ヒトの世

 ヒトの春への歩み出し

 貴子が中学に上がり祝依香が巻き込まれたある事件が解決した後に祝姉弟が屋敷にやってきた。

 学校も家に関わる行事も休みである貴子はラフなワンピースでロングヘアにカチューシャを付けていた。

 意思の強そうな瞳も中性的な美貌も成長する毎に存在感を増して行く。

 そして遊びに来た高校生の青嵐はYシャツに黒いスラックスを身に着けたシンプルな服装で髪型は肩につかないくらいで切り揃えていた。

 控えめに見える穏やかな眼差しの奥には何かが宿っているようにも貴子は見えていた。

 何が宿っているのかまでは貴子にはわからなかったようだ。


「青嵐さん本当に良いんですか?私と許嫁なんて」

「貴子さん突然どうしたんですか?」


 貴子はその場に病み上がりである依香が居なくなったタイミングで口を開いた。

 青嵐は二人になったタイミングにいきなり長らくの許嫁からそのようなことを言われ驚きを隠せなかったようだ。

 青嵐の顔立ちも中性的というべきか綺麗に整っていて服装や立ち振る舞いを意識しないと女性と間違われ、女性にも嫉妬されるようなモノであり貴子は自分よりも見た目も中身も女性らしい青嵐には複雑な思いを多少は抱えていた。


「いえ、元より思っていた事ですわ。そして更に依香お姉様が痛ましい事件に巻き込まれた時、私の母と言うのもはばかられるあの人はあまりにもヒトとしてもとる振る舞いを様々なヒトに見せつけました。流石に私も祖父母も叔父様も堪忍袋の緒が切れて離れに完全に押し込めましたが、アレが私の母である事実は消えません。ですから」

「私は、いや、俺は貴子さん貴女だから婚約したんですよ!!」

「っ!?」


 貴子の言葉を遮るように青嵐は穏やかな表情を真剣な顔に変えて強い語気で言葉を返した。

 普段は穏やかで嗜めることはあれど粗野さは無くたおやかでさえある青嵐の強い語気に貴子が驚く。

 更に正面に貴子を見据え青嵐は続きの言葉を紡いだ。

 

「かつての私は実子よりも更に体が弱く殆ど寝込んでいてお社はおろか殆ど自室の中だけが世界でした。私には心配や世話をしてくれる家族と体調を診てくれるお医者様しか居なかったんですよ……あの時までは」

「あの時」


 貴子はぽつりと零すように呟く。

 その言葉を聞いた後青嵐は更に続けた。


「貴子さんが七五三詣りした時です、実子もその時執り行っていましたが。あの日の日が暮れた時、体調が悪く意識が混濁して目も開けていない時に知らない誰かから神社の本殿の前に行くように言われその途端に目が醒めて身体が動くようになってました。そして本殿の前、そこに居たのは貴子さん、貴女でした」

「……見つけて下さったのは青嵐さんだったとお聞きしてはいました」


 青嵐から告げられた言葉に貴子は頷き言葉を返した。

 青嵐は貴子の下におろされている右手を両手で優しく包むように掴み自身の目の前に移動させる。

 貴子は別に拒否する訳でもなく疑問に思いつつも好きなようにさせた。


「それから私や兄妹達は見つかった貴子さんの面倒を見たり、そして翌日貴子さんが起きた後には貴子さんの許嫁になりました。そして様々な事を見たり知ったりして私の世界は広がっていきました。でも私の世界の中心は常に貴子さん、貴女なのです。貴女が居なければ私の世界は社の外へは広がる事は無かったでしょう」

「……!?」


 すると青嵐は貴子の手を両手で持ったままひざまずき、貴子の手に口づけをした。


「そのような私を貴子さん、貴女は捨てて行くのですか?」

「え……!?」


 普段よりもトーンの低い声で青嵐は告げる。それでも男性にしては声が高いが貴子を驚かせるには十分であった。

 そして自分の額に手の甲をつけ離した後も両手に力を込めて貴子の手を掴み握り続けた。


「青嵐さん、私は」


 そう言って貴子は振り払おうとした瞬間に少し離れたところから声が掛けられる。


「おやめなさい青嵐。みっともないわよ」

「姉さん」

「お姉様!?」


 いつの間にか戻ってきた依香が口を開いた。

 青嵐は気付いていたのか驚いた様子もなければ見られていることにも無頓着である。

 対照的に貴子はこの状態を見られたことに顔を赤らめた、そして焦りのままに青嵐を振り払う。すると力を入れすぎて青嵐を壁まで飛ばしてしまった。


「ぐぁっ!?」

「あぁっ!?すいません。そこまでするつもりは無かったのです」

「貴子さん、別にアレで良いのよ。頭は打って無さそうですし。それよりも、何があったのかお聞かせ下さいますこと?」


 背中を強打して吹っ飛ばされた体勢のまま床に座り込むように項垂れる青嵐に対して悲鳴混じりに駆け寄り貴子は謝る。

 その一部始終を目にしても驚くこともなく依香は冷静に貴子に話しかけた。

 

「それは――――」


 貴子は青嵐の背中を撫でた後、依香の元へ戻る。

 そして青嵐に話した内容を打ち明け、更に貴子の母と呼ぶのも憚られるモノに対しての憤りをぶち撒けた。


「然様の事でしたか」

「あの人は私の事を褒めた事なんてないのです。私はあの人よりも沢山の事が出来るようになったのに却ってそれで私をなじる。私に出来た私を心配してくれる許嫁も従兄妹達も……友達も」

「私の事で心を傷めて下さるなんて本当に申し訳ないですわ。あの人未満の事についてはもう人として考えるから問題な訳であって貴子さんが気にする必要はありませんことよ」


 貴子から訊いた話に依香は首を左右に振り肩をポンと軽く叩いた。


「ですが、私とこのまま婚約なんてしたらあの人とより近しい身内になると言うことですよ。もう滅多に会う事もないとは言え、私以上に従兄妹は詰ろうとするでしょう。私は青嵐さんをそんな目に合わせたくないですわ」

「貴子さん……」


 貴子の言葉に依香がジーンと心に響いて呟くと壁の側に落ちていた青嵐がすくっと立ち上がり二人の元へ近付いてきた。


「貴子さん私の事を心配して下さってそう仰っていたんですね……でも私は離れません!!貴女が私を嫌ったとしても離しませんから」


 青嵐は最後の一言をトーンがまた低い声で発していた。

 そう言ってまた貴子の右手を両手で握る。でもその手に力はなくぷるぷる震えていた。


「だから、もう……そのようなことは言わないで下さい……」


 青嵐は言葉を捻り出す、声は低い声どころかか細い声で尻すぼみなモノへと成り果てていた。


「青嵐さん……ごめんなさい、もう言いません」


 貴子も青嵐の姿に絆されて発言を謝り撤回した。


「そもそも私達従兄妹同士だからあの人はどうしようとも身内でしてよ。気にする必要はございませんことよ、少なくともあの人に関しては私は気にしないことにしましてよ。気にするだけ無駄ですわ」

「それは……そうですね」


 そもそも血縁的にも近いし婚約しようがしまいが親の実家を訪問するだけで顔を合わせるから今更だと依香に説得される。


「それに青嵐ならあの人の暴言くらいなら跳ね除けますし、あの人の無茶苦茶な課題を全てこなして高校の首席に青嵐を維持している訳でしてよ。寧ろ貴子が青嵐と仲良くすればあの人の心にダメージを負わせられますわ」

「それも……そうですわね」


 青嵐はそんなヤワじゃないと依香は言い、寧ろ追い込んでやれと貴子に言い出す。


「ですから、あの日からそれまで寝たきりにも近い状態で禄に勉強してこなかったハンデを跳ね除けた青嵐に私のお下がりの服を着せてお化粧をして皆で写真を撮りましょう」

「…………そうですね……!?」


 そして謎の理論で青嵐が女装をすれば良いと言い出し貴子はそうなのかなぁと流されたように頷いた。


「姉さん、私はこの歳になっても女装するの?」

「あらぁ、何かしら?」


 青嵐は女装そのものは子供の頃に劇や儀式以外にもスカートを穿いたり浴衣や振袖を着せられたりした事もあるので慣れているが、高校生になってからは普通の男装しかしていなかったので本当にやるの、と聞き返し依香から言外の圧力と眼を飛ばされる。


「いえ、何でも……ハイやります」


 青嵐はあっさりと折れた。

 何故なら依香の着せ替え人形になった事自体は指にあり余る回数を熟していて拒否した所で無駄だと分かっているし、貴子も乗り気であった為である。

 貴子の前を向く気持ちを尊重したかったのもあるし女装程度なら離れられるのよりも良いのか悪いのか元々のハードルが低かったのだ。


「では準備しましょうか」

「今回のコンセプトは何にしましょうか?」


 微妙な顔をする青嵐をよそに依香が号令をかけ準備を始める。そして女装の服や化粧の方向性を貴子が依香に訊ねる。

 そのうち青嵐が満更でもない顔に変わるのは数分経たずであった。

 そしてその日も明るい声が部屋に響いていた。





 そんな光景もこれからの日常の1ページに過ぎないのだ。

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