第15話


 午後からはショッピングモールで時間を潰すことにした。


 ここの書店はかなり大きい。いつも大型の書店に本を買いに行くのだけど、そこは半分がDVDやCDを扱うコーナーになっていて正直物足りない。ところがここの書店は見渡す限り本で埋め尽くされている。私が普段読む文庫本はニッチな需要らしく滅多に見ることがなくて悲しい思いをすることが多いけれど、ここなら私の求める本があるのではないかと思うのだ。


 私は大きな期待を胸に書店に足を踏み入れた。


 しかし、ここもダメだった。


 ニッチな学術本もあったのだけれど、そのほとんどが見たことある物ばかりだった。著者が有名とか、内容が有名とか、他の書店でもよく見かけるものだった。残念だ。非常に残念だ。


 私はよく本を読むけれど、決して楽しいから読んでるわけではない。知識を深め見聞を広めるために読むのである。だから現代小説や漫画の類はあまり読まない。読んだとしても、本を読むのに疲れたときに息抜きで読む程度だ。


「げ、こんなところにもいるのか」


 書店を出てモール内をうろうろしていると笠倉くんと出くわした。ジーパンに薄手のジャケットというラフな格好をしている。無趣味なやつだと思っていたけど意外と外に出たりするらしい。バイトの帰りだという事だけれど、そうか。そういえば一人暮らしをしていたんだった。


「笠倉くんも一人なんですか?」


「まぁね。帰る前に食べ物でも買っとこうと思ってさ」


「ここの生鮮品売り場はすごいですよね! 広すぎて目がくらみそうです」


「ああ。普段出歩かないお嬢様には珍しいか」


「ええ。あなたのような庶民とは食べてるものが違いますので」


 毎度毎度どうして彼は突っかかってくるのだろう? 笠倉くんが従順なら私も相応の態度で接するのに。これで仲が良いと勘違いされるのはたいへん不愉快だ。


 笠倉くんの言葉で冷蔵庫に何もない事を思い出した私は、「では」と別れを告げて歩き出したけれど、とうぜん笠倉くんも後を付いてくる。


 笠倉くんが追いこせば私が抜かす。私が抜かせば笠倉くんが追い越すといった具合に私たちは生鮮品売り場に向かった。


「……なんで付いてくるの」


「私も、お夕飯を買って帰ろうと思ってましたので」


「真似しないでくれる?」


「行き先が一緒なだけです。勘違いしないでください」


「はぁ? そもそも何をしにきたわけ?」


「別に何でもいいでしょう?」


 追い越した笠倉くんに向かって言葉を投げかける。ところが、笠倉くんは前方を見たままピタッと立ち止まった。「……痴漢だ」


「えっ?」


 私が問い返す間もなく歩き出すと、笠倉くんはエスカレーターをずんずん進んでいった。紺色のTシャツを着た男性の後ろに立つと、むんずと襟首を掴んでグイと後ろに引く。男性はバランスを崩してエスカレーターの下まで転がり落ちてしまった。


「痛いなこのガキ! なにすんだよ!」


 幸い低い所から落ちたからたいしたケガでは無かった。男性は軽いかすり傷で済んだようだった。が、私は男性の手にあるスマホがカメラの画面になっているのを見逃さなかった。


「あなた、あの女性を盗撮してましたね?」


「え、?」


「この写真フォルダにはいったい何が入っているんでしょうね?」


「あ、えーっと……な、なにも入ってねえよ!」


 手首を掴んでスマホの画面がよく見えるように掲げると、辺りから悲鳴が聞こえた。笠倉くんの奇行に驚いた人たちの視線に明確な嫌悪感が加わって男性に注がれる。


「やましい事がないのであれば、スタッフの方を呼んで確認してもらいましょうか」


「何も入ってねえって言ってるだろ! 離せよ! おい!」


「あ、もう来たみたいですね」


「え、うそだろ!?」


「では、お願いします」


 騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。モールの店員らしき男性が走って来るのが遠目に見えた。笠倉くんが足で抑えつけて逃げられないようにしているうちに事のあらましを伝えて、無事、事なきを得た。


 笠倉くんは不愉快そうに鼻を鳴らすと生鮮品売り場の方に歩き出した。


 私は慌てて後を追いかけて声をかけた。「お見事ですね。笠倉くん」


「別に。手の位置が変だから気になっただけだよ」


「いえ、すごいです。スタッフの方を呼ぶ機転の早さも素直に関心してしまいました」


「ああ、あれ、僕が呼んだわけじゃないよ」


「えっ?」


 私が驚いて立ち止まると、そこへ声をかけてくる人物がいた。幾何学模様の剃りこみを入れた坊主頭の変人であった。あれはたしか……柊といったっけか。外見の印象が強すぎて名前が覚えられない。彼はパチパチと拍手をしながら近づいてきた。


「いや、見事な連携だったよ二人とも。じつに見ごたえのある一幕だった」


「それはどうも。ていうかどっから見てたの?」と笠倉くんが立ち止まって振り向いた。私のことは気にしなかったくせに柊にはまともな言葉を返すらしい。なんてヤツだ。


「近くにいたよ。妹の瑠花るかがアクセサリーを見たいと言うので小物店にいたんだ」


「ああ、そう」


「桃園さんも素晴らしい行動力だったね。相手は年上で力もあるのに、怖くなかったのかい?」


「ああ、どうも」


 私は軽い会釈を返した。柊は悪魔のようにつかみどころのない笑顔を浮かべていた。古い海外の小説に出てくるスーツを着た悪魔みたいだった。着ている服のせいもあるだろう。黒いジャケットに黒いスキニーを着た真っ黒なスタイルで、足首がチラッと見えているのである。これが悪魔じゃなかったらなんなのだ。


「あれだけ息の合ったコンビネーションをとるんだ。やっぱり二人は付き合っているんじゃないのかい?」


「はぁ? 誰がこんなやつと」と笠倉くんが私を指さしながら言った。


「私だってお断りです。人を指さすようなマナーのなってない方とお付き合いするつもりはありません」


「マナーがなってない? 書店からあからさまに残念そうな顔して出てきたヤツが言う事かよ。店にとってはかなり迷惑だったと思うよ」


「はあ? 人の顔をジロジロ見ないでくれます? 気持ちの悪い」


「一目見て分かるくらい落胆してたってことだよ。お嬢様なら外向きの顔くらいしっかり作ってくれよな」


「あなたが乱さなければ完璧なんですけれどね!」


「ハッ! 夫婦喧嘩は犬も食わぬというのは、こういう事なんだろうね」


「えっ?」


 私たちは柊がいる事を忘れていた。お互いに向き合って必死に言葉を探すのである。それはさながら格闘技のようであった。柊は私たちをニヤニヤと眺めていた。


「今の君たちは仲の良いカップルそのもだよ」


 見計らったようにこんな言葉を投げかけるのだから、やはり悪魔だろう。


 私と笠倉くんは互いに気まずくなってしまって、目を合わせられなかった。

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