第35話


 中井優美さんが本校舎の廊下からこちらを見ていた。


 一番見つかってはいけない人に見つかってしまったではないか。


 私はいち早く隠れたからバレなかったけれど、笠倉くんは逃げようとしなかった。むしろこれを待っていたみたいに龍一くんを抱きしめると、優美さんに向かってこう言った。


「ちゃお~。今ね、この子と楽しい事しようとしてたんだよ。あなたも混ざる?」


「な、混ざる!? 何言ってるんですか! そんなことするわけないでしょう!?」


 中井さんは上履きのまま中庭に出てくると笠倉くんを突き飛ばした。顔を真っ赤にして、まるで子供を守る母親のように必死だけれど、相手が笠倉くんだと気づいていないのだろうか?


 男の子を巡って男の子(女装)と女の子が争っている。しかも女の子は男の子(女装)に一度告白をしており、女の子は同一人物であることに気づいていない。なんなのだ、この状況は。


 止めに入るべきか悩んだけれど、私にはどう止めたら良いか分からないから見守る事にした。


「あなたみたいな軽い先輩が、龍くんに近寄らないでください!」


「あら怖い。龍一くんはこんな怒りっぽい子より私の方がいいよね?」


「ちょ、ちょっと! 龍くんを誘惑しないでよ! こんな人より私の方が良いに決まってるよね!?」


「え? えっと……」


「龍くん!?」


「龍一くん、私は、こんなふうに怒ったりしないよ~?」


 龍一くんは困ってるみたいだった。二人を見比べて、どちらに従うべきか考えているようだけれど、何を迷うことがあるのだろう? 片方は男だぞ。


「この子さぁ、いかにも龍一くんの事が好きって感じだけど、でも、たしか、年上の彼氏いたよね~。苗字が一緒だから覚えてるよ」


「―――――――ッ」


「ねえ、こんな子よりもさぁ、私の方が良いに決まってるって」


 優美さんの顔色が真っ青になった。その反応を見るに笠倉くんの事が好きなのは変わらないらしい。まるで浮気がバレたような反応だった。


「ほら、バレて焦ってる顔だよ。やっぱり主人公気取りだったね」


「……………」


 龍一くんは俯いていた。唇を強く噛んで何かを耐えているように見えた。


「どうするの?」


「……僕は」


 長い沈黙があった。好きな子に彼氏がいると聞いて、それを突きつけられるのはいつだろうか。今みたいに焦った顔をされた時だと私は思う。この人は自分よりもアイツの方が好きなんだ。自分はただの遊び相手だったんだ。そんな事が一瞬のうちに理解できてしまう。例え話を聞いていたとしても、実際に目の前でこんな顔をされたら理解せざるをえない。信頼が裏返って怒りや嫌悪に変わる。


 笠倉くんが意図的に引き起こしたのだ。


 これで破談になるなら仕方がないと思う。


 ところが龍一くんは顔をあげると、笠倉くんを真正面から見つめてこう言ったではないか。


「それでも僕は中井さんが好きだ!」


「……え?」


「ほお?」


 笠倉くんが「アタリだ」と言いたそうな顔で笑っている。彼はこれを待っていたのか。何とも回りくどい事をしたものだ。


「僕はぜんぜんかっこよくないし、話し上手でもないし、運動ができるわけじゃない。かっこいい先輩に負けるのは当然だと思う。でも、中井さんの事をよく知ってるのは僕の方だし、中井さんと過ごした時間が長いのも僕の方だ。中井さんの好きなものだって、得意な教科だって知ってる。彼女の事が好きな気持ちは、たとえその先輩にだって負けない!」


 龍一くんは一息で言い切ると、ハッと夢から覚めたような表情で頭を掻いた。「ど、どうして冬紀さんにこういう事を言ってるんでしょうか……。ごめんなさい」


「いや、いいんだよ。私の事なんかより彼女の方を気にしたら?」


「え?」


 見れば、優美さんが顔を覆って俯いていた。泣いているのだろうか。恥ずかしいのだろうか。ここからではよく分からない。


「……ごめん、あたし、ひどいことした」


 優美さんは龍一くんに頭を下げた。龍一くんはおどおどと優美さんに顔をあげるように言った。


「僕、頑張るから。中井さんの好きで居続けられるよう頑張るから。僕と付き合ってください」


「うん……、うん。こんな私でごめんね。きっといい彼女になるから」


「あの人の言う事は気にしないで。僕はいつもの中井さんが大好きだよ」


 二人は抱き合った。


 笠倉くんはその様子を見届けると、「夏祭りを待つ必要も無かったね」と私の所に来て言った。


「あとは二人に任せて僕達は帰ろう。見つかるとメンドウだ」


「ええ、そうですね」


 優美さんは気が付いたのだろう。自分にとって吉な存在が笠倉くんではない事に。私に言わせればこれも一つの浮気なのだけど、龍一くんがそれに気づいているのなら敢えて告げる必要もない。たしかに、夏祭りを待つ必要は無かったわけだ。

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