第36話
「それで、どうしてこんなことになるんでしょうか?」
「嫌なら離れれば? 僕はそれでもいいんだぜ」
「べ、別に嫌だなんて言ってないじゃないですか」
夏祭りに顔を出したら笠倉くんがいた。約束をしていたわけではないし、彼がいるとも思っていなかったのだけれど、なぜか自然とこうなっていた。
「はあ、せっかくの夏祭りをあなたと回る事になるなんて、なんだか代わり映えしないですね」
「だったら一人で回ればいい。僕は元々そのつもりだったんだから」
「あ! 見てください! リンゴ飴が売ってますよ!」
「聞いてねーし」
優美さんは龍一くんと夏祭りを回る事にしたらしい。あの後、笠倉くんにラインが届いた。「すみません。私、やっぱり龍一くんが好きです」というだけの簡素なメッセージであった。
「わあ、現代っ子」と、笠倉くんは呟いただけだった。
笠倉くんはこうなるように動いていたのだろうか。全部計算した上で、二人が強固な絆で結ばれるように動いた?
「リンゴ飴か。妹が好きでよく買ってたよ」
「あなたは食べないんですか? 美味しいですよ」
「食べた事ない。金魚すくいとかばっかりやってたから」
なんて言って肩をすくめる姿はいつもの笠倉くんだった。どこまで計算していたのかは分からないけれど、今回もっとも大変だったのは笠倉くんだったと思う。何かお礼をしないといけないだろう。
「食べたらいいのに。こんなに美味しいものを食べないなんてもったいない」
「君さぁ、ほんと庶民的だよね。屋台の飯は何がついてるのか分からんのだぞ? ホコリとか虫とか、長い時間外気にさらされてるかもしれんのだ」
「あなたが神経質なだけなのでは? せっかく買ってあげようと思っていたのに、そんなこと言うなら奢りませんよ」
「別に奢ってくれなんて……」と、笠倉くんが言いかけて止めた。
「なんですか?」
私の顔を見て止まっているけど、どうしたのだろう? 失礼な人だ。
笠倉くんは観念したみたいにため息をつくと「分かった。分かったから、じゃあ、コーヒーでいいや」となげやりに言った。
「ねえ、なんで止めたんですか? 私の顔に何かついてました?」
「何でもないよ。いいから早く買ってきてくれ。そこの自販機にあるだろ」
「はぁ……?」
☆ ☆ ☆
一つだけ不思議なことは笠倉くんがコーヒーを飲んでいる事である。彼は渡瀬さんからコーヒーを貰うまで飲まないのではなかったのか。
私たちは川沿いの土手に腰を下ろした。
笠倉くんは対岸をぼんやりと眺めて何かを考えているようだった。彼が何を考えているか私には分からない。横顔を眺めていると宇宙を見つめているような気分になる。
「何を考えているんですか?」
「コーヒーは思ったより苦くないんだなってこととか、意固地と信念の境界についてとか」
夏祭りの匂いが漂ってくる場所で、私たちは酔っていたのかもしれない。笠倉くんはコーヒーの缶を親指と人差し指でつまんで揺らしていた。いつもの私ならキザッたらしい事をしていると感じるこの仕草も、今日だけは似合っているように感じた。
川上の方からは楽しげな声が聞こえてくる。照明や屋台の光が昼みたいに道を照らしている。土手の方まではその光が届かないから私たちは陰にいることになるが、声だけで雰囲気は充分楽しめる。酒場の隅にいるようだった。
「コーヒー飲まないんじゃなかったんですか?」
「まぁね。これまでは罪悪感みたいなものがあったんだ。しこりと言えば良いのだろか。こうやって飲んでみれば何でもなかったんだけど、渡瀬さんに悪いなって想いがずっとあった」
「でも、今は飲んでるじゃないですか」
「そうだねぇ……そろそろ僕も歩きださないといけないなって思ったのかもしれないな」
「ふぅん。その区切りが、そのコーヒーですか」
「うん。人は過去を乗り越えた時に成長する。渡瀬さんの事は残念だったけれど、いつまでも引きずっていてはいられないんだ」
笠倉くんはそう言ってコーヒーを飲み干した。
私はちょっと寄り添って、「大人になった気分はいかがですか?」と訊ねてみた。
「別に普通」
「そうですか。そうでしょうね」
「大人になったというよりは、自分が子供であることに気づかされた感じだよ」
その感想がでてくるなら充分大人だと思う。私には、まだ自分を振り返る余裕が無いから。
そうこうするうちに花火大会の時間になった。対岸から打ち上がる千発の花火が本日の目玉である。
土手は恰好のスポットらしく、気づいたら周囲が人で埋まっていた。
私たちは自然と肌が触れあうくらい隣によっていた。
こんな所を小宮さんに見られたら騒がれるだろう。
「あ~~! れんれんが笠倉と付き合ってる!」なんて、明日の学校で大騒ぎする姿が想像に難くない。
それでも良いと思った。むしろ騒がれる方がスカッとする。明日の私は嫌な顔をするだろうけど、今日の私は騒がれたいと思った。
「ねえ、笠倉くん」
私は彼の耳元でささやいた。
「私の本当の名前は――――――――」
どぉんと心臓を揺さぶるような轟音が聞こえた。
彼に届いただろうか。
初めて打ち明ける私の秘密。彼に届いていると嬉しいのだけど。
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