第4話


 放課後になるとマンションの近くにあるスーパーへ寄ってから帰る事にしている。中規模程度のスーパー。客層は30代から40代の男女が多いだろうか。白を基調とした清潔感溢れる店内には金持ちを気取ったおばさんや家族連ればかりがいる。私は見栄と傲慢で化粧した人たちに囲まれるこの空間があまり好きではない。高校生が一人で来るような場所ではないし、狭い店内だからどこにいても視線を感じるようだ。


 ここにあるのは高価なお肉や外国産の調味料や豊富なスパイス類。あとは高級なお菓子とか。


 場違いであることは分かっているけれど、私は嫌がらせのためにここで買い物を続けている。あの人たちから使いきれないほどの生活費をもらっているから、せいぜい散財して困らせてやるのだ。


「お肉……ジャガイモ……ニンジン…………よし。今日は肉じゃがにしよう」


 高級食材で庶民的な食べ物を作るのも嫌がらせの一環である。


 外は暑い。ジットリ汗ばむ熱気に息が詰まるようだ。日本の夏は好きではない。必要な物を買いそろえて早く帰ろうと足早に歩いていると、ふいに声をかけられた。


「あら、そこにいらっしゃるのは花凜さんではなくて?」


 こんな高飛車ばかりが集まるスーパーで出くわす人間なんて一人しかいない。私はできるだけ冷ややかな笑顔を作って振り返った。「あら、香月こうづきさん。ごきげんよう」


「ええ、ご機嫌よう」


 そこにいたのは他校の制服を着た女子だ。精巧に作られたお人形のようにカールしたブロンドの髪の毛。丁寧に整えられた金色の眉毛。肌は雪原に反射する陽光のようにキラキラと輝き、サファイアを宿したような青い瞳は、これ、すべて生まれつきのものである。香月クロエは日本とフランスの血を引くクォーターである。


「今日は学校帰りに家族でお買い物ですか? ご両親があちらに見えますけれど」


「うふふ、そうなんですの! ようやくお父様がお休みをとれたから今日はみんなでお出かけなんです!」


「へぇ、いいですねぇ」


 香月家は親子仲の良い家庭だったと記憶している。ご両親は共働きだけど記念日などはきちんとお祝いしているし、欲しいものはなんでも買ってくれると自慢されたこともある。同じ裕福な家庭で育った身としては彼女の境遇がうらやましい限りだ。私がどうやっても手に入れられないものを持っている彼女は、嫌いだ。


 スーパーから出てきた香月の両親は両手に買い物袋を提げていた。香月は両手でマシュマロの袋を抱えて上機嫌である。今日はお出かけという事だから学校に両親が迎えに来たのだろう。良い御身分だ。「マシュマロがお好きなんですか?」と訊ねると、香月は宝物を隠す子供のようにムッとした。


「人を子供みたいに言わないで下さい。違います! わたくしの進級祝いに好きなものを買ってあげるって言われて喜んでたわけじゃないんですから!」


「嬉しかったんですねぇ」


「だから違いますって!」


 頬を真っ赤にして「イーッ」と怒る香月には呆れるばかりだ。


 蝶よ花よと育てられた香月は甘え癖が抜けないお子様だ。彼女は代々続く名家のご令嬢だという事だが、こんなに子供っぽくて次期社長の妻が務まるのだろうかと不思議に思う。年上の許婚がいるというのなら、少しは上流階級らしい振る舞う術を身に着けた方が良いと私は思うのだけれど。どうも香月とは仲良くできない。


「クロエ、挨拶が済んだら行きますよ」


「はぁい、お母様。またね花凜さん。わたくし、これから高級レストランでディナーですので!」


 マシュマロの袋を抱えたままパタパタと駆けて行く香月を見送ってから私は帰路についた。


     ☆ ☆ ☆


 マンションまでは徒歩で20分ほどの距離。私はクツを脱ぐとすぐにシャワーを浴びた。軽く汗を流してから家事をするのが私の日課だ。綺麗好きを自称する私としては1日外で活動して付着した汚れを家の中に持ち込むのは、泥が着いた手で壁中をペタペタ触られるに等しい不快感を抱くものである。愛用のジャージに着替えてサッパリしたところでようやく帰って来た心地がする。


 家事をしたらまた汗をかくだろうという意見もあるかもしれない。それは一理あると思う。しかしながら、汗をかいたならまたシャワーを浴びれば解決する話だ。だから気にしない。愚問である。


 ざく切りにしたジャガイモとニンジンと玉ねぎを軽く炒めてから水を加えて煮る。充分煮立ったら醤油、みりん、塩、砂糖を適量入れてまた煮る①。その間に牛肉を炒めておいて、焼き肉ソースで味付けをしておく②。①が充分に煮えたら糸こんにゃくを入れてサッと混ぜる、最後に②と合わせて完成だ。焼肉ソースの味が濃いので①の味は薄めにしておくのがコツである。


 ……なんてそれっぽく言ってみたけど、これすべて即興アレンジである。初めて作ってみたから出来栄えなんて知らないし、どうなったら成功なのかも分からない。けれども、味見をしたとき、炒めた牛肉の香ばしい食感とじゃがいものほくほく感がうまくマッチしているように感じたので成功であろう。ピーピーと炊飯器が鳴って白米が炊けたので、このまま食事にすることにした。


 窓辺にあるテーブルに座り食事をとる。なんて阿保らしい光景だろう。高価な部屋に住み高価な食器で、高級食材で作った肉じゃがを食べるのである。真冬に暖房を利かせた部屋でアイスを食べるに似た背徳感があるが、これはさらに上をいく阿呆ぶりであろうと思う。しかし私がいくら阿呆であろうと肉じゃがが美味しいのだから、これも愚問だ。


 ぼんやりと箸を進めているとふいに笠倉くんの顔が浮かんだ。


「そういえば、笠倉くんは手料理が好きなんでしたっけ。手料理か。私なんて食べた記憶もないのに。羨ましいなぁ」

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