第33話


 龍一くんの説得はうやむやのうちに終わってしまったけれど、笠倉くんの中では成功しているらしい。「夏祭りが楽しみだね」と口の端を吊り上げてニタニタしていた。吹奏楽部の見学を終えた頃にはすっかり太陽が沈みかかっていた。これから夜になるまでけっこう早いだろう。不思議と寂しくなる時間だった。


「朝凪さんと仲がいいんですね」


「ん?」


「なんだかすっかり意気投合してるみたいでしたよ? この間会ったばっかりですよね。相性が良いと言った方が適切でしょうか?」


 私はつい素っ気ない態度をとってしまった。


 最近気づいたのだけれど、笠倉くんは私の素っ気ない態度が好きらしい。どうも私の素顔がコレだと思っているらしく、ツンケンした態度をとると鬼の首を取ったように調子に乗るのだ。


「おや、なんでそんなことを気にするのかな? 僕が誰と仲良くしようと僕の勝手じゃないか」


「ええ、あなたの勝手です。ただ、根暗で引っ込み思案のあなたが友達を作れるのかと感心していただけですよ」


「ほぉん、そんな根暗で引っ込み思案に一番ベッタリなのはどこの誰だい? 最近は小宮さんともあまり話してないみたいだけど?」


「小宮さんとも話してますよ。あなたにベッタリなわけじゃありません! 調子に乗らないでください……」


「はいはい。僕が悪かったよ。調子に乗ってすいませんでした」


 こんな調子ですっかり私を馬鹿にしているのだ。前は何をしゃべっているかも分からないくらい小声だったのに、今は耳を塞いでいても貫通してくるくらいだもの。


 私はたいへんイライラしていた。


 なぜイライラしているかなんて考えるまでも無い。こんな陰キャに口喧嘩で負けるのが我慢ならないのだ。いまのだって、笠倉くんが謝って収束したように見えるけど、私が言い返せなくなったから収束させただけで、実質は私の負けなのだ。これはたいへん腹立たしい。


「なんですか、その適当な言い方は。もっとちゃんと謝ってください」


「はぁ? どうしたの急に」


 笠倉くんが怪訝な顔をした。「さっき謝ったじゃないか」


「あんなの謝ったうちに入りません。変な事ばかり言って、私を馬鹿にするのも大概にしてください」


「……ははぁん、分かったぞ。さては朝凪さんに嫉妬してるんだな? だから怒ってるんだ」


「だ、誰が嫉妬なんて……!」


「あんた、俺にベッタリだから寄生先を失うのが不安だったんだろ? よしよし、可愛いねぇ」


「頭に触らないで!」


 私は怒りのあまり笠倉くんの手を乱暴に振り払ってしまった。


 屈辱というよりは怒り。これ以上笠倉くんに馬鹿にされるのが我慢ならなかったから思いっきり振り払ったのだけど、さすがに笠倉くんもビックリしたらしい。


「ごめん。嫌だったか?」と、真剣な顔で見つめられた。


 教師に怒られた小学生みたいな澄んだ瞳だった。そんな顔で謝られたら許さないわけにはいかないじゃないか。


「別に、嫌だったというわけではありませんが……」 


「そう。なら良かった」


「でも、女性の身体に許可なく触るのは許せません。だから、手を繋いでくれたら許してあげます」


「はい?」


「だから、手を繋いでくれたら許してあげます。聞こえませんでしたか?」


 ……って、いや、私は何を言っているのだ? 手を繋いだら許すだなんてメンヘラみたいじゃないか。いますぐ訂正しなければいけない。私は断じてメンヘラじゃない!


 笠倉くんは豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしている。


 私は急いで訂正した。


「って、そ、そんなわけないじゃないですか! 手を繋いだら殺しますよ!?」


「さっきから何言ってんだ?」


「そんなの私が聞きたいくらいです!」


「手は繋がなくていいんだね?」


「あぅぅ……」


「どっちなんだよ!」


 混乱する私に笠倉くんは呆れたみたいだった。


 なんで私は支離滅裂な事を言ってしまったのだろう? こんな事、今まで無かったのに……


     ☆ ☆ ☆


「で、落ち着いた?」


「……はい、申し訳ありませんでした」


「それ飲んだら帰ろうか」


 なんだか本当に悔しいのだけど、私は駅のベンチに座ってペットボトルの紅茶を飲んでいた。笠倉くんが買ってくれたのだ。これを飲んで落ち着けだなんて、かっこつけて。


「今日の事は、ここだけの秘密にしておいてください」


「うん。まあ、誰も信じないだろうね」


「私だって信じられないですよ。ああ、なんて醜態を……」


「本当にね」


 笠倉くんはそう言って隣に座った。


「なあ、あんた、ホントは桃園花凜なんかじゃないんだろ?」


「まだそれを言うんですか? 私は正真正銘、桃園花凜ですよ」


「そうかなぁ。ペットボトルのお茶を抵抗なく飲むし、ボディーガードもいないし、大型のショッピングモールに喜んで行くし、なんか庶民的だよなぁ」


「あなたのお嬢様像はどうなってるんですか? 偏見まみれじゃないですか」


「そうかなぁ……そうかも。たしかに、偏見でしかないな」


「そうです。偏見です。私は桃園花凜本人ですよ」


「そういう事にしておこう」


 そんな話をしていると、笠倉くんが突然立ち上がった。


「じゃ、僕は反対方向だから」


「え? 帰るんですか?」


「帰るよ?」


「でも、この間は私と一緒に帰った……」


「あー、そうだっけか? だってあの時は、あんたがボディーガードになれって言うから付いてっただけで、僕はそっちに住んでないよ」


「ええっ?」


 なんだか裏切られた気がした。これから一緒に帰れるものだとばかり思っていたからガッカリだ。


「なんだよ。一緒に帰りたかったのか?」


 笠倉くんが驚いたように言うものだから、私もつい本音が漏れてしまった。「……はい」


「……………聞かなかったことにしといてあげるよ。じゃあね」


「あっ……」


 笠倉くんの背中が遠くなっていく。


 私は、どうして寂しくなっているのだろう?

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