第13話


 私は地理の授業が終わるのを待って声をかけた。「笠倉くん、さっきの本当ですか?」


「嘘だよ」


「嘘?」


 私は呆気にとられてしまった。


 笠倉くんが振り返って私の顔をジッと見る。「まさか本当に信じたの?」


「そ、そんなわけないでしょう!」


 私はそっぽを向いたけど隠しきれなかったと思う。私は顔が熱かった。嘘だよと言われたとき心が晴れたような気がした。安心したと言った方が近いだろうか。授業中ずっと抱えていたモヤモヤが晴れて、嬉しくなった事を悟られないようにそっぽを向いたのだけど、とうてい隠しきれるものではなかったと思う。


(ぜったい言われる……コイツの事だからニタニタしながら煽るに決まってる。最悪だ……)


 私は固く目を閉じて笠倉の言葉を待った。こういうとき笠倉くんは私が嫌がる言葉を的確に投げかけてくるのである。二人きりなら遠慮なく言い返せるのだけど今は教室に居てクラスメイトの数も多い。もし私が嫌味を言い返したら性格が悪いと勘違いされるだろう。だから私は黙って耐えるしかない。


 ところが笠倉くんはフンと鼻を鳴らすと「まぁいいけど」と言って思ってもない優しさを見せたではないか。


「あの場で拒否し続けたら、彼らは恥ずかしがっていると解釈して勘違いを続けていただろう。だから質問の前提を崩してやっただけだよ。何か悪い?」


「……別に」


「じゃあなんで怒っているの?」


「………………」


 お前のせいだ! と口から出そうになった。笠倉くんがもっと親しみやすい人だったらこんな苦労はせずに済むのだ。そうだ。全部コイツが悪い。私の機嫌が悪くなるのもコイツのせいだ。


「顔真っ赤だけど、もしかして、彼女いるってマジで不安になってた?」


「そんなわけないでしょう!」


「痛いっ!」


 私は足を伸ばして椅子を蹴った。もうさんざん我慢したのだからこれくらいは良いだろう。「嘘ならさっさと言ってください。余計な心配をしたじゃないですか」


「余計な心配……?」


「あなたには関係のない事です」


「はぁ?」


 次の授業は科学。第二理科室で実験をすることになっている。私はサッサと準備をして小宮さんを誘って一緒に行くことにした。こんな男といつまでも話していられない。


「小宮さん。さきほどはお騒がせしてすみません。ちょっと授業の準備を手伝ってもらっただけなんですけど」


「あー、さっきのれんれんの彼氏がどうってやつ? まあみんな気になるよねー」


「そんなに知りたいものでしょうか?」


「だって相合傘が見えたよ? そりゃ勘違いされるって」


「ちなみに、笠倉くんに彼女がいるって話。嘘らしいですよ」


「え、うそ!? マジで!?」


「ええ。ああ言えばみんなが静かになると思ったそうです」


「そっか、そうなんだぁ」


 そんな話をしながら教室を出た。入口ですれ違った時、笠倉くんがボソッとこんな事を言った。「あんたの本名も知らないんだ。付き合えるわけないでしょ」


 私は返事をせず、小宮さんに付いて第二理科室に向かった。


     ☆ ☆ ☆


 笠倉くんは私の事を見るとき宇宙人を見るような目をする。それは初めて出会った時からそうだった。


 4月の事。始業式を終えて初めてのホームルームはクラスメイトの自己紹介から始まった。出席番号順に並んだ机。入口に最も近い席に座っている人から順番に教壇に立って名前と一言の挨拶を添える。大半の生徒が面倒くさそうな顔をしている中で、内気な子が地獄に突き落とされたような顔をしている。陽気なヤツが注目を集めようとニヤニヤしている。私は優等生たるべく人を観察し距離感を見定めるつもりだった。


 自己紹介はつつがなく進み私の番になった。私は自分が何者なのかを明確にするつもりであった。目立つつもりは無いが一人ぼっちになるつもりもない。仲の良い人間が一人か二人できれば上出来だなという思いで自己紹介をした。しかし、それがまずかったらしい。


 私はこう言った。


「初めまして。私は桃園花凜です。初めてのクラスで慣れない事も多くて、みなさんに迷惑をかけてしまう事があるかもしれません。桃園花凜の名に恥じないよう精一杯頑張りますので、仲良くしてくださいね」


 いま考えてもどこがおかしかったのか見当もつかない。不自然な所など無かったはずだ。それなのに笠倉くんは放課後に私のもとに来ると「あんた、誰?」と訊いてきたのだ。


 私は場所を移す事にした。二人きりになれる場所は無いかと校舎内を歩いていると、自販機のそばにちょうどよいベンチを見つけた。特別棟のそばにあり、利用する生徒が少ないと評判の自販機である。私は周りに人がいない事を確認してから「いきなりなんなんですか? 変な事を言わないでください」と彼に詰め寄った。


 すると笠倉くんはこう返した。


「いきなりもなにも、あんたが妙な事を言うから気になったんだよ。桃園花凜の名に恥じないようにって言い方、不自然じゃない? 普通なら桃園家の名に恥じないようにとか、桃園家の娘としてとか、そういう言い方をするもんじゃないの? わざわざフルネームで言うなんて、まるで別人の名をかたっているみたいじゃないか」


「不自然でしょうか?」


「僕にはそう聞こえたね」


「へぇ……」


 ずいぶん細かい所を気にする男だと思った。こんなの、ただの言葉のあやではないか。


「でも、そんなことを気にして何になるんですか? たしかに言い方は不自然だったかもしれませんけれど、私はあなたと仲良くしたいと思っていますよ?」


「それはどうも。でも、僕にそんなつもりは無いから構わないでくれ」


 笠倉くんはミルクティを2本買うと、1本私にくれた。


「どうぞ。日本式のロイヤルミルクティは甘すぎるかな?」


「さあ……? たしかに甘いと思う事はありますけれど、日本式なんてあるんですか? ずいぶん物知りなんですね」


「しらじらしい……」


 笠倉くんは肩をすくめると教室に戻っていった。「話す気が無いなら別にいいよ。ここまで来たことが何よりの証拠だからね」


「……………………」


 それ以来、笠倉くんと私の仲は悪い。

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