第30話


 笠倉くんは静かに首を振ると「あのね」と言ってから優美さんから手を離した。


「これから話す事はとても大切だから、よく聞いて、考えてくれるかな」


「大切な事……?」


「うん。とても大切な事だよ。僕が練習相手になってくれと頼まれたのは告白を成功させるところまで。ここから先、恋人みたいな事をするのは頼まれていない。だから、もし、本当に付き合いたいのであれば、僕らの関係値はゼロになるんだよ。なぜなら僕は、優美さんにとって都合の良い男を演じていたから。それは、理解しているかな」


 優美さんは困ったように俯いた。「都合が良いだなんて、思ってません……」


「いや、僕は演じていたんだよ。優美さんが話しやすいように話題を振ったし、優美さんが喜ぶような返事をした。デートのときもそうだよ。いままで優美さんに見せていた僕は、仮面を被った綺麗事なんだ。それは理解してほしい」


「……………」


「本当の僕はきっと、優美さんが思っているような人じゃない。だって僕はその部分を見せていないのだから分かるはずもないんだ。本当の僕はみじめで、意気地なしで、きっと世界で一番卑屈な奴なんだよ。それは僕自身がよく分かっている。君に好かれる資格がない事もね」


「そんなことありません! 先輩は本当に素敵で、かっこよくて、私には分からないくらい色んなことを考えている人だと思います。だから……」


「ありがとう」


 優美さんの反論を笑顔で受け止めると、笠倉くんはこう続けた。


「でもね、優美さんの事が嫌いなわけじゃない。むしろ、好意的に見ているよ。君は本当に良い子だし、幸せになるべきだと思う。これは本当に僕の弱音でしかないんだけど、君を幸せにできるのは龍一くんだとハッキリ言うよ。いいかい、ハッキリとね。だから僕の事はあきらめてほしい」


「…………………」


「夏祭りまで時間があるからゆっくり考えて。たぶん、今まで出会った事がないタイプの人間だから良く見えていただけで、本当に好きなのは龍一くんの方だって気づくはずだから」


 優美さんは俯いたまま顔を上げなかった。予想外の言葉が返ってきたので現実が受け入れられないのだろう。その気持ちは分かる。でも、笠倉くんは本当に闇が深いのだ。そこは容易に足を踏み入れるべき場所ではないし、笠倉くんも見せてくれないと思う。


 笠倉くんは優しいのだ。優美さんを傷つけないように言葉を選んで、闇を見せずに断ったのだから充分優しい。大間さんや他の人が酷いヤツだと言っても、私だけは褒めたいと思う。


「分かりました、いまは諦めます」


 優美さんはそう言って顔を上げた。「でも、考えても考えても諦められなかったら、そのときは笠倉先輩にもう一度告白します。笠倉先輩はみじめじゃないし、意気地なしでもないし、卑屈でもない。もう一度告白するときは、そう思い込んでる笠倉先輩と幸せになる覚悟で告白しますから」


 と、優美さんは決意に満ちた顔で言った。これには笠倉くんもビックリしたらしい。目を見開いて優美さんを見つめていた。


「それでは、失礼します」


 優美さんはそう言って帰っていった。


 大間さんは頭を抱えて「どうなるの? これどうなっちゃうの!?」と悶えている。


 本当に、どうなってしまうのだろう?


 私は優美さんを説得する事も忘れて、彼女の背中を見送っていた。


     ☆ ☆ ☆


 それから、私は笠倉くんと作戦会議を開いた。議題はもちろん優美さんを諦めさせる方法である。


「よし、僕が女装すればいいんだ」


 笠倉くんはかなり混乱していた。


「こう見えてかなり得意なんだぜ。だって家族に捨てられる前はいつもさせられていたんだから」


「急に闇をひけらかさないでくださいよ。だいたい女装してどうするつもりですか? これが僕の本当の姿だ、とでも言うつもりですか?」


「いや、優美さんのあの様子だと受け入れられかねない。でも、女装して女の子とヤるのが趣味だって言えばドン引きするだろう?」


「ええ。いままさにドン引きしてます」


「お前は嘘だって分かれよ」


 今度の件で笠倉くんとラインを交換することにした。笠倉くんが恋愛事に強いのは証明されたし、今後私の助手として働かせることができると考えたら嬉しい誤算だ。この会議はいまライン電話で行われている。


「とにかく、僕は絶対に交際なんかしないぞ。あんなの、付き合いたての頃は楽しくてもいずれメンドウくさくなる時がくるんだ。精神的束縛に耐えるくらいなら僕は独りがいいんだ!」


「その気持ちはよく分かりますから熱弁しないでください。私、あまり電話をしたことがないので耳が痛いんです」


「じゃあスピーカーモードにすれば?」


「なんです、それ?」


「そういうボタンがあるんだよ。押してみれば分かる」


 スマホの画面を見ると、たしかにスピーカーモードという表示があった。「あ、すごい聞きやすい。ありがとうございます」


「……よくバレなかったね。いままで」


「まあ、電話をする事もありませんでしたから」


 笠倉くんは何も言わなかった。どうやら納得してくれたらしい。「それで、優美さんの事ですけれど、私にはどうしたら良いか分からないんです」


「まぁ、あんたはそうだろうね。僕に考えがある」


「考えとは?」


「今回の原因は僕が優美さんと接触しすぎたことにあると思うんだ。龍一くんとは違ったアプローチで仲を深めようとしたのだけど、それが良くなかった。優美さんは女性として一皮剥けたけれど、かえって龍一くんを置いてけぼりにしてしまったのだ」


「そうなんですか?」


「だから、今度は龍一くんをターゲットにしようと思う。夏祭りまで残り3日。どうにか龍一くんを男にしてやるしかないと、僕は考える」


「……はぁ」

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