第3話 決断

<三>


「陛下〜お料理をお持ちしました〜」

 国王の私室に料理を運んできたのは、胸元を強調したフリフリのメイド服を着たサユティであった。

 今までは国王ダーマの部屋に入れるのは、息子のライカだけだった。

 不貞を行った王妃による国王暗殺未遂以来、国王はライカ以外の人間を信じることをしなかった。必然的に彼が国王の身の回りの面倒を見ることになった。元々温厚で面倒見の良いライカは、狂人である父のことも、相手は父であり心を病んだ病人と優しく介護し続けた。

 だが今のライカは、未だリョマの死から立ち直れていない。そんな彼に、人の道理の通じぬ人間の介護を続けさせれば、自身の精神が崩壊しかねない。

「これからはサユティがライカ様の代わりに、お父様……いえ、陛下のお世話をさせていただきます」

 そんな状況を見かねてか、サユティはライカに代わり国王の世話係に立候補した。それはライカにとって、ありがたい提案であった。

 一方の国王も、ロボ令嬢に守られている安心感により、以前よりも他者への警戒心が薄れていた。そしてメイドに立候補したサユティは、国王に暗殺者の存在を知らせ、ロボ令嬢を最初に誉めたことで国王の覚えもよく、彼女の提案は意外にすんなりと受け入れた。


「あ〜、う〜、あ〜」

 自室で一人惚けている国王の目の前にスープを置くと、サユティは目の前で一口、そのスープを飲んでみせる。すると国王は、毒が入っていないことを認識し、スープをピチャピチャと獣のように舐め始めた。

 国王が皿を舐め回している間、サユティは部屋の中を見回した。

 貧乏な男爵令嬢には想像もつかない豪華な装飾。同じ王族でも、質素を好むライカの部屋とは全く異なり、贅を尽くしたその部屋は、微かに糞尿の匂いがした。

 それ以上にサユティに嫌悪感を抱かせたのは、室内の至る所に飾られた人形であった。広く豪華な室内の至る所に飾られているのは、いずれも高価な美しい少女のビスクドール。

 人間不信に陥った国王は、他人を、特に女性への疑いと嫌悪をむき出しにし、心の癒しを人ならぬ美しい存在「人形」に求めた。

(気持ち悪っ)

 サユティは笑顔を崩さず、心の中で吐き捨てる。

「陛下、スープは美味しかったですか? 汚れたお髭、お拭きしますね」

 そう言いながら、スープ皿に浸かり汚れた髭を、丁寧にタオルで拭く。


 王子の心証を良くするために志願したとはいえ、狂人の相手は正直しんどかった。


「あれは、先日の」

 国王の私室に無数にある人形。その中でもサユティの目を引く人形があった。

 それは他の人形と異なる、等身大の人形。そして体は陶器ではなくミスリルでできている。この部屋の人形の中でも、一番美しく豪華な装いをしているそれは、国王の命を守ったロボ令嬢であった。

 ロボ令嬢は切り裂かれたドレスを新調し、晩餐会で見せた姿のまま、静かに座り全く動く気配がない。

「それが気になるか……」

 お気に入りの玩具を自慢する子供のような笑みを浮かべ、国王は聞いてきた。

 口の中に残ったスープの具が、唾と共に飛んできたのがサユティの嫌悪感を刺激したが、ももちろん表情には出さない。

「はい。先日の晩餐会での活躍、凄かったなぁって」

「五年かかった。宮廷錬金術師に作るよう命じ、ようやく完成することができた。魔力石の力で動き、ミスリルの体はあらゆる攻撃を防ぎ、オリハルコンの指は金属鎧もたやすく貫く」

「これ、機械仕掛けのお人形さんなんですよね。最初、陛下に付き従っているのを見て、綺麗な女性かと思いました」

 サユティは王の顔色を伺いながら質問する言葉を選ぶ。

「ヒャヒャ、まるで人間のように動くじゃろ。何せ、これには人間の脳みそが詰まってるからのう」

(げっ! 人間の脳みそ……)

一瞬だけ、顔が引き攣るのを隠しきれなかった。サユティは慌てて、顔を背け、その表情を見られないようにした。

「喉を斬られた女の死体が手に入ってな。顔は焼かれてたが、脳は新鮮じゃった」

(それって……ひょっとしてリョマの)

 喉を斬られ、顔を焼かれた死体。さらに話を聞くと殺害場所も時間も一致する。

 もしこの機械人形に使われているのが、リョマの脳みそなら……サユティは不安を払拭するために、国王に質問した。

「じゃあ、生きていた時の記憶とか……」

「そんなものは不要じゃ」

 脳を勝手に移植された哀れな少女への、憐れみのかけらもない返事だった。

 今、目の前にある人形は、リョマではなくロボ令嬢。彼女の脳みそは記憶を無くし、ただこの機械を制御するためだけに生かされている。

 そのことを知り、サユティは安堵すると同時に、笑顔が浮かんでくることを抑えられなかった。

「惨めだねぇリョマ。死んだ後もこんな風に利用されるなんて。ねぇ、今どんな気分……って、もう何も感じることもできないか」

 国王には聞こえないほどの小声だった。

 サユティは目の前のリョマが答えられないことを分かった上で、問いかけ、嘲笑った。


 リョマの死から七日経っても、ライカの様子は一向に回復することはなかった。

「ライカ様〜お元気出してください」

 サユティは、いつの間にかライカの私室にも入り浸るようになっていた。

 表向きは、国王の介護状況の報告のためである。

 一部の貴族令嬢の中には、身分の低いサユティと王子の距離をよく思わないものもいたが、大多数のものはサユティの献身的な介護を認め、彼女の行動を咎めることはなかった。

「ありがとうサユティさん、典医の診断では、疲れが溜まっていただけだと」

「今まで、頑張りすぎたんですよ、ライカ様は」

 国王が玉座に返り咲いた今でも、実際の国政は叔父のバルマが仕切ってくれている。そして社交界は、国王が顔を出すことで表面的には円滑に回っている。

 今、ライカが何かを求められることはない。そのおかげでゆっくりと養生できていた。

 しかし彼の心に開いた穴は、なかなか塞がることはなかった。いや、時間が経つほど空虚さは広がってゆく。

「大切な……友達だったんだ」

 サユティに同意を求めるように、ライカは力無くつぶやく。

「僕は子供の頃から泣き虫でね。いつもリョマに男らしくない、って怒られていたよ。彼女に怒られないよう、いや認められたいって気持ちで、強くなろうとしていたんだけど……まだ泣き虫のままだね。リョマに合わせる顔がないや」

「そうですね、ライカ様。サユティもまたリョマと会いたい……」

 サユティはライカに合わせるように、ことさら悲しそうな表情を作り返事をした。

(まあ、もう会ってるんだけどな)


 一方でサユティは、リョマごときが死んだぐらいで悲しみ続けるライカを見ていると、苛立ちが募ってくる。それはリョマへの嫉妬と、ライカへの失望が混じり合った感情。

 この男、思ったよりも脆弱である。

 いつまでもライカが沈み込んでいては、彼に取り入る意味がない。国政から背を向け、幼なじみの死に打ちひしがれている男に、国家が収められようか。貴族たちがついてこようか。

 この男には、早く立ち直ってもらわなければならない。

 王子が心を病み、国王が狂人なら……この国の実権は遠からず別の男に奪われてしまう。

 サユティの脳裏に王弟バルマの姿が浮かぶ。

(あの男は早く排除しねぇとな)

 自分が権力を手に入れるために邪魔になるであろう王弟を、どうやって葬るか、サユティは策を巡らせ始めた。


「ほ、本当か!! 余の命を狙った男が、バルマの愛人だと」

「え、陛下、知らなかったのですか。貴族女性の間では、噂が持ちきりなんですよ」

 先日の晩餐会での暗殺未遂事件は、ゴシップ好きの貴族たちの間で格好の話題になっていた。その中の一つに「暗殺犯がバルマと情を通じていたのでは?」というものがあった。

 それは暗殺を図った近衛兵の少年の美貌のせいもある。

 バルマが三○歳近くで独身ということもある。

 そして将軍と近衛兵という関係性。

 ごく一部の貴族令嬢の間での根拠のない妄想でしかなかったが、サユティにとっては真相などどうでもよかった。

 大切なのは、国王の被害妄想に火をつけること。

「バルマめ、我に代わって王位につくつもりか」

「もし噂が本当なら陛下の命が……それに暗殺が失敗した今、バルマ様は次の行動に……」

「国政を任せた恩を忘れおって。しかしどうする。軍の大部分は奴の支配下にある……」

 狂人を操るのは容易い。

 自然とサユティの口元には笑みが浮かんでいる。そしてその妄想の炎を煽るように、優しい口調で言い含めるように進言する。

「陛下には、軍隊より信頼できるものがいるではないですか。そう、今この場に」

 その一言で国王は我に帰った。

「そうか、そうじゃの。我には忠実な部下がおった」

 バルマの翻意を知り、狼狽えていた表情はすでにない。

 むしろ狂気の双眸には、相手よりも優れた兵器を手にしたものが持つ攻撃性を宿していた。

 国王はゆっくりと、視線を移す。その先には、美しい姿で待機するロボ令嬢があった。


 サユティとダーマ。二人はほぼ同時に邪悪な笑みを浮かべた。

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