第6話 覚醒

<六>


 破損した素体を修復しなければならない。

 ロボ令嬢は、自分自身からの指令に従いカニエの屋敷を目指していた。

 満足に動かない右腕と、破壊された右足。損傷した左腕と左脚を駆使して、這いつくばるように動く。

 脳からは絶え間なく、様々な指令が出ては消え、それが行動を遮るノイズとなっていた。


 どれだけの時間が経過しただろう。

 ロボ令嬢は、どうにかカニエの屋敷にたどり着くことができた。

 自分が作られた場所。いわば魂の故郷だが、その時の記憶などは残っていない。記憶に残っているのは、国王の前で起動して以降の時間。

 ロボ令嬢にとっては、過去の事実はどうでも良く、ただプログラムされた通り故障箇所を修理し、再び主人であるダーマの護衛につくことが、自身の存在意義であった……。

 だがカニエの屋敷の明かりを視界に捉えた時、初めて眺める外観のはずだが、どこか懐かしい気持ちになった。ここに自分を修理できる設備まで辿り着いた安心感のせいだろうか。

 ロボ令嬢は自己防衛プログラムに沿って、玄関のドアを開けた。


 古びた玄関に、綺麗な熊のぬいぐるみが置かれている。

 プログラムにはない存在。

 だが、ロボ令嬢は無性にそれに触れたくなった。うまく伸び切らない左腕で、ゆっくりとぬいぐるみを撫でる。

 破壊しないように、優しく、優しく……撫でようとした。

 ロボ令嬢がぬいぐるみに触れた瞬間、鮮烈な映像が現れた。

 両親にぬいぐるみをねだる少女。そんな少女にカニエと横にいた女性は、優し家顔を向けた後、それを買い与える。

 少女は嬉しそうな表情をした後、そのぬいぐるみを愛おしそうにぎゅっと抱きしめた。

 温かい光景だった。

 そして懐かしい光景だった。

 しかし、その光景は自分自身の記憶なのか? 存在しないはずのデーターに戸惑いながら、ロボ令嬢は導かれるように、屋敷の奥にあるカニエの研究室のドアを開いた。


 ドアの向こうは不思議な光に包まれた空間であった。

 陽の光でも、火の光でもない。それは暖かく、オーロラのように揺らぎ、光の粒子が空間を満たしていた。

「おかえり」

 光の中で戸惑うロボ令嬢に、声をかけるものがいた。

 プログラムに存在する声であった。

 軋みを立てながら声の方向を見ると、さまざまな実験機器が並んでいる。いずれも、ごく一部の錬金術師しか扱えない高額な機器。それはロボ令嬢と呼ばれる機械人形を生み出し、今もこの場で新たな研究のために稼働を続けている。

 そしてそこには声の主であるカニエと、水槽に浮かんだ人間の脳があった。

「お前の帰ってくるのを、待っていたぞ、リョマ」

 優しい声だった。

 

 びくん。

 ロボ令嬢の素体が、一度大きく痙攣した。

 脳の奥から突き上げられるような記憶。

 初めて知る「リョマ」と言う名前を聞いた瞬間、ロボ令嬢の脳は激しく揺さぶられた。さまざまな映像が、現れては消えていく。

 それはどれもが、ロボ令嬢のものではない記憶。

 目の前にいるカニエと、先ほど少女に熊のぬいぐるみを買い与えた男が、プログラムの中で一致する。

 

 ロボ令嬢は混乱していた。

 自分に組み込まれたプログラムの奥には、脳の提供者の「生前の記憶」が存在する。

 その生前の記憶では、目の前にいる男は、自分を作り上げた錬金術師のカニエではなく、優しい父親のカニエ。

 そして、自分はロボ令嬢ではなく……リョマ。

 先ほどの戦いで頭部に受けた損傷のせいで、プログラムが混乱している。

 早急の修復、上書きが必要である。

 ロボ令嬢の生存プログラムがそう判断し、自己スキャンしてみる。体各部の損傷部位が回復に向かっている。損傷していた右の膝は、ぎこちなさが残るが動くようになっていおり、貫かれた右胸部の傷は、少しずつ塞がりつつある。

 それはミスリルの持つ復元力を、はるかに上回る回復速度。

 脳のダメージも確実に回復している。

 だが「生前の記憶」というノイズだけは、より頻度を増し、ロボ令嬢のプログラムを破壊し始めていた。

「ひどく壊れてるな、けど大丈夫じゃ」

 心配そうな表情でカニエはロボ令嬢に語りかける。

 そして自分の側を浮遊していた光の粒子を捕まえると、粒子は一瞬眩く輝き、そして消滅していった。

「この場所は、魔力に満ちているからな。この場にいるだけで、傷は癒えていく」

 魔力と呼ばれる未知のエネルギー。

 それは万物を作り上げる無限のエネルギーとなると考えられ、錬金術師たちはそれを自らの手で制御するために、日々心血を注いでいた。

 だが誰も、その一端に辿り着くこともできていない。

 魔力石と呼ばれる鉱物が、ほんのり温かく熱を持ち、複雑な光を放つことを観測できるだけ。

 ただカニエだけが、「魔力」と「ミスリル」の感応効果を利用し、動力へと繋げることができた。

 それがこの世界の人間が辿り着いている「魔力」の全てであった。


「機械人形の奥にお前の意識が残っていることも、お前がここ元に戻ってくることも、魔力がワシに教えてくれた」

 カニエはロボ令嬢に、今の状況の説明を始める。

「ワシは愚かな父親だった。魔力に目覚める前は、お前の死体を前にしても、それと気付かなかった。だが、あの時のワシは夢中だった、機械人形の完成に、そして妻を蘇らせる研究に」

 魔力について語り始めたダーマは、まるで目の前にロボ令嬢の存在がないように、一人恍惚の表情で語り始めている。

「お前を動かす魔力、それはこの世界の万物を司るエネルギー。

 これから人類はこの魔力を用い、世界を広げてゆく。

 それは空間であり、時間であり、そしてそれを超越した次元へと人類を導いてくれる」


 普通に聞けば、狂人の妄想である。

 

 だがリョマは不思議と、カニエの言葉を受け入れることができていた。

「だが人類が魔力の全貌を知るには、悠久の時が必要だろう」

 そう締めくくるダーマの顔は、リョマを見つめる。

「その瞬間に家族一緒にたどり着こう。リョマ、我が最愛の娘よ」

 その言葉を聞き、リョマは開かない口を動かそうとした。

 流れない涙を流したかった。

 だが機械の身体では、それをすることはできない。

 目の前の父に伝えたいことがたくさんある。

 そう思った瞬間……。

 屋敷が炎に包まれた。


 いきなり屋根を突き破り、いつもの樽が降ってきた。

 それは床に落ちると同時に砕け、中に入った油を飛び散らせた。灯油と微かな椰子油の匂いが研究室に立ち込めると同時に、空から火矢が降って来た。

 飛び散った油が引火し、研究機器や屋敷の梁を燃やし始める。

 炎はロボ令嬢のドレスにも燃え移り、リョマのミスリルの身体が露わになった。  屋敷の中は、常人では呼吸もできない熱と煙に包まれる。

 だがリョマとカニエの二人は、火事のことなど気にした様子もなく、互いに見つめ続けた。

「おいでリョマ」

 ダーマは椅子に腰かけ、そして脳みそが入った水槽を、膝に置いた。

 こぽぽ。

 水槽に気泡が生じる。それはリョマに愛を語りかけているように聞こえた。

 リョマは誘われるままにダーマの横に腰掛けた。

「お前の母さんだよ」

 脳みそへ愛おしげな視線を注ぎつつ、カニエは告げた。

 そしてリョマも、それが母であると、自然に受け入れられた。

 今自分は家族と共にいる。

 父と母と三人でいる。

 リョマにとって、それは久しぶりに味わう、幸せに包まれた家族の時間であった。


 ずっとこのまま三人でいたかった。

 だが屋敷を燃やし尽くす炎が、それを許してはくれない。

「別の世界でもまた、家族三人で一緒に暮らそう」

 カニエがそう言った瞬間、焼け落ちた梁が、ダーマの頭と水槽を直撃した。

 人骨と水槽、それぞれに収められていた脳が、飛び散り、焼けた。

 そして崩れてきた柱と屋根が、ロボ令嬢の体を押し潰し、リョマは瓦礫の下で身動きが取れなくなった。

 「父さん、母さん」

 紅蓮の焔に焼かれながら、リョマは心の中で叫んだ。


 リョマが焼かれる少し前。

 屋敷の周囲は、数十名の近衛兵により包囲されていた。

 いずれも火矢をつがえ、馬上にて攻撃の合図を待っていた。そしてその後方では、逃げ出したロボ令嬢の道のりを嗅ぎつけた犬に、犬使いが褒美の肉を与えている。

「ライカ様、投石機の準備ができました」

「よし、放て」

 遅れて到着した輜重部隊は攻城兵器の準備が整うと、すぐさま屋敷に向けて油樽を飛ばした。複数の樽が屋根をぶち破り、屋内に油をぶちまけ始める。

「全てを燃やせっ」

 ライカの合図に、火矢がリョマの屋敷に放たれた。

 カツンカツンと板壁に食い込む音がする。近衛兵たちは、執拗に火矢を放ち続ける。

「弔い合戦だ」

 ライカのひと声が、兵たちを鼓舞した。

「バルマ様の仇だっ」

「機械人形を破壊しろっ!」

 近衛兵たちが声を上げる。

 今、馬上にいるライカには、暗く落ち込んだ様子も、温和でひ弱なイメージもない。叔父の敵討ちに出陣した彼は、一人の軍人として威風堂々としたものであった。

「火矢を絶やすな。奴が出てきたら、僕が撃つ」

 金色の刃が夕闇に煌めく。

 それは先ほどの短剣ではない。

 父の部屋にあったこの国の王の証、オリハルコンの長剣であった。


「君を汚す存在を、僕は許しはしない」

 ロボ令嬢の追撃に向かう際に、ライカは父を問いただした。

 自らの行為の正当性を信じている国王は、あっさりと自分がロボ令嬢に指示を出したことを認めた。そして国王ダーマが幽閉される直前に叫んだ内容に、ロボ令嬢にリョマの脳が使われている事実があった。

 ライカにとっては、それは親友への耐え難い辱めだった。

 眼前に潜む機械人形は、バルマ暗殺の道具にしかすぎない。

 だが死者の魂を弄ぶ行為を、許すわけにはいけない。

 忌々しい存在を自らの手で焼き尽くさねば、気がすまない。

 リョマの屋敷の炎は、激しさを増していった。

 そして屋敷が崩れ、全てが灰燼に帰した後も、何も現れることはなかった。


 ライカは焼け落ちた屋敷を見ながら、黄昏ていた。

 しばらく一人になりたかった。

 火が消え時間が経過しても後も、屋敷の方からは何の動きもなく、後日瓦礫を撤去するということで兵たちを退かせた。念の為、警護に留まろうとした兵士もいたが、ライカは腰の剣を示し、自分の身は心配しないで欲しいと伝えた。

 これから先、自分はこの国の兵士たちの期待に応えなければいけない。

 叔父の将軍バルマは亡くなり、父である国王ダーマも、叔父の暗殺の罪で幽閉してある。

「そしてリョマも……もういない」

 大切な人は全て失ってしまった。

 これからは自分が一人で、この国を率いていかねばならない。

 その重圧に押しつぶされそうになりながら、目の前の瓦礫を眺める。

 ここは自分にとっては幼馴染と遊んだ、思い出の場所でもあった。

 だが今は、狂った錬金術師の研究所の残骸である。

 全てを炎に包み焼き払うことで、自分の心に整理がつくかと思ったが、亡くなった親友への寂寥感のみが大きくなる。

「もう一度……会いたいよ」

 彼女の豪放磊落な励ましで、自分の弱い心を支えて欲しい。そんな想いが、つい口から漏れた。

 ガラッ。

 その時、瓦礫が動き、その下から煤に汚れた銀色の光沢が見えた。

 ギギギ。

 瓦礫に埋まっていたロボ令嬢は、かぶさった老い材を払い除け、ゆっくり起き上ががった。

 そして声にならない咆哮をあげると、頭のティアラが降り、機械の双眸を覆う。

 巨大な魔力石の七色の光が、ロボ令嬢のミスリル素体を輝かせる。


 そしてロボ令嬢は、ライカが剣を抜くよりも早く、彼に飛びかかった。

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