十字路にて
曇空 鈍縒
第1話
俺たちが十字路に到着した時、時刻は午前六時半を回っていた。
川崎臨港警察署を出発してからざっと2時間。ずっと幌付きトラックの固い座席に座っていたせいで痛む腰を叩きつつ、俺はトラックの外へ出る。
銀色の大盾はずっしりと重く、古びたヘルメットは妙に馴染まない。体に馴染んでいるのは紺の作業着と腰の警棒だけだ。
そもそも俺は、というか俺ら神奈川連隊第二大隊の隊員は根っからの機動隊員じゃない。
俺の部隊は、過激派に占拠された空港を包囲する人員を確保するため、交番や刑事から人を集めてつい昨日編成したばかりの、いわゆる特別機動隊だ。
特に機動隊としての訓練も受けていないし、装備も古い盾と警棒だけ。
それに服だって、機動隊が着ているような難燃性の生地で作られた出動服ではなく、単なる作業着だ。
少なくとも、火炎瓶やら鉄パイプ爆弾やらの危険物を平気で投げてくる過激派と本格的に衝突することを想定した装備ではない。
俺らに課された任務は、空港近辺に隠された火炎瓶など武器の捜索と検問の設置で、担当する場所も空港から離れた安全地帯だ。
体力ぐらいしか取り柄のない若手警官を万が一に備えて動員しただけに過ぎないことは、末端の俺でも容易に予想がつく。
俺らにだって仕事はあるのに迷惑な話だ。とはいえ、本当は特別機動隊も現在展開している数の2倍は編成する予定だったと聞く。
そうなっていれば、神奈川県警もベテラン署員を引き抜かざるを得ずに、数日は人手不足に悩まされていただろうな。
俺が勤務する交番の奥でいつも座席にふんぞり返っているゴンゾウ(能力や経験の割に仕事をしない警官)が、重たい盾を持ってヒィヒィ言っている様を思い浮かべて、俺は少しだけ愉快な気分になった。
まあどうせ奴は上手いこと仕事から逃れるのだろうが。なんかまた憂鬱な気分が戻ってきたな。
俺は大きく伸びをして、辺りを見回す。
広々とした緑の田園風景が広がる中に、農家の家や
空は不気味なほどに青く、白い羊雲がゆっくりと泳いでいた。
「総員整列!」
パトカーから降りてきた大隊長が大声を上げ、降車していた機動隊員たちは戸惑いながらも整列すると、直立不動の姿勢をとった。
俺も背伸びを中断して、整列に加わる。
「これより任務を開始する。各中隊は事前に決定した計画通りに行動を開始せよ!」
大隊長の号令に、俺たちは一斉に任務を開始した。
その後、一時間ほど周辺地域の捜索と検問の設置を行ったが、特に武器も出てこないし、接近してくる車両や人もない。
この近辺に残っている住民は抗争に巻き込まれないよう自宅に閉じこもっているし、警察によって封鎖が行われている地域にあえて侵入するような民間人は、せいぜい報道か過激派ぐらいだ。
当の過激派も、上手く隠れているのか、そもそもこの辺りにはもういないのか、一時間にもわたる捜索にも関わらず全く見つかっていない。
報道の方は、数日前には空港内への侵入を終え、中継車で道路を封鎖したりとか今も様々な方法で過激派に協力しているのだろう。
前線の隊員らには悪いが、傲慢な報道連中の相手をしなくて済んだことに俺は少しホッとした。ただでさえ退屈しているのに更なるストレスまで被りたくない。
しばらくは平和な時間が続きそうだ。
「おーい。林警部補!ちょっといいか!」
突然、大隊長が小隊長の名前を呼ぶ。
「なんですか?」
小隊長は警杖を脇に挟んで、大隊長の方に走って行った。
俺は仲間たちと顔を見合わせる。新たな任務だろうか?
さっきから続く面白のない捜索に退屈を覚えていた俺は、少しワクワクしてきた。
周囲の隊員も同じ気持ちらしく、退屈な作業に死んでいた目が輝いている。
しばらくして、小隊長が戻ってきた。
「お前ら。たった今、北林事務所方面に火炎瓶二百本が隠されているという情報が入った。我が第一小隊は、これより十字路北側の捜索に向かう!」
また捜索か。やや落胆したような雰囲気を察した小隊長は、声を張り上げた。
「前線の仲間を助ける重要な任務だぞ。もっとしゃんとせんか!」
「りょーかい」
俺は大声だが投げやりな口調で返事をして、十字路北側に向かった。
案の定と言ってはなんだが、十字路北側から危険物が見つかることはなかった。火炎瓶二百本ってのは誤報か。
今回の作戦には五千人を超える機動隊が動員されている。連絡ミスの一件や二件あってもおかしくはない。
とはいえ平和な後方にしてみれば、飛び交う誤報なんて迷惑そのものだが。
もっと歳をとって貫禄を得れば、火炎瓶が飛び交わない有り難みを理解できたのだろうが、歳も経験も無い今の俺にとって、現状はひどく退屈なだけだった。
せっかく機動隊の格好もしたのだから、過激派と勇敢に戦いたい。
「捜索を終了。総員、整列!」
林小隊長の号令で、俺は道路に整列する。とはいえ熟練の機動隊みたいにはいかず、小隊が整列を完了するのには数分ほどかかった。
小隊長は、整列を終えた小隊員の顔を一人づつ確認していく。
「全員いるな。それでは捜索を終了s」
直後、停車していたトラックが炎に包まれた。
爆発音が鳴り響き、小隊長の言葉を遮る。
火炎瓶が投擲されたという事実を俺の脳が認識したのはその数秒後、実際に行動を開始するまでにはさらに数秒を要した。
そしてその遅れは、警視庁機動隊との抗争で鍛え上げられた過激派相手に許されるものではなかった。
白いヘルメットを被り、角材や鉄パイプ、いわゆるゲバ棒を持った過激派の集団が、続々と笹藪から飛び出してくると、一直線にこちらへ突っ込んできた。
数名の小隊員がゲバ棒によって瞬く間に殴り倒され、俺は慌てて盾を構える。
人数は二百人ほどだろうか。対する我ら第一小隊はせいぜい三十名程度。戦力の差は歴然としていた。
「奇襲攻撃を受けた!支給、援軍を求む!早く!」
小隊の無線手が、無線機に向かって怒号を飛ばす。俺は大盾を構えて分隊の仲間と陣形を作ろうと試みたが、やはり一切訓練していないので上手くいかない。
俺は振り下ろされたゲバ棒を慌てて盾で受け止める。衝撃に腕がジーンと痺れた。
大隊からの増援が来るまでは持ち堪えなければならないが、この調子ではすぐに殲滅されてしまう。
だが俺には、振り下ろされるゲバ棒をただ盾で受け止め、自分の身を守ることだけで精一杯だった
過激派が投擲した石に、小隊員の一人が鼻を砕かれて倒れる。ブシューと溢れ出る鼻血は不気味に赤かった。
盾を掴まれて地面に引きずり倒された機動隊員が、ゲバ棒で執拗に殴られている。アスファルトの地面に血溜まりが広がっていく。
飛び散った血が、笹の葉をベッタリと汚した。
「本隊からの増援は!」
「大隊本部より連絡。向こうも多数の過激派から攻撃を受けているそうです!」
小隊長と無選手の会話が聞こえてきた。まさか増援も望めないのか?だとしたら全滅は不回避だ。唐突に湧き上がってきた恐怖が、全身の筋肉を硬直させる。
直後、投擲された火炎瓶が目の前で炸裂した。
炎は大盾で受け止めたが、火の粉が俺の作業服に飛び散る。
火炎瓶など全く想定していない化学繊維と綿の作業着は一気に燃え上がった。刺すような激痛が全身を走る。
俺は絶叫しながら、服に付いた炎を消そうと地面をのたうち回った。
直後、腹部に鋭い痛みが走る。激痛を感じながら目を開けると、数名の過激派が俺の体にゲバ棒を振り下ろしていた。
血走った目が、俺のことを睨みつけている。
「ま、待って」
彼らは命乞いにも聞く耳を持たず、口汚く罵りながらゲバ棒を振り下ろし続けた。
激痛。腕の感覚が消えた。角材が腹にめり込む。頬が痛い。顎が殴られる。口の中がガリガリする。頭に鉄パイプが振り下ろされる。グチュリと音がした。
片目が見えない。
体が少しずつ破壊されていく感覚。
過激派は俺のヘルメットと服を無理やり剥ぎ取って、完全に無防備となった俺へと、さらにゲバ棒を振り下ろしてきた。
腕が動かせない。どうやら手錠をかけられたようだ。
なんとか首を動かして周囲を確認すると、地面に倒れた仲間たちが俺と同じように数人がかりで殴打されていた。
まだ交戦している隊員はごく少数で、彼らも一人また一人と倒れていく。
隊員の一人が、裸にされて殴られながら土下座させられている。つい先日まで交番で勤務していた彼が、過激派に一体何をしたというのだろうか。
分からない。
竹槍を持った過激派が、機動隊員の腹部を何度も何度も突き刺していた。
その機動隊員は口からヒューヒューと血を吐いている。それでも過激派は手を止めなかった。
突如として顔にジュッと焼けるような激痛が走り、俺の視野は完全に失われる。
皮膚がドロドロと焼けこげていくのが分かる。顔に濃硫酸でもかけられたか。
彼らが危険な化学薬品を武器にすることは知っていたが、これほどに痛いとは。
顔を掻きむしりたい。だが、腕に手錠がかけられていては何もできない。
顔の形がドロドロに崩れていくのを感じながら、ただ殴られるままになることしかできないのか。
全身を走っていた痛みが、少しずつ消えていく。痛覚が鈍ってきたようだ。ただドンという衝撃だけを何度も何度も感じる。
やがて俺は、自分の首がゴキリと音を立てるのを聞いた。
息が苦しい。そして、俺の意識は永遠の暗闇に消えた。
十字路にて 曇空 鈍縒 @sora2021
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