第3話

 誰が悪かったのかと言えば、ユリアナを引き取ったまま宙ぶらりんの立ち位置で放置し続けて、ただただ猫可愛がりをしていた自分たちが悪いのだろう。公爵家の威光にあやかったユリアナは勝手気ままに振る舞っていただけでなく、敵国の誘惑に引っかかっていたのだから。


 だがしかし、公爵家に籍も入れていないユリアナが何の情報を持っていると言うのだ?公爵家の二人の令息に気に入られてお茶会をしている程度のことで、大した話などしていやしない。外に漏れて困るような内容の話を、ユリアナ相手にするわけがない。だというのに国家反逆罪?機密情報を敵国に流したかもしれない?大袈裟すぎるにも程がある!


「兄上、兄上、それを、本気で思っているのでしたら大問題だと思いますよ?」


 ニクラスの執務室に呼び出されることになったオリヴェルは、頭を抱えて項垂れる兄の頭頂部を眺めながら言い出した。


「戦争でも大きな作戦を行う際には、こちらの想像もしなかった問題が浮上することだってありますよ」


 なんで戦争?思わずニクラスは顔を顰めたが、オリヴェルはそんなことは構いもせずに言い出した。


「例えば、輜重隊を管理する部隊の副隊長が、途中で経由する街の、食堂で働く可愛らしい女性と深い仲になり、戦争で使う食料などで足りない分は、商人をやっているおじさんに声をかけるからいつでも言ってくれと言われました。戦時中にはこういうことが良くあります」


「はあ」


「食堂の娘に会いたい副隊長は、それほど必要ではない物品の発注を娘経由で頼み、彼女のおじさんとやらが彼女と一緒に運んで来てくれたのですが、その運んできたおじさんは敵の間諜の一人だったのです。どれくらいの輜重が用意されているかで軍の規模も分かりますし、その男は水瓶に毒物を仕込んで帰っていくことも出来ました。遅効性の毒だった為、発症するまでに時間を要することになった為、多くの人間が毒物を摂取することとなりました」


 これはオリヴェルが軍に入隊したばかりの時に起こったことだったため、記憶にしっかりと残っている事件なのだ。


「我が軍の何処の部隊が瓦解するかということを十分に理解している敵が、こちらの隙を突かないわけがありません。この副隊長の油断の所為で、その時には実に五百人規模の被害が出ましたし、百人近くの死者が出ることとなったのです」


 鉄道事業も大きな作戦、大きなプロジェクトなのは間違いないため、これを頓挫させるために敵はあの手この手で打って出るのは間違いないし、少しの油断が命取りになるのは同じことだ。実際に、カステヘルミは二度ほど誘拐されそうになったのだ。敵の攻撃が執拗になっているのは間違いない。


「我が公爵家にとってユリアナは大きな弱点だったのは間違いありません。彼女が情報を持っているかどうかなど関係ないのです。特に我が国は噂が大好きですから、敵の侵入をまんまと許し、金の髪飾りを貰うために重要な情報をあの兄弟からまんまと手に入れて敵国に売ったと言われれば、我が家は窮地に陥るでしょう。それこそいくらユリアナがそんな情報など売っていないと言ったところで、彼女は金の髪飾りをすでに手に入れているのです。彼女が自分の無実を主張しようが、何の役にも立ちません」


 敵は相手の隙を突いて、滑り込むようにして懐の中へと入ってくる。軍の幹部は無理だとしても、輜重隊の、しかも人が良さそうな副隊長ならば、と目を付けられたのと同じように、公爵家の人間では無理であっても、ユリアナならばと目を付けられることになったのだ。


「鉄道を我が公爵家の港湾まで通すことが決定した時に、父上はユリアナの結婚を推し進めようとして、彼女はそれを泣いて拒否をした。その時は俺や兄上、母上も一緒になって、結婚は、もう少し先でも良いではないかと進言しましたが、あの時に、ユリアナは嫁にやっていれば良かったのです」


「オリヴェルはユリアナのことを愛していたのだろう?」

 兄の質問に、オリヴェルは小さく肩をすくめて見せた。


「思い返してみるに、俺は兄上のスペアとして公爵家で育てられていて、ユリアナが来た当時は大きな鬱屈を抱えていたのだと思います。こんな気持ちは家族に話すわけにもいかなかった俺の、ユリアナは癒しとなったのでしょう。改めて考えてみれば、彼女は俺にとっての現実逃避の手段だったのかもしれない。一度は本気で結婚をしたいと考えていたはずなのに、カステヘルミの前に居ると、ユリアナの存在があまりにも馬鹿らしく見えてくる」


 あんなにデロデロと甘い表情を浮かべていたというのに、お前はそんなことを言うのかと、呆れた表情をニクラスが浮かべていると、オリヴェルはニクラスに向かって真摯な眼差しを向けながら言い出した。


「兄上は俺からユリアナを取り上げて悦に入りたかっただけでしょう?俺が切なげな眼差しを送る度に、仄暗い優越感みたいなものを感じていたのでは?」


 弟から図星を突かれたニクラスが二の句が継げないでいると、寂しげに笑ったオリヴェルが項垂れながら言い出した。


「俺はね、こんなことを言うのもどうかと思いますけど、兄上や母上、父上をも恨んでいます。俺はあなた達に、おままごとのような恋に夢中になっていないで現実を見ろと張り倒して欲しかった。公爵邸に戻ると自分を中心に世界は回っているかのような感覚に陥るけれど、そんなことはないんだぞと叱ってほしかったです」


「はあ?お前は何が言いたいんだ?」


 ニクラスが思わず怒りの声を上げると、悲しげな表情で瞳を伏せてオリヴェルは言い出した。


「言い過ぎたのは謝ります。だけど、兄上にはこれだけは言っておきたいです。兄上も新妻を迎えたら気を付けてください。決して世の中は公爵家を中心に回っているわけではないのです」

「そんな当たり前のことを言わんでも」

「その当たり前のことがわからずに俺は失敗を繰り返しました」


 オリヴェルは項垂れながら言い出した。


「とにかく兄上、初夜だけはボイコットせずに、新妻を大事に愛してあげてください」

「そんなことは言われぬでも分かっている」

 何を余計なことを、そんな眼差しをニクラスが向けると、『本当に分かっているんですか?』という眼差しでオリヴェルは兄の端正な顔を見つめた。

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