回顧12 旅立ち
その後、私はトウリを数時間ほど抱きしめ続けた。
トウリが下で私が上。
お互いなにも言わず、ただ静かな時間が過ぎていく。
心が安らぐ。
こんな気持ち、いつぶりだろうか。
トウリの体が、本当に暖かい。
「……落ち着いた。まともな会話が出来ると、思う」
静寂を破ったのは私。
本棚という本棚が倒れて滅茶苦茶になった図書館に、声が広がっていく。
「罪悪感はある。人を殺してしまったことに対する罪の意識はあるんだ。けれど、それで胸が一杯になることはない。平然と他のことを考える余裕がたっぷりとある。魔獣を狩っていくにつれて、こうなったんだ。能力を高め過ぎて、だいぶ人の思考から離れてしまった。壊れてしまったんだ、人として」
私の言葉にトウリが答える。私たちは抱き合ったままだ。
「壊れてしまったとしても、あなたは朝森くおんよ。利口ぶっているけれど、根っこのところは単純。馬鹿で間抜け。そして、桜のことが大好き。あの子のことを忘れることが出来ないのね」
「うん。絶対に忘れたくない」
桜の記憶だけは決して、手放してはならない。
桜の笑顔も、桜の言葉も、私の宝物なんだ。
「覚えているトウリ? 『白紙』の種をビデオレターにした時のこと。あの時、桜はこの綺麗な世界をいつまでも守っていきたいと言ってた。壊れやすい当たり前を守りたいと言ってた。その時の私は特になにも思わなかったけれども……桜を失ってからは心の中心にあるんだ」
私のこの言葉に、トウリはすがるような声音で返した。
「もう引き戻せないの? 幸せになりたくないの?」
「幸せになりたいんじゃない。やりたいことをやりたいんだよ」
ごめんねトウリ。あなたには心配ばかりかける。
でも、あなたに会えて良かった。
あなたが図書館に私と桜を呼んでいなければ、とっくの昔に2人とも死んでいただろう。
桜は死んでしまったけれど……それでも1年間、一緒にいることが出来た。
私の人生の中で一番大切な1年。その1年をくれて、ありがとう。
「……ごめんなさい桜。私はくおんを生き地獄へ送り込む。私はくおんに、生きてほしいから」
「え?」
トウリは私から体を離した。そしてその場に座る。
私もそれにならった。
どうしたのだろう?
「救う世界は一つでいいの?」
投げかけられた言葉は福音か、それとも悪魔の誘惑か。
どっちでもいい。
トウリが私のために、紡いだ言葉だ。
「多くの世界には多くの破滅が潜んでいるの。破滅は魔獣だけではないわ。多次元世界には、それぞれその世界の人類を滅ぼしうる脅威が存在している。宇宙からの侵略。天変地異。怪獣。ウイルス。悪魔の囁き。核戦争。他にも山ほど」
「……」
「それらを見過ごすの? 一つ世界を救ったら満足? ずいぶんと勝手な話ね。救世主を気取りたいなら、世界の百個や千個、助けてからにしたら?」
マルチバースか。なんとも広大な話だ。気が遠くなる。
けれど、無数の世界に無数の当たり前が存在しているんだ。
無数の綺麗なものがあるんだ。
「あなたがよければ、私が連れて行ってあげる。図書館の司書は辞めるわ。どうせ図書館というシステムが別の司書を連れて来るでしょ。そろそろ退屈していたところだから、ベストタイミングね」
トウリも、いっしょ。それはきっと楽しいだろうな。
「たくさんの世界を救うんだから、まだまだ鍛えないといけないわね。まず魔力に満ちた世界に行って修行。徹底的にしごいてあげるわ」
うへー。そいつは大変だ。
死んでもいいなんて言ってる場合じゃないね。
私は思わず笑みがこぼれた。
そして笑いながら、トウリの言葉に返答する。
「安っぽい挑発だよトウリ」
「……くおん」
「でも、乗ってあげる。『白紙』にまだ出会えるかな?」
ガバッ!
今度はトウリの番だった。
トウリが私に抱き着いた。
つよくつよく、抱きしめられる。
「くおん……! くおん……!」
「約束する。そう簡単には死なないよ。人類の進化も、もっと考えてやるよ。他のいろんな救い方も探してみる。知識の魔女の隣に立つふさわしい存在になってみせる」
ああでも。少し不安があるな。
「私みたいな壊れた女、一緒にいて嫌じゃない?」
「大丈夫よ」
トウリは。
後のプラント大幹部、トウリ博士は。
朗らかな顔でこう言った。
「くおん。私も一緒に壊れてあげる」
まずおこなったのは、偽装。
私と桜、光の魔獣の犠牲者、そして私が殺した人たち。
人数分の偽の死体を用意した。
ホムンクルスの要領で作成し、各地に配置。
行方不明ではなく、死去という形を関係者に与えた。
彼らが本当の真実を知ることはないけれども。
「お母さん、お父さん。さようなら。私これから旅に出るよ。とっても悪い子になるけれども、良い事も必ずやる」
記憶を消すという前提で両親にお別れを言った。
トウリに軽い精神操作をしてもらったので、二人の心の中には、悲しみだけではなく、それと同じだけの安らぎも存在し続けるはずだ。
桜の親族と、光の魔獣の犠牲者親族にも精神操作をおこなった。
私が殺した人たちの家族は無理。
私に対する怒りが大きすぎる。
「僅かに生き残っていた魔獣も倒した。あとはもう、やることはない。いこうかトウリ」
「これからやることは、2人だけじゃ手が回らない。組織を作ることも考えて」
組織か。
倫理観から外れたこともやるから、世界の影に潜む存在になるだろう。
となると、秘密結社だね。
「総統、とでも名乗ろうかな」
「安直」
「だめ?」
トウリが呪文を呟き、眩しい光に満ちた門を生みだす。
ここをくぐれば、別の世界だ。
「くおん、桜の遺骸はあれでよかったの」
「うん。火葬して、灰を空に撒く。これが私に出来る精一杯の弔いだったと思う。大好きなこの世界の一部になったんだよ桜は」
「もうこの世界に心残りはないわね」
「これからよろしくねトウリ。あ、そうだ。これはいま言っておこうか……大好きだよ」
「
っ!?」
赤面するトウリを見ながら、私は長き旅の第一歩を踏み出した。
プラントの歴史はここから始まる。
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