第28話


 水曜日の昼休み。私は大間さんのいる1年教室に向かった。今日、笠倉くんと優美さんが最後のデートをする。そこで告白の練習をして仕上げをする。その報告のためである。


 大間さんは初め私がなぜ話しかけているのか分かっていない様子だったけれど、笠倉くんの名前を持ちだすと「ああ!」と思い出したように柏手を打った。自分で頼んでおいて忘れたのだろうか? 無責任な人だ。


「優美さんは大間さんのお願いどおり、ちゃんと前向きになっています。笠倉くんも大丈夫だろうと言っていましたし、まず、告白は問題なく済むでしょう」


「ありがとうございます。桃園さんにお願いしてよかった。噂通り頼りになりますね!」


「ええ、ありがとうございます」


 まあ、実際に大変だったのは笠倉くんの方だったのだけれど、それは言わなくても良いだろう。


「いま、お二人はどこに?」


 私が訊ねると大間さんはちょっと首をひねった。


「さあ、授業が終わるなりどこかへ行っちゃいました。最近、静かな所でお弁当を食べているみたいです」


「なるほど」


 二人きりの時間を邪魔するのも悪いと思ったので私は帰る事にした。


 教室に帰りながら、優美さんは仮にも笠倉くんとお付き合いをしているのに、いったいどんな顔をして相手と会っているのだろうという事を考えた。女の方が浮気は上手なものだけれど、優美さんは器用な人には見えない。それどころか二人の男性を好きになる事ができないのではないかとさえ思う。


 笠倉くんは練習相手だから別なのだろうか? 本当の恋をしていないから浮気にはならない。浮気ではないから大丈夫。そういう事なのだろうか。


 ……いずれにせよ、優美さんは笠倉くんとの関係を隠さなければならない。バレたら龍一くんに嫌われることは必須だからである。しかも優美さんは今日の放課後に笠倉くんに告白をするのだ。いったい今、どんな顔をして龍一くんと会っているのだろう?


「大間さんもずいぶんこくなお願いをしてきたものですね……まあ、笠倉くんにお願いして本当に良かったと言ったところでしょうか。あの人に惚れる女の子がいるわけがないし、いるとしたらよほどの物好きですね」


「物好きがなにか言ってるよ」


「私はあなたに惚れたりしませんから」


 ジュースを買って帰る途中で笠倉くんと遭遇してしまった。


 自販機が特別棟入口の脇に設置してある。そこでミルクティーを買って本校舎に戻るところで、同じくジュースを買いに来たらしい笠倉くんとばったり出くわしたのだ。


 笠倉くんはリンゴジュースを買うと「ところで、あっちに中井さんたちがいるよ」とベンチの方を指さした。


 見ると、中井さんと男の子が仲睦なかむつまじい様子でお弁当を食べている。あの大人しそうなマッシュヘアの子が龍一くんだろうか。俯きがちに箸を動かして緊張している様子。私はとるに足らないと思ったけれど、優美さんが本気で好きなら応援をするつもりだ。


「見なよ、あれ。あの様子だったら僕らが手伝うまでも無かったぜ。もう中井さんに心底デレデレって感じだ」


「本当ですね。でも、いいじゃありませんか。恋に盲目なのも、友達の恋を面白半分に応援するのも、男の子のために間違った努力をするのも、青春みたいで素敵だと思いませんか?」


「青春『みたい』ね。まるで自分のは過ぎたみたいな言い方だ」


「私は恋愛なんてしたことありません。時間の無駄ですから」


「へぇ。そういうヤツほど一度ハマると大変だと思うよ」


「それなら、あなたには迷惑をかけないと思うので安心してください」


「可愛くないヤツ!」


 笠倉くんは肩をすくめた。「中井さんの方がよっぽど可愛いね」


「美徳はその人だけのもの。他人と比べている時点でダメですね」


「けっ」


 太陽の光が白いコンクリートの床に反射して、中庭は鏡みたいにキラキラしていた。容赦なく降りそそぐ光の中にどれだけの紫外線が含まれている事か。私はすぐに帰りたかったが、笠倉くんが「二人がどんな会話をしているのか興味ない?」と言い出したので興味を引かれた。


「コッソリ聞いてみようぜ」


「私にそんな趣味はありませんけれど、あなたがどうしても言うなら」


「聞きたいんだね。よし決まり」


 そんなわけでバレないように隠れて優美さんたちの会話を盗み聞きする事にした。本当に悪趣味だけれど、笠倉くんがどうしても聞きたいというのだから仕方がないと思う。これは笠倉くんのせいなのである。


 二人の会話は以下のとおり。


「中井さんってさぁ、最近、なんか、その……」


「どうしたの?」


「き、綺麗に、なったよね……」


「え、私が?」


「うん、なんだろ、目が離せなくなったっていうか……ま、前からずっと綺麗だったんだけどね。その、最近、ほんとに可愛くなってて……」


「え、えっと……うん、ありがとう」


「うん………」


 そして沈黙した。


 彼らの間に流暢な会話は無く、どちらかが口を開いたときに何往復か言葉が交わされるのみだった。


 これを会話と呼んでいいのか? あるいは、これが一般的な交際前の会話なのだろうか。


「まあ……そういう事だよね」


 笠倉くんは自分で言い出したことなのにスマホばかり見ているし、もう帰ってもいいだろうか?


「ねえ、ちょっとこれ見てよ。どう思う」


「なんですか? 私、これ以上にあたりたくないんですけど」


「優美さんさぁ……心変わりしてない?」


「え?」


 笠倉くんが見せてきたのは優美さんとのラインのやり取りだった。


『笠倉先輩の趣味ってなんですか?』


『笠倉先輩ってどんなデートがしたいですか?』


『笠倉先輩ってどんな人が好きですか?』


 というようなメッセージが、前回のデート以降から増えていた。


「僕は惚れてないんだけどさ。惚れるなって言われてるし、僕には心に決めた人がいるのだけれど、優美さんはどうなんだろう?」


「まあ、惚れられるなとは言いませんでしたから……」


「おいおいなんとかしてくれよ! どうすんだよコレ……あの暴走列車は手に負えないって!」


「渡瀬さんも高校生時代は優美さんのようにパワフルだったかもしれませんよ?」


 笠倉くんは頭を抱えて唸った。


『夏祭り。少しだけ回りませんか?』


 というメッセージが優美さんから届いたのは、昼休みの後だった。

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