囁き小屋へ、ようこそ

読み方は自由

いらっしゃいませ!

 こんばんは、今日も幼馴染コースだね? 幼稚園の頃からずっと一緒、私もそう言うの嫌いじゃないよ? 幼馴染は、王道だからね? クラスで一番の美少女とか、美人の生徒会長とか。私的には、「邪道だ」と思うんだ。そんなぽっと出の美少女を選ぶなんておかしい。幼馴染は、最高最大のヒロインなんだよ。

 

 そんなヒロインが送る、幼馴染コース。囁き部屋でも、一番人気だよ。店の案内板にも、書かれているからね。「ここのオススメは、幼馴染だ」ってさ。常連の貴方には、特別サービスしちゃいます。さて、ずっと立ち話もアレだよね? せっかく部屋に来たんだし、時間の方ももったいない。そこのベッドに寝たら、すぐに囁くからね? アハハッ、そんなに焦らない。

 

 ほら、深呼吸だよ。それで落ちついたら、ベッドの上に。うん、良いね。ここのベッドは気持ち良いから、すぐにダランだよ。怖がっちゃだめ。……落ちついた? 今、アロマを焚いたからね。お鼻の方も、気持ち良くなるよ? ……それじゃ、はじめようか? 幼馴染との甘い青春。


 気持ち良い朝に見る寝顔は、最高だね。本当に純真無垢って感じ。パジャマの隙間からも、おへそが出ている。可愛いおへそに朝の光が当たっている。貴方は私の前に立って、その様子を見ている。私の語りに「私」を想って、目の前に「それ」を作っている。貴方は「声の私」と「生身の私」を分けて、一人の私を見ている。「なんで自分が? 毎朝起こさなきゃならんのよ?」ってね。嬉しいくせに怒っている。

 

 貴方は、私を叩き起こす。「俺がどうして、起こすんだよ?」と、そんな風に怒りながら。ベッドの布団を引っ張って、私に「起きろ!」と怒鳴りつける。それでようやく起きた私に「まったく! 普通は、逆だろう」とか言って、私の「むにゃむにゃ」に呆れるの。私がそれで起きた時も、ベッドの上で着替えをはじめた時も。「こら、脱ぐな!」と言って、指の隙間から……バレているよ? 


 私の裸を見ている。雪のように白い肌を「馬鹿!」とか言いながら見ているんだ。私は天然を装って、その反応を楽しんでいる。ちょっと小悪魔風に「クスクス」と笑っている。本当は、自分も恥ずかしいくせに。自分の胸や背中を見せているんだ。

 

 貴方は、それに慌てる。口では「さっさと服を着ろ!」とか言いながら、横目で私の着替えを見ている。私が学校の制服に着替え、いつもの化粧を済ませ、家のお母さんに「おはよう」と言うまで、保護者のように眺めている。それでお母さんに「将来は、よろしくね?」と言われても、いつもの照れ隠しを見せる。「他を探して下さい」とか、そんな風に誤魔化す。私も、それを喜んでいるのに。

 

 貴方は、硬派を装う。スケベを隠して、クールを装う。朝ご飯の後に私がキスしても、それに「や、止めろ!」と怒る。私もお母さんも、それを喜んでいるのに。貴方の味方になるのは、それを気の毒そうに見ているお父さんだけだ。貴方の不幸に対して、「御免よ」と謝っている。


 貴方は、それに苦笑する。二人の女に茶化されて、お父さんの苦労に「いえいえ」と言う。「もう半分、諦めていますから」と。そう言って、私の歯磨きを待つ。洗面台の横に立って、私の身支度を眺める。髪のセットや化粧……私が唇にリップを塗る時は、視線をいつも逸らすよね? 昔は、そこにキスしまくったくせに。今は私が笑うだけで、床の上に目を落とすんだ。


 私は、それが気に入らない。本当は好きなくせに、「好き」を誤魔化している貴方が。私からキスしたくなる程に許せないんだ。私はそんな怒りを隠して、貴方の手を引っ張る。嫌がる貴方を無視して、玄関の先に貴方を導く。学校からも「するな」と言われている自転車の二人乗りを「やって!」と言って、荷台の上に座る。「乗せないと許さないから!」


 貴方は、その言葉に困る。困るけど、最後には折れる。「こうなったら私はもう、止められない」と、ブツブツ言いながら自転車を漕ぎはじめるんだ。貴方は不機嫌な顔、特に学校が見えた時は、周りからの視線に照れたり、怖がったり、怒ったりして、学校の駐輪場に自転車を停める。そこでもクラスの女子達からからかわれるけど、自転車の鍵は忘れない。女子達に「うるさい!」とか言いながら、「ガチャン」と閉める。


 貴方は、今の場所から逃げようとする。ただでさえ目立つのに私が彼の腕に自分の腕を絡ませるから。周りからの視線に耐えなきゃならない。男子達の妬みにも、女子達の冷やかしにも。小学校の頃から変わらない「う、ううっ」を上げて、教室の中に入らなきゃならなかった。


 貴方はそこで、私と別れる。私の「あっ……」に心が揺れながらも、自分の席に向かう。窓際の最前列にそそくさと逃げる。私は目だけで、それを追いかける。座る席は、貴方の対角線だけど。机の中に教科書を入れたら、その上に頬杖を突いて、貴方の姿を眺める。周りの視線を無視して、貴方の一日を眺める。


 それが私の幸せだから、どんな冷やかしも通じない。昼休みとか放課後とかに他の男子から告白されても無視、「ごめんなさい、好きな人が居るんで」の一言で逃げる。好きな人が居るのに付き合うとか、ありえないでしょう?


 私は、そう思う。そう思うから、貴方の背中を眺める。学校が始まってから終わるまで、選択授業とか体育の時とかは仕方ないけど。貴方の姿が視界にある時は、その姿をずっと見ている。貴方も貴方で、私の方を見るけどね。周りの目があるせいか、私が貴方に微笑むと、すぐに逃げてしまうけど。貴方が私に照れる姿は、いつ見ても嬉しい。


 だから、放課後が一番幸せ。クラスの皆は部活に行っちゃうし、部活に入っていない人もそそくさと帰っちゃうから。大手を振って、貴方の所に行ける。貴方の赤面に微笑んで、その手を引っ張る。「今日も一緒に帰ろう!」と笑う。それに貴方も、「分かった」とうなずく。

 

 貴方は周りの視線に耐えながら、朝とは反対の流れで、自転車の鍵を外し、荷台の上に私を乗せ、私の命令に従って、自分の愛車を走らせる。「お前、太っただろう?」と言いながら、私の反撃を食らう。反撃が来るのは、分かっているのに。いつもの照れ隠しで、私に悪態を付いてしまう。私は「それ」に傷ついたフリをして、彼に「アイスが食べたい」と言う。「アイスを奢らなきゃ許さない」と言う。

 

 貴方は、それに折れる。折れるしかないから、折れる。私の要求に従って、私にスペシャルアイスを傲る。「俺の小遣いが減る」とか言いながら、内心では喜んでいる。私の笑顔が見られて、本当は「可愛い」と思っている。貴方は男のプライドとして、その本音を隠す。私には、バレバレの嘘を付く。「それじゃ、嫁に行けないぞ」と怒る。そして、私の「貴方が貰ってくれるか良い」にやり返される。

 

 貴方は、その言葉にうつむく。これも、分かっている事なのに。つまらない意地を張る。「誰が貰うか!」と怒る。そうして、自分の本心を隠す。本当は、私と結ばれたいくせに。私も意地になって、今の言葉を否める。「ふーんだ。今日だって、あの人とあの人に告られた」って、そんな風に脅す。自分でも「情けない」と思いながら、貴方への対抗意識を燃やす。

 

 貴方は、それにほくそえむ。今にも泣きそうな顔だけど。そこは、「男の意地」って奴で。私に余裕を見せるの。「俺だって、モテるんだ」って。そんな嘘は、すぐにバレるのに。貴方は、その嘘を突き通す。実際は、すぐに落ち込むけど。貴方は根拠のない自信で、灰色の数日を過ごす。

 

 筈だった。少なくても、私の予想では。「俺はやっぱり、モテない」と落ち込む筈だった。貴方は校舎裏に私を呼んで、私に「告られた」と言った。「後輩の女子に告られた」と、意気揚々に話す。私の気持ちも知らないで、その子がどんなに可愛いか、私にそれを聞かせるの。貴方はすべてを話して、すっきりする。私が「それ」に泣いているのを見ても、しばらくはどうして泣いているのか分からない。ただ、呆然と眺めつづける。

 

 私は、その視線に怒る。彼が告白された現実にも、怒る。彼に告白した、女子にも。私は目の前の貴方と、未だ見ぬ泥棒猫に憎悪を燃やす。「この二人が許せない」と怒る。私は話の続きを遮って、貴方の頬を叩く。「そんな人とは、思わなかった」

 

 そう言って、泣き叫ぶ。貴方の声も聞かない。頭の中はもう、怒りでいっぱいだ。どんな慰めも、言い訳にしか思えない。私は両目の涙を流したままで、貴方の前から去ろうとする。でも、止められる。貴方に腕を捕まれて、何故かキスされる。私がどんなに暴れても、この体を放さない。ただ、「ごめん」と言いつづける。

 

 私は、その言葉に泣き止む。本当はもっと、泣きたいのに。貴方の優しい声につい止まってしまう。私は、顔を上げる。貴方の顔を見て、その真意を探る。貴方が謝るのは、そう言う時だから。私は真剣な顔で、貴方の顔を待つ。「どうして?」と言って、貴方の「見返したかった」に微笑む。「俺ばっかり好きなのは、癪だから」と、私に細やかな抵抗を見せる。


 私は、それに泣き出す。こんなに嬉しい事は、ないから。子どものように泣いて、貴方の体に抱きつく。それに貴方が怯んでも、知らない。私は私の意思で、貴方にやり返す。貴方の唇を塞ぐ。口の中に舌を入れて、自分の気持ちを示す。「私の方がずっと、好きだ」と。火照った気持ちを見せる。私は貴方の手を握って、貴方に「今日は、親が居ない」と言う。


 貴方は、それに怯む。したい気持ちと、怖い気持ちに揺らぐ。私にも、自分の動揺を見せる。貴方は自分の動揺に怯むけれど、最後には自分を解き放つ。私と一緒に相手を知る。甘い吐息と、乱れた呼吸の中に自分が生まれた意味を知る。貴方は自分の上に私を乗せ、私の背中を撫でて、私に「ありがとう」と囁く。


 私も、それにうなずく。頬に彼の胸を感じながら、その温かさに触れる。「ずっと一緒に居たい」と思う。私は彼の体から離れて、家のシャワーを浴びる。「怖かった。怖かったけど」


 嬉しい。そんな気持ちで、残りの高校生活を送る。学校のテスト勉強も、これは大変だったね? 私はあんまりしないけど、貴方は勉強する人だから。私が「嫌だ、嫌だ!」と叫ぶ中で、私の手を握り、近くの喫茶店に入り、テーブルの上に問題集を広げ、その一冊一冊を指差した。


 これをやらないと、人生積むぞ? そんな風に脅した。脅した上に「赤点だった殺す」と怒った。私は、それに負けた。負けたくないのに負けてしまった。私は貴方に教えられるまま、苦手な数学も、嫌いな物理も、面倒な化学も勉強した。そしたら満点、何か取れるわけがない。


 馬鹿は、馬鹿。赤点いっぱい、大バーゲン。貴方は、その惨状に呆れる。「あれだけ頑張ったのに」と、私以上に落ち込む。勉強の時に入った喫茶店で、目の前の10点、25点、12点に泣き出す。


 私は、それに苦笑する。「めっちゃやったんだけどね」と、テストの結果を笑う。そして、彼に「今度のデートは、なし」と言われる。私はそれに怒るけど、相手の怒りが怖くて、最後には黙る。彼にパフェを傲って貰っただけでも、「よし」とするしかない。私は鞄の中に答案用紙を仕舞って、「次は頑張ろう」と思う。


 そんな事があってから数ヶ月後、今度は学校の体育祭。運動部の人達が、輝く一日。私も自分の種目を頑張ったけど、その結果はイマイチ。体育館の隅に座って、貴方が頑張る姿を観るしかなかった。私は試合の結果はどうであれ、貴方に「お疲れ様」と言う。「惜しかったね?」と励ます。「来年はきっと、勝てるよ」と微笑む。貴方は、それに赤くなる。かわいい……。


 体育祭の次は、競歩大会だね。学校から出て、遠くの河川敷に行く。三十キロくらいの距離。それをただ、歩きつづける。私も貴方の隣に並んで、それを歩く。休憩所で水分を取り、貴方のコップに間接キスして、その中身を飲み干す。


 私は、貴方の隣を歩きつづける。何人の人にも抜かれても、その歩調は変えない。貴方の調子に合わせて、少し無理をする。私はゴールの向こう側に着くと、貴方と一緒に同じジュースを買って、「家に来ない?」と言う。「一緒にシャワーを浴びよう?」


 貴方は、それにうなずく。「一緒に」の意味が、分かっているから。湧き上がる気持ちを抑えて、自転車の荷台に私を乗せる。先生の「こら!」も無視する。貴方は自分の自転車を飛ばして、私の家に行く。「今日も、親が居ないんだね」と。


 そんな競歩大会の次は、またテスト。しかも、来年の進路にも響く試験。流石の私も、全力を出す。テストのひと月前から勉強を重ね、良い点を取る。これには、貴方もニッコリ。私は、それに自身を取り戻す。「自分はやれば出来るのだ」と、そう心の中で思う。私は将来の夢を少しずつ考えながら、貴方との日々、今の時間を楽しむ。一度しかない青春の日々を。


 だから……修学旅行は全力で、楽しんだ。朝は四時に起きたし、貴方の事も起こしに行った。眠気眼の貴方を「起きなさい!」と叩き起こした。私は貴方の手を引き、バスの中でも隣同士に座って、貴方との時間を楽しんだ。それは、今でも忘れられない思い出。貴方と部屋を抜け出して、ホテルの屋上から眺めた夜景も思い出。そこで貴方とキスした事も、忘れられない思い出。


 私は貴方と一緒に屋上を降りて、自分の部屋に戻った。本当はまだ、残りたかったけど。担任の先生が怖かったから、通路の隅で貴方と別れた。「残りの旅行も、楽しもう」って。私は貴方に手を振って、どうしたの? 

 

 なんで、そんな? 悲しい顔で、泣いているの? 私はただ、自分の思い出を話しているだけなのに? それを聞いている貴方がどうして? よく分からない。思い出は、思い出。それ以上でも、それ以下でもないじゃない? 私は修学旅行の思い出を残したままで、三年生に上がる。二年生の頃にも考えた、「将来」の事を考える。何処かに務めるか、上の学校を目指すか? 貴方も自分の将来について、「あれこれ」と考える。私が見ている横で、自分の行ける大学を探す。

 

 私は、それを眺める。本当は、自分の考えるべきなのに。貴方と一緒の大学に行く事だけを考えて、貴方と同じ学校を受け、貴方以上に勉強を頑張り、貴方と同じ日に大学受験を受ける。私は全力で、答案用紙と戦う。自分の知識、勉強の結果を出す。私は滑り止めの大学に「保険」を賭けながら、貴方とのキャンパスライフを夢見る。

 

 貴方は、志望校に受かる。私も、それに受かる。私達は同じ学部に入り、周りの人達にも「カップル」を伝えて、四年間のキャンパスライフを過ごす。サークルも、同じサークルに入る。夏休みには短気のバイトを頑張り、運転免許も取って、貴方がローンで買った車に乗り、残りの休みを旅する。旅先で見つけたソフトクリームを買い、二人でそれを食べ合い、お互いの下にはにかむ。


 夜は、安いホテルに泊まる。本当は、もっと良い旅館があったけれど。それは、冬休み。混浴の露天風呂から雪化粧を眺めて、お互いの体温を味わう。今回は冷えた部屋の中で、互いの吐息に体を火照らせる。

 

 私達は夏の旅を終えて、いつもの日常に帰る。学校の授業と単位に追われる、そんな日常に帰る。私達は偶に喧嘩もするけれど、その度に仲直りして、四年のキャンパスライフを送る。その中で一番大変だったのが、就活。三年生になると、大学生の就活が解かれる。みんなが真新しいスーツを着て、就活に勤しむ。


 私も、周りの動きに倣う。「彼と結ばれれば良い」と思っていた私は、特に「これが良い」と拘らない。エントリーシートに必要な事を書き、書類選考に通った企業を受け、その面接を終えて、それなりの会社に入る。貴方は私と違って優秀だから、なかなか良いところに入る。


 私達は、互いの就職を祝う。「あとは、大学の卒論だけだ」と笑う。私達は「正社員」と「安定」の響きに酔って、未来の自分に希望を抱く。大学の門も無事に越える。私達はそれぞれの会社に入って、その研修を受ける。社会人の基本、ビジネスマナーを学ぶ。研修後の配属先に「頑張ろう!」と言って、互いのスマホにスタンプを送る。


 疲れる毎日の中に誇れる人生を見る。「自分は、ちゃんと立っている」と思う。私達は……うんう、私はそんな風に頑張る。月一の飲み会では、上司や先輩の愚痴大会になってしまうけど。私は、「自分が幸せだ」と思う。普通の会社で、普通に働ける事に。好きな人とこうして、お酒を飲める事に。心の底から「幸せだ」と思う。


 私は彼の部屋に行き、大人の体を合わせ、朝の食事を食べ、自分の家に帰る。そんな事を三年くらい繰りかえす。これくらいになると、「アレ」そろそろを考える。女の子が一度は夢見るだろう、神の誓いを考える。「彼を一生愛する」と、そんな想像に震える。私は貴方との通話で、貴方に「そろそろ……」と仕掛ける。「一緒にならない?」

 

 貴方は、それに震える。「それは、自分の口から言わせて」と言う。貴方は私との会話を楽しんで、その通話を切る。私は、その反応を喜ぶ。社会人になって、しばらく経つけど。「私にも普通の幸せが来たんだ」と喜ぶ。私は会社が休みの日、貴方とのデートを楽しんで、そのプロポーズを受ける。


 貴女が好きです、結婚して下さい。そんな言葉に「はい」と応える。私は周りの目を無視して、貴方の体を抱きしめ、貴方の唇を吸い、貴方の胸を抱きつづける。「ずっと一緒に居よう?」

 

 そんな風に笑い合う。私は、人生の絶頂を感じる。挙式の事だけを考えて、日々の仕事に励む。会社の同僚から冷やかされても、その言葉に幸せを感じる。私は美しい教会の中で、神様に貴方との永遠を誓う。貴方は、私に手を伸ばす。私も、貴方の手を握る。私達は互いの手を取り合って、この不安な社会を生きつづける。「生まれてきて良かった」


 貴方も、それに「良かった」と言う。貴方は今まで以上に仕事を頑張り、私もより一層に仕事を頑張る。二人の時間も、大切にする。結婚一年目の時に初めて貰ったボーナスで、初めての海外旅行に行く。私は海外の風景に酔い、貴方も「それ」を楽しむ。旅先の出会ったデザートに「美味しい!」とはしゃぐ。私達は最高の思い出を作って、日本の大地に戻る。


 日本の大地は、憂鬱になった気がする。最初は今までと同じでも、だんだん憂鬱になる。特に休み明けの会社で、その気配を感じる。私はいつもと同じように働き、いつもと同じように食べて、いつもと同じように帰り、貴方と一緒にその日の夕食をつく……れなかった。最初は、作っていたけど。それが、だんだんできなくなった。私は……何が原因かは分からないけど、会社の人から責められるようになった。


 明らかなイジメ、文字通りの無視。あの人達は私が会社に来ても、挨拶どころか、目すら合わせてくれなかった。私はそんな状況に驚きながらも、一方では「なんで、こんな目に?」と思った。こう言うのは、今まで何度も見てきたが。自分がその標的になると、言いようのない恐怖を憶えた。会社で働くのが怖い、そこで「おはようございます」と笑うのが怖い。私は会社の上司や相談室に言って、その状況を「何とかして欲しい」と頼んだ。でも……。


 社会は、残酷。表面上では弱い人の味方でも、実際は強い人の味方だった。上司は、私の話をガン無視。相談室も、「それは、対象外」とか言っちゃう始末。貴方は「それ」に「ふざけるな!」と言って、会社に怒鳴り込んでくれたけど。何の証拠も集められなかった私は、偉い人に辞表を書いて、その会社をすぐに辞めてしまった。「どうして? どうして?」


 そう悔しがる私に対して、誰も「ごめんね?」と言わない。私が段ボールの中に私物を放り込むと、私の顔を見ながら「調子に乗るなよ。既婚者アピール、超ウザい!」と笑いはじめた。私は「それ」に怯えて、会社から逃げる。自分の家に帰って、貴方に「うわん」と泣きつく。「みんな、酷い。酷いよぉおお!」と叫ぶ。私は貴方の胸に甘えて、世の中に理不尽に叫ぶ。


 貴方は、それを受け止める。私の気持ちを、私の涙を、私の震えを、昔のように受け止める。貴方は「自分も戦う」と言って、私の回復に走る。サイトでも好評な心療内科に行き、先生のアドバイスを聞き、私の治療を手伝う。話せる親戚にも「それ」を話して、必要な時には協力を仰ぐ。自分の好きな事、趣味に使うお金を減らして、日々の生活費を作る。親戚からの援助はあるけど、それに甘えてはいられない。そう言って、私の気持ちを支える。


 私は、それに謝る。心から「ありがとう、愛している」と思っても、それに罪悪感を覚える。「私のような人と居たら、貴方も不幸になってしまう」と思う。私は貴方の気持ちに救われながらも、その愛情に自分を傷つける。「私なんか消えてしまえば、良い」と思う。私は彼が会社に行くのを見送って、一枚の便箋にペンを走らせる。自分の死を書いた、文字通りの遺書を。私は「それ」を書きおえると、テーブルの上に遺書を置いて、家のベランダに行く。


 家のベランダは、マンションの五階。そこから落ちれば、間違いなく死ぬ。落ちた先の地面はアスファルトだから、落下と同時に「グシャッ」となる。回復はおろか、蘇生も難しい。救急車が着いた時にはもう、向こうの世界に逝っているだろう。私は、それを望む。彼の厚意には背くけど、「今は、死にたい。死ぬしかない」と思う。私はその思考に従って、ベランダの縁に手を触れる。「ごめんなさい」


 飛び降りる。つもりだった。少なくても、自分の両手に力を入れるまでは。目の前の世界に「飛び出そう」と思っていた。私は意識の暗転に襲われて、自分の思考を手放した。起きたのは、夕方。それも、病院の中だった。ベッドの上に運ばれて、そこから窓の外を眺めている構図。その場面でふと、意識を取り戻した。私は自分の置かれた状況が分からず、不安な顔で病室の中を見渡してしまった。「え? あ?」


 そう驚いている間に叩かれた。パイプ椅子の上から立ち上がった貴方に「ふざけるな!」と怒鳴られた。貴方はそれに怯える私を無視して、私の体を抱き締めた。私は、その温度に泣いた。貴方の思いに「わんわん」と泣いた。自分が「やろう」とした事にも、本気の本気で「馬鹿だ」と思った。私は貴方の腕に応えて、貴方に「ごめんね?」と謝った。「私、最後まで生きる。自分のためじゃなくて、みんなの、貴方のために生きる」

 

 貴方は、その返事に喜んだ。昔と同じ、純粋な顔で。私の思いを受け入れた。貴方は私の涙を拭って、私に「自分も頑張る」と言った。「二人が幸せじゃなきゃ、意味がない」

 

 私は、その言葉に「うん、うん」とうなずいた。そして、「貴方のため、みんなのために生きよう」と思った。私は自分の気持ちを改めて、ベッドの上から起き上がった。「自分の人生に負けては、ダメだ」と。そんな気持ちで、自分の回復に励む。励むのはよろしくないけど、とにかく頑張る。貴方の助けを受けて、前の自分に戻る。私は前程ではないけど、前と同じような人間、ある意味で前以上の人間になる。

 

 地域のボランティア、そう言う物にも興味を抱く。公園のゴミ掃除や掃き掃除にも、関心を抱く。私は奉仕活動の素晴らしさに胸が打たれ、治療の意味を込めて、様々なボランティアに加わる。朗読のボランティアに出会ったのは、市役所の募集に目が留まった時だった。私は貴方の許可を貰って、その朗読会に加わる。

 

 朗読会は、楽しかった。教科書の音読は正直、苦手だったけど。これは、本当に楽しい。本の頁を捲る感覚、それを声に出す興奮。私の音読にみんなが吸い込まれる光景。その光景すべてが、楽しい。朗読の終わりに拍手が鳴って、貴方にも「良かった」と言われるのが嬉しい。


 私は「朗読」って言うのが意外と楽しい事、自分の声がなかなか可愛い事、そう言う仕事や世界がある事に喜ぶ。「こう言うバイト、ちょっとやってみようかな?」と思う。私は自分の衝動に従い、スマホでそう言うバイトを探し、良さそうな所に電話を掛ける。

 

 貴方は、それを喜ぶ。私の気持ちがまだ戻っていないので、「無理はするな」とは言うけど。私の気持ち自体には、「やってみたら?」と言う。貴方は私のバイトが決まった後も、バイト先に「来たよ?」と言って、私の様子を見に来た。私は、それが嬉しい。店の先輩達に「これが旦那かぁ」と笑われるのは、恥ずかしいけど。それ以外は、本当に嬉しかった。


 私は、貴方の気持ちに頭を下げる。スタッフの目線で、貴方の要望に応える。貴方が好きな幼馴染を、私と貴方が出会った軌跡を。大人気の幼馴染コースで、貴方の耳元に囁く。自分の愛を確かめるように。今日も、貴方のオーダーに応える。アロマが効いた、囁き部屋の中で……。

 

 時間が来たね? 本当はもっと、囁きたかったけど。貴方一人を特別扱いには、できないから。貴方以外にも、お客様が居る。貴方だけの幼馴染は、貴方だけの幼馴染じゃない。貴方と私の記憶も、お客様の数だけある。


 だから、ごめんね? 


 私も寂しいけど、現実に戻ろう? 


 お店のスタッフと、お客の貴方。その関係に戻ろう? 


 本当は、幼馴染でも何でもない私達に……ね? 


 貴方も、その方が良いでしょう? 


 貴方は、それに落ち込む。「また、来るよ? 今度は、現実に戻らない設定で」って。

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