#2「被検体601」

「──どうしてこうなった!?」

 大城大名おおしろだいな。15歳の女子高生。絶賛反抗期中だが、この国で平凡な生活を送る大勢の人間の内の一人。そう、なんら特別ではない、普通の子供だったのだ。だが、全てはアイツから。

「アイツのせいで……!」

 アイツから始まった──!


 時はさかのぼり、2023年7月9日(日)。 

 その日も、暑いやらなんやら騒いでいたものの、家でゴロゴロしていた大名。そこに、一人の──いや、一体の”人造人間”が押しかけてきた!

「被検体601です。この部屋に、居候いそうろうさせてください!」

「……はぁ?」

 暑いのを我慢してソファでゲームをしていた大名は、突然の来訪者はんざいしゃに呆然とした。

「被検体601です。この部屋に、居候いそうろうさせてください!」

 そして、同じ言葉を繰り返す被検体601こと来訪者へんしつしゃ。とりあえず、ゲーム機を持って奥の部屋へと避難する大名。その顔は無表情だった。

 だが、自室の扉を閉めた時、手汗に気がついた。”恐怖”という感情に、気がついた。

「どうしよ……」

 途端に体が震える。親に電話しようか。いや、まず警察か!?

「あー、やべぇトイレ行きてぇ……」

 混乱でおかしなテンションになってきた大名だったが、ここは冷静にと、勉強机に置かれたスマホを手に取る。

「これで1、1、0、っと。よし、これで助けを呼べ……あっ」

 電池切れだ。よりによって、こんなときにだ。いよいよ冷や汗が床に垂れる。

大城OHSHIROさん、いるのは分かってるので出てきてくださーい」

 その時、ドアの向こうから、先程の来訪者へんしつしゃの呑気な声が聞こえてきた。

「繰り返します。大城OHSHIROさん、いるのは分かってるので出てきてくださーい」

「……?」

 なんだか言動が妙だ。まるで機械を相手にしているよう……いや、変質者だからか。

 不気味な雰囲気に、ますます足が震える。腰が抜けてしまいそうだった。

 だが、ここでへこたれていてはいけない。すでに鍵はかけてある。大丈夫だ、冷静に対処すればきっと大丈夫。そう自分に言い聞かせ、ひとまずスマホを充電ケーブルに繋ごうと、ドアから離れてベッドの方に歩く。

 ──その瞬間、”なにか”が視界に現れた。直後、ガラスの割れる音が耳を突き刺す。

 大名は思わず尻もちをつき、ベッドに突き刺さったそれをまじまじと見る。

「……あっあっあっ……」

 黒光りの手裏剣を前に、もはや言葉も出ない。

「ほんもの……」

 すでに、この部屋は包囲されているようだ。瞬時にそう悟り、大名は完全に固まってしまった。

 そしてもう一発、窓からの手裏剣が大名の喉に突き刺さろうとしていた。

 残り1m……50cm……30cm──

「……20cm……10cm……5cm──!」

 次の瞬間、部屋のドアが宙を舞った。

「──ゼロ!」

 手裏剣が刺さり、途端に血が吹き出す、その手。

 綺麗な白い手だった。そう、ずっと見ていられるような、毛穴が全く見当たらない手。舐めてもいい味がしそうだ。

「……へっ?」

 そう、理性やらなんやらは働かない。ただ目の前に現れた手を、その舌で舐めた。それはそれはねっとりと。

「……大城さん? 大城、大名だいなさん……?」

 理解のない親、教師。ギスギスしがちな友達関係。 他校のヤンキーに追われる毎日。ストレスは溜まりに溜まり、日曜の朝に変質者。窓からの手裏剣。そして、トドメは綺麗な手。

 大名の精神は、全てのしがらみから解き放たれたように、黄金の光を放っていた。その光は視界を焼き尽くし、全てを飲み込み──

「……変質者」

 その瞬間、全てがフッと消えて、現実リアルな世界が帰ってきた。

 目の前には、ドン引いたような顔をした少女。手には手裏剣が刺さっていた。

「……へぇ?」

「せっかく助けてあげたのに……。なんで私の手なんて舐めるんですか……? キモ……」

 完全にやってしまったらしい。

 そうこれは、小学生の時に好きな男子の手を舐めて親に電話が行ったのと、全く同じ!

「……あ、ち、ちがいます……」

 沈黙の時間が続く。消え失せてしまいたい。今すぐに。

 だが、幸か不幸か、そんな気まずさはすぐに破られた。再び飛んできた手裏剣によって。それは、少女の後頭部に突き刺さったように見えた。

「まだヤル気!?」

 少女は声を上げ、大名の手を取り、サッと立ち上がった。そして、ドアの外れた出入り口から、部屋の外へと駆け出していく。唖然とした大名もそれに引っ張られていった。


 気がついたらは、リビングの掃き出し窓を抜け、ベランダから外に飛び出していた。そう、少女に身を任せた結果のこと。足が離れた直後に後悔したが、もう遅い。地上3階からの衝撃に、受け身も知らない女子高生が無傷で耐えられる訳がない。

 手を掴まれたまま接地し、声にならない声が出た。

「あー、もうしょーがないなー!」

 少女は大名をよいしょと背負い、地を蹴って走り出す。もはや大名にはっきりとした意識は残っていない。ただその見開いた目で、流れる景色を呆然と見るのみだった。

 少女は跳ねたり曲がったり、激しい動きを繰り返す。その度、大名の足首に激痛が走った。

 その弾みでようやく目が覚め、辺りを見回す。スクロールする景色の所々に、黒い物体が見えた。そして、そこから手裏剣が飛んできている。これは──

「忍者……!」

 事態の渋滞に脳が追いついてないが、この瞬間の大名は、何も疑問を抱かなかった。というか、そんな余裕はなかった。

「しつこいなーっ!」

 もうどれだけ逃げ回っただろうか。すでに知らない街だ。

「ね、ねぇ、どこに向かってるの……?」

 一周回って冷静になった大名は、自らを背負っている少女に問いかける。返事は、風の吹き抜ける音にかき消された。ただ、『あきや』と言っていた気がした。

 今はひとまず、この少女に命を委ねるしかないようだ。そう思い、大名は目をつむった。


「────大城さーん?」

 果てしない大地を独り歩いていたその時、聞き覚えのある声が耳をくすぐった。

「ん……?」

 目を覚ますと、薄暗い部屋だった。天井から提がっている電球は割れており、壁紙は所々が破れていて、ボロボロのカーテンからは細い光が差し込んでいた。

「あ……?」

 さっきまで家でゴロゴロしていたはずが……?

 いや、違う。

 確か、あの後、変質者が家に入ってきて──

「大丈夫ですかー?」

「ギヤァ!!」

 突然視界に入ってきた顔に、大名は咄嗟とっさに右ストレートを食い込ませた。

「……『ギヤァ!!』、はこっちなんですけど。なんで殴るんですか……?」

 拳の食い込んだ口がもごもごと動く。慌てて手を引っ込めると、むすっとした表情の、美しい顔つきをした金髪の少女が現れた。

「はぁ、人の手舐めるわ、顔面殴るわ……」

「……あっ」

 ようやく全てを思い出した大名は、途端に萎縮してしまった。

「……す、す、すすすいませんでしたたた。た、たた助けてもらったことも知らずに恩知らずな真似をしやがりしてしまいましててて──」

「あー反省文はいいから!」

 そう言うと、少女はやつれた顔のまま立ち上がり、どこかに行ってしまった。

 独り取り残された大名は、起き上がろうと、膝を曲げようとする──が、その瞬間に激痛が走る。

 はぁ、はぁと一定のリズムで息を吐き、必死に痛みに耐える。

 唸っていると、やがてバケツを持った少女が戻ってきた。

「ほら、動こうとするからそうなるんですよ……」

 よく見ると、その少女の脚は細く長かった。さらに、ボンキュッボンのモデル体型。見とれていると、バケツを置いてタオルを濡らしている少女ににらまれた。

「やっぱり変質者か……」

「わーごごごめんなさいごめんなさい!」

 「謝罪だけは早い」と更に毒を吐かれた後、冷たいタオルで足を冷やされた。

「……とはいえ、すみませんね。悪気はなかったんですが……」

「……勝手に家に入ってきたこと?」

 尋ねると、少女は小さくうなずいた。

「私、最近地上に出てきたばかりなので……。常識知らずでして……」

 事情はよく分からないが、どうも悪い人ではなさそうだった。そう、大名の周りの人間よりはよっぽど。

 それに大事なのは、”この少女に助けられた”ということだ。命の恩人に牙を向くほど、大名は疑心暗鬼な人間ではなかった。

「……名前」

「……はい?」

「……名前、なんていうの……?」

 少女は、しばらく目をパチパチとさせていたが、やがて優しい顔で言った。

「名乗るほど者ではありません……」

「いや、今そういうのいいから」

「……あ、『被検体601』、です。名前です」

 良い空気を破られ、少女は小さな声で言う。

「それが、名前……?」

 大名は純粋な顔で尋ねた。

「はい、人間のように特別な意味が込められることはありません。あくまでも区別をつけるための”名前”ですから……」

 601はどこか寂しそうな顔をしていた。が、すぐに笑顔に戻り、立ち上がって大名を見下ろした。

「さ、患部は冷やしているので、しばらくそこで寝ててください! 捻挫で済んで良かったですね」

 そう言うと、601はまたもやどこかに行ってしまった。


 ──『”人間のように”特別な意味が込められることはありません』。

「人間のように……?」

 一瞬疑問を覚えたが、深く考えるうちに、再び眠りについていた。


 その頃、3浪の山田はネット掲示板で戦っていた。

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