「ああ……万智がはまっているって言っていたから私も少し観たよ。お嬢様超能力者とやたらと強い男の人が出てくるストーリーだったよね」

 私は首をかしげた。万智が毎週夢中になって観ていたその深夜アニメは、主人公のお嬢様・水亜みあが深夜に密かに超能力を使って悪を倒す勧善懲悪もので、ピンチの時には彼女に付き従うろうが鍛え抜かれた身体で彼女を守っていた。水亜は反発しながらも彼に惹かれていく……そんなストーリーで、女の子同士の恋愛要素はなかったはずだ。

「そうそう! 途中で水亜が敵から助けた双子の超能力女子高生、月子と星子を覚えている? 私、あのふたりの関係性に萌えちゃってさ……月星カプで二次創作しているんだよね」

「双子で高校生で百合……?」

「うん。敵に両親を殺されて水亜たちに保護されたけれど、水亜は所詮お嬢様で恵まれているし、朗には水亜がいる。月子と星子の孤独や辛さは世界でお互いしか理解できないんだよね。互いのためなら命を投げ出してもいいとふたりとも思っているところとか、すごく胸熱で……」

 闇の姫は朝のニュース番組で取り上げられる程に人気が出て、今年初めには映画化もされたけれど、万智は特に何も言わなかったから飽きたのだろうと思っていた。ずっとはまっていたなんて知らなかった。

 だけどもともと、学生時代から万智は何かにはまったらのめり込むタイプだった。ゼミや文化祭実行サークルも一生懸命だったし、私にも熱心にアプローチしてくれた。そんな万智だから私も好きになった。


 私が無言になっていることに気づいた万智は言葉を切ると、緊張した様子でスマートフォンを操作し、ツイッターの画面を見せた。そこには相互フォロワーである見慣れた万智のアカウントではなく、見知らぬ「真璃杏まりあん」という名前が月子と星子が顔を寄せ合うアイコンと共に表示されていた。アカウントの開設は去年の三月。

「これ、私のもうひとつのアカウント。結花は闇の姫にはまらなかったしすぐ見るの辞めてたでしょ。だから闇姫について話すのも遠慮しちゃってさ。でもどうしても誰かと深く考察を語り合いたくて専用のアカウントを作ったんだ。最初はただアニメ版の感想を言い合っていたんだけれど、公式からの供給が減ってからは絵師さんや文字書きさんの二次創作で満たされるようになったの。見ているうちに私も何か創作したいと思うようになって。画力が全く無いからイラストや漫画は絶対無理だけど、文字ならなんとかなるかも知れないと思って書き始めたのが今年春頃なの」

 真璃杏のタイムラインは闇の姫の情報が溢れていた。プロの作品のようなイラストや漫画を真璃杏がリツイートしている。すでに終わったアニメ作品についてこんなに盛り上がり続けているなんて。確かに私には理解できない世界だったけれど、万智が私の知らないアカウントを持ち、知らない人たちと親しく交流していたことに少なからずショックを受けた。

「もしかして闇の姫の映画、この人たちと一緒に観に行ったの?」

「ううん、ひとりで観たよ。フォロワーさんとは会ったことはないし」

 ほっとしたけれど、疑問はまだいくつもあった。

「ここで万智の小説も発表しているの?」

「小説は投稿サイトにまとめているの」

 そう言いながらまた万智はスマホを操作し、投稿サイトの真璃杏のページを出した。十以上の小説が並び、感想がついているものもある。

「すごいね……いつの間に……」

「うん、初心者だったし最初はツイッターで仲良くしている人がお付き合いで読んでくれたくらいだったけれど、だんだんと読者も増えてきて、感想とかもらえると嬉しくて、また書きたくなってね。同じテーマで書き合う企画にも参加したりしたよ。そうしたら先月、憧れの百合作家さんが月星でアンソロ本を主催することになって、参加作家を募集していたから思い切って参加したいと連絡してみたら快諾してくれてね。空き時間を見つけては必死で書いているところ」

 私ははっとして顔を上げた。

「それなら今もこうしている場合じゃないんじゃない?」

「ううん、まだ締め切りは来月だから大丈夫だよ。でも、締め切り近くなったら家にいる時間はずっと書いていると思う。そうしないと間に合わないから。私が小説を書くなんて柄じゃないと思うだろうから、結花には言わないつもりだったけれど、一緒に住むことになったら隠していたら書けないし、正直に伝えることにしたの。黙っててごめん」

「もしかして……週末も仕事って言って会えない時があったけれど、本当は小説を書いていた?」

 万智はばつが悪そうにゆっくりと頷いた。

「ごめんなさい。企画の締め切りにどうしても間に合わなかった時、仕事って嘘ついて家で書いていたこともある。本当に仕事の時もあったけど」

「そうだったんだ……」

「もう隠し事はないから。私が小説を書くこと、理解してくれる?」

「……万智が好きで頑張っていることだもん、もちろん応援するよ」

 そう言ったけれど、真璃杏のタイムラインを見ているとまたある疑いが浮かんできた。

 もしかして万智にとって、今一番優先させたいのは私より小説を書くことではないのだろうか。同棲しても書くために仕方なく私に打ち明けたのであって、そうでなければずっと私に黙って真璃杏アカウントの仲間たちと交流しながら小説を書いていたのではないか――。


 それが二ヶ月前のこと。

 無事に引っ越しが済んで同棲生活が始まると、同じ家に帰り、隣で眠り、いつ目覚めても横に万智がいるのが幸せで、日常の何気ないことも全て新鮮で楽しく思えるのに、万智が「さて」と言ってノートパソコンを開くと途端に心がしゅんと萎んでしまう。万智の身体はそこにあっていつでも触れられるのに、まるで別世界へ行ってしまったかのように遠く感じるのだ。

 小説は一番に読ませてもらう約束をしたけれど、闇の姫自体をほぼ忘れていた私は、万智が熱い気持ちで表現したいものを正直、掴みきれない。真璃杏の読者たちは万智と同じような熱量で感想を書いているというのに。


 ある日アンソロ小説の執筆に手こずっていた万智は、突然ネタが降ってきたと言って二日で短編小説を完成させた。ふたつのストーリーを並行して書けることも、思いついてすぐ書き上げられたことにも素直に驚いた。

「結花に最初に見せるから、簡単でいいから感想を聞かせて欲しいの。まだちゃんと校正していないけど、気になるところがあったら教えて」

 と言って二千字程のファイルをスマホに送ってくれたので、真璃杏の熱心な読者たちに負けないよう、気づいた点をメモしながら丁寧に読んだ。

 読み終えて万智を呼ぶと、期待と緊張が入り交じった顔をした彼女にメモした内容をひとつずつ伝えた。

「えっと……まず2ページ目なんだけれど、カレー屋さんに行く時のシーンでカーレってなっていたよ」

「えっ、嘘、どこ? あ、本当だ、ありがとう助かる」

 万智は慌ててノートパソコンを開き、元ファイルを直した。

 よかった、私だって万智の役に立てている。

「あと、5ページ目で月子と星子の名前が逆になっていたよ。テレポーテーションが使えるのは月子で、星子は透視だったよね? だけどここ、星子はテレポートすると、ってある」

「やだ、疲れていたのかな……推しの名前を間違えるなんて恥ずかしい」

 万智の顔が次第に曇っていくのに私は気づかなかった。

「それから、漢字の間違いもあったよ。交戦と光線が……」

「――結花ありがとう、誤字脱字はこのあと細かく校正していくからいいよ。それより全体を通してどうだったか教えて。読みやすかった?」

「あ、うん。他の人の月星小説は読んでいないけれど、万智の小説ってすごく読みやすいし、こんなに上手だなんて驚いたよ。ちょこちょこ私たちに実際にあったことも書いているよね、注文したカレーが辛すぎて八つ当たりしてけんかになるとか。懐かしかった」

「うん、具体的なエピソードが入っているほうが共感されるかなと思って、思い出して書いたの。勝手に書いてごめん、嫌だった?」

「別にいいよ。でも全体的に暗いトーンだよね。月子が行方不明になったところで終わるのっていいの? 読後感がもの悲しいよ」

「そりゃ、これはバッドエンドの物語だから。私、何がなんでもハッピーエンドじゃなくてもいいと思ってるの。それにまた続きも書くかもだし」

「そっか……。それと、月子と星子って高校生だよね。木を見て、〈風に揺れる木々はまるで小鳥がさえずるように葉を揺らしていた〉とかいちいち文学的に考えるかなあ? 〈火のない所に煙は立たない〉とか〈うだつが上がらない〉とか慣用句もたくさん出てくるけれど、若い子がこんな言葉を使うかなあ? 実際、私も使わないし」

「結花は小説を読まないからわからないと思うけど、そういうのは小説の世界のお約束、様式美みたいなものなの。ノンフィクションを書いているわけじゃないんだし、何も知らないのにダメ出しばっかりしないでよ」

 うつむいている万智の声が震えていることに気づいて、私はびっくりして彼女の顔を覗き込んだ。赤くなった目の縁から涙がこぼれている。

「え、なんかごめん……感想や気になるところを教えてって言うから、万智の読者さんたちみたいに真面目に読んだ結果を伝えているだけなんだけれど……嫌だった?」

「感想を書いてくれる人たちはみんな、ここがよかったとか感動したとかいいところを見つけて褒めてくれるじゃない。私が下手なことくらい自分でわかっているけれど、ダメ出しばっかりされると落ち込むよ」

「下手じゃないよ、上手で驚いたって言ったじゃない。じゃあ私、なんて言えばよかったの?」

「……面白かった、また読みたい、頑張ってねって言って欲しい」

「それだけ? 私自身の感想はいらないってこと?」

「細かい感想なら作家仲間たちがくれるもん。結花は結局小説についてはわからないじゃない。それなら彼女なんだし、励まして応援してほしい」

「何それ……」


 いつも万智が小説を書いている間、私がどれだけ寂しいか知らないくせに。万智が真璃杏アカウントで楽しそうに会話しているのを、ただ見ているしかできない私の気持ちも知らないくせに、私の素直な感想はいらないって言うの? それが彼女? 私は一体、万智の何なの?

 でもそれを言ったら終わりだから、私はわかったと頷くしかできなかった。せっかく同棲できたのだ。万智の望みがはっきりしているなら、叶えてあげるしかない。私は万智の彼女だもの。


 それからは私は万智が小説を見せてくれるたび、いつも「面白かった、早く続きが読みたいな」など万智が喜ぶことだけを言うようにした。もちろん本心ではあった。書けば書くほど文章は磨かれていき、闇の姫を忘れていた私ですら感動することも多かった。女の子たちの間に生まれる感情を繊細に描いているのも共感できた。気になる点がなかったとは言えないけれど、万智が私に求めたのは称賛や応援だけ。投稿サイトに公開された小説には次々に語彙力豊かな感想が書かれていった。小説や闇の姫のお約束を理解している読者たちは、万智が本当に描きたかったことまで気づいて褒め称え、誤字などのミスはダイレクトメールでそっと教えてくれる。私が実際に抱いた感想なんて万智には必要なかった。


 十二月に入り、私たちが付き合った記念日が近づいていた。

「来週の土曜日は記念日だし、結花が行きたがっていた海辺のカフェでランチして、温泉付きの素敵なホテルに泊まろうよ」

 と万智が言い出した時は、驚きと嬉しさで思わず抱きついた。

「記念日のこと、覚えていたの? 小説は大丈夫なの?」

「うん。アンソロ用の小説は提出したし、次の企画はまだ先だから大丈夫。大事な彼女との四回目の記念日だし、ちゃんと調整していたんだ」

「ありがとう、すっごく楽しみ」

 万智は予約した海辺のホテルのサイトを見せてくれた。私のために記念日の準備をしていてくれたことが嬉しくてたまらなかった。

 やっぱり万智が大好き。

 幸せに浸っていたのに、雲行きが怪しくなるのはあっという間だった。


「ごめん結花、記念日旅行キャンセルさせて」

 と万智が頭を下げたのは記念日前日の金曜の朝だった。

「お世話になっている百合作家さんが来週の即売会に闇姫の新刊を出すんだけれど、参加予定だった人がドタキャンして突然4ページ空いちゃったから、どうにか4ページの小説を書けないかって夜中に連絡が来たの」

「え、なんで? せっかくの記念日だよ? 他にも闇姫小説を書いている人なんていっぱいいるじゃない」

「知り合いの作家のほとんどが即売会に本を出すからみんな今修羅場なんだよ。余裕あるのは私くらいしか思いつかなかったみたいで……」

「4ページくらい減らせばいいんじゃないの?」

「ギリギリのスケジュールだから、印刷会社でもうページ変更ができないんだって」

「私は四年も付き合った彼女なんだよ? 私よりそんな顔も知らない人を優先させるの? 彼女との記念日なんだって言って断ってよ」

「結花のことは一番大切に思っているよ。でも、彼女がいるってことは誰にも公表していないから。それにその人、界隈じゃ有名な作家さんなのに、私が書き始めた最初の小説からずっと感想やアドバイスをくれているの。初めて頼ってくれたのが嬉しいし、私も恩返ししたい。お願い結花、ちゃんと埋め合わせするから」

「……そんなのひどいよ……」

 私はたまらず泣き出した。

「私がいつもどんな思いで万智が小説を書くのを見ているかわかる? 私には入り込めない世界で、知らない人と楽しく会話しているのを見るしかない私の気持ちがわかる? 感想だって思った通り言えば泣かれてしまう。それでも万智にとって小説を書くことや闇姫が大切だってわかるから、理解して我慢して応援しているんだよ。それなのに年に一度の記念日もこんなに簡単にキャンセルにするなんてひどい。それなら最初から期待させるようなこと言わないでよ。勝手に好きなだけ書いていればいいじゃない」

 急いで通勤の支度をすると、私は振り返らずに玄関に向かった。

「もしかして私と付き合っているのって、小説のネタになるからじゃないの? もう万智が私のことを本当に好きかどうか、わからないよ」

 万智が何か言いかける気配がしたが、そのまま家を出た。


 仕事なんてする気にはなれなかったし、夜、万智が小説を書く背中を見ながら過ごすのも嫌だった。駅に向かいながら、まず上司に電話して親の急病のためと言って休みをもらい、続いて万智が予約していたホテルに連絡し、今日からの一泊に変えてもらった。街中の駅で降りて着替えと下着を買う。メイク道具は持って来ているし、スキンケアはホテルに揃っている。適当にぶらぶらしてからまた電車に乗った。やがて見えてきた海は冬の儚い日射しを反射して、寂しげにきらめいていた。

 目的の駅で降りて、スマホで地図を見ながら万智と行きたかったカフェへとたどり着いた。通された海側の席は一面のガラス張りになっていて、砂浜から沖まで見渡せた。楽しげなカップルたちに混ざってランチを食べ、追加で頼んだデザートまで完食すると、タクシーでホテルへ向かった。

 万智が予約していた部屋もまた海に面した高層階で、ダブルベッドが部屋の中心に置かれていた。いかにも記念日っぽい。

 ――今、万智がここにいてくれたなら。

 スマホには万智からのメッセージがいくつも届いていた。

〈結花、怒ってるよね? 本当にごめんね。ネタのためじゃなく、本当に結花のことは好きだから〉

〈仕事しながら小説の構想は考えたから、今日帰ったら明日の朝までに頑張って書き上げる。そうしたらどこかへデートに行こうよ〉

 まだ私が今日は帰らないことに万智は気づいていない。

「やっと書き終わったと思っても、いつも締め切りぎりぎりまでずっと手直しして結局どこにも行けないくせに……」

 返信しないまま、ベッドにスマホを投げ出した。


 万智にとって私は何なのだろう。同棲なんてせずに、万智は私に内緒で闇姫や小説書きを楽しみ、私も何も知らないでいたほうがお互いのためによかったのだろうか。

 好きなものに一生懸命になる万智が好きだった。一日仕事をして疲れた身体でも必死で書く姿を見ていると心配になるけれど、頑張って書いて完成したら一番に私に見せてくれる万智が好きだった。人から頼られる万智も、期待に応えようと努力する万智も好きだった。

 ――でも万智にとって私は?

 万智には趣味を同じ熱量で語り合える人たちがたくさんいる。万智の小説の価値を理解し、待っている人たちがいる。私がいても万智の趣味や執筆の邪魔になるだけではないか。


 最上階の温泉をゆっくり楽しんでいるうちに冬の陽は傾いていった。ホテル内には雰囲気の良いレストランがあったけれどさすがにひとりで入る気になれなくて、売店で軽食とちょっといいビールを買うと、部屋に戻ってテレビを見ながらベッドの上で食べた。いつもリビングで万智が執筆している時は邪魔にならないよう、好きな番組を観るのも遠慮しているから、これはこれで気楽でよかった。

 はっと起きた時、自分がどこにいるのかわからず、無意識に万智を探した。つけっぱなしのテレビ、見慣れぬふかふかの大きなベッド。

 時刻は夜中の二時過ぎだった。久しぶりにビールを飲んだせいでいつの間にか寝ているうちに記念日当日になっていた。せっかく素敵なホテルに泊まっているのに私も私だ。空き缶を片付けながら涙が浮かんできた。

 バカみたい、私。ひとりでこんな贅沢をしても虚しいばかりだ。万智と一緒にいるからこそあの狭い部屋での何気ない毎日が楽しいのに。必死で書く万智を励ませるのは一緒に住む彼女の私だけなのに。万智の背中を見ているだけでも同じ部屋にいるほうがましだと思った。

 さすがに連絡もしないまま外泊して、万智も心配しているだろうとスマホを見ると、やはり万智からの着信とメッセージで溢れていた。

〈今日は残業なの? 何時に帰るの?〉

〈今どこなの? なんで電話にも出ないの?〉

〈そんなに怒っているの? 誰か友だちの家なの? お願い連絡して〉

 読んでいるとすぐにでも電話して謝り、万智の元に帰りたくなったけれど、最後のメッセージで私は手を止めた。

〈結花と会えないまま記念日になったね。実は内緒で書き上げて今日見せようと思っていた小説があります。今まで闇姫二次創作だけ書いてきたけれど、初めてのオリジナルで、私と結花をモチーフに書いた百合小説です。誰よりも万智に読んでもらいたいと思いながら書きました。

 非公開で登録しているので、結花が嫌だったらそのまま削除してもいい。でももし結花が公開してもいいと思うなら、この小説を発表する時に私には大切な彼女がいると公表するつもり。もう遅いかも知れないけれど、心を込めて書いたので読んでもらえたら嬉しいです〉

 驚きながら、続いて送信されていたURLをタップした。


   『相違相愛』                  真璃杏


 私と彼女はまったく違う。

 行き当たりばったりの私ときちんと計画を立てる彼女、好きになったら一直線の私といつも落ち着いている彼女、辛いものが苦手な私と激辛好きな彼女。シンプルな服装が好みの私とロングスカートが好きな可愛い彼女。趣味も何もかも違うのに、私が好きになったのは彼女で、彼女は私を好きになってくれた。

 今日は私と彼女が付き合って四年になる日。

 これは私と彼女の、相違相愛の物語。――


「どこがオリジナルなのよ……」

 覚えがあるエピソードだらけの短い小説を、私は泣き笑いしながら読んだ。今まで読んできた万智の小説で一番好きだった。万智が私を想う気持ちが生き生きと描かれ、文字から溢れて私の心に流れ込むようだった。こんな素敵な小説を削除なんてするわけがない。

 

 こんな夜中だけれど、万智はまだきっと起きて、頼まれた小説を書いているだろう。私からの連絡を待ちながら。

 通話ボタンを押して万智が出るまでの一瞬の間に私は予想する。

 ホテルにいるよと言ったら、朝までに書き上げてすぐにそっちに行くからと言うだろう。でもたぶん書き終わらなくて、パソコンを抱えたままクマが目立つ顔で来るかも知れない。そしてここでもなかなか完成しなくて、結局放っておかれた私がまたイライラするかも知れない。

 でも、彼女がいると公表してくれる。

 私のために書いた小説を公開してくれる。

 きっとその後も、私は万智が二次創作小説の執筆に夢中になるたび寂しくなって、出来上がった小説にどう感想を言えばいいかで悩み、公開されたらまた寄せられる万智の仲間たちの感想にやきもちを妬くだろう。


 それでも仕方がない――だって私は、百合作家の彼女なんだから。

 

    (終わり)

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百合作家彼女 おおきたつぐみ @okitatsugumi

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