第20話

清は母の字を久しぶりに見た。自分の字が特別上手いとは思わないが、両親共に癖字というのか、特徴がある。息子の名前を適当に書く母親が嫌だった。いつも以上にのたうつ文字に、死の間際の恐怖が現れているのだろうか。やはり、両親のことを考えると感情がかき乱される。悲しむべきか、悔やむべきか、喜んでいいのか、わからない。清が権田を見ると、眉間に皺を寄せてひどく真剣な顔をしていた。

「間違い、ないですね」

「?…はい。間違い、ないっす」

「もう少し、遺書を、お借りします。必ず、お返ししますので」

なにかおかしなことを言っただろうか。権田の雰囲気が少し硬いものになった。硬い、というか、高揚しているというのか。権田は立ち上がった。

「気になることは、遠慮なくおっしゃって下さい。慌ただしくて、申し訳ない。毛布は必ず、お兄さんにお渡しします」

「お願いします」

権田と高輪は一礼して去っていった。入れ替わりにやってきた警察官に促され、清もまた、立ち上がった。






権田は扉をノックして部屋に入る。ベッドに座っていた少年は怯えた顔でこちらを見た。

「だ、だれ…ですか?」

「今回の事件を担当している刑事で」

「おかあさん、お、おとうさんも、どこ?どうして、ぼく、ここにいるの?ぼく、ようちえん、いかなきゃ、」

「…光希さん。貴方は今、何歳ですか?お名前、教えていただけますか。私は刑事です。警察手帳です」

「………ご、ご、さい…品川、光希、です」

権田は警察手帳を光希に広げて見せる。まじまじと手帳を眺めて、光希は手のひらを広げて権田に向けた。記憶が混濁してしまうという彼は今、5歳児になってしまっているようだ。『品川』は彼の旧姓で、今は清と同じ『鈴木』だ。

権田の隣には医師がいる。医師はきちんとした証言を引き出すのは難しいだろうと言っていた。権田はゆっくりと光希に近寄る。光希はベッドの端に寄って権田と距離を取った。あたりを見渡して震えている。

権田は話を聞くために昨日も会っている。5歳の彼の記憶の中に権田はいないようだ。

椅子に腰掛けた権田は持っていた毛布を差し出した。

「これを渡してほしいと、弟さんから頼まれました。見覚えはありますか?」

「ニャンニャン!僕の、ニャンニャンだ!弟…清が、くれたの?清、いるの?」

「清さんは今、別のところにいます。清さんを覚えていますか?」

「うん。清は、僕の弟。高校生で、バイクに乗れるの。僕、知らなかった」

「私に見覚えは、ないですか?」

「おじさん………おじさんは、ごんたん。刑事さん」

「ごんだです」

権田は昨日の光希を思い出した。権田の警察手帳をまじまじと見て首を傾げていた。

『ごんた?』

『ごんだです。刑事です』

光希は警察手帳を見ながら『ごんだ、ごんた、ごんたん』と呟いていた。まるで幼い子供のように邪気の無い少年だった。見た目も、年より遥かに幼く見える。こんな少年がなぜ自ら通報し、自首という言葉を使ったのか。一体何が起きたのか。

昨日、話を聞いて権田は言葉が出なかった。この少年が犯した罪も強要されていたことも、嘘であってほしいと思ってしまった。それが嘘が真実かを捜査で明らかにしていくのが権田の仕事だ。いつもフラットな視点で物事を見ることを心掛けている。しかし、幼い子供のような光希に、ダイベンシャと名乗る田町に対して怒りが湧いた。

権田は改めて光希に声をかける。

「昨日少しお話をしましたが、今日も話をさせてほしいんです。どうでしょうか」

「おはなし…?」

「光希さんと弟さんのお話には違いがあります。もう一度、お話を聞かせてほしいんです」

光希はさっと権田から目を逸らした。

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