第6話 疑心暗鬼
安西が大学時代に、文芸サークルに入部し、小説を書いていたのだが、中学時代の部長との関係は、
「交わることのない平行線」
だった。
それは、安西が自分で臨んだことであり、別に、
「部長とどうにかなろう」
などという下心はなかったのだ。
どちらかというと、
「そばにいるだけでいい」
という感覚で、その時にあった距離感というものが、実に絶妙だったという気がするのだ。
確かに、
「そばにいるだけで心地よい」
ということはある。
それは、相手が人間だということよりも、ペットだという方が、気持ちとしては強い。
安西家では犬を飼っているのだが、その犬が、家族全員に、
「癒しを与えてくれる」
のだった。
特に、妹のいちかは、犬の面倒も嫌がらずに見るし、犬もよくわかっているのか、妹に一番なついているのだった。
犬の種類は、柴犬で、安西家で、最初に犬を飼おうと言いだした父親が、
「犬の種類は何がいい?」
と言った時、ほとんどが柴犬だったのだ。
ペットショップに行った時、皆が、それぞれに可愛い犬を見ていて、
「ああ、この子も可愛い」
といって、他の種類の、ポメラニアンだったり、ミニダックスだったりを気にしていたのだが、いちかだけが、柴犬の子供のそばから離れなかったのだ。
いちかも、飼っていた犬も、そのことを意識しているのだろう。
だから、二人とも、その絆は家族の誰よりも深いことだろう。
そのことは、皆が分かっていて、
「うちの子は、いちかのものだっていいかも知れないわね」
といって、二人の仲を見ながら、さらに癒しを感じさせられているかのように思うのだった。
いちかもそのことを分かっているのか、
「この子は、私が面倒見るね」
と、普段は、家族との団らんを嫌がるところではあったが、犬の話題になると、積極的に出てくるのだった。
いちかは、中学時代から、基本的に変わったところはないように見えた。
部活でも、目立ってはいるのだが、それは、自分から目立とうとしているわけではなく、いちかの内面からの雰囲気が、勝手にまわりに花を咲かせるのだった。
それは、華やかではあるが、賑やかな感じというわけではなく、内に秘めたるものが、いちかの中で、次第に膨れ上がり、まわりを、華やかにさせるという、特技を持っているということになるのだろう。
それを思うと、
「いちかというのは、自然とまわりに取り巻きを作ることができる」
という性格なのだが、だからといって、それをひけらかすことはなく、その目はいつもある一点に向けられていたのだ。
しかし、それが、本人ということであれば、
「どこまでをそう思うのか」
ということが分からなくなっている。
ただ、いちかの場合はそれでいいのだ。
「すべてをわかっていないといけない」
ということのない人だっているんだ。
と考えたことがあったが、それが、いちかだったというのは、自分でも、想像の範囲を超えていたと思えるのかも知れない。
いちかが、犬の散歩をするようになってから、しばらく経ってのことであった。
ある日のことで、いつものように、いちかが、公園から回り込んで、住宅地の近くを通って、帰宅してくるのだが、その日は、ちょうど、犬が、急にリードをいきなり引っ張ったので、いちかがそれを抑えることができず、思わず手を放してしまった。
そこで、犬はそのまま草むらの方に侵入していったのだが、どうやら、
「用を足したかった」
ようである。
普段であれば、近くの電柱でするのだろうが、どうも、大のようだったので、犬としても、普段から、母親にしつけられているので、犬も気を遣ったのだろう。
今までは、ずっといちかが散歩に連れて行っていたのだが、ここ最近では、いちかが部活で遅くなっているということで、ずっと母親が散歩に連れてきていたのだ。
ただ、この日は、どうも、犬が、いちかと一緒にいきたいということで、イチカから離れなかったことで、悪い気がしていないいちかは、
「じゃあ、私が連れていくね」
ということで、いつもの散歩コースを久しぶりの散歩ということで出かけていったのだった。
いちかのそんな姿を見た犬も、普段よりも、喜びの姿勢を見せ、飛び上がって喜んでいたのだ。
いちかは、犬を連れての散歩を楽しむつもりだったが、嬉しがっている犬に引っ張られるような感じだった。
だから、いつもの力で握っていたが、いちかには、想定外の力で犬が引っ張ったので、つんのめりながら、リードから手を放してしまったのだ。
急いで犬を追いかけたが、すでに草むらの中に入っていて、おいかけることができなかった。
いちかは、その時、近くにワゴン車が留まっているのは意識していた。
しかし、まさかそこから男が二人出てくるとは、想像もしていなかった。
その日のいちかは、普段から散歩しないでいいということで、最近は、家ではフリルのついたミニスカートを履いていた。
いわゆる、
「ロリータファッション」
ということなので、車から降りてきた連中は、
「ロリコン趣味」
ということであろう。
「ロリコン趣味が悪いというわではないが、明らかに、やつらの目は、滾っていた」
といってもいいだろう。
それから先は、いちかの身に何が起こったのか、回想することなどできるはずもなかった。
いちかは、目の前で起こっていることが、まるでスローモーションのように見えているのだが、意識は明かに飛んでいる。
あっという間のことだったように思うのだが、情景は、スローモーションである。
泣けど叫べど、男たちは理不尽に微笑んでいるだけだ、
「必死に叫んでいるのに、息を飲み込んでいるかのようで、呼吸もおぼつかない。男たちのその顔は、抵抗してもダメなことは分かるのだ」
しかし、かといって、抵抗しないわけにはいかない。
まるで夢を見ているような感じだと、人はよくいうが、それは、
「これは自分に起こっていることではないんだ」
ということを、夢のせいにして、なかったことにしたいという、
「できるはずのない感覚になっている」
ということなのであろう。
その時間が、1時間だったのか、2時間だったのか分からない。男たちに蹂躙されていた時間よりも、その場に放置されてからの方がどれだけ長かったことか。
「私が何をしたの?」
と、なぜか、自分が悪いという方向にしか頭がいかない。
自分が悪いことをしたと思わなければ、この時の説明はつかないだろう。
「とにかく、この場から逃げ去りたい」
「何もなかったことにしたい」
ということしか、頭になかった。
時間があっという間に過ぎていくのは、
「現実逃避」
を試みる自分が、許せないと思っているからであろうか?
いちかを襲った連中は、捕まった。
というか、親を伴って、
「自首してきた」
というのだ。本来であれば、その場で出頭するのであれば、
「自首」
というのだろうが、犯行が明るみになってから、親に連れられて出て行って、
「何を自首というのか?」
ということである。
どうやら、加害者は、まだ未成年ということで、当時はまだ、20歳未満が未成年だった時代である。
しかも、親が金持ちで、ちっとは名の知れた
「先生」 らしいというが、そんな息子がいて、
「何が先生だ」
ということだ。
自分の子供一人をまともに育てられずに、犯罪を犯して、顧問弁護士がどうやら、今までかなり握り潰していたということである。
それを考えると、家族としては、腹が煮えくりかえるくらいだ。
相手の弁護士は、
「容疑者はまだ、未成年で、前途ある青年なので、訴えたとしても、大した罪にはならない。だから、示談金を弾むので、それを受け取って。早く忘れることです」
というのだった。
しかも、裁判などになると、被害者も裁判に出頭し、聴かれたくないこともあれこれ聞かれるというのだ。特に、
「同意の上ではなかったか?」
などということまで聞かれるので、
「そんな思いをするよりも、早く忘れて、先に進んだ方がいい」
という言い方をするのだ。
一番腹が立ったのが、
「何が前途ある青年だ。前途ある青年が、そんなことをしていいのか?」
ということであったが、それ以外のことは、確かに弁護士の言う通りだった。
しかも、被害者である妹の方が、
「もう、これ以上事を荒立てて、自分がさらし者になるのは嫌だ」
と言いだしたのだ。
そうなってしまうと、
「泣き寝入りは嫌だとは思うがしょうがない」
ということにしかならないのだ。
それで結局、それで、起訴しないことにしたのだが、その時はそれ良かったのだが、その後、どこから漏れたのか、妹が、
「暴行された」
ということが世間に広まってしまったのだ。
一度不起訴と決まった事件を、また蒸し返すわけにはいかない。不起訴ということは、
「無罪判決」
と同じだからだ。
だが、そのせいで家族はバラバラのようになり、最後には、妹は自殺してしまったのだ。
あれだけ、自分に対して優しく、これからも、
「美術で頑張る」
と言っていたのに、完全に美術どころか、学校にすらいけなくなってしまい、それまでの夢も希望もすべてが消えてしまったのだ。
家族も、一度は、
「妹のために」
ということで。不起訴ということに落ち着いて、
「後は忘れるだけ」
ということだったのに、ウワサになると、
「あの時起訴すればよかったんだ」
と、あの時の話を蒸し返すことになる。
しかし、何を言っても、妹が晒し物にされないということにはならない。
そもそも、こういうウワサが怖くて、起訴するのを辞めたのではないか。こうなってしまうと、すべてが後の祭りであるが、どうしようもない状態になってしまったというのは、誰に文句を言えばいいのだろう?
誰も悪くない状態で、状況は最悪になった。
「家族が離散するのも、当たり前だ」
と、いうことである。
安西は、その時、自分が、躁鬱症のような状態になり、落ち込んでしまった鬱状態の中で、まわりの人間に対して、
「疑心暗鬼に陥っている」
といっても、過言ではないという状態になっていたのであtった。
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