第49話


 あてがわれたのは3階にある大きな一室だった。内装は建築当時の雰囲気を保っており、床板と壁材が深い色の木材で統一されている。反面、木製の肘掛け椅子や白いクロスのかかったテーブルが異国情緒を醸し出し、日本らしさと外国らしさの相反する様式が混然となったモダンな様子はいかにも明治時代であるように感じた。


 ところで気になるのが、僕は未亜の部屋番号を聞いていないのである。それどころか僕の部屋にはダブルベッドがあり、どうぞお使いくださいと言わんばかりに二着の浴衣が用意されている。


「……まさかとは思うけど、一緒に泊まるわけじゃないよな?」


 僕はキャリーケースをベッドのそばに置いてから椅子に体を沈めた。


 未亜からはなんの連絡もない。


 ここへ来て何をするのか。ただ未亜と歩けば良いのか。それとも事務所が手をまわしているのか。炎上して生活に支障が出たとき事務所がフォローしてくれるのか? そういうことを未亜は何も教えてくれなかった。


 イヤな話が進んでいることに不快感は抱いている。やめろと警告しようと思ったことは何度もあった。しかし、未亜は幼いころから人の忠告を聞かない性格で、ともすれば激しく怒りだすこともあった。


 バレずにやれというのなら得意だが、バレるのはひどく不安だ。


 今月は女難の相でも出ているのか?


 どこまで話が大きくなるのだろう。どれだけの人が騒ぐのだろう。そういうことがいっさい想像つかないのに、誰も何も答えてくれない。教えてくれない。


 バレずにやるのはすべて僕の手腕で完結するけれど、バレるというのは、手枷てかせ足枷あしかせをつけて火の海に飛び込むようなものである。ロクなことにならないと分かっているのに飛び込むしかなく、逃れるすべもないのである。


 どうせアッサリ忘れられるのだろうけれど、どうなるか分からないうちは怖いものだ。


「……もし未亜と二人きりのところにアイツが飛び込んできたらメンドウなことになるな。先にアイツには言っておくか? いや、未亜に言っておくべきか。この炎上工作で、どうせ縁が切れるんだ。だったらいくら怒られようとも関係ない」


 僕は鬱々とした気分を晴らそうとスマホを取り出した。そして、8時に用事がある事をラインで送った。


 詳しいことは書かなかった。


 僕は膝の上に両肘をついて、腰を曲げて顎を乗せた。


「これからどうなるのかは分からないけれど、せめて、計画に支障がないようにしないと」


     ☆ ☆ ☆


 引っ越す前日に約束したことをよく覚えている。


 母が死に、叔父に引き取られることになった僕の手をひっつかんで彼女はこう言った。


「ふゆ君がどこに行ってもあたしのことが分かるように、アイドルになる。どこからでも見えるくらいおっきくてピカピカのアイドルになるから。だから、また、遊ぼうね」


 それから10年の時が経った。


 幼いころの夢は夢のまま、歪んだ現実になった。


 未亜は宣言通りアイドルになったけれど、活動が思うようにいかなかったらしい。その果ての炎上工作と思うと、なんだかやりきれないようである。


 異なる未来があったのではないか。


 彼女がテレビの中で輝いている姿を眺めるだけの未来でもよかったのに。


 そうあってほしいと思っていたのに。


 人生とはままならないものである。

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