第8話 人間不信

「マークⅡを作ったわけか……」


 美乃梨の表情が少し陰り、言葉には窮しているようだった。

 やはり、何か良くない事情があるのだろうか。

 たかが元カレ、たかが協力者には話したくない内容なのかもしれない。


「重い話を期待しているかもしれないけど、大した事情じゃないから」


 強がっているとかそうじゃなくて、本心から思っているように感じた。マークⅡがそう言う雰囲気を醸し出しているだけかもしれないけど。


「大したことないなら、その方が嬉しいよ。僕は」


「そう言ってもらえると助かる。さて、簡単に言えば」


 その行動にどんな意味があるかは分からないけど、マークⅡは僕に向かって意味深な笑みを浮かべた。


「――人間が嫌いだから」


 屋上だからか、強い風が吹いた。生ぬるい、ありがたくない風。

 美乃梨は不敵な笑みを浮かべていた。


 美乃梨が言った、人間が嫌い。

 彼女の言っていることの意味は分かるが、やっていることに齟齬がある。

 一般人なら嫌いなものは遠ざけるはずだ。だけど、美乃梨はあえてマークⅡという存在を作り出し、人と関わる道を選んでいる。

 だから、僕はもう一歩踏み込む。


「……それとマークⅡを作ったことにどんな関係が」


「人間は嫌い。だけど、アタシは人間だ。人が完全な意味で一人生きていける時代は未だ訪れていない。人間の価値は社会及び集団の中で決まる。賢く生きるには、社会に溶け込まなくちゃいけない。だから、作った。アタシの身代わりを。それがマークⅡだった」


 心底不本意そうな顔で美乃梨は語ってくれた。

彼女が言っていることは感覚としては理解できる。

 一人暮らしをしている人なんて、僕の同級生にだっている。けど、彼らは人との関りの中で生きている。

 賢い美乃梨はそれを分かっているから、人と関わるためにマークⅡを作りだした、ということなのだろう。人間嫌いとの折衷案だったわけだ。


「……やっぱり天才だよ、美乃梨は」


「そんなのは当然のことだ。幼馴染のくせに何を言っているんだか」


 言葉は結構厳しいが、嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 人間が嫌いでも、僕からの褒め言葉くらいは受け取ってくれるらしい。


「でも、それだったら、なんで遠隔操作のロボットを選んだんだ?」


「よくぞ聞いてくれた! だって愚かで蒙昧な人間どもと生身で関わり合うなんて、馬鹿らしいだろう? だから、いっそ自分ではない自分を作り上げた方が、いい人間として演技しやすいかなと考えた」


 気持ちを吐露しているからか、美乃梨のテンションは上がっている。

 マークⅡの動きとか気にせずに、飲み物も飲んでるし……。


「なるほどなあ。確かに嫌いな奴らと正面切って話すのは面倒くさいよな」


「そうそう! そうなんだよ!」


 美乃梨が人間を罵倒する姿を見て、出会った当初の頃が脳裏によぎる。


 小学生低学年くらいの彼女は同級生を見下していた。

 いわゆるギフテッドで、見えている世界が違いすぎたのだ。

 だから、話も合わなければ知能も合わない僕たち凡人ではなく、親や教師にしか興味が無かった。

 

 小学校中学年になる頃には、折り合いをつけて他人を馬鹿にするのは止めたけど。


 それが悪い意味で戻りつつある。

 別に凡人を馬鹿にしているつもりは毛頭ないと思う。

 ただ、自身の頭の良さと人間嫌いが結びついて、人間は馬鹿という考え方になってしまっているのだ。


 人間が嫌いになった理由の一部には心当たりがある。

 協力者としてやらなきゃいけないことが分かったかもしれない。


「もしかして、人間嫌いの中に僕も入ってたから、記憶を消そうとした?」


「……明確な答えは出せないな。ただアタシが人間社会で上手くやっていくための障害になるかもしれないとは思ったから。そこに差はないよ。仮に親であっても、必要なら記憶を消す。というか、消した」


 ただ何気なく、僕の気持ちを悟らせないために言った質問だったが、何かとんでもない答えが返ってきた。それもあっけらかんと。


「は?」


 流石に言葉を失わざるを得なかった。

 それは明らかに倫理観の一銭を超えてしまっているからだ。僕のような部外者ならまだしも、親の記憶を消す?


「そんなに驚かなくたって……って、壮馬はアタシの両親が離婚したのを知らないからか」


「……知らなかった」


「アタシが中学進学で転校したのを境くらいに、父親が意味わからんギャンブルに金を注いでいることが発覚して。同時期に母親の不倫が発覚して。もう毎日毎日、喧嘩して。醜くて吐き気が止まらなかった。その頃に開発した記憶をぶっ飛ばす装置を使って、結婚した時期の記憶だけぶっ飛ばしてやった」


 ある意味の優しさなのだろうか、と思ってしまった。

 本当に美乃梨が気を許した人間には、自己犠牲すらも厭わず優しさを発揮する。それが出てしまったのだろう。


 美乃梨の両親は人ができていた。

 少なくとも、美乃梨が不登校にならずに小学校卒業まで通えたのは、両親のおかげだと思う。そんな彼らが。


「…………」


「そしたら、そもそも結婚した意味が分からなくなってすんなり離婚してくれた…………ってそんなに悲しいことか?」


 どうやら僕には今の話が相当メンタルに来たらしい。

 美乃梨の両親には僕もお世話になったし、彼女が両親を慕っていたのも、当然知っていた。


 当の本人はちょっとした昔話くらいのテンションで話しているのが救い……、救いなのだろうか。


 でも、ただ一つ確かなことはあった。


 それは美乃梨が前に進んでいること。


 それだけ確かな人間を嫌いになる理由があっても、彼女は人と関わりあって生きていくことを完全には諦めてはいない。

 少し歪んでいるのはそうだ。


 でも、歪んでいるのなら、他の力で真っ直ぐにしてあげれば良いだけのこと。

 

 それだけだ。


「悪い。僕も美乃梨の両親には世話になったから驚いて」


「確かに。幼稚園の頃にアタシの家に泊まりに来た時に、おもらしとかしてたし」


「――記憶にないなあ」


「じゃあ、詳しく語ってやるが?」


「止めてくれ……」


 かつて彼女を苦しめてしまった元カレとして、密かに決意を固める。


 人間嫌いを止めるのは難しいかもしれないけど、心を許せる人間だって必ずいることに気づいてもらう。

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