回顧10 壊れた私

「お、おまえ……なんなんだ一体……!」

「…………」


 男は私を見て、恐怖の表情を浮かべた。

 当然だろう。

 目の前の女は、家々の屋根を軽やかに駆けながら、何十分も自らを追跡してきたのだから。


 ここは人通りの少ない街はずれ。

 居るのは私と彼だけ。

 この人も、もっと賑やかなところに逃げれば、助かったかもしれないのに。哀れなものだ。


「おじさんで4人目。今度こそ、うまくいくと良いのだけれど」

「なにを言って……があ!?」


 私はおじさんのお腹に、右手を突き刺した。

 小腸がグニュグニョしながら迎え入れてくれる。

 少し腸が破れたかな? 手が臭くなるから困る。


「あが、あああ……」


 髪がだいぶ薄くなっているね、このおじさん。

 うちのお父さんも結構悩んでいた。

 

「体の中心はここかな。よいしょっと」


 目的のものを体内に置き、私は手を引き抜く。

 おじさんの口から、滝のような血が吐き出された。

 もう悲鳴もでてこない。


「……ダメか」


 おじさんは、腹の傷口から黒い肉塊を排出した後、動かなくなった。

 どうやら適合できなかったらしい。


 私の歯に。


「帰ろう。桜のところに」


 私はその場でおじさんを溶解させると、帰路についた。

 なかなかうまくいかないものだ。

 人間を進化させることは。


 そもそもの話。

 これは思いつきである。


 私の体の一部分を、普通の人間に植え付ければ、その人間は異能の力を持つのではないか?


 簡単に超人的な存在を増やせるのではないか?


 たいした根拠はない。

 歯を使っているのは、いつのまにか幾らでも生えてくるようになったので、効率的だったから。

 いま私がやっている一連の作業は、何かしらの理論があってやっていることではないのだ。

 

 ああ、こんなことならトウリの言う通り、図書館で魔法の勉強をもっと真面目にやるべきだった。

 やっぱり、知識は大事だね。


 己の浅学さを痛感しながら、私は桜の待つ、山の中に建てられた物置小屋に到着した。


 長いあいだ使われていない廃墟と言ってよいこの小屋は、にとって最高の隠れ家だった。


「ただいま桜! いやー、今日も駄目だったよ。なにがいけないんだろうね? 歯が黒い肉塊に変わったわけだから、何も起こっていないわけじゃないんだ。やっぱりもっとテストを重ねないといけないかな? うん? ごはん? ごはんというと昨日生ゴミを食べてみたよ。カラスがおいしそうにしているのを見て、私も口にしてみた。案外いけるね。味覚が変化したからかな?」


 私は一方的に喋り続ける。

 桜は答えない。


「魔獣でてこないなー。あ、私も桜みたいに魔獣の探索が出来るようになったよ。なかなかおもしろい感覚だったんだね。うーん、そんな私のニュースキルによると……もしかしたら魔獣はもうこの次元にいないのかもね。私だけで200匹ぐらい殺したから。おかげでレベルがガンガン上がったよ」


 桜は答えない。

 当たり前だ。


「でも、もしかしたらまた出て来るかもしれない。だから人間進化計画を早く進めないと。私と桜だけじゃ、やっぱり人員が少なすぎたね。もっと多くの人に手伝ってもらわないと不公平だ。計画の進行状況? いまは、成果ゼロだけど、きっとうまくいくよ。なにごとも努力が肝心だからね」


 桜はいま、寝袋の中にいる。

 桜の顔が見たい。


「ねえ、桜」


 寝袋のチャックを開く。

 そこには、桜のもう動かない顔がある。


「私って、桜がいないとこんなにも壊れてしまうんだね」


 光の魔獣との戦いが終わった後、私は桜の死体を冷凍保存した。


 左半身を失った体はあっという間に腐るのではないかと思い、急いで氷魔法を使ったのだ。

 桜に腐敗などしてほしくなかった。


 私の頭の中に、もうまともな思考は残っていない。

 衝動に身を任せたまま、私は魔獣を狩り始めた。


 殺した。殺して殺して殺し尽くした。


 魔獣の感知能力を手に入れたのが幸運だったのだろう。

 憎らしいことに、光の魔獣を倒してスキルアップしたかの如く、だ。


 殺せば殺すほど、私は強くなっていった。

 だから殲滅自体は、案外楽だったと思う。


 時間にしてどれくらいの間だろうか。

 一か月くらいか?

 もうわからない。時間の感覚が無い。

 

 魔獣がいなくなったことを確認すると、進化計画を開始した。

 計画というほど立派なものではないけれども。


 今日で四人目。

 私は人を殺し続けている。


「今日も桜の隣で眠るよ。おやすみ」


 薄く氷のはった桜の顔を眺めた後、その隣で体を横にする。

 いまとなっては。

 この時間だけが、安らぎとなっていた。


 パチン。


「……え?」


 指をはじく音が、聞こえた瞬間。

 目の前の風景が一変した。


 そこはどこまでも本と棚が広がる空間。

 様々な世界から知識を収集する、文字の宮殿。

 

 私は急いで隣を見る。

 大丈夫だ。桜の死体はちゃんとある。

 一緒に転送されてきた。


 安心した私は、大図書館の司書を探した。


「トウリ、久しぶり。急な呼び出しだけど、どうしたの?」


 カツンカツン。靴音が鳴ったかと思うと、ローブ姿の少女が、本棚の陰から姿を現した。


 その顔からは感情を読み取ることが出来ない。

 ただ私を見つめ続けている。

 決して視線を逸らすことなく。


 長い沈黙の後。

 トウリは喋り始めた。


「ずいぶんと安っぽい悪党になったわね、くおん」

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