銘々、電子部品

 私と彼女の関係は友人と呼ぶのが最も正しかった。男女間の友情は成立しないと様々な場所で聞いたけれど、私と彼女はその反例であったと思う。少なくとも、私から彼女に特別な好意を寄せたことは、小学校の時以降はない。それに、彼女は最近思いを寄せる相手がいるらしく、バレンタインデーに手作りチョコレートを渡すと意気込んでいた。その相手が私ではないと知っていたが、その真実を私が知ることは無かった。彼女は死んだのだから。

 ある日、彼女は首を吊って死んだ。本当に突然だった。バレンタインデーのために二人で下校時にチョコレートを買った日の事だった。その日も彼女はいつもと変わりはなくて、その前からだって彼女はいつも通りだった。彼女には友人が多かったが、誰一人として不自然さを感じた者はいなかった。だから、彼女が亡くなった次の日、私が殺したのではないかという噂が流れた。私はそれを否定したが、クラスどころか学校中で私の友人と呼べる人物は彼女しかいなかったから、私を味方してくれる者は誰一人いなかった。

 学校に行かなくなってから三日が経った。両親は私が学校を休んでいることに対して何か問うようなことはなく、部屋に引きこもって、ご飯を食べる時だけ一階へ降りる生活を築き始めていた。部屋にいる時はパソコンと向かっていた。何となくゲームをしたり、何となく動画を見たりして無為に時間を過ごした。このままではいけないと自覚はあった。だが、学校へ行って全生徒から敵のように扱われるのはもっと嫌だった。

 いつものようにパソコンに向かうと、タスクバー右下の時刻が表示されている辺りから黒い線の様なものがゆらゆらと揺れているのが目に入った。風に揺れる背の高い草のようだったが、こんなところに生えるわけがない。私は不思議に思ってカーソルを近づけると、それは引っ込んで、黒い塊の様なものが出てきた。

 それが猫であると理解できたのは、私が近づけたカーソルを掴むために手を伸ばし、体全体を見せたためだった。カーソルを猫から遠ざけると、興味を失ったようにしゃがみ込んで毛繕いを始めた。それら一連の行動は機械的ではなかった。現実の猫がそのまま私のパソコンの中へ迷い込んでしまったような奇妙な質感を持っていた。

 猫はタスクバー上を歩いたり走ったりしていたが、今は眠っていて、たまに思い出したかのようにしっぽを動かしていた。それまで、この猫がこちらの存在を認識したようなそぶりを見せることは一切なくて、私がこの猫へ干渉する唯一の手段はカーソルだけだった。眠っている猫へカーソルを近づけると、気配を感じたのか、顔を上げてカーソルを確認した。じっとそれを見ていたかと思うと、先程までの態勢へ戻って再び寝始めた。カーソルを猫へ当てると、そこに障害物として猫は存在していた。


 私はパソコンのモニターがあるデスクから離れて、ベッドに横になった。電源を切ったパソコンのモニターは真っ暗で、散らかった部屋の奥には顔のぼやけた私が映っていた。左手を上げると、モニターに反射する私も手を上げて、それが普通の事であるのに特別な意味を持っているように見えた。今あげられた左手は自分ではなく、モニターに映った自分の行動を反射しただけではないのか。そう感じてしまうほど現実は曖昧だった。

 手を下ろして、目を閉じるとモニターにいた猫の事を思い出した。他の色を拒むような黒い毛をした猫は、かつて彼女が飼っていた猫によく似ていた。黒猫は、私の記憶の中だといつも寝ていて、黒猫の毛よりも、彼女の艶のある奇麗な黒髪の方が記憶に残っていた。

 私たちは家が近くにあったから、小学生の頃はよく遊んでいた。中学に上がると恥ずかしさというか、気まずさの様なものがあって話すこと自体が減ってしまった。高校生になるとそんなものは無くなって、同時にそれまで彼女に抱いていた淡い恋心すら失った。猫がいつ死んだのかは彼女から聞いたことはなかったが、きっと私たちが話さなくなった中学辺りで死んだのだろう。そうでなければ、彼女は直接その話を私にしてくれただろうから。

 彼女は猫に似ていた。気まぐれで自分勝手だが、私が悩んでいるときには寄り添ってくれた。彼女は人気者で、私は日陰者だったが、幼馴染という肩書を彼女は大切にしてくれた。高校で友達は出来なかったが、彼女がいればそれだけで良いと思えた。だが、そこに恋愛的な感情は乗ることはなかった。それでも、彼女に好意を寄せる男子生徒からは邪魔な存在だったことは間違いないだろう。そのために私は学校へ行かなくなったのだから。


 再びパソコンを起動したとき、黒猫は座ってじっとこちらを見ていた。前はこちらの存在に気付いていない様子だったが、今回は明確にこちらを眺めている。ゆらゆらと揺れるしっぽが、この猫は決してプログラムされたデジタル的な存在ではなく、モニターに表示されているだけのアナログな存在なのだと伝えてきた。

 カーソルを動かすと、猫はその方向を向いた。左上にあるカーソルを眺めながら立ち上がって、タスクバー上を歩き始めた。メールのアイコンの上までくると座り込んで下を見るような姿勢を取った。その後すぐに穴を掘るような仕草をした。

 私は直感でこの猫がメールを開かせようとしているのだと分かった。カーソルを近づけても猫は反応しなくて、簡単にメールを開くことができた。未読ばかりのメールはほとんどがゲーム会社の広告や何かしらのニュースだった。だが、その一番上にあるメールの件名は「これあげる」で、メールアドレスはChocolateだった。私はそのメールを開いた。中には画像が一枚あるらしく、それは一度読み込まなければ表示されなかった。

 私はそれをクリックした。画像はすぐに読み込まれて、横長の写真が一枚表示された。それは、小学生の私と彼女がブランコに乗っているのが映った写真だった。見覚えのある公園の背景に、見覚えのある格好は、それがいつの頃のものであるかを明確に思い出すことができた。当時、彼女の母親がカメラを持っていて、二人で撮ったのだ。私はその頃、彼女に恋と呼べるほど成熟してはいない好意を抱いていたから、二人で撮ってもらえることが嬉しかった。だが、写真に写る私は不愛想な顔をしていて、彼女とカメラからも目を背けていた。

 この写真を送って来たのは彼女ではないかという疑問があった。もちろん彼女は死んでいるし、彼女のメールなど知らなかったが、タスクバー上で写真の私をじっと眺めている黒猫の姿が、なぜだか彼女の影を感じさせた。

 突然、スマホが振動して通知が届いたことを知らせた。それと同時にドアがノックされて、その奥に母親がいる気配を感じた。

「これ、あんた宛で届いてたよ」

 母親はドア越しで私に話しかけると、恐らく手に持っていたものを扉の前へ置いてドアから離れていった。階段を下りていく音を確認して、ドアの前に置かれたものを拾った。それは小さな箱だった。軽く振ってみると、紙の揺れる音とカタカタという細かいものがぶつかり合うような音がした。

 箱を開けると、中にはチョコレートが包装されて入っていた。袋に張り付けられた小さな紙には「ハッピーバレンタイン」と彼女の筆跡で書かれていて、今日がバレンタインであったことを思い出した。

 私は先ほど振動したスマホを取って通知を確認した。そこにはラインの通知で一言「大切にしてね」と書かれていた。紛れもなく彼女とのトーク画面で更新された文字は、本来あるはずのないことだった。私が呆然としながらも画面を眺めていると、彼女の方から画像が送られてきた。横長のその画像には見覚えがあったが、どうにも不自然だった。

 写真は制服を着た私たちだった。背景は公園で、私たち二人が映っている。構図は先ほど見た幼少期の頃の写真と同じだったが、私たちは目を見て何かを話しているようだった。それが不自然であると感じたのは、構図が一致していたことでも、ブランコが窮屈である事でもなく、誰がこの写真を撮って、彼女の代わりに送っているのかという事実だった。

 この写真はおそらく彼女と最後に会った日に撮られたものだろう。実際私たちはチョコレートを買った後にこの公園へ行ってブランコで話をした。その時の会話を克明に思い出すことができた。

 彼女は私に「もし今日で世界が終わるなら何をしたい?」と聞いたから、私は「二人でチョコレートが食べたい」と答えた。彼女はチョコレートが苦手だったから皮肉のつもりだった。そしたら、彼女は笑って「そうしよっか」と言った。その会話をしている時に、公園には私たち以外は存在していなかった。

 私は彼女にラインで「お前は誰なんだ」と送った。その文字が既読になることはなくて、ふとパソコンへ目をやると、タスクバー上の猫はいなくなっていた。再びスマホの画面に目を戻すと、彼女から送られてきた画像の右端から線の様なものがゆらゆらと揺れているのが見えた。それには見覚えがあって、先程までパソコンにいた黒猫だと理解することができた。

 猫はしっぽを引っ込めたかと思うと、左端から顔を出して画像の表へ回り込むように体全体を表した。少し歩くと、写真の私の前で止まって、体全体を擦り付けるような仕草をした。しばらくその動きを続けると、彼女の方へ行き、その足元で座り込んで毛繕いを始めた。その間に黒猫は私の存在を認識するような仕草を見せることはなかった。だが、私はその猫に触れたくて仕方がなかった。どれだけ猫のいる箇所を触っても、マウスカーソルの様に反応を示すことはなくて、気づけば私は泣いていた。声を殺して泣いた。私の存在を知ってか知らずか、黒猫は愉快そうにしっぽを揺らしていた。

 感情の波が収まった後、鼻の奥をぐずらせながらチョコレートの包装を開けた。ハート形の小さなチョコレートが数個入っており、その一つをつまんで口に入れた。市販のチョコレートそのままの味は彼女の不器用さが垣間見えたが、それがむしろ嬉しかった。舌触りの悪いチョコレートを噛むと違和感があった。どうやら嚙み切ることのできない糸状の何かがあって、異物が入っているのだと理解することができた。

 チョコレートを掌に吐き出して確認すると、半分に割れたハートから黒い糸の様なものが伝っていた。それが何かを理解した時、スマホから猫の鳴き声が聞こえた。恐る恐るスマホに目を向けると、黒猫はこちらをじっと見ていた。そのどこまでも黒い毛並みは彼女の綺麗な髪にそっくりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る