9月5日

「にいさって恋愛経験あるの?」

「恋愛経験、はないし、したいとも思わない」

 そもそも、女子に好かれない気がするけど。

「お前の事好きになる女子なんてそもそもいないだろう。お前変人っていう自覚はないのか?」

 まさきがそう言い出した。僕の考えている事と同じで、心臓がびくっと鳴った。

 僕達は、毎日学校の校門の前に待ち合わせをしていて、教室まで一緒に話しながら行っていた。ちなみに、にいさ、まさき、僕は三人とも同じクラスだ。

「おっはよ!」

 まさきは教室の扉を開けると、大きな声でそう挨拶した。おはよう、とちらほら返しの挨拶も聞こえてきた。陰気な僕とにいさは何も言わずただただ顔を下に向け、自分の席に向かった。

 席に着いた頃には、朝礼まであと二分だった。今日はだいぶギリギリだった。

 まぁ、いつもの事だけど。

「守田くん、おはよ」

 どっかで聞いた事があるかわいらしい声が隣の席から聞こえてきた。隣の席の方を見ると、心臓がどくーんと鳴った。

 一昨日、ケダモノの山に上がった時にいた女子がいた。

「放課後時間ある? 屋上に来てくれない?」

 終わった、殺される。

 

 

 人間の時間感覚とは不思議だ。

 例えば、楽しみな時間がある時、その時間になるまで本当に遅く感じる。でも、嫌な時間がある時、その時間はすぐに来てしまう。

 終礼が終わり、隣に座っていた女子はすぐに教室を出ていった。

 僕も掃除をすぐに終わらせて屋上に向かった。

 僕はこの一日、放課後にどう行動をとるのかシュミレーションをしていた。あいつと一定の距離を保つ。あいつが包丁を見せたら思い切り逃げる。最悪の場合にはあいつと格闘をする心構えもできていた。

 それにしても、まさかあの殺人鬼が同じ学校、同じ学年、同じクラス、そして隣の席にいたなんて。なんて思っていたら屋上の扉の前まで来ていた。

 屋上の扉をゆっくり開けて、まず目の前に彼女がいないか確認した。いなさそうだ。

 次に、扉の周辺にいないか、と顔を少し扉から出して調べた。いなさそうだ。

 扉を大きく開け、外に出ると、屋上の広大なスペースの中央に例の女子がいた。

 近づいていくと、僕の姿に気づいたらしく、手を小さく振っていた。

「何か用?」

「え、なんか冷たくない?」

「いや、別に」

 怖かった。今、彼女が見せている笑顔がとても不気味に見える。

「私、みちかって言うの。一昨日は助けてくれてありがとう」

「え、怒ってないの」

「え、逆になんで?」

 みちかは、にっこりしながら穏やかに答えた。

 もしかして、僕の勘違い?

「一昨日ね……崖の近くに珍しい花が咲いていたんだよ。それに見入っちゃって」

「そすか」

 人とは、一度物事にあるレッテルを貼ってしまったら、なかなかその認識から逃げれない事がある。

 今思い返してみると、別にあの女子、みちかという人が僕を殺す動機なんかほとんど、いや、全くなかった。

 いいや、そんな事はどうでもいい。僕は今、とにかく安心していた。まだ生きていられる事に喜びを感じている。生への有り難みだ。

「私はあんまり、クラスの男子の名前覚えていないから、守田くんの事は、顔は知ってたけど、名前は知らなかったの。守田くんも私の事は知らなかったよね」

「なんでだよ」

「今日、私を見た時、すごい驚いた顔してたじゃん。それに、一昨日私が名前を聞いた時に、守田くんが言った台詞が」

 そう言って、みちかは急に笑い出した。この女子、確かクラスでは無口だったはずなのに、二人きりになった瞬間、急におしゃべりになるじゃん。にいさと同じ人種か。

「あの、もう帰っていいですか」

 今日は、放課後まさきの家に遊びにいく予定だった。今日殺されるつもりだったので断っていたが、用事が済んだら来てくれと言われていた。

 みちかは、一昨日の礼を言いたくて今日僕をここに呼び出したのだろう。だからもう帰してくれると思っていた。

 ただ、みちかの返答は意外だった。

「えっと、少しだけ時間くれない?」

「は、いや僕、予定が」

「いいからちょっとだけ、十分ぐらいで終わるよ」

 にいさと同じだ。



 僕とみちかは校舎に戻り、下駄箱に向かった。当然だが、校舎の中には、たくさんの生徒がいた。男女二人でいて、時々刺してくる視線がとても痛かった。

 靴を履き校門を出て、そのまま真っ直ぐ三分、僕たちは無言で歩いていった。

「ここ」

 みちかは、うすい青色のペンキが塗られた小さい建物の中に入っていった。

 ここ、僕が行って大丈夫なのか。古い。

 ?! もしかして、みちかはここで僕を殺すつもりなのでは。

 ゆっくりとドアを開けて中を見ると、そこは喫茶店だった。横一列にカウンター席、端にはテーブル席もあり外の外見の汚さとは対照的にとても清潔感のある店だった。

 みちかはもう、玄関の前にあるカウンター席についていた。

「お、みちちゃん、彼氏できたのか、めでたいな」

 カウンターには、痩せ細った男性の店員が立っていた。

「違う、友達友達。守田くん、ここに座って」

 そう、みちかは隣の席のイスを引いた。僕は言われた通りそのイスに座った。

「早速なんだけど、守田くんに頼み事があるの」

「それってどういう系? 体張る系?」

「私を何だと思っているの……放課後毎日、ここで私と一緒にパズルを解いてほしい」

 パズル? パズルってあのピースがいっぱいあるあの?

「一人で作れないの?」

 反語の意で聞いたのに、みちかはこくんと頷いた。

 彼女は自分の鞄から小さいダンボール箱を取り出した。そこから、パズルのボードと何十、何百ともあるだろうピースをカウンターの机の上に置いた。

「ね? きついでしょ」

 みちかは、真剣に僕の目を見つめていた。それでも、やっぱりだ。

「あの、なんで僕が」

「ワタシニキヅイテクレタカラ」

「は? 今なんて?」

「いいからいいから! ほんとうのお願い!」

 僕は逃げるように喫茶店の扉を開けて、外を出た。なんか、面倒くさい事が始まろうとしている気がするのは気のせいかな。

 そのまま、まさきの家に向かおうと歩き出した時、誰かに肩を掴まれた。

 殺される!

 と思ってゆっくり振り向くと、さっきの店にいた店員さんがいた。

「あの、守田くん? でしたっけ。みちちゃんの事をよろしくお願いします」

 そう頭を僕に向かって下げた。

「私、みちちゃんの従兄弟です。あの子、確かに強引なとこがありますが、悪い奴ではないので、どうか彼女のお願いを聞いてくれませんか、お願いします!」

「は、はい。分かりました」

 やば、口が滑った。

絶対に店員さんの方が年上なはずなのに、年下の僕にこんなにも一生懸命にお願いされることに耐性が無かった。

 なんなんだよ、みちかっていう女子とこの店員さん、僕たち今会ったばかりなのに。意味が分からない。

 

 

 それから僕は、毎日あの喫茶店に通って一時間だけ、パズルをみちかと共にした。学校でも喫茶店でも僕たちは、そこまで会話をする事もなく、パズルをする時も必要最低限の事だけ話して雑談をする事はなかった。

 本当に、みちかが僕にこんなお願いをした意図が全く分からなかった。

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