第14話


 小宮さんが料理の練習を始めてから一週間ほどが経過したある日。ついに彼女から声がかかった。


「れんれん。今からうちまで食べにきて。練習の成果を見せてあげるから」


 と自信満々である。よほど練習したらしくあれやこれやと語って聞かせてくれたけれど、例によって寝起きだった私は「あぁ……ええ……」とオットセイのような返事しか出来なかった。


「駅前しゅーごーね! 今日はあたしがお腹いっぱい食べさせてあげるから朝ごはんも抜きでね!」


「あぁ……はい、分かりました」


 というわけで、再び小宮家を訪れることになった。


 低血圧である。自慢することでもないが寝起きはかなり機嫌が悪い。それはもう不良のように最悪で、夏の気配が近づく空にさえ苛立ちを覚えるほどであった。


「ああ、こんな日にぐうたら読書できたらどれほど幸せだったでしょうか。ポーの続きを読みたいのに。暑い………まだ7月では無いというのにどうしてこんなに暑いんですか。ちくしょう」


 でも、他ならぬ小宮さんのお願いだから無碍むげになんて出来ない。


 前回お邪魔した時は小宮さんにオシャレさで負けていた。それはなんだか女子として負けた気がするので今日はさらにオシャレをして小宮さんを驚かせてやるつもりだ。一応言っておくとここでいう女子とはカテゴリーとしての『女子』である。身体的および精神的性別の話ではない。女子力といえば伝わるだろうか。


 胸元にフリルをあしらった純白のブラウスに黒いカーゴパンツ。ベルトは正面に金の留め具がついたものを選んだ。おまけに金の腕時計を着けて白いパンプスを履いたのだからそれはもう完璧にオシャレであった。


 いざ待ち合わせの駅に着いたとき、私は意気揚々と小宮さんに声をかけた。これだけやれば負けることは無いだろう。小宮さんもきっと驚いて、私の優等生っぷりに腰を抜かすに違いない。ところが小宮さんは白いTシャツに紺のパンツという出立ちであった。しかもTシャツには習字体で『猛暑』とだけ書いてある。どう見ても、ダサい。


 小宮さんはボサボサの髪をポニーテールのように結んでいた。


「れ、れんれんどうしたの!? 今日デート!?」


「いえ、あの、そうではなくて……き、今日はオシャレしてないんですか?」


「ん、まあ……朝から料理してたしね」


「そうですよね……あはは……」


 勝負の土俵にすら立っていなかった。私は意気揚々と登ったのに小宮さんは観客席から眺めていたのである。これは恥ずかしい。


 家に着いた。家の中は相変わらずこじんまりしている。玄関からすぐ左にはリビングキッチンへ続く扉があって、正面に二階への階段がある。奥に伸びた廊下はお風呂といくつかの小さな部屋に繋がっている。父が普通の戸建てを望んだからこうなったのだと小宮さんは不満そうに言っていた。「あたしはもっとオシャレなのが良かったけどなぁ」


「ご実家の雰囲気に近い内装にしたのでしょう? 素敵じゃありませんか」


 以前来た時は珍しい場所に来たという感じがしたけれど、いまは懐かしさすら覚える。古めかしいけど辛気臭くなくて良い家だと私は思う。


 リビングに入るとお弁当が桃色の花柄の風呂敷に包まれて置いてあった。これが小宮さんが作ったお弁当であろう。


「朝から起きて作ったんだよ! 開けてみて!」


「では」


 小宮さんの指は相変わらず絆創膏でいっぱいだった。この一週間の間、彼女の手に傷が無い事が無かった。きっとかなり努力したのだろう。開けてみると、シンプルながら愛情の感じられるおかずが詰まっていた。


 鶏のから揚げ。だし巻き卵。ほうれん草のおひたし。そして白米には桜でんぶで小さなハートマークをあしらっている。形は良いし色も良い。これを貰って喜ばない男はいないだろう。


「これ、小宮さんが一人で作ったんですか?」


「えっと……へへ、ママに手伝ってもらいました」


 小宮さんは恥ずかしそうに笑うけれど、これだけ作れたら上出来だと思う。


 食べてみてと小宮さんが箸を用意してくれたのでだし巻き卵を一口いただいてみた。歯を入れた瞬間にほどける卵の柔らかさと染み出るお出汁だしがほどよく合わさって、甘すぎない卵の味が引き立てられている。から揚げも衣が厚すぎず薄すぎず歯に楽しい食感を与えてくれる。しかしから揚げも卵焼きも味が薄い。そこでおひたしの味を濃くしてバランスをとっているのだろう。冷たく濃い塩味が口内に染み渡って、また温かく薄い味が欲しくなるのである。これはよく考えられている。と私は舌を巻いた。


「これなら笠倉くんも喜んでくれると思いますよ」


「本当!?」


「ええ。少なくとも私はたいへん好きな味です。こんど、私のために作って欲しいくらい」


「え、え、そんなに? そんなに美味しい?」


「ええ」


「良かった~~~~~。れんれんめっちゃ真剣な顔だったからマジ怖かったよ~~」


 小宮さんが机に突っ伏して安堵のため息を漏らす。どうやら味わう事に夢中になって笑顔を忘れていたらしい。こんな事ではお嬢様失格だ。私は昔から集中すると目が細くなって怖いと怒られてばかりいたが、もっと気をつけなければいけない。


 ふと時計を見上げた小宮さんが立ち上がって「やば、もうこんな時間だ!」とどこかへ行ってしまった。


 12時を回っていた。友達との待ち合わせは12時30分。集まってからご飯を食べるのだという。


 私は小宮さんが戻って来るのを待ってから声をかけた。


「それでは私はおいとましますね。楽しんできてください」


「あ、うん! バタバタしててごめんね! また今度れんれんも遊びに行こーね!」


 というわけで一人になってしまった。


 今度から小宮さんの家を訪れるときは遊びの予定を確認してからにしよう。そう心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る