11月1日

 天気は、大雨。湿気も多く朝からジメジメしていた。

 今日も祈るような思いで教室を開ける。しかし、席にみちかはいなかった。これで一ヶ月近く、休んでいる事になる。絶対におかしい。

 教室の時計を見てみると、朝礼まであと五分あった。僕は迷わず職員室に向かってダッシュした。

 職員室に着いた頃には、息が少しあがっていた。それでも手早く、職員室の扉を開ける。

「室井先生はいませんか」

 室井先生は、僕のクラスの女の担任の先生だ。

 室井先生は僕に気づくと、走って僕の元まで来てくれた。

「どうしたの、もう朝礼始まるけど」

「みちかは、なんでこんなに休んでいるんですか」

「みちかちゃんは……外に出たくないって彼女のお母さんから聞いているよ」

「不登校……」

 室井先生は無言で頷く。

「みちかちゃんの家まで行って話聞きに行ってもいいですかってお母さんに聞いたんだけど、今は誰にも会いたくないから来ないでくださいって」

誰にも会いたくない、か。その言葉を聞いて、心臓がずきんと鳴った。

「よかったら、放課後、みちかちゃんの家に行ってみて。せいや、最近みちかちゃんと距離近かったもんね」

「勘弁してくださいよ」

 そもそも家がどこにあるかなんて知らないし、そもそもあいつが誰にも会いたくないんだったら、ただ待つしかない。

 教室に戻り、自分の席についた。

 もう殺人未遂の女はいないのに、なんで学校を休み続けているんだ?

 今日も一日、みちか不在か……つまらないな。連絡先、聞いとけば良かったな。

「せいや、大丈夫? 最近調子悪そうだけど」

 朝礼があと数秒で始まるというのに、にいさはわざわざ僕の席まで来て話しかけてきてくれた。

「にいさ、ありがとう。確かにちょっと体調悪いかも」

 みちかがいなくなるだけで、こんなに……僕、無意識のうちにあいつの事を求めちゃっているのか。

「あれ、せいや、机の中に」

 にいさに言われて、机の中を覗いてみると、手紙みたいな物が入っていた。

 その手紙を広げて読んでみた。

 



 今までありがとう。どうか無事な生活を。さようなら。

 

  みちかより

         




 これを見た瞬間、自分の鞄を担いで大急ぎで教室を飛び出た。

 廊下で、教室に向かっているであろう室井先生と出会した。

「あれ、せいや? どこに行くの。もう朝礼……」

「先生! 今日僕遅刻で!」

 とにかく、全力で下駄箱へ向かった。

 みちか、なんで? お前は何も悪くないだろう。

 なんか闇が深そうなみちかなら、と最悪のシナリオがずっと頭の中で渦巻いていた。

 靴を、かかとを踏みながら履いて、ケダモノの山へひた走った。強い雨が降っていて、一粒一粒の雨がひんやり冷たい。

 山の入り口に着いた時点でもう体力は無かったが、一分一秒を争う闘いだったので休まずに山の階段も一段飛ばしで上がっていった。持ってきていた鞄からスマホのバイブ音が聞こえるが、出ている暇はなかった。

 一気に駆け上がり、頂上についた。そして、続いている平らな道も走った。

 やっぱり。

 崖の近くに、みちかが立っていた。

「みちか!」

 ぴくっと彼女の肩が動いた。

「みちか、こんな所にいたら風邪引くよ」

 前みたいに彼女の手を引っ張って助けたかったが、今回は彼女が本当に落ちるギリギリな際に立っているから、安易に彼女の体を動かしたくなかった。

「やっぱり、お前はあの時もここで死のうとしていたのか」

九月の序盤、僕がケダモノの山を登った時に出会った一人の女子、その女子は崖に咲いている花がきれいだからこの崖に近づいた、とその次の日に聞いたが、それは多分フェイクだ。みちかはあの日に死のうとしてたんだ。

「みちか、お願い。悩みがあるなら僕が聞く」

「せいや、本当に感謝している」

 僕の全身が鳥肌になった。今までに聞いたことのないような冷徹な声だった。

「私、今両親がいないの」

「え」

「私が原因で離婚した。お父さんが私を育てるために家に残ってくれたけど……私のミスで死んじゃった」

 みちかは決してこちら側を振り返ろうとしない。彼女の背中には、あの腹黒女とまた違う狂気を感じていた。言葉を返してあげたかったが、何と返事をすればいいのか分からない。

「おばあちゃんの家に引き取られて、今年からこの高校に通う事になった。私はここで悲しみを見せまいと最初は無理に明るく振る舞っていたけど、それが他の女子にとってはうざかったみたい」

 三年前の出来事が頭をよぎり、頭痛がずきんと走った。

「でもね」

 その時、初めてみちかは、こっちを振り向いた。目から涙が溢れ出ていた。懸命に笑顔を作ろうとしていた。

「私、嬉しかったの。守田せいやは女子に対してガードが強いって聞いていたから、彼は女子の事嫌いなのかな、って思っていたけど、自殺しようとした私を無言で助けてくれたのはそんな彼だった」

 みちかの表情は苦しそうであり、どことなく嬉しそうだった。僕は、そんな彼女の表情を直視する事ができない。

「助けてくれた彼の瞳は純粋で明るかった。にごりが微塵も無かった。この人なら、私を救ってくれると思った」

 「そう、僕は君を救う。たからお願いだよ! いつものように喫茶店で話そうよ!」

 みちかは、顔を崖の方に戻した。本当に自殺するつもりだ。多分、何を言っても彼女の心には響かないだろうし、強引に助けれるほど、足場は安定していなかった。

 いやだよ。まだみちかとやれていない事はたくさんある。パズルだって完成していないし、ご飯だっていまだに一緒に行った事がないし、キスもまだ……。

 もう彼女を助ける事はできない。だったら、僕がする事は一つしかない。

 僕はみちかの元へゆっくりゆっくり近づき、後ろから慎重に手を回した。みちかを包み込むように優しく抱きついた。彼女の肩がぴくっと動いた。

「何するの」

「一緒に逝くよ」

 みちかは、はっと顔をこっちへ向けた。

「駄目だよ! せいやは生きて!」

「みちか、ごめん」

 えっ、と彼女は小さい声を発した。

「僕、みちかの事、何も見ていなかった。何も見ようとしなかった」

 僕は、みちかが体験した苦痛を知らない。でも、彼女はこの世界にいる限り、いつまでも救われないだろう。

「自分だけ満たされようと思って、みちかの事はなんにも考えていなかった」

 僕は、みちかの愛情だけを受け取り、それを彼女に還元する事はしなかった。

「だから、最終的に君を追い詰めてしまった」

 あぁ、というため息混じりな声が聞こえた。

 初めて愛情を教えてくれたみちかに、今その愛情を何倍にもして返す時だ。僕はみちかと共にあの世へ逝く。

「せいや、ありがとう。大好き」

 そう言った瞬間、みちかは僕を強く押して、引き離した。

 おい、嘘だろ。

「さようなら」

 みちかは僕に、今までで一番の笑顔を見せて、一人で崖から飛び降りた。

 雨音で聞こえにくかったが、彼女が飛び降りた数秒後、どんという音が聞こえた気がした。

 僕はしばらくの間、誰もいない崖を茫然と眺めていた。

 引き離したのは彼女の、愛情、なのか。もし仮に、僕を生かそうとしたのが、みちかの愛情なら……。

 ぷぎっ

 そんな音が聞こえたので、後ろを振り返ると、イノシシがこちらにゆっくり近づいていっていた。

「ちょうどいいかも」

 みちかは今死んだ。初めて、愛情を教えてくれた人が死んでしまったんだ。それに、愛情は必ずしも僕を救う物ではないということも分かった。そんな人生、生きていたってつらいだけだ。

 僕はイノシシに向き合い、ゆっくりと目を閉じ、身を委ねた。

 会ってまだ二ヶ月ぐらいしか経っていないのに、愛情を僕に教えてくれてありがとう、みちか。これからも一緒に……!

「せいや!」

 自分を呼ぶ声が聞こえて、目をぱっと開けると、こっちに向かっていたイノシシが倒れていた。

「せいや、大丈夫か」

 にいさがライフルのような長い銃を持っていた。それは? と小さく呟くと、にいさは答えてくれた。

「今日、ようやく完成した。前の拳銃よりかは射程距離が長い」

 急に僕の膝ががくんと落ちた。その様子を自分で見て、僕は気付いた。

「にいさ、ありがとう、ありがとう」

 やっぱり死ぬのは怖かった。にいさに助けてもらい、安心した。と、同時に、みちかが死んでしまったショックがどんと再びのしかかった。頭が本当に痛かった。

「せいや、大丈夫か?」

「みちかが死んだ」

「は」

 にいさは、ありえない、と言いたげな顔で僕を見つめていた。

「みちかはどこにいるんだ」

「その崖から飛び降りた」

 それを聞いた瞬間、にいさは、はぁと息を吐いた。

「そんな事だろうと思って、まさきをこの崖の下にいるように言っておいた」

「え、なんで」

「せいやがみちかの事で教室を出たのは大体予想がついた。僕はとりあえず、まさきと共にせいやの後についていったが、お前がケダモノの山に無防備で入って行くのが見えて。みちかも多分精神状態やばかったろうし、せいやが急いでいるのも鑑みて、まさきを、唯一自殺が可能そうな崖の下へ配置した」

 まぁ、この崖、自殺できるほどの高度はないんだけどね、とにいさは小さく付け加えた。

 視界が急に明るくなったように感じた。

 雨音に紛れ、小さな着信音がどこからか聞こえてきた。

「まさきから連絡きた」

 にいさはそう言ってスマホを取り出し、しばらく画面を眺めていた。

「みちか、もう救急車に乗せてもらって病院に向かったって」

 迅速、っていう物じゃない。まさきはあらかじめ救急車を呼んでいたのか? まだみちかが自殺するとは二人は確実には分かっていなかったろうに。

 僕は、何かを求めるように、にいさの顔を見つめると、にいさは微笑んだ。

「僕たちの友情は深いだろう。お前の考えている事ぐらい分かる」

 その瞬間、ずっと我慢していた涙が溢れて出し、泣き止みたくてもなかなか止まってくれなかった。

 

 

「せいや、今日も来てくれたんだね」

 放課後、いつもの喫茶店に行くと、パズルの板とピースが既に用意されていた。

「みちちゃん、朝ここに来て、せいやが来たらこのパズルを解かせてって」

 僕は何の返事もせずに、席に座り、パズルをやり出した。

 


 時計を見ると、いつの間にか一時間が経っていた。

 半分近く残っていたピースを全部埋め、パズルが完成していた。パズルによってできる形は、前から分かっていた。

「みちちゃん、このパズルが完成する時には守田くんと仲良くなっているかな、って九月に呟いていたなー」

 こんなん、一人で完成させたって意味ないだろ。

 僕は出来上がったパズルを、地面に思い切り叩きつけた。ピースがばらばらに散らばる。

 

 

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