第2話 初陣
<二>
この日、行われた宮廷晩餐会は、いつにも増して大勢の来客が訪れていた。
「今日は人でいっぱいですね、ライカ様」
胸元が大きく開いた赤色のドレスを着たサユティが、隣にいる王子ライカに声をかけた。
線の細い優雅な貴公子といった雰囲気のライカだが、この日はどこか沈んだ表情で、パーティの賑わいを眺めていた。
「今日は、父上が皆に挨拶するらしいから」
この晩餐会でダーマは、国王として再び国政に戻ることを宣言するという。それならば、この参列貴族の多さは納得で着ることであった。
国王が引きこもっている間、国政に従事していたライカにとっては、父が国政に復帰し、自分の負担が軽くなるのは嬉しいことであった。だが父の心の病は回復したとは思えない。そんな状況で、政務に復帰することの不安の方が大きかった。
そしてもう一つ、ライカの心を曇らせ続けたことがある。
「ライカ様、元気がないです……」
サユティはライカの顔を覗き込み、心配そうに言う。
幼馴染であったリョマの訃報を知ってから、ライカは以前のような穏やかな笑顔を見せることがなくなった。
「やっぱり、まだリョマのこと……?」
「ごめんね、サユティさん。彼女とは子供の時からの親友だったから」
子供の頃、穏やかで気弱な性格のライカは、粗暴でガサツなリョマの子分のような存在だった。お互いが成長した今でも、その関係性は残っていた。
父である国王が心を病み、代わりに王子として国政の一端を担うようになると、彼の繊細な心はいつ潰れてもおかしくない状態に追い込まれていた。
そんなライカの心を癒してくれたのが、リョマの存在だった。
細かいことに悩む自分を、リョマはいつも豪快に励ましてくれた。
リョマが酒瓶を、そしてライカがティーカップ片手に語らう時間。その時だけは彼は王子である重圧から解放された。
そして一年前、リョマが母親を亡くし、父親のカニエ侯爵が自分の世界に閉じこもった時、今度はライカの繊細な優しさが、リョマのささくれた心を包み込んだ。
お互いの存在が、辛い時を乗り越える支えとなった。
そんな大切な存在を失った喪失感を、ライカはまだ埋めることができないでいた。
「サユティも、リョマにはすごく助けられた……」
サユティはライカに同調するように呟いてみせる。
「貧乏な男爵家のサユティに、リョマは気さくに接してくれた。サユティが、王宮の晩餐会に憧れているって言ったら、連れてきてくれた。サユティ、可愛いから、晩餐会で妬まれちゃってイジメられたの。そんな時、リョマが助けてくれた。あ、リョマって、喧嘩強いんですよ」
サユティはライカの心の中に残る、彼女との思い出を刺激するように、リョマのエピソードを語り始める。
「そして……ライカ様との出会いを作ってくれた」
ライカにサユティを紹介したのはリョマだった。粗暴な性格故に貴族令嬢の中で孤立していたリョマのことを、ライカは密かに心配してた。そんな彼女が、初めて友達を紹介してくれるというので、ライカは喜び、サユティのことを快く受け入れた。
そしてサユティは、王室の晩餐会に憧れる夢見がちな純朴な少女の仮面を被り、ライカとの距離を縮め続けた。
少しずつライカの心に浸食し、リョマの記憶を消し去るために。
「リョマは、サユティとライカ様にとって、大切な人……だった」
サユティはライカの手をとり、目を潤ませながら言った。まるで今、この場だけは自分を見て欲しいと訴えかけるように。
そう。リョマは王子との出会いを作るための大切な道具だった。
そして邪魔になったから殺した。
リョマは死んだ後も、王子の心を弱らせ、操作しやすくしてくれている。
(ほんとーに、あの凶暴なデカ女、死んでくれてよかった)
自分の手を血で汚したことへの良心の呵責など、微塵も存在していない。サユティはライカの横顔を眺めながら、自らの栄達を想像し、心の中でほくそ笑んだ。
「ライカ、ここにいたのか」
ライカに声をかけてきたのは、王弟のバルマであった。
「叔父上、お久しぶりです」
「どうした、疲れているのか?」
にこやかに微笑むが、どこか力無いライカのことを、バルマは心配した。
バルマの日に焼けた肌、長身で筋肉質な体型は、礼服を着ていても武人然とした雰囲気を漂わせている。彼はこの国の将軍として、軍事の全権を任されている生粋の武人であった。
「今日は兄上が、皆の前に姿を見せるという」
バルマは不機嫌な表情で、独り言のように呟く。
兄が引きこもっての五年間、社交界などはライカが仕切っていたが、軍事や政治などの実務面を取り仕切っていたのは王弟のバルマであった。なので、自分がこの国を統治してきたという自負が彼にはあった。
それを、本人の気分で再び玉座に返り咲き、この国を統治しようというのは、いささかムシが良いのではないかと不満を持っていた。
「まあ、父上が少しでも元気になってもらえれば」
バルマの言葉に全面的に賛同することもできず、ライカは言葉を濁した。そしてバルマも、父を労わる心優しい甥の心に負担をかけないよう、それ以上は何も言わなかった。
不安と不満。
それぞれの思いを胸に、ライカとバルマは玉座を見つめた。
「国王陛下の、御成〜」
従者の声が響くと、楽団が荘厳な曲を奏で始める。
近衛兵たちが整列し、入り口から玉座への道を国王のために作った。過剰とも言える警護であるが、この場にいた貴族は誰もそれに疑問を抱かなかった。
むしろ、国王が臣下の前に姿を表すためには、これだけの警護が必要なのだ、と納得さえしていた
貴族たちの視線が、会場の入り口に向けられると、国王が姿を見せ、部屋の奥にある玉座へとゆっくりと歩き始めた。
長年の引きこもりで頬はコケ、体はやつれている。纏った豪華なマントに不釣り合いな貧相な老人。それが今の国王ダーマの印象であった。
長年の引きこもり生活で、筋力も衰えたのだろう。足をかすかに引きずって歩いている。
一方で、落ち窪んだ双眸だけがギラギラとした光を放っていた。
ざわっ。
国王に視線を向けた貴族たちから、ざわめきが漏れる。
貴族たちの視線は、久しぶりの国王の姿にではなく、彼の後ろに付き従う長身の女性の存在に注がれた。
国王の三歩後ろを静々と歩くその女性は、切長の碧眼に、白磁気のような白い肌。その美しさは、まるで人形のようであった。彼女の着ている純白のドレスは、宝石で飾り立てられ眩い輝きを放っている。
そしてひときわ人目を引いたのは、中央に巨大な「魔力石」が埋められたティアラ。それは女性の額で七色の輝きを放ち、まるで巨大な単眼を思わせた。
美しく豪華な装いの女性の出現は、貴族たちは皆、新しい妃の存在を連想した。
「ライカ、誰だ、あの女は?」
「さ、さぁ。僕も初めて見る人です」
その女性の存在は、弟のバルマだけでなく、息子のライカも知らされてはいなかった。
そして会場の貴族たちは、好奇心を刺激する謎の美女の存在に、どう反応していいか分からず戸惑っていた。
人ならざる美しさに、皆が魅かれる中、警護の異変に気づいたのはサユティだった。
それはまだ少年の面影を残す若い近衛兵であった。その純朴な顔立ちに似合わぬ憎悪の瞳。サユティが貧しかった時に、幾度も浴びせられた殺意のこもった視線。それが彼女に違和感を感じさせた。
その近衛兵の背後を国王が通り過ぎた瞬間、彼は振り返り様、腰のサーベルを脱いだ。
「危ないっ、陛下っ!」
サユティの悲鳴、そして出遅れたバルマの舌打ちが同時に響く。
そして一瞬の魔を置いてから、貴族たちの悲鳴の声が上がる。
近衛兵の少年は何の躊躇も見せずに、国王に斬りかかった。高い練度を窺わせる無駄のない動きで、国王に斬りかかった。
キンッ、と金属がぶつかる音が会場内に響いた。
居合わせた皆が、信じられない光景を見た。
後ろを歩いていた女性が、自らを盾にし、凶刃から国王を守ったのだ。熟練の警護のようなその素早い身のこなしは、見るものを感嘆させた。
そしてそれ以上に皆を驚かせたのは、近衛兵のサーベルが、彼女の体によって、いとも簡単にへし折られたことだった。
切り裂かれたドレスの下からは、血の一滴も漏れることはなかった。そして、ドレスの裂け目から見えるのは、薄い銀色の輝きを放つ金属装甲……ミスリルであった。
「殺せっ、こいつを殺せっ」
自分が暗殺のターゲットになったことを悟った国王が、狼狽しながら女性に命令した。
次の瞬間、彼女の被っていたティアラが「ガシャ」っと音を立て、顔を覆った。それはまるで仮面のように目に被さると、中央の「魔力石」が不気味な輝きを放つ。そしてティアラとつながった耳飾りは連動し、上方に鋭く伸び、物語の妖精の尖った耳のようになった。
露出している口元は、少しも動くことはない。
女性は無表情のまま、レースの手袋越しに近衛兵の少年の喉を掴んだ。そして、そのまま少年の喉を抉り取ろうとした瞬間、大きな打擲音がした。
「殺すな」
不機嫌そうな声で、バルマが警告する。
彼は手にした杖で、女性の手首を激しく打ち据えていた。
普通の人間なら、一撃で骨が砕ける衝撃。だが女性の口元は鉄杖の打撃を食らっても、少しも動くことはない。
女性はバルマの顔を見た後、キィと音をたてて国王の方を向き直す。それはまるで、国王の命令を待っている様だった。
「離してやれ」
国王が言った瞬間、喉を掴んでいた手は緩み、少年はその場に崩れ落ち、激しく咳き込んだ。他の近衛兵が、慌てて少年を捕縛した。
それをみて、暗殺者の脅威がさったと判断したのか、ティアラは再び跳ね上がり、再び人工的な美貌があらわになる。
「こいつは俺が尋問する。自殺しないようにして、ぶち込んでおけ」
バルマは近衛兵にそう命令した後、国王に向き直る。不機嫌そうな表情であった。
「これが例の機械人形……ですか」
吐き捨てるようにバルマは言った。
国王が心の病が悪化する前、まだバルマとは面会していた時に、国王が機械仕掛けの護衛を宮廷錬金術師のカニエに開発させていることを何度か聞いたことがあった。その時は狂人の妄想だと気に留めなかった。だが兄は、その計画に固執し、完成まで漕ぎ着けていたのだ。
多くの金と資源を浪費して。
一方の国王は、改めて目の前に立つ機械人形を見た。
「ようやく完成したのじゃ」
狂気を孕んだ満面の笑みで、つぶやいた。
この機械人形は自らの体を盾として、暗殺者から自分を守った。そしてすぐさま、暗殺者を捉え、そして自分の命令を聞き入れ解放した。
ミスリル製の素体は刃を防ぎ、魔法石の魔力は人間同様の動きを素体に与えた。そして新鮮な人間の脳は、この機械人形を国王の忠実な護衛として行動させた。
「皆のもの、よく見るがいい。これが我の忠実で有能なしもべ『ロボ令嬢』じゃ」
国王は欲しかった玩具を手に入れた子供のように、無邪気にはしゃいだ。
「ロボ令嬢、皆に自己紹介の挨拶しろ」
促されたロボ令嬢は、ゆっくりと、そしてぎこちなく、機械音をさせながら、スカートの裾をたくし上げ、貴族令嬢のように挨拶した。
一方、会場の空気は凍りついていた。
当然である。
五年ぶりに国王が晩餐会に参加する、というので参加してみたら、いきなり国王が暗殺されそうになるわ、それを防いだのが謎の機械人形だわ。
そして国王の心の病は、治ってはおらず、むしろ狂気が加速暴走していた。
晩餐会に参加したものは全て、突然の事態にどう反応していいのか、わからずにいた。
「陛下、すごーい」
戸惑う貴族たちを尻目に、サユティは無邪気な声をあげた。
「綺麗なお人形さんかと思ったら、陛下のお命を救うなんて、すごい、すごい」
サユティが無邪気にロボ令嬢を褒め称えると、国王は満足げにニヤリと笑った。そして、その表情を見た他の貴族たちも、サユティに追従し、慌ててロボ令嬢を称賛し始めた。
実際にこの機械人形が、どの程度のものかなど誰も分かってはいない。
だが国王の心は未だ狂気に満たされていることは、皆、この光景を見て理解していた。ならば狂人とはいえ、王の歓心を買わねばらならい。
貴族たちの心のこもらぬ賛美を浴びながら、国王は満足げに玉座へ向かう。
「皆のもの、我が命を狙う不貞の輩がどこに潜んでいるかわからぬ状態ゆえ、我は自室に引きこもり続けた。だが、これからは違う。我の側にはロボ令嬢がいる。これからこの国の舵取りは、我が再び行うっ!」
玉座に身を預け、居並ぶ貴族たちに声高らかに宣言する国王ダーマ。
その顔には抑えようのない自信と狂気が溢れ出ていた。
そしてロボ令嬢は玉座の横に仁王立ちとなり、冷たい視線を国王に向けていた。
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