第2話 妹

 安西には、年子の妹がいた。

 妹は名前を、いちかと言った。

 その妹が、どうやら、兄である安西が、最近学校に行くのを楽しみにしていることに気付いて。ちょっと、兄の学校に遊びに行ったようだ。

「どうせ私、来年から、この中学だし」

 ということで、堂々と、兄の安西にくっつくようにして、

「学校見学」

 と称して。やってきたのだ。

 部長の名前は、

「近藤つかさ」

 と言ったが、どうやらいちかは、すぐに、

「兄の変貌について、気が付いた」

 ようであった。

 さすがに、小学生が中学に来るのは、本当はいけないことなのだろうが、

「来年ここに入学してくるから見学目的だ」

 ということで連れてくると、いちかは、とたんに、美術部で人気者になったようだ。

 小学生でも、すでに、初潮はあったということは、何となく分かったし、

「お兄ちゃんが、いつもお世話になっています」

 と、粛々としてお礼を言っているのを見ると、中学生もタジタジだった。

「いえいえ、こちらこそ」

 とばかりに、皆声に出して話をするのだった。

 それを聞いていると、

「本当に、お前の妹か?」

 とばかりに、妹を立てるのはいいが、兄の立場がないのは、どうにかしてほしかったのだ。

「お名前は?」

 と、つかさ部長に聞かれたいちかは、

「安西いちかと言います」

 というではないか、

「もう、いいよ」

 と、表に出ているいちかを隠そうとすると、

「おいおい、お兄ちゃんだからって、独り占めはいけないだろう」

 と、何を知っているというのか、皆そうやってはやし立てる。

「そんなことはないよ。妹はアイドルじゃないんだから」

 というと、

「いやいや、俺たちにとってアイドルだよ」

 というのを聞いて、いちかは、

「てへぺろポーズ」

 をするのだった。

 妹がアイドル扱いされるのは、嫌でもないが、自分のことではないのが腹が立つ。安西は、妹がもし、いくら自慢の妹であったとしても、自分が中心にいないと我慢できないタイプなのだろう。

 それを考えると、

「本当は、俺のアイドルは、部長なんだけどな」

 と思わず、部長のつかさをチラッとみると、それを待っていたかのように、いちかは、

「ほら、お兄ちゃん、部長さんのことが気になるんでしょう?」

 と

「どうして分かったんだ?」

 と思うほどの、その勘の鋭さから、

「頼むから、中学に入ってから、美術部だけはあ来るんじゃないぞ」

 と言いたかった。

 ただ、妹は、兄のような、インドア派ではなく、病気のようなものがあるわけではない。だから、やりたいことを、何でもできるということで、

「運動部に入るんだろうな」

 と思って栄太が、自分がこの間受けた。サッカー部のあの強引さで妹にも来られたら、たぶん、

「俺は怒り狂うだろうな」

 と感じるのだった。

 妹のいちかは、どうやら、先輩が好きになったようだ。

「私も、近藤先輩のようになりたいな」

 というのだった。

 無邪気にはしゃぐいちかを見ていて、本当であれば、

「立派な部長だからな」

 といって、いちかの背中を押すようなことがいえるのだが、どうにもいちかに、自分の本心を見抜かれてようで、素直に、言えなかった。

 本当なら、それでもいう方がいいのだろうが、それがいえないということは、それだけ、「自分がひねくれている」

 ということなのか、それとも、

「自分が先輩を見るような目で、他の美術部員が、妹を見るかも知れない」

 ということが嫌なのか、どっちなのか分からない。

 それを考えると、ふと、怪しい感情が自分の中に沸いてくるのを、感じた。

「それは、俺が、妹をオンナとして見ているということなのか?」

 ということであった。

「いやいや、そんなことはない」

 と必死で打ち消し、自分で、

「そうではない」

 と言い聞かせたのだ。

 だからなのか、いちかのことを、女としては見ていないと思うようになってから、ずっとそうだと思っていたのだ。

「確かに、小学生のいちかは、図工は好きだった。

 絵を描かせると、確かに上手に描いている。ただ、まわりが上手だということもあって、目立たないように見えた。

 だが、それは、自分がいちかの作品だということを必要以上に意識していたから、

「その他大勢」

 に見えたのかも知れない。

 それだけ、安西は、いちかのことを、本当に、

「女として意識していた」

 ということであろう。

 安西は、美術部で、ライバルがいた。

 そいつは、

「俺は部長を好きだ」

 と公言していたのだ。

「俺の方が先に好きになったのに」

 という言葉を吐きたかったのだが、それはあくまでも、

「負け犬の遠吠えだ」

 そいつの方が確かに入部してきたのは遅かった。しかも、入部の時から、明らかにつかさに対しての視線が、おかしかったのは分かったのだ。

 だが、その視線を見た時、思わず、

「俺もあんな視線で入ってきたのだろうか?」

 と思うと、恥ずかしくなってきた。

 だから、安西がそいつに向かって、何も言えるはずはなくて、ただ、黙っているしかなかった。

 ただ、その視線の先にある、つかさを見ていると、

「ああ、こんなやつの視線を浴びなければいけない部長は気の毒だ」

 と、自分のことを棚に上げて、そういうしかなかったのだ。

 ただ、もう一つ気になったのが、この間、妹が、部に遊びん位来た時、その男の視線が、部長に向けられていたのと同じ視線だったことである。

 自分たちの中でも特に、思春期に出てくる症状が顕著なやつだったので、下手をすれば、

「気持ち悪く見える」

 というやつだった。

 もちろん、思春期を通り越した人から見れば、そいつだけではなく、

「俺たちも同じ目で見られているのかも知れない」

 と思うと、そいつばかりのことを気にはできなかったのだ。

 思春期になってからの、安西は、

「人のことが気になるのだが、その時に一緒に、つい自分と比べてしまう」

 という癖があった。

 そのくせがあるせいか、

「どうしても、誰か嫌なやつがいても、何も言えないことで、自分を腹立たしく思えてくるのだった」

 しかし、やはり、その男も、安西も、つかさから見れば、

「相手にしてもらえるような男ではなかった」

 ということなのか、数か月して、先輩には、格好のいい彼氏ができたのだ。

 まわりは、

「お似合いにカップルだ」

 といっているが、安西の気持ちは実に複雑で、

「祝福しよう」

 などという気落ちになれるわけもなかった。

「あいつはどうなんだ?」

 と思って見ていると、確かに数日は、悔しさが前面に出ていて、

「これ以上ない」

 というくらいに、つかさを睨みつけていたが、つかさは、その視線をわかっているのかいないのか、まったく意識はしていなかった。

 そのうちに、もう、やつは、つかさに視線を送ることはなかった。そのかわり、やたらとまわりを気にするようになったのだ。

 その視線は、実に気持ち悪いものだった。

「失恋したやつが、次の彼女を探そうと、まわりを見ているかのようだった」

 確かに、やつの視線は、熱いものがあり、部長に向けられていた視線と同じような視線を、まるで、

「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」

 とばかりに、まわりに向けられるのだった。

 その視線を見ていると、

「俺は今まで部長しか見ていなかったが。こうやって見ると、皆可愛いじゃないか?」

 ということで、今度は、

「いろどりみどり」

 とばかりに、見つめている視線を、自分でも感じていると思えたのだ。

 見られている女性の反応は様々だった。

「まんざらでもない」

 と思っている人、

「何、あの気持ち悪い視線」

 と感じている人、安西から見れば、よく分かる気がした。

 それもそのはず、

「あいつの視線だから」

 という意識があるから、

「嫌な視線だ」

 と感じたのだろうが、やつの視線は、何も珍しいものでもない。

「他の男性と同じ視線」

 ということで、女性の反応は、何もその男にだけするものではなく、同じような視線を浴びせてくる男性に対してと同じことだった。

 つまり、

「彼女たちの性格が、現れていただけだ」

 ということになるのを感じていたのだ。

 それを考えると、

「俺にとっては、つかさはつかさなんだ」

 ということで、つかさにいくら彼氏ができたからといって、他の女性に目が行くということはなかった。

 ただ、その割に、

「悔しい」

 という気持ちは不思議と少なかった。

 だからといって、

「おめでとう」

 という気持ちにもなれない。

 それは逆に、

「悔しい」

 という気持ちと、

「おめでとう」

 という気持ちがそれぞれあって、お互いに打ち消して、相殺しているという気持ちの表れなのではないか?

 とも考えられるのだった。

 妹のいちかは、その半年後、公言通りに入学してきてから、美術部に入部した。

 安西としては、いちかの入部に関しては、

「半分半分くらいの確率かな?」

 と思っていた。

 本当だったら、

「妹のことだから、運動部に入部したかも知れないのにな」

 と思った。

 それは、まだ二人が、小学生の低学年だった頃、オリンピックで水泳を見て、

「私、水泳選手になりたいわ」

 と言っていたのを聞いて、

「そっか、妹は水泳をするんだ」

 と思ったものだった。

 というのも、兄である自分が、喘息で運動ができないということで、

「その分、妹が頑張ってくれるんだ」

 という思いがあったのも事実だったが、自分も一緒に水泳の試合を見ていて、

「決して妹とは違う意識を持っている」

 ということはないと感じていたことを、中学2年生のその時だったら分かる気がするのだ。

 あの時の水泳選手は、輝いていた。それは、

「自分たちにはできないことをやった」

 ということで、表彰されるのは当然のことだろう。

 だから妹も、素直に、その選手を見て、憧れを持ち。

「私もあんな風になりたい」

 と感じたのだろう。

 だが、実際には、そんなことはなかった。妹のその時の気持ちは、尊重されるべきものなのだろうが、兄である安西は、その時、まったく違った意識を持っていたことを、いまさらながらに思い出すのだ。

「表彰されて、ちやほやされて、羨ましい」

 という思いがあった。

 しかし、

「俺には、あんな風にはなれない」

 と思ったのだが、それは、

「喘息があるからだ」

 と思った。

 しかし、喘息があるからといって、

「俺にはあんな風にはなれない」

 と感じたのだが、実際には、

「元々身体を動かすことが嫌いだった」

 というのを、完全に、

「喘息のせいだ」

 ということで、言い訳にしている自分がいるのを、感じていた。

 それは、複雑な心境だったのだ、

「喘息があるから、やらなくてもいい」

 しかし、

「それが言い訳であり、まわりはごまかせても、自分をごまかすことはできない」

 ということであり、そんな思いを、自分で同消化すればいいのか分からなかった。

 妹は、そんな兄とは別に、単純に選手を見て、

「羨ましい」

 と感じ、

「自分もあんな風になりたい」

 と思ったようだ。

 だから、小学校でも、水泳は得意であり、水泳大会の選手に、いつも選ばれていて、複数競技に出ていたのだった。

 水泳ができるようになると、

「中学では、水泳部に入ろうかな?」

 と、まだ3年生の時から言っていた。

 ただ、それからはあまり言わなくなったので、

「水泳熱が冷めたのかな?」

 と思っていたが、そこは、本人の気持ちであり、どう感じているのかは、兄であっても、まったく分からなかった。

 いちかは、水泳部に顔すら出していないようだった。

 これは後で聞いた話だったが、小学生の頃に、同じクラスの女の子で、水泳が得意な女の子がいたという。

 その子は、確かに選手としての素質もあったようで、本人は、

「いずれは、水泳でオリンピックを目指したい」

 ということを言っていたらしいのだが、どうも、一度も一位になったことがないという。

 その前に立ちふさがったのが、いちかだというのだ。

 いちかは、そのために、

「いわれのない苛め」

 と受けたのだという。

 ちょっとしたことで、その子のグループから嫌がらせのようなことを受けていたのだ。

 いちかは、その理由を正直分かっていなかった。苛めの首謀者はその子だと―いうのはわかっていたが、

「まさか理由が水泳だったなんて」

 ということで、六年生の頃から、学内の水泳大会に、立候補もしなくなったのだ。

 その時から、水泳が、一気に嫌いになった。

 正直いうと、そこまで好きだったわけでもない。

 小さい頃に見たオリンピック選手へのあこがれは、すでに消えていたのだ。

 だからといって、何か、

「他のことをやりたい」

 という気持ちにもならなかった。

 ただ、中学に入れば何か他のことをしてみたいという思いはあったようで、それが、兄が始めた美術だったというわけだ。

 いちかは、美術関係のことが、好きでも嫌いでもなかった。

 どちらかというと、

「嫌いではない」

 というくらいであろうか。

 だから、何かのきっかけさえあれば、

「美術をしてみたい」

 と思っていたのだ。

 だから、小学生の取、

「美術部を見てみたい」

 と思ったのは、それが理由だったのだ。

 兄の安西が憧れている部長のつかさを見ると、

「なるほど、これなら、兄貴が惚れるわけだ」

 と思ったのだ、

 何と言っても、女の自分が惚れたのである。

「憧れの先輩」

 という意識は、兄弟ともに一緒ではあった。

 いちかにとって、

「憧れは、美術と部長」

 ということになっていたのだ。

 そういう意味では、

「ただ、部長に憧れて入部しただけの、俺よりは、マシなのかも知れないな」

 と安西は思っていたが、ただ、それは、安西としても、無理もないことであった。

「喘息がある」

 ということで、運動部は断念しなければならない。

 ただ、それは表向きで、そもそも、身体を動かすことは好きではなかった。

「汗と涙の青春」

 などという、

「臭い青春時代」

 だと思い、最初から運動部は眼中になかったことだろう。

 それを、

「喘息のため」

 ということで、あたかも断念したかのようで、

「いい、理由ができた」

 とある意味、ほくそえんでいたということである。

 ただ、喘息というものが、そんなにも、大きな影響があったとは思ってもみなかったので、

「実は、本当は運動をしてみたい」

 という気持ちが、

「心のどこかにあったのではないか?」

 とも、どこかで感じるのであった。

 だが、その気持ちを、きっぱりと遮断してくれたのが、例の、

「サッカー部と揉めた事件」

 だったのだ。

 サッカー部というのは、男の子なら、

「憧れの部活だ」

 といってもいいだろう。

 昭和の頃なら、野球部が花形だっただろうが、平成からこっちは、サッカー部も、その双璧の一つを担っていることだろう。

 子供が大人になってなりたい職業の中に、昔であれば、

「野球選手」

「サッカー選手」

 というのは入っていたらしい。

 だが、今の時代は、そんなことはないという。

「ユーチューバー」

 なるものが、一位になったりしているのだ。

 なぜ、

「ユーチューバー」

 なのだろうか?

 やはり、自分で企画して、演出から撮影まで行って、アップするというところに、

「創作」

 ということが、意欲として、芽生えるからなのではないだろうか?

 それを考えると、

「ユーチューブ」

 というのは芸術で、映像作品という、芸術を自分で生み出すということで、しかもそれがバズったりすれば、大金が入ってくるなどということになれば、これほど嬉しいというものはないだろう。

 だから、安西は、

「絵や工芸などを、自分の生業にしよう」

 という気持ちがあるわけではないようだ。

 どちらかというと、

「絵が好きだ」

 というわけでもなく、ただ、

「部長がいれば、癒しを感じながら部活ができる」

 と思ったからだった。

 自分にとっての部活というのは、元々、

「不純な動機から始めたものだ」

 という意識があったので、

「どうせ、ユーチューバなどになれるわけもない」

 とは思っていたが、

「創作」

 ということが、

「自分がやりたいと思っていることだったのだ」

 ということは感じるようになっていたのだ。

 だから、

「部長が気になった」

 という不純な理由だけではなく、

「創作というものに、興味があった」

 というのが、動機の両輪だとすれば、

「こちらを表に出していきたい」

 と思うのだった。

 だから、

「部長が気になって」

 という理由は、

「墓場まで持って行くか?」

 という気持ちもあったようだが、それを許さなかったのは、

「いちかに看破されたからではないだろうか?」

 ということであった。

 いちかも、最初こそは、

「兄貴が好きになった女性って、どういう人な人なんだろう」

 という思いで、中学の美術部を見にきたのだった。

「さぞや、キリッとした女性なんだろうな」

 と思っていたが、確かに、部長は、

「キリッとした態度を取れる女性だ」

 ということに違いはなかった。

 しかし、いちかが思っていたタイプの女性とは違い、正直。

「あれ?」」

 といちかは思ったようだ。

 その理由としては。

「あれ? お兄ちゃんの好みのタイプって、こういう女性だったっけ?」

 と思ったのだ。

 いちかは、まだ小学生であったが、すでに思春期に入っていて、すでに、初潮もあったという。

 さすがに、おおっぽらに家族の誰もが公言したわけではないか、その日は、

「赤飯に、鯛の尾頭付き」

 だったのだ。

 しかも、主役はいちかだったようで、

「まるで、水泳大会に優勝でもしたのではないか」

 と思ったほどだった。

 だが、その頃には、すでにいちかの中で水泳熱は冷めていたようで。苛めの標的になっていた。

 そんないちかへの苛めは、すぐになくなったという。それは、苛めのそもそもの原因としても、

「首謀者による、いちかへの嫉妬がなくなってきたのだ」

 といえるだろう。

 いちかに対しての嫉妬や怒りは、あくまでも、

「水泳をしているいちかだった」

 ということなのに、気が付けば、いちかを誰も攻撃することはなくなったのだった。

 というのも、肝心のいちかが、

「水泳大会にも出てこない」

 ということだったからだ。

 彼女たちからすれば、

「自分たちの苛めから、大会に出てこなくなった」

 と思ったようだが、それ以前に、水泳熱は冷めていたということだ。

 水泳大会には出ていたのだが、それは、

「誰かが出ないと、選手が決まらない」

 ということで、下手をすれば、ホームルームの時間を延長してでも決めかねないという状態は嫌だった。

 それは、いちかだけでなく、他の生徒も同じだった。

 だから、

「どうせ誰も立候補なんかしないんだから」

 ということで、必然的にいちかだけになっていた。

 最近では、ライバルと思しき彼女が立候補するので、別にいちかは出なくてもいいのだろうが、

「出ないといけないような雰囲気に、すでになっていた」

 ということであった。

 水泳大会は、いちかにとって、

「好きでも嫌いでもない」

 というくらいの曖昧なもので、

「選手として選ばれたのであれば、一生懸命にやるだけだわ」

 と思っていたようだ。

 しかし、やってみると、何が楽しいというのか、

「中学に入ってまでやることではないわ」

 と思っていた。

 だから、ライバルによる嫉妬が、

「苛め」

 に発展するなど、思ってもみなかったことであった。

 そこで、

「じゃあ、中学に入ったら何をするか?」

 と考えた時、

「兄貴の美術部なんて面白そうだわ」

 という思いがあったのだ。

 だから、美術部見学を言いだしたのだし、

「ついでに、兄貴が好きになったと言われている、部長さんを拝んでみようかしら」

 と思ったのだ。

 確かに、

「この時の、安西が好きになった部長を見にいく」

 というのは、

「ついで」

 だったのだ。

 いちかにとって、一番の優先順位は、

「美術を志していいのか?」

 というのを、

「小学生の目から見てみたい」

 ということだったのだ。

 実際に見てみると、

「なるほど、これは嵌ってみたいかも知れないわ」

 と感じた。

 その一番の理由は、

「皆、作品を前にしている時の、真剣なまなざしは、本当によく似ている」

 と感じた。

 一人一人は、まったく違う顔なのに、真面目に取り組んでいる顔は見分けがつかないくらいであった。

 それを思うと、

「一所懸命にやある姿に、個性はないが、その分、作品に個性が込められている」

 と、いちかは感じた。

 いちかが、

「創作ということの面白さ」

 というものを感じたのが、この時だったわけである。

 ただ、この思いは、いちかだけではなく、兄の安西も感じていた。

「創作というものが、どれほどのものか?」

 ということの全体像は分かっていない。

 しかし、小学生のいちかに分かるのに、すでに入部して、先輩たちを見ていると、自ずと分かってくるものであった。

 しかし、まさか、まだ小学生で、入部もしていない妹が看破していようなどと、思ってもみなかった。

 だから、中学に入ってから入部しても、途中で嫌だとも思わなかったこともあって、

「俺がやりたかったことって、これだったんだな」

 と感じるのだった。

 この思いは、

「部長と一緒にいられる」

 という思いではなく、もっと大きなものだったのだ、

 確かに部長と一緒にいて、安心するという気分になるのは、何といっても、部長には、

「癒し」

 というものがあるからだった。

 しかし、癒しというのは、

「一生懸命に何かをこなして、その後に訪れる満足感であったり、達成感というものを自分の中で、盛り上げる作用がある」

 というものではないかと感じるのだった。

 だが、それでも、

「部長と一緒にいる」

 と感じる感覚は、どうやら、錯覚のようであった。

「部長が、自分のことをどう感じているか?」

 ということが気にならないわけではない。

 「部長と一緒にいる」

 ということよりも、

「一緒にいられる」

 という穂が、強かったようだ、

「一緒にいる」

 というだけでは、その思いが、

「招いた結果」

 というわけではないように思うのだ。

「一緒にいる」

 というのは、あくまでも偶然の産物であり、

「望んだこと」

 なのかも知れないが、あくまでも、結果論を口にしているだけである。

「一緒にいられる」

 というのは、完全に望んだことであり、

「偶然」

 というわけではなく、思惑が達成されたということで、

「少なくとも、気持ちに強いものがあった」

 ということになるのであろう。

 では、

「どちらが癒しというものなのだろうか?」

 ということを考えてみたが、

「一緒にいられる」

 という方ではないかと思えた。

 本来であれば、この言い方は、受け身の形なのに、自分の意識が望んだことということで、

「無意識だった」

 といってもいいことであろう。

 だが、美術に対して親権に取り組むようになって、部長と。、

「一緒にいられる」

 という気持ちが微妙に感じられるようになったのは、

「部長との距離」

 を感じたからだった。

 部活で、

「描いている絵が、自分の中で、納得がいく」

 ものになってきたことで、つかさとの間に、

「適当な距離感」

 を感じたのだ。

 その距離感は、

「違和感」

 だったのだ。

「近づけば近づくほど、相手が離れて行く」

 あるいは、

「こっちが離れれば、向こうがついてくる」

 というその距離は、お互いに、

「交わることのない平行線」

 というものを描いているようで、

「永遠に交わることはないんだな」

 と思うと寂しい気がしたが、どこか、ポッカリ開いたはずの穴が、どこにあるのかすら分からない状態にすぐになっていたのだ。

 というのが、

「妹のいちかの存在」

 だったのだ。

 いちかの目は、小学生の頃までは、自分に向いていた。

 いや、

「向いていたはずだった」

 といえるだろう。

 それがあまりにも自然なことだったので、違和感がなかったのだが、中学に入って、癒しを与えられる部長と、

「交わることができるかも知れない」

 と感じたが、それが錯覚だったと分かった時、

「自分には、妹がいる」

 と感じた。

 まさか、

「部長の代わりになる」

 などということを感じたわけではなかった。

「部長とは、明らかにいちかは違うのだ」

 ということだったのだ。


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