第19話 (性的描写が含まれるので苦手な方はご注意ください)


 それは今から数年前の夏。中学生だった小宮さんは笠倉くんをデートに誘った。


 陽炎がゆらめくバス停でショルダーバッグの紐を握りしめて待つ。その頃は二人とも地方の田舎に住んでいた。バス停のすぐ後ろには水田。顔を上げれば山が見える。道路わきにポツンとたったさびれたバス停で彼女は待っていた。


 連絡網を引っぱり出して電話をかけたときからずっと心臓が高鳴って、真夏なのに水の中みたいに苦しかった。


 これからデートをする。でも、彼女の目的は一つだけだった。


 教師に襲われてからずっと変な気分だった。


 初めて女として見られたあの日。あの日からずっと鼓動が早い。怖かったはずなのにふとしたときに思い出して、胸がくすぐられるような心地がする。もし笠倉くんが来なかったらどうなっていただろうと想像してしまう。夢の中では教師が笠倉くんに変わっていたりした。もし最後までされたら……そんなことを想像して、身体が熱くなる。


 笠倉くんなら、こんなときどうしたら良いか教えてくれると思った。助けてくれると思った。


 笠倉くんは変な顔をしたけれど、優しかった。


「……つまり、小宮はどうしてほしいの?」


「あたしと、その……えっちな、ことを………」


「…………………」


 笠倉くんに優しく触れられただけで身体がビクッとなった。まるで電流が走ったみたいに筋肉が締まって、お腹のあたりがきゅんってした。


 部屋の電気は点けなかった。


「これが最後だって約束できるなら、いいよ」


 笠倉くんは、最後まで優しかった。


     ☆ ☆ ☆


 小宮さんは一通り語り終えると「やっぱり、あたしじゃダメだったんだろうなぁ」と鼻をすすった。


 昔なにがあったのかをかいつまんで教えてもらった。


 小宮さんは体育座りをしてベッドを背もたれに膝の顔をうずめている。私は隣に腰を下ろしてただ聞いていた。


「笠倉くんは自分に責任があるような言い方をしていましたけれど……」


「でも、好きなら断るわけないじゃん。もう、あたしの事なんて忘れちゃったんだよ……」


「そんなことはありませんよ」


「じゃあ、なんで断ったの! 突然だったから? れんれんがいたから? 違うよね。あたしがダメだったんだよ!」


 小宮さんは立ちあがって激情をあらわにした。笠倉くんの事が本当に好きだったのだろう。誰かの事を好きになるなんて私には分からないけれど、でも、恋情がどれだけ人を狂わせるかは知っている。


 私はつとめて冷静に「とりあえず、服を着てはいかがでしょう」と勧めてみた。


 小宮さんは予想外の言葉に驚いたようだけど、すぐに制服を手に取って着た。そのロボットのように感情のこもっていない動きに私は哀れな感じを受けた。


「………………」


「夏とはいえ、身体を冷やしてしまってはたいへんですからね。エアコンも効いているみたいですし」


「…………そう、だね」


「でも本当……笠倉くんは小宮さんの事が嫌いなわけではないと思いますよ」


「……なんで?」


 小宮さんはスカートのホックを止めながら訊ねた。


「前に言っていたことですけれど、笠倉くんは一人暮らしをしているみたいです。家族にも何か問題があるようですし。小宮さんを家庭の事情に巻き込まない為にあえて突き放した。とは考えられないでしょうか?」


 前に近くの公園で会ったとき、笠倉くんは家族という言葉に強い嫌悪感を示した。彼が一人暮らしをしている理由が家族にあるのなら、大切だから巻き込みたくないとセンチメンタルな事を考えるのも頷ける。


 そしてどうやら、小宮さんにも心当たりがあるようだ。


 小宮さんは制服を手に取って諦めたようなため息をついた。


「それ………ああ、そうかも。そういえばあの日もそんなことを言ってた」


「小宮さんがデートをしたという日ですか?」


「うん。親戚に預けられてるって言ってた。いま一人暮らししてるんだ? それなら言ってくれたらよかったのに。いや、言わなくてもいいって、思われてたのかな……」


 小宮さんの頬に涙が伝った。さっきまではおさまっていたのに、また彼女の自傷的妄想が始まったらしい。


 笠倉くんが彼女に相談しなかったのは正解だと思う。ひどい事を言うようだけれど小宮さんは人間として未熟だ。誰かの支えが無くては生きていけない。まるで寒さに震える子猫のように温もりを求めているだけ。彼女の行動に悪意は無い。百パーセント善意なのだ。だから信用できない。


 もし笠倉くんが身の上話を彼女にしたとして、その苦境に同じように苦しむだろう。力になろうとするはずだ。悩みに悩んで、でも、自分には解決策が思いつかないから誰かに相談するだろう。例えば彼女に近しい友人。私とか、彼女の女子グループのリーダーとかに。そうすると彼の弱みはネズミ算式に広まってしまい、とたんに彼は行き場を失う。陰キャで根暗の彼はいじめられるだろう。それを危惧して話していないのであれば、正しい。


 でも私は小宮さんの頼れる友人なので、そんなことは言わない。彼女のメンタルケアを優先する。


「大切だから知られたくない。という思いもあるかもしれませんよ。例えば家族がいないと知られたら、コイツと付き合うとメンドウだと思われないか、とか。家族がいない分依存されたらイヤだって思われないか、とか。そういう思いがあるのかもしれません」


「そ、そんなの言わないよ!」


 小宮さんは険しい顔をした。「そんなこと絶対言わないし思わない!」


「小宮さんはそうでしょう。でも、笠倉くんにはまだ伝わっていないだけかもしれません」


「………………」


「時間をかけて仲良くなりましょう。小宮さんがどういう人かを理解してくれれば、きっと考えが変わるはずです」


「だと、いいなぁ………」


 小宮さんは少し機嫌が良くなったのか抱き着いてきた。「れんれんがいてくれて良かった。心が軽くなったよ。嫌われてたらマジ絶望だったし、生きてけないと思ってた。でもいまは希望が湧いてきたよ。ありがとう」なんて言うのだから、やっぱり信用は出来ないと思う。


 でも、高校生の友人なんてこんなものだろう。


 小宮さんが高校生活を平穏に乗り切るうえで重要な役割を果たしてくれる事に代わりはないので、私は一声かけて帰ろうとした。


 階段の方から声が聞こえてきたのはそんな時だ。


「おい、教室で話してるの聞こえたんだけどよぉ……笠倉とヤるって、まじかよ」


「俺たちともヤッたことないのによぉ」

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