第8話 (前半に性的描写および残酷描写が含まれるので注意してください)


 それは今から4年ほど前のこと。小宮さんは文芸部に所属していて眼鏡も描けていたらしい。髪も理髪店で切ったまま伸ばして伸びたら切るを繰り返していたのだとか。今ほど容姿に気を配っていたわけではなく、どちらかというと陰キャに分類される人間だった。話す時にあまり口を動かさないからクラスでも存在感がないし、人と触れ合うのも苦手だから人の言いないになってばかりいた。


 顧問の男性教師に呼び出されたのは、夏休みを目前にした7月の事。


 放課後。人気ひとけのない教室に行くと教師が一人で待ち構えており、ドアを開けるや否や手をグイと引っ張られて机の上に叩きつけられた。


「俺はな、小宮、お前が好きなんだ。お前のことを見てると、無性にムラムラしてくるんだよ……」


「え、せんせぇ……?」


「見てくれよ」と教師が出したものは筆舌に尽くしがたい醜い物だった。「お前のせいでこんなになっちまった」


「な、なにをするんですか……やめてください」


「授業中もな、お前の事を考えるとムラムラして仕方がないんだ。お前はどんな声で喘ぐのか。お前の中はどんなに気持ち良いのか。お前はどんな顔で感じるのか……もう我慢できないんだ!」


 小宮さんは力いっぱい抵抗した。けれども、中学生の力では大人には勝てない。樹木のようにゴツゴツして大きな手が太ももにもぐりこんで下着を脱がせようとする。とても抗えないような力が肌をひっかいて、身体が浮くくらい無造作に脱がされるのだから、小宮さんには泣くことしかできなかった。


「やだ、先生やめて、やめて!」


「うるさい! 俺がこうなったのはお前のせいだ。お前が責任をとれ!」


「やだ! やだぁ!」


 下着を脱がされてしまいもうダメだと観念したとき、カシャリと写真を撮るような音が聞こえた。


 開いたドアの向こうから、笠倉が写真を撮っていたのだ。


     ☆ ☆ ☆


「それ、ただの盗撮魔じゃないんですか?」


 私がムッとして言ったが、話はまだ続くらしい。「まあまあ、落ち着いて聞いてよ」と小宮さんは余裕そうに続きを話した。


「笠倉が写真を撮ったことに気づくと先生はこう言ったんだ。校内でのスマホの使用は禁止されているぞ。いますぐそれをしまいなさいって。でも笠倉はまったく聞かずにまた写真を撮った。今思えばわざと怒らせてやっつけるつもりだったんだって分かるけど、結構ムチャだよね。命知らずってゆーか、ケガしたらどーすんだって感じ。でも、その時はあたしも何も考えられなくてさ。また変なのが現れたなっていうふうにしか思わなかったの。だってそうじゃん。ふつー写真なんて撮らないよ。あたしだったらもっとさぁ――――」


「まあそうでしょうね。それで、その盗撮魔の変態はどうやって強姦魔を撃退したんです?」


 話がそれる気配を感じた私は話題の修正を試みた。小宮さんは「あ、そうそう」と柏手を打った。


「それでね、先生怒っちゃったんだよ。でも、怒り方が普通じゃなくて、なんか、牛みたいだった」


「うし……?」


「もう、スマホめがけて一直線! てかんじ? ズボンを上げるのも忘れてさ、いまだから笑えるけど……いや、あのときもちょっとおもしろかったな。お尻まるだしのオッサンがこけつまろびつ走ってくんだけど、笠倉は身軽だから簡単に避けれちゃうし、それこそ牛みたいに顔真っ赤にして何回も突進してくんだけど、そのたんびに避けられちゃって。しまいには足を引っかけてつまづいたところを後ろから椅子でスパーン! だもん。笑えばいいのか泣けばいいのか分かんなかったなぁ」


「その教師は笠倉くんの作戦にまんまと引っかかったってわけですね」


「そそ。こけそうになって高々と突き上げられたお尻をね、椅子の背もたれでケツバットみたいにばち~んいったわけ。んで、壁にぶつかって気を失ったところをスタコラサッサよ。二人で手を繋いで一目散に逃げて、どんどん学校が遠ざかっていくの。建物に隠れて見えなくなるころには怖かった気持ちなんてすっかり忘れて二人で悪い事してる気分になって、楽しくなってきちゃってさ。駅に着くころには笑いがこみ上げて止まらなかったくらい大笑いだったよ。いや苦しかったね、あんときゃ」


 小宮さんはそう言って卵焼きを一切れ食べた。「ん、美味しい!」


「はあ、それで、小宮さんは笠倉くんに惚れてしまったと」


 いつの間にか4時を回っていた。作り過ぎた料理はすっかり冷めてしまって早めの夕食にしようにも、この量は困る。「れんれん、これ持って帰っていーよ」と小宮さんがタッパーを用意してくれたのでいくつか借りて、もらって帰る事にした。小宮さんも「後で食べよー」とラップをかけている。


 私は竜田揚げや卵焼きなどをタッパーに詰め込みながら訊ねた。


「ありがとうございます。……それで、なぜ今になってお弁当作りなんです?」


「うん?」


「いや、中学生の頃の話なら、もっと早いうちに告白したりできたんじゃないかと思って」


「そだねー。あたしも勇気を出せば良かったんだけどさ………」


 小宮さんは言葉を濁した。話しづらい事があるのだろうか。いや、私だったら話しづらい事があっても、わざわざ言葉を濁したりしない。そうなる前に話題を誘導したり切り替えたりするのが普通だと思う。小宮さんの言葉の濁し方に誘い水のような雰囲気を感じた私は「何かあったんですか?」と待っているであろう言葉を投げてあげた。


 すると小宮さんは待ってましたと言うように「えっと……」と苦笑いしてからこう言った。「笠倉、2学期が始まる前に転校しちゃったんだよね」


「転校……ですか。それはまたなんとも不運な」


「でしょ? せっかく仲良くなれたと思ったのにさ。デートだって行ったし、ぜったいアイツも気があったと思うんだよ。でも、あたしに何も言ってくれなかった」


「デートしたんですか?」


「…………うん」


 私が訊ねると絶妙な間を置いてから小宮さんが恥ずかしそうに俯いた。「した」


 小宮さんはあんがい初心うぶなのだろう。派手な格好をするようになったのも最近の事みたいだし、身なりを変えても性格までは変えられないという事なのだろう。私はあまり気にしなかった。


「ふぅん。では、このお弁当で今度こそ告白をしようというわけですね」


「そうだね。でも、付き合おうという気は、実は無いんだ」


「え、じゃあ何のために?」


「お礼……かな。あたしが変わるきっかけをくれたことと、あの日助けてくれたお礼。笠倉が、笑った方が可愛いって言ってくれたから」


 そう言って恥ずかしそうに髪をいじる小宮さんは、どう見ても恋する乙女であった。

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