第18話
トルステンソン侯爵家は避暑地として利用するために幾つかの別荘を所有しているのだが、王都からも近いために前侯爵が良く利用していたのが美しい椿が咲き乱れる『椿の館』だった。
前侯爵は絵画を描くのが大好きで、冬を迎える頃になると別荘に引きこもり、大好きな椿の花を描き続けていたのだという。椿の花言葉は『罪を犯す女』。自分の息子と同じくらい年若い女性との愛を描き続けた侯爵の作品は、椿の館の倉庫に眠り続けていた。
「まあ・・なんてことなの・・」
「いや、だからその」
「破廉恥としか言いようがないじゃない」
侯爵夫人であるメイラは無理矢理『椿の館』へ連れて来られたのだが、美しい椿と共に描かれる様々なポーズをとる裸婦の絵を眺めながらめまいを覚える。ふらつく体を夫が支えると、その夫の手を払い除けながらメイラは唸るように言い出した。
「あの女が離縁された後、義父様がこの別荘で愛を育み、そうして生まれたのがパウラだって貴方は言うのね?」
「ああ、そうだ。出戻ってきた娘をどうすれば良いのかとペルトラ子爵から相談を受けた父が、一時的に預かろうと申し出た。堅物な父はあっという間に夢中になったというのはこれらの絵を見れば分かると思うんだが、その愛は非常に重いものであった為、最終的には女を殺して、自分も死んでしまったのだよ」
「義父様はノイローゼを患って自殺をしたと言っていたじゃない!」
「無理心中を図ったんだ」
ペルトラの女は不幸を招くと言うけれど、確かにその通りなのかもしれない。
「当時、侯爵家を継いだばかりの私としては、家を守るためにも、父が愛人と心中をしたことは絶対の秘密にしなければならなかった。パウラは我々の娘ということにして、子を産んだのはメイラ、君なのだとしなければならなかった。トルステンソンの墓を暴かれるわけにはいかなかったのだ」
「はーっ、なんてことかしら。だったら最初から義父様の子であると、私にだけでも言えば良かったのです。それを言わなかったということは、恐らく自分の子供の可能性もあったからなのでしょう?」
パウラの母は一世風靡をした美女だった為、メイラ自身も良く覚えている。男達を魅了せずにはいられない不思議な魅力を持った女性で、一時期は王族さえも虜としたのだ。
「貴方もまた『椿の館』で囲っている女に手を出していた。だからこそ、ビルギッタとは比較にならないほどパウラのことを溺愛していた」
メイラはため息を吐き出しながら手にした絵画を踏みつけた。
「あの女が椿を好んでいたことは私も良く知っています。椿の花言葉は『誇り』や『控えめな素晴らしさ』とも言われているけれど、とんでもない!貴方たち親子を手玉に取ったあの女も気持ち悪ければ、その娘のパウラもただの犯罪者じゃない!罪を犯した者は椿の花同様、首を落として死ねばいい」
「ああ!メイラ!なんて酷いことを言うんだ!パウラだって悪気があってユリアナを脱獄させたわけではないだろう?母のような愛で・・」
「母のような愛?母のような愛ですって?」
メイラは高笑いをしながら言い出した。
「アーッハッハッハッ!面白いことを言うじゃないですか!犯罪者に今でも同情しているなんて貴方の程度も知れたもの。ああ、おかしい、そんな考えでいるのに何故、私を『椿の館』になんて連れて来たのかしら?」
「だから、私は真実をお前に教えようとして!」
「馬鹿馬鹿しい!やめてくださらない?私、そんな新事実を知ったところで貴方との離婚を取りやめたりはしませんわよ!」
愕然とする侯爵を呆れた様子でメイラが眺めていると、
「お母様、お父様とのお話は終わったのかしら?」
と、扉の外から声がかかった。
地下倉庫の扉を開けて現れたのはメイラの娘、帝国へと嫁ぐことになったビルギッタであり、華やかな外出着を身に纏った彼女は杖をついて母の前まで行くと、杖をついていない左手を差し出しながら言い出した。
「お母様、もう良いでしょう。私と一緒にいきましょう」
「ビルギッタ!お前からもメイラに何とか言ってくれ!私はメイラと離婚などしない!メイラとてその年齢で離婚となっても困ることになるだろう!」
「まあ!お父様!面白いことを言いますのね」
ビルギッタは面白くて仕方がないといった様子で笑い出す。
「ターレス川にアーチ橋がかかったということで、本格的な冬が始まる前に、帝国の使者として橋の強度の確認をしに来たのですよ。そんな帝国の使者である私は、ラハティ王国のアドルフ殿下には色々と融通が利くところがございますの。パウラとユリアナという二人の悪女を捕まえることになった別荘には隠された秘密があると思いまして、殿下に頼んで怪しいと思われる場所を掘り起こしてもらっているのです」
そんなことを言いながらビルギッタは地下室を眺め渡して、持っていた杖でコツン、コツンと床を叩いた。
「そうしたら、つい先ほど、女性の遺体が発見されたのですって。首の骨がポキリと折れているのがはっきりと分かるような状態だったそうですわ。トルステンソン侯爵家が殺人を隠蔽したという立派な証拠になりますわよね?」
オホホッと笑うビルギッタの笑い声が響いた為、侯爵は癇癪を起こしたように叫び声を上げた。
「貴様!それでもトルステンソン侯爵家の人間なのか!」
「ええ?私がトルステンソン侯爵家の人間だとお父様ご自身が言うのですか?」
ビルギッタは物心ついた時には公爵家の嫡男ジグムントの婚約者であり、厳しい教育を施され続けて来たのだ。妹のパウラは父と兄から可愛がられ、甘やかされるだけ甘やかされて育てられているというのに、ビルギッタをいつでも気にかけてくれるのは母のメイラだけだったのだ。
馬車の事故で足に一生残るほどの大怪我を負ったというのに、嘆き悲しむのは母のメイラだけ。父も兄も、ビルギッタに同情の眼差しを向けるのは最初だけのことであり、公爵家の妻にはパウラがなれば良いだろうと言い出す始末。
パウラがペルトラ子爵家の令息に金を渡しているところを盗み見た時に、全ては仕組まれたことなのだと判断した。婚約者だったジグムントが見舞いに来たのも最初だけ、高熱でうなされるビルギッタには目もくれずに、パウラとのデートを楽しんでいたのを知っている。
ジグムントとの婚約が怪我を負ったビルギッタの有責ということで破棄をされ、ビルギッタは多額の慰謝料を払うために帝国の年寄り貴族の元へと嫁ぐことになったのだが、母のメイラがあらゆる手を尽くしてこの結婚を阻止し、ビルギッタがその男の孫と結婚出来るように手配をしてくれたのだ。
それが今は愛してやまないビルギッタの夫であるのだが、夫は蒸気機関車の開発に大きく関わっている技術者でもある。その技術者の妻としてラハティ王国と帝国との架け橋となり続けていたのだが、絶対に父や兄にはこのことは内密にするようにビルギッタは王家に対して願い出ていたのだ。
庶子であるパウラを正妻の子であると偽って戸籍の届出をしたことを明らかとすれば、トルステンソン侯爵家や、パウラを嫁入りさせたラウタヴァーラ公爵家が窮地に陥ることにはなるだろうが、それだけでは甘い。もっと、もっと、苦しませてやらなければ気が済まない。
ビルギッタが機を見ている間に、ルーレオ王国とラハティ王国との間で鉄道事業が計画されることになったのだが、トルステンソン侯爵家が国を挙げて行われる事業に巨額の投資をしないわけがない。そこを突いてどんどんと追い込んでいこうと考えていたのだが、ビルギッタの思わぬ方向に話は進んでいくことになったのだ。
それでも、結末はビルギッタの思う通りに帰結する。
「お父様、国から官吏の者もやって来ておりますので、どうして遺体が別荘に埋められていたのかをきちんとお話しください。それから、侯爵家が戸籍を偽って登録したことはすでに新聞でも取り扱っておりますし、こちらの方についても王家から沙汰が下されるでしょう。お母様は国王陛下の判断で離縁が成立しています、長年に渡って愛人の子を我が子のように育てることを強要され続けた夫人の精神的苦痛は相当のものであっただろうと慮っての判断となりますの」
多額の資金を鉄道事業のために吐き出させた上で、トルステンソン侯爵家を没落させる。鉄道事業にも、蒸気機関車の更なる開発にも金がかかるのは当たり前。だったら今までの精神的苦痛の慰謝料として奪い取って何が悪い。そうして返す必要のない金が増えれば、機関部の開発資金に夫が困るということもなくなるだろう。
「ビルギッタ!お前は私の娘だろう!」
絶望を露わにする父を見つめながら、ビルギッタは乾いた笑みを浮かべた。
「お父様、お父様にとっての娘とは、パウラただ一人だったでしょう?」
そう答えたビルギッタは、母の手を握って地下室から連れ出した。
卑猥な絵が散乱する倉庫の中は、高潔な母には似合わないと思ったからだ。
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