第37話 過去と今

「――だから何だって言うの!? くおんちゃんは何が言いたいの!?」


 高さ5メートルの空中で、ベルは声を荒げた。

 魔力弾の形成はストップしている。


「ベルはもう薄っすらと分かっているんじゃないかな? 私は桜の力を、強くすることが出来る。これの意味が」


 私は変わらず右手をベルの方へ向け続けていた。

 

「ベルの構成要素の中には、桜の因子が入っている。それが事実なら私がやることは一つだ」


「……やめて!」


 もう遅い。

 ブーストは既に始まってしまった。


 ベルが纏っていた魔獣の光に、別の光が混ざる。

 魔獣が放つ他者を呑みこむような光ではなく。

 朝焼けに似た、穏やかな光。


「あ……ああ……!」


 ベルは苦しそうに自分の体を抱きしめた。

 少しずつ、少しずつ空中から降下していく。


 どうやら、私の思った通りだったようだ。


「ベル、私は今あなたの中にある桜の要素を押し広げている。つまり桜の因子にバフをかけることで、ベルの精神における滝内桜の存在感を大きくしているんだ。こう言い換えることも出来るかもね。ベルの心の中で桜の割合が増えていく」


 これが何を意味するか。

 私はこのように言い表した。



「やめて……くおんちゃん、やめて……本当のことなんて、しゃべりたくないよ……!」


 桜は高校一年生の女の子だった。

 ベルが桜に近づくということは。

 それは、普通の少女に近づくということだ。


 マルチバースに広がる悪の秘密結社の幹部。

 巨大コンピューターのインターフェイス。

 そのような存在であれば自分の心を隠し通すことも出来るだろう。


 けれど。

 何者でもない、一人の少女だったら?

 殺意にまで至った己の心を、吐露したいと思うはずだ。

 だれかに聞いてもらって、そして自分を助けてほしいと思うはずだ。


 ベルは床面に着地した。

 苦しんだまま、私を睨む。


「最悪だよ、くおんちゃん……! 結局、くおんちゃんはこんな無理やりな方法しか出来ないんだ……!」


「本当にその通り。私は、悪の組織の総統だからね」


 ベルの心は桜に近づき、脆くなった。

 隠し事なんて出来ない。

 自らの激情を押し留められず、外に向かって叫ぶしかないのだ。


 無理やりなのは、充分承知の上。

 それでも。


「叫んでよ、ベル。あなたの抱えたものを全て、私に叩きつけて」


「……善人ぶらないでよ」


 ああ、やっと。

 やっとベルの心を知ることが出来る。

 私は思わず、微笑んでしまった。


「今までプラントが、どれだけの人間を殺してきたと思っているの!? どれだけの世界を滅ぼしてきたと思っているの!? わたしはたくさんの涙を記録してきた! たくさんの『たすけて』を記録してきた!」


 私の罪。

 人類救済の下に犯してきた無数の罪悪。

 そう、私はどうしようもないほどの悪人だ。


「もちろん、わたしだって同罪だよ……心が大きくなった、なんて言って精神に余裕を持ちながら今まで生きて来た。けれど、くおんちゃんの昔の記憶と繋がって、桜ちゃんのことを知ったんだ……本当に、本当に楽しい一年間を、くおんちゃんと過ごしたんだね、あの子は」


 ベルはこちらに向かって走り出した。

 そして、そのままの勢いで私の胸倉を掴む。

 涙を流しながら。


「くおんちゃん、なにが『桜は今の私を見てどう思うかな?』だって!? ふざけないでよ! 桜ちゃんは絶対に今のあなたを否定する! 許すはずがない! もし、桜ちゃんが生き返ったら、必ずくおんちゃんの前に立ちふさがるヒーローになるよ!」


 きっとこれはベルの言葉であると同時に。

 桜の言葉でもあるのだろう。


 久しぶりだね、桜。


「わたしが……わたしがしたかったのは……くおんちゃんを止める

ことだった。壊れてしまったあなたをどんな手を使ってでも、止めることだった。あの頃のくおんちゃんと、今のくおんちゃんは、違う」


 そうか。こういうことだったのか。

 記憶を覗くことによって、ベルもまた桜という一人の女の子が好きになったのだ。

 そしておそらく、まだ人間だったころの私も、好きになってくれた。


 だが、それが苦しみの始まりとなってしまう。

 過去と今のギャップ。それに耐えられなくなったのだ。


 かつての私と、今の私は違う。

 普通の女の子だった私と、秘密結社プラントの総統である私は、違う。

 永い時間を経て生まれたその断絶を埋めることは不可能だろう。

 

 どちらかを選べば、もう片方は選ばれない。

 なにを正義とするか。なにを悪とするか。

 

 ベルは過去を選択した。

 現在を、否定すべき悪と定義した。


 『プラントの幹部でありながら、あまりにも簡単に変節した』と言う人もいるかもしれない。

 けれど、ベルは己の精神の中に直接、ただの人間の心が投入されてしまったのだ。

 混乱の極みに陥るのは当たり前だろう。


 非難されるべきは、ベルの苦しみに気が付かなかった私である。


「きっかけは、あったんだ。くおんちゃんを絶対に殺すと決めたきっかけは」


 ベルは胸倉を掴むのを止め、力なくうなだれた。


「おぼえてる? 一花と初めて会った時のことを? はは、わたしがあの子を利用した時だね……」


「ベル……」


 私はベルを抱きしめる。

 

「あの時までは、悩んでた。進めていたクーデター計画なんて放り出して、くおんちゃんに『ごめんなさい』って言ってもいいと思ってた。でもくおんちゃんは、戸惑ったよね?」


「――ああ、そうだった」


 あの時、私はこう言ったのだ。


『あ、うん、いいね。すごくいい。いいけれども……ちょっと安直じゃないかな? そのまますぎるっていうか、うん。もう一捻りほしいかなー、なんて』


『そうだな……いちか、一花なんてどう?』


 一花の名付けの際、『桜』と言う名前をベルから提示された私はしどろもどろになった。


「くおんちゃんは今でも桜ちゃんのことが大好きなんだ、って思った。心の底から、思い出を大切にしているんだと思った。だから、決めたんだ。思い出のためにくおんちゃんを殺そう。くおんちゃんの大切な記憶がこれ以上汚されないように、プラントの総統を抹殺しよう」


 あの時に殺意は始まったんだ。

 ベルは最後にそう呟いて、喋るのを止めた。


 後はただ、泣き声が響くばかりである。


「ベル……私はあなたを許したい」


 ベルの体をより強く抱きしめる。


「桜のことを想ってくれてありがとう。私のことを糾弾してくれてありあとう。きっとこれは今のベルにしか出来ないことだったと思う。ベルは罰を受けることになる。流刑に処されて、どこか遠い世界に送られる。でも私は会いに行くよ、こっそりとね。いっぱい話をしよう。あなたの意見もどんどん言ってほしい。今の私では持てない視点を教えてくれる……そうだね、先生になってほしい」


 私はこれからも壊れた私のままだ。

 それは変わらないだろう。


 けれど、接ぎ木をすることは出来ると思う。

 別の誰かの考え方を学び、それまでとは全く別の枝を生やすことは出来るのではないだろうか。


 ベル。

 あなたはあなたの樹をこれからも伸ばし続けてほしい。

 そしてあなたという美しい樹をこれからも私に見せてほしい。

 それが私の、心からの願いだ。


「……わたしはね、みんなのことが大好きなんだ」


「……え?」


「プラントのみんなが大好き。Xトマトくんはいつもわたしを推してくれた。一緒に遊ぶときは幸福感で一杯だったよ。祥子ちゃんはまさしくプラントの守護神って感じでカッコよかった――尊敬していた。仙ちゃんは、お調子者だけど決める時は決めるし、なにより最高に綺麗な人だった――わたしは憧れていた」


 急にどうしたのだろうか。

 分からない。


「トウリちゃんは……正直ちょっと怖かった。でもその幅広い知識を縦横無尽に使ってプラントの技術を支えてくれた。感謝している」


「ちょ、ちょっとベル?」


戦闘員プランターも怪人も幹部も、みんなみんな大好き。バベル祭の時に言ったあの言葉は、嘘じゃない。でもね」


 日が沈むように、ベルを包む魔獣の光が消えた。

 私が点けた朝の光も同じくだ。


「……ッ!?」


 体の中央を熱が走る。

 何かが私の体を貫いた。

 これ、は。


「それでも、わたしが一番好きなのは、くおんちゃんなんだ。だから止めたい。終わらない罪の連鎖から救ってあげたい。この後わたしはプラントのみんなに殺されるだろうね。それでいいよ。かまわない」


 私はその場に崩れ落ちる。

 口の中に血が溢れ、こぼれ出す。


「こんなわたしを愛してくれてありがとう。でも、そんな優しい貴方だかからこそ、私は殺さないといけない」

 

 それは懐かしい攻撃だった。

 だけど、桜の時のように半身を吹き飛ばすようなものではない。

 一点集中型である。

 

 ベルは光の魔獣をビームに変換して、私に撃ち込んだ。

 なにせ密着していたから避けようが無かった。


 だめだ、体が動かない。

 これは、まずい。


 ベルは先ほど自分が作り上げた魔力のナイフを握っている。

 100本ほど辺り一面に転がっているから、より取り見取りというわけだ。

 

「これで全部おわりだよ、くおんちゃん」


 ベルが近づいてくる。

 逃げられない。

 



 

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