第27話


 笠倉くんは放課後遅くまで残るようになった。学校が閉まる7時まで優美さんの部活が終わるのを待つからだ。図書室で本を読んだり課題を終わらせたり、ときには部活を見学しにテニスコートまで出向くこともあった。


「あなた。意外と彼女に尽くすタイプなんですね。自分の時間を削ってまで会いに行くほど入れ込んでいるとは」


「うるさいな。そういう君は暇人か? 僕は頼まれた事をキチンと完遂しようとしているだけだよ」


「私も頼まれた事が上手く運んでいるかどうか確認しにきているだけです」


 笠倉くんはフェンスから目を離して私の方を見た。


「順調だよ。頼まれた三つの事。会話で緊張しないようにしろ。デートをしろ。惚れるな。全部守っている。来週の夏祭りで完遂だ」


「そうですね。なんというか……意外と短かったですね」


「……うん。そうだね」


 彼らの関係は来週の夏祭りで終わる。河川敷一帯を封鎖して行われる大規模な夏祭り。優美さんは花火大会に龍一くんを誘いだして告白をすると決めたのだ。


「まあ、もともと僕なんて必要なかったんだよ」


「そんなことは無いと思いますけど、どうしてそう思うんですか?」


「優美さんは初めから相手の事しか見えてないみたいだったし、練習台が欲しいってのも友達……大間さんの提案でせざるを得なかったんだろ? 彼女、もう緊張したりしないし手を繋ぐのも慣れて来たみたいだよ。必要以上の交流はなかった。真面目で一途な良い子じゃないか」


「たしかに。ああいう子は騙しやすそうですもんね」


「はぁ?」


 笠倉くんが突然顔をしかめた。「あんた、たまに世紀末みたいなこと言うよな」


「変でしょうか? 私は思った事を言っているだけなんですけど」


「人前で言うのはやめた方がいいんじゃないかな。と、忠告はしてあげるけど」


「あなたも闇が深そうなので良いかな~~と思って。家族はいまどこにいるんですか?」


「近くにいるよ。向こうは僕に気づいていないみたいだけど」


「ほら闇が深い」


 クスクス笑っていると笠倉くんが機嫌を損ねてしまった。


「もういい。僕は帰る」


「あら、優美さんを待たなくていいんですか?」


「いいよ。今日は約束してないし」


「じゃあ、私と一緒に帰りましょう」


「なんでだよ! 来るな!」


 テニスコートを離れて校舎に戻る。笠倉くんは来るなと言うけれど、そう言われると着いて行きたくなるのが人のサガ。


「良いじゃありませんか。途中まで一緒に行きましょうよ」


「嫌だってば!」


 嫌がる笠倉くんに着いて行ってると、校舎のところで人とすれ違った。


「あ、先輩。こんにちは!」


 彼女は柊の妹の瑠花さん……だっただろうか。名前は笠倉くんたちから聞いていたけれど実際に会うのは初めてだ。


 肩甲骨辺りでカールする茶色の髪の毛。表情は明るく、クリクリとした瞳は子犬のよう。テニス部のユニフォームを着ているから、彼女も優美さんの知り合いなのだろうか。


 瑠花さんは笑顔を浮かべて笠倉くんに駆け寄ると、口元を手で隠してこう言った。


「ねえ先輩、聞きましたよ? 優美ちゃんとデートしたんですよね!」


「ああ、なんで知ってるの?」


「本人に聞きました! で、どうだったんですか? 楽しかったですか?」


「楽しかったというか……まあ、けっこう元気だったね。暴れ馬もいいとこだ」


「暴れ馬!? なにしたんですか!?」


「服を見るとか言って5軒くらい連れまわされた」


「わはっ! 優美ちゃんって意外とオシャレさんだからね。彼氏の服がダサいのは嫌なんじゃない?」


「服を買う金がないんだよ」


「じゃあじゃあ、瑠花が今度コーデしてあげます! 先輩に似合う服一緒に探しましょ?」


「えぇ……めんどくさ」


「お義兄にいちゃんも変な服が好きだから、ついでに呼んじゃいますか」


「柊くんも来るのか……」


「嫌ですか?」


「うん」


 驚いた事に、以上の会話がすらすらと取り交わされた。


 私と話す時はいつも間があるのに、というか、彼が会話するときはいつも言葉を選ぶような間があくのに、瑠花さんと会話しているいまは、スムーズに会話が進行しているではないか。瑠花さんも兄妹に見せるようなあどけない笑顔で、笠倉くんはいつも以上にぶっきらぼうである。


 これはいったい何事だ? 笠倉くんは極度のコミュ障だと思っていたのに、いまの笠倉くんは妹の面倒をみる兄そのものである。


「驚きました。笠倉くんって普通に喋れるんですね」


「……まあ、そうかもね」


 部活に戻るという瑠花さんを見送って、私たちは学校を後にした。


 帰り道、笠倉くんはいつも以上に無口に見えた。むっつり押し黙って足早に駅に向かっている。最近少しは心を開いてくれていると思っていただけに、これは悲しい。


「どうしたんですか? ずいぶんと不機嫌そうに見えますけど」


 私は耐え切れずに言葉をかけた。


「そうかもね」


「そうかもねって……さきほど瑠花さんと話していたときは楽しそうだったじゃないですか」


「そうかも」


「私といるのがそんなに不満ですか?」


「そういうんじゃないよ」


「じゃあなんなんですか?」


 後から考えて分かったけれど、私はイライラしていた。腹を立てていたのだ。この私が。なぜ腹を立てていたのかは分からない。きっと瑠花さんに負けたと思っていたのだろう。笠倉くんからどれだけ言葉を引き出せるかをお遊戯感覚で楽しんでいたから、あっさり負けた事にイライラしていたのかもしれない。


 何がきっかけになるか分からないものだ。人の感情も。


 過去も。


 笠倉くんは口の端を吊り上げて、どこか自虐的に見える笑みを浮かべた。


「あれが僕の妹だよ。みたいじゃなくて、本当のね」


「……え?」


「言ったろ? 向こうは気づいていないって」


 それは、渡瀬さんの事なんか吹っ飛ぶくらいの衝撃的発言だった。

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