第18話 (性的描写が含まれるので苦手な方はご注意ください)


 小宮さんと一緒に電車に乗って、一緒に帰る。その道中はとてもぎこちない空気に包まれていた。


 これから小宮さんは笠倉くんと床に就くのだ。それを思うとなんと声をかけたら良いのか分からない。小宮さんは俯いてスカートの上で両手をもじもじと弄んでばかりいた。緊張しているのだろう。ときおり「うぁぁ……」と絞り出すような吐息を漏らして目をギュッとつむる。


 私は小宮さんの背中をさすった。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃない……吐きそう……」


「無理しなくてもいいんですよ? 笠倉くんだって、小宮さんが嫌がる事を強要するような人ではないと思います」


「そう、だよね……うん。知ってる」


 小宮さんの背中はとても小さかった。肩で息をしているのか肩甲骨の間のあたりが大きく小刻みに膨らんでいる。手のひらに伝わる温かさはちょっと不思議な感じがした。熱いようで冷たい。私とは違う温度に、生きている感じを受けた。でも、私には緊張している理由が分からなかった。好きな人と寝るのだから特別な感じはあるけれど、行為自体はありふれたものだと思う。ともすれば嫌悪感を催す人もいるかもしれない。少なくとも、意識するようなものではないと思う。


 笠倉くんは時間を空けて、一人で来るのだと言う。


「できれば、れんれんに迎えに行って欲しいんだけど……」


「ええ、いいですよ」


「こんなこと頼んじゃってごめんね。でも、あたし、少し時間が欲しいかも……」


 ということなので、緊張している小宮さんを家に残して、私は再び駅に向かった。


 女性の身体を使った生存戦略は日本社会にもある。例えば商談をとりつけるために使ったりだとか、ライバルの弱みを握ったりだとか。私はそういうことに使われるために育てられた。一人暮らしをしている今はしていないけれど、桃園家で暮らしていたときは道具のように扱われ、純情なんて冬の黒く汚れた雪のようにすぐに汚れた。だから、小宮さんの緊張が不思議でならなかった。何が嬉しいのだろうか。緊張するのは怖いからだろうか。笠倉くんはきっと加減を知らないだろうから痛いだろう。そう考えたら怖いけれど、でも、小宮さんは拒否することもできたのにしなかったのだ。


 もしかしたら、無理やりにでも止めたほうが良いのかもしれない。


 私はそう決めて駅へと向かった。


     ☆ ☆ ☆


 ところが、笠倉くんの態度はまったく予想外のものだった。


「僕が誰と何をするって?」


 夕方の駅は人でいっぱいだった。仕事帰りのサラリーマンや他校の学生に混じって笠倉くんが改札から出てくる。その顔は普段と変わらず無表情だった。


「これからするんですよね。その……えっちなことを。なのに、なぜあなたは平然としていられるんです?」


「なにも聞いていないんだもの。家に来ないかって誘って来たのも小宮だし、ただ遊ぼうとしか聞いていないし」


 私たちは歩き出した。道中で笠倉くんを品定めしてやろうと私は思った。


「ふぅん、どうだか。小宮さんはずいぶん緊張していましたよ? あなたから誘ったのではないのですか?」


「僕がそんなやつに見えるか? 小宮とはほとんど交流もないんだよ」


「でも、彼女が好意を抱いていることは知っていましたよね。なら、女の子の家に呼ばれるという事がどういう意味か。想像しないわけではないでしょう?」


「……想像できなくは、ないね。たしかに。正直ばっくれようかと思ったんだけどさ、あんたが迎えに来たもんだから逃げられなくなった」


「私のせいにするつもりですか?」


 笠倉くんは頑なに認めようとしなかった。知らぬ存ぜぬで押し通そうというつもりなのか、小宮さんの家に着いても「誰もいないね」なんてとぼける始末である。


「小宮さんなら2階の部屋にいらっしゃいます」


「へえ。案内してよ」


 乾いた木の階段を登って教えてもらった部屋へと向かう。家の中はとても静かだ。小宮さんがいるはずなのに誰もいないかのような静かさである。ドアには黄色いお花のドアプレートが掛けてあった。私は二回ノックして「小宮さん。入りますよ」と声をかけた。


「……返事がありませんね」


「なら帰っていいかな」


「ダメです。女の子に恥をかかせてはいけませんよ」


 正直な話をすると、この男を信用してよいのか分からない。でも、小宮さんが決めたことなのだからできる限り尊重しよう。もし危ないと判断したら止めに入ろう。私は仲介人のような立場だから意見はせず、一歩引いたところから見守ろう。そう決意して、私はドアを開けた。


 部屋の中はひどくごちゃごちゃしていた。勉強机やベッドや本棚など一般的な家具が壁際に置かれているほかは化粧道具や彼女の趣味らしいアイドルのポスターやグッズで埋め尽くされていた。


 小宮さんは部屋の中央に正座していた。その姿に私は目を奪われた。香水をつけているわけではないし、化粧を変えたわけでもない。いつもどおりの小宮さんの姿がそこにはあったのだけれど、どこか雰囲気の違う彼女の姿があった。なにか人の目を引く魅力を放っていた。恋心で化粧したような、そんな雰囲気だ。小宮さんは私たちが入ってきたことに気づくと静かに顔をあげた。


 笠倉くんが一歩進み出て面倒くさそうに首の後ろを掻いた。


「なに。あれが最初で最後だって言ったはずだけど」


「ねえ、綺麗になったよね。あたし」


「うん」


「あのときよりずっと可愛くなったし、身体も成長したよ」


「そうだね」


「成長したあたしを、見てください」


 小宮さんはそう言って制服のボタンに手をかけた。襟元から一つずつボタンを外していく。胸元があらわになって、レースの刺繍が入った紫色のブラジャーがあらわになって、おへそがあらわになった。小宮さんは立ち上がるとゆっくりとスカートを脱いで下着だけになった。私は何も言う事ができずに、ただ黙って見ていた。


「見て。あたし、綺麗でしょう?」


「うん。とても綺麗だと思う」


「じゃあ、あたしと―――――」


「……それは、できないね」


 笠倉くんが言葉をさえぎった。


 小宮さんはさえぎられる事が分かっていたかのように素早く言い返した。拳を握りこんで、積もり積もった想いを吐き出しているようだった。


「どうして? あたしのどこがいけないの? あたし、頑張って変わったんだよ? 笠倉に認めてほしくて、頑張ったんだよ。おっぱいだって大きくなった。上手になったんだよ! どうして、ダメなの……」


「小宮だからダメなんじゃない。僕だからダメなんだよ」


「またそれ……。意味わかんない」


「じゃ、僕は帰るから、後はよろしく」


「……ねえ、待ってよ」


 目に涙をためて座り込んでしまった小宮さんを置いて、笠倉くんは部屋を出て行った。本当に帰ってしまったのだろう。


「待って…………」


 部屋には静かに涙を流す小宮さんと、困って立ち尽くす私の姿だけがあった。

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