第11話


 笠倉くんが地図と模型を持ち私がプリントを持って戻る事にした。時計を見れば地理の時間まではまだ余裕がある。これなら、少しくらい込み入った話をしても大丈夫だろう。


 私は荷物で前が見えていない笠倉くんを先導して一階に降りた。いつ切り出すか。そしてどう切り出すかが重要である。適当に流す事は出来ないけれど、意識しすぎると笠倉くんに感づかれてしまう。教室に着く少し前に終われるくらい短くてかつ要点が伝わるのがベストだ。


(でも、どこまで伝えるべきでしょうかね。彼のような陰キャはすぐに期待するから、緊張させてしまうと小宮さんも話しづらいだろうし……困りましたね)


 話を聞いてしまったからには小宮さんを応援しないわけにはいかない。しかしどう伝えるのが正解なのだろう?


「こ、ここ、どこですか~~……?」


「うん?」


 私が慎重に言葉を選んでいると、ふいにどこからか声が聞こえて来た。こんな所で人に会うなんて何事だろう? ここには授業教室がない。社会科や理科の準備室があったり、文化部の部室があるだけなのだけれど。いったいどこから聞こえてくるのかと辺りを見渡す。すると、廊下の向こう側からピンクの物体が駆けて来た。


「人だ人だ人だ~~~! やっと人に会えた~~~~!」


「え、何この人、文明人の反応じゃない」と笠倉くんが珍しく怯えている。


「こんなところで何をしてるんでしょうね?」


 私が訊ねると、笠倉くんは素っ気なく「迷子なんじゃない?」と答えた。


 確かにこの反応を見るに迷子と考えるのが妥当だろう。


 無視をしようかとも思ったが、そんなのは優等生のやる事ではない。「どうなさいましたか?」と、私は声をかけた。すると女の子はパタパタ駆けよって来てペンギンのようにピタッと止まった。


「こんにちは~~! 私、朝凪あさなぎかえでと言います~~。どうやら迷子になっちゃったみたいでぇ……よかったら理科室まで案内してくれませんか?」


「理科室?」笠倉くんは不思議そうな顔をした。「それなら向こうの本校舎だけど」


「……あれ? ここは?」


「特別棟」


「……なんでぇ?」


 朝凪は首をかしげたが、なんではこっちのセリフだ。どうして建物を間違える事が出来るのだろう。


 正直に言おう。私はこの人が苦手だ。身長は私と同じくらいだけど、私と比べてあきらかに肉付きが良い。これは私の趣味趣向やプライドとは関係なく、本能的に感じる嫌悪感である。優性遺伝を憎む劣性遺伝である。私が彼女より劣っている事は万が一にもありえないけれど、しかし、体型を決めるのは遺伝子であるので、本能的に負けたと感じてしまうのだ。


 つるつるに輝くほっぺたはお餅のようだし、ニーハイソックスに太もものお肉が乗っている。ブラウスを内側から押し広げる胸に目を奪われない男はいないだろう。円で構成されているかのように骨格を感じさせない肩や肘。ほどよくくびれたお腹周り。体の豊満さを助長するようにトロンとした垂れ目も、歩くたびにフワフワ揺れる桜色の髪の毛も、ついつい甘えたくなってしまいそうな包容力を感じさせるこの人が、嫌いだ。


 笠倉くんもその魅力にかどわかされる人だったのだろう。「まあ、案内してあげても良いんだけど……」と、見るからに一緒に行きたそうにしていた。


「どうぞ。私は一人で戻りますから」


「そう? なら、さっさと案内してくるね」


 朝凪も朝凪で「やった~~。私、すぐ迷子になっちゃうんですよね」とペタペタ付いて行った。


 あんなのでいいのか、男は。


 私はひどくガッカリした。男なんて可愛い女の子に誘われればホイホイ付いて行く単純な生き物だ。それが私にも恋愛相談ができる所以ゆえんなのだけど、私が相談を受けるとき、まずは自分に自信を持てと言うようにしている。自信がある女の子は勝手に可愛くなっていくものである。相手が単純であればあるほど、前向きな性格をその子だけの美徳と感じて勝手に惚れるのが男という生き物だ。


 けれどいつまでも引きずったりはしない。そもそも引きずる類の失望でもない。やっぱりその程度の男だったという、ただそれだけだ。


 小宮さんを助けたと聞いた時はビックリしたけれど、男なんてみんな同じだ。


「小宮さんの恋を応援しようと思っていたけど、あんなに簡単に惚れてしまう人にはもったいないですね。彼女には悪いけれど、やっぱり諦めてもらいましょう」


 やれやれとため息をついて一人で戻る。


 しかし、ここにきて新たな問題が発生した。「雨……」


 濡れたタオルから水滴が漏れるように、重い雨がパラパラと降り出していた。これは非常に困った。


「どうしましょう……このままだとプリントが濡れてしまう。雨を防ぐものも無いし……」


 このプリントというのが小テストの答案用紙(採点済み)であった。これを濡らしてしまうと小山田に怒られるし信用も下がってしまうだろう。かといって身体で守ったら私が濡れてしまう。雨は次第に強さを増しているようで、みるみるうちに視界が白い線で染まっていく。


 これは非情に困ったぞと途方にくれていると、ふと、視界に赤いものが映った。見ると、赤い傘を差した笠倉くんがこちらに向かって歩いてきているのだった。


「どうしたんですか? さっきの朝凪さんは?」


「昇降口で朝凪さんのクラスメイトに出会ったから預けて来た。そしたら雨が降ってきたからあんたを迎えに来たんだよ」


 手に持っているのは赤い傘だけ。模型と地図はどこかに置いてきたらしい。


「ふぅん……」こんな事で喜ぶ私ではないけれど、正直、ちょっと嬉しかった。


「ほら、もう授業が始まるからいこう」


 そうして私たちは昇降口から本校舎に戻った。


 模型と地図は下駄箱の付近に置いていたらしい。傘は他人のを勝手に使ったのだという。「ま、窃盗しようというわけじゃないし、元に戻せば怒られないだろう」と笠倉くんは事もなげに言った。惚れやすいのか気が利くのか大雑把なのか、よく分からない男だ。


「あの、肩……濡れてますけど」


 私は自分の肩を指さして言った。笠倉くんの服が左肩だけ雨に濡れていた。


「ん?」


「もしかして、私が濡れないように気を遣ってくれたんですか? 気持ち悪い」


 私と笠倉くんの身長差はなんと14センチもある。大人しく私に傘を預ければ良かったのに自分で持とうとするから濡れてしまうのだ。


「気持ち悪いってなんだよ。プリントが濡れたら困るだろ」と笠倉くんは反論するけれど、私には下心を発揮したようにしか見えない。「別にあんたを気遣ったわけじゃない」


「でも気を遣ってくれたのは事実なんですね?」


 笠倉くんは「だっっっる」と顔をしかめてサッサと先に行ってしまった。


 私はまたもや勝った。


 ……けれど、どうして笠倉くんに意地悪したくなるのだろう? 彼のしかめっ面を拝んだって得られるものがなにもないのに。口が悪くなるのも控えなければいけない。

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