第22話

 ラウタヴァーラ公爵家の嫡男として生まれたニクラスは、金銭目的や脅迫目的で誘拐されることが多かった。北に位置するこの国では子供の死亡率が高く、子供が八歳を越えると親はようやく一安心となるのだが、ニクラスは八歳になるまでに六回、十二歳になるまでに四回と、合計十回ほども誘拐されたことがある。


 ラウタヴァーラは公爵家という地位を使って他国との貿易で富を増やしているし、辣腕家と言われるニクラスの父も色々なところで恨みを買っていたのだろう。ただ、後から冷静になって考えてみるに、ニクラスが誘拐されたのは公爵家の事業や父だけが理由ではなく、母パウラが原因だったということも多かったのだ。


「あんたの母親の所為で!あんたの母親の所為で私の娘は死ぬことになったのよ!だからお前も死んでちょうだい!あの女に同じ思いをさせたいのよ!」


 そう言われて首を絞められたことだってある、水中に顔を沈められて死にかけたことだってある。ギリギリのところで救出をされた時に、

「ニクラス、お母様は何も悪くないんだ。誤解をされているだけなんだよ」

 と、父が言い出したので、

「そうか・・お母様は誤解をされやすい人だから・・」

 と、ニクラスは思い込むことになったのだ。


 ニクラスの母は朗らかな人で家族を包み込むような温かさを持った人だけれど、周りの親族の女性たちからは冷たい眼差しを向けられることが多かった。優しく笑う美しい母に皆が嫉妬しているだけだからと父は言うけれど、その嫉妬から、ニクラスが狙われることも多くなる。


 まるで洗脳されるように『母は誤解を受けやすい人』と、思い込まされていたのは間違いない。ラウタヴァーラ公爵家の中は母を中心にして世界が回っているようであり、母が連れて来たユリアナを母が大事にしなければならないと言うのなら、大事にしなければならない人となる。


 だけど、これってどうなんだ?

 おかしくないか?何かが変じゃないか?

 オリヴェルの妻としてカルコスキ伯爵家の令嬢だったカステヘルミが輿入れして来た時にはまだ、カステヘルミこそが異物であるという感覚で居たのだが、母やユリアナが邸宅から居なくなってからというもの、世界は物凄い勢いで変わっていった。


 決定的に世界が変わったのは、カタジーナ姫が自分の妻として輿入れして来てからだろうか。ラハティ語の時にはコミカルで可愛らしい印象の姫君なのに、ルーレオ語になった途端、鋭い刃のような言葉が投げつけられて、ニクラスの全身に突き刺さっていく。


 連日のように届く母からの手紙が呪縛となってニクラスを縛り付けていたのだが、牢で拘束されているユリアナと面会をするために向かった際に、気が付いた時には自分は失神させられて、ユリアナは逃げ出した後だったのだ。


あの後、別荘でカタジーナと顔を合わせた時に、自分を拘束する鎖が解けるようにして落ちていくことにようやっと気が付いたのだ。


 今まで母が世界の中心で、母の思うままに世界は動いていったのだ。

 そこにニクラスの意思というものは関係なくなる。

 外に行けば母が干渉することはないため、己の職務に邁進することも出来るのだが、母が待ち構える邸宅へと帰ると知らぬ間に雁字搦めとなっていた。


 仕事が多忙を極めているというのに、なぜ、夕方にユリアナと二人きりで庭を散策などしなければならないのか?


「ニクラス、ユリアナが貴方に話したいことがあると言っているの。少しだけで良いから相談にのってくれないかしら?」


 そう母に言われたから、ユリアナに声をかけたら庭を歩きながら話したいと言われたから。誘われるままに庭に出て、くだらない日常の話をユリアナから聞くことになったのだ。


 ユリアナに恋心を抱いているオリヴェルが悔しそうな視線を向ける度、ニクラスは仄暗い優越感を感じて・・いや、本当に優越感など感じていたのか?口元に満足そうな笑みを浮かべてニクラスの腕に自分の腕を絡めて来たのはユリアナではないか・・


 日常を切り取ったような話をダラダラ聞くくらいなら、仕事の話でもしていたい。


「実は〜、ルーレオ王国に石炭たくさん埋蔵されている場所あるのです〜、ただその場所が辺鄙な場所過ぎるところが困るのです〜」


 そうそう、こういう話だったら率先して聞いておきたい。ラハティ王国では炭鉱がなかなか見つからず、他国から石炭の輸入に頼らなければならないのかと頭を悩ませているところだったのだ。蒸気機関車には石炭が絶対に必要となるため、共同で事業を始めたルーレオ王国で豊富な石炭が見込める炭鉱があるというのなら、どんな辺鄙な場所でも公爵家として投資をして、さっさと採掘を始めてしまいたい。


「ニクラス様〜!ごめんなさい〜!私!ニクラス様を愛しているからどうしても隣に居るあの女が許せなかったのです〜!悪気なんてないの!わかって!お願い!」


 牢屋に入れられたユリアナが大粒の涙を流しながらニクラスに訴えて来たが、そうじゃない、そういうことじゃないんだ。そういう話を聞きたいわけじゃないんだ。


 ニクラスが求めるのはユリアナのような女ではなく、才知に長けたカタジーナのような女なのだ。妾腹といえども実際にはとんでもなく気位が高く、己の人生に誇りを持っている女。そんな女がニクラスにとっては好ましい。


 何故、自分はこのような時にユリアナなんかに会いに来ているのか・・そんな疑問を感じている間に、背後から何者かに薬品を嗅がされて気を失うという失態を犯してしまったのだ。


 薬品には慣らされているためすぐに意識を取り戻したのは幸いだったが、誘拐をされ慣れているニクラスとしては、危急の事態となればどう動くべきかを頭で考えなくても理解出来ている。


 まずは公爵邸に戻るようなことをせずに街に潜り込み、情報屋を使って手に入れられる情報は可能な限り仕入れていく。どうやら面会という形でニクラスを誘い出したユリアナは、内部の協力者の手によって脱獄を果たしたらしい。


 この脱獄には長年母に仕えていた侍女頭と、母の従兄にあたるロベルトゥ・ペルトラ子爵が関わっているらしい。このペルトラ子爵がユリアナを脱獄させるために雇った人間の中に敵国オムクスの人間が居る。


 ターレス川上流の護岸工事にも、ラウタヴァーラ公爵家の名誉を失墜するような演劇の上演に関わり、今回のユリアナの脱獄を助けたのも、豊富な財力を持つオムクスの人間だというのだ。


 この人物を追いかけるために護岸工事が行われるイマトラと王都を何度も行き来する羽目に陥ってしまったのだが、ようやっと捕まえることに成功をした。


 倒れ込むオムクスの王弟を掴み上げたニクラスが兵士に王弟を引き渡すと、天幕の間から顔を覗かせたカタジーナが、

「ニクラスさーま、大丈夫ですか〜?」

 と、声をかけて来た。


 今日こそオムクスの王子を捕まえるとニクラスは息巻いていたのだが、ニクラスの妻であるカタジーナは邸宅で大人しく待っていることが出来なかったらしい。


「カタジーナ!」

 雁字搦めにしていたニクラスの鎖を断ち切ってくれた人、ニクラスが愛してやまない隣国の姫君を掻き抱くと、

「どうしてこんな所にまで来ているんだ!危ないじゃないか!」

 と、ニクラスは怒りの声を上げた。

 

「帝国の使者さん来ているとカマかけているのに、なかなか護岸工事のホウに引っ掛からなかったーので、ココデきっちり捕まえられルカ心配で仕方なかったのでーす」


ニクラスの胸に顔を押し付けたまま、カタジーナのくぐもった声が響いてくる。


「もしもオムクスの王の弟、オムクスに帰ったら、ジョアンナの性病爆弾、不発で終わりマース、それではちっとも面白くありまセーン」


 言っていることはとんでもなく酷いことだけれど、カタジーナはメソメソ泣きながらニクラスの胸に自分の顔を押し付けた。


【えーっと、その涙は・・その・・無事にエインヒッキ・ハイネル・フォン・オムクスが捕まえられたことによる安堵の涙ってこと?】


 困惑気味にニクラスがルーレオ語で問いかけると、カタジーナは乱暴にニクラスの胸を叩きながら言い出した。


【この馬鹿が!オムクスの王子を捕まえるのに時間をかけすぎだし、途中で何度か死にかけたと聞いている!どれだけ妻の私を心配させれば良いんだ!やるならもっとスマートにやれ!】


 確かにニクラスは何度か死にかけた、カタジーナを抱き上げてスマートに階段を登るために鍛え直していたから良かったけれど、あれがなかったら二度、三度は死んでいたかもしれない。

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