現実と妄想の狭間

夜の帝王

第1話 混乱と静寂の狭間

真っ暗な部屋の中で空気はひんやりしている。外は初夏で蒸し暑いがこの部屋は空調が効いているようだ。手足を動かそうとするが動かない。どうやら拘束されているようだ。少し体を動かしてみると体に激痛が走るのであった。思わず声が出る。この痛みはなんだ?  ここはどこなんだ? と橘司は思った。部屋の外からは手をたたく音がする。声をかけてみると返事はない。その時に一人の女性がやってきた。服装は暗くてよく見えない。その女性は、薬を飲んでください、といった。橘は言われるがまま薬を飲まされるのであった。その後その女性は点滴を用意し始めて橘の腕に点滴の針を刺すのであった。いったい何があったんだ? 思い出そうとしても断片的なことしか思い出せない。自分は助かったのか? ゆっくりと記憶を整理しようとする。心には安堵感があるのであった。自分は間違いなく命を落としかけていた。あれはいったい何だったんだ? とてもじゃないがあんなことありえない。自分の持っていた固定観念がすべて覆された のだった。あんな恐怖は今まで感じたことがない。手足が動かせないが横になっているだけで心が安らいだ。安心な環境がここまで居心地のいいものだとは思わなかった。当たり前に仕事して当たり前に食事をし当たり前に睡眠をとる。この当たり前の環境がどれだけ恵まれているのかということを改めて感じるのであった。部屋を見渡してみると真っ暗で見えづらいがベッドの横には凸凹したスペースのようなものがある。座るためにあるのだろうか? 部屋の奥に目をやってみるとそこには壁が立っているがトイレがあった。壁で入口からは隠れているが部屋の中からは丸見えだった。しかし今の橘には羞恥心などない。飲んだ薬は睡眠薬であろうか。意識が朦朧としてくる。今日は疲れた。段々と眠気が襲ってくる。今日はもう休もう。そう思ってゆっくりと目を閉じて意識がなくなっていくのであった。




人間関係とは難しいものだ。特に仕事によっては人によって言っていることとやっていることが違う。特に橘のやっていた仕事には正解がなく人によって仕事のやり方や考え方が違うのであった。一番大事なことは首尾一貫性があるということだ。橘は高校を卒業してから専門学校に通い公認会計士試験に合格したのであった。しかし橘は大事なことを忘れていたのであった。公認会計士になって何がやりたいのかが明確ではなかったのだ。時はリーマンショックが起きたころであった。会計士業界にも不況の波が押し寄せており就職難となっていたのだ。橘はとりあえず監査法人(企業が会計不正などを行っていないかチェックする法人)の面接を受けたが将来のビジョンが明確でなく特段の面接対策をしてこなかったため受けた監査法人全て不合格となったのだ。そこで仕方なく会計事務所に就職することにしたのであった。監査法人は存在する数が少ないが、会計事務所は数が多いため何とか就職することができたのだ。そこで3年余り業務経験を積み上場会社の経理部に転職した。上場会社に転職した理由としては会計士としての知識・経験が活かせるからだ。キャリアに箔もつく。そこで2年余り業務経験を積み監査法人に転職することができたのであった。監査法人に転職できたのは当時アベノミクスの効果で株式市場が回復し株式市場に上場する会社が増えてきたため監査法人でも人手不足に陥ったのであった。そのため監査法人には比較的楽に就職することができたのであった。しかしここでも橘の考えは甘かった。今までの経験が全く通用しなかったのだ。橘は同じ事業部にいた厳しい先輩の指導についていけずすぐに退職することになったのだ。精神科の病院に行き話をしたところ鬱の可能性があると言われその旨上司に伝え退職する運びとなったのだ。今思えば大手の監査法人であったため配置転換をしてもらえばよかったなどと考えるがあとの祭りであった。そうして橘は再び転職活動をすることになった。転職先に決まったのはIPO準備会社(新規株式公開)であるのであった。そこで管理部門の体制を作るというのが橘に与えられたミッションであった。今後この会社での出来事が自分の人生を大きく左右することになるとは思ってもみなかったのであった。



橘が入社したのは中山テクノロジーという会社であった。中山テクノロジーはインターネットを使ったビジネス展開をしており業界では有名な企業である。中山テクノロジーの主力商品は中古車 だ。都内の一等地にオフィスを構えておりエリートサラリーマンを感じさせるものである。橘の主な業務内容はIPOをさせるにあたり社内の管理体制を整備させるものであるのであった。手始めに社内システムを刷新させるべく新たなシステムを導入するプロジェクトのリーダーとなったのだ。橘はモチベーションを高くし業務に取り組んでいた。ある日、総務の人が「反社どうする?」と上司と相談しているのが聞こえてきた。反社とは反社会的勢力でいわゆるヤクザや暴力団である。上場させるには反社会的勢力との関係を絶たなければならないというルールがあるのであった。普通の会社であればそういった輩との付き合いはないはずなのでその時は特に気にしなかったのであった。橘はたばこを吸う。ある日、仲良くなった同僚とたばこを吸いながら何気ない会話をしていたがIPOの話になるのであった。その同僚曰くうちの会社はIPOは無理だという。なぜかと聞くとうちの会社は反社会的勢力と繋がりがあるという。中古自動車の大口の取引先は反社会的勢力が多くIPOは難しいと言ったのであった。社内には反社会的勢力を相手にする専門の部署が存在するとも聞いた。橘は社長がIPOさせる気満々のためそのあたりは大丈夫だと思っていたのであった。

橘には社内に気になる女性がいた。その女性はとても美しくまるでモデルのような人であるのであった。橘は毎日その女性を目で追っていた。ある日、社内異動がありその女性が橘と同じ部署になることを知り気分が高揚したのであった。もしかしたらこれから先共に仕事をし仲良くなることができるかもしれないと想像は膨らむばかりであった。橘のことを話すと見た目はそれなりによく仕事も出来たため周りからは好青年という印象を持たれていたのであった。その日以来毎日仕事に行くのがとても楽しみになっていったのである。   

ある日、気になる女性が同じ部署に異動してきたため歓迎会が開かれることとなったのであった。場所はオフィスの近くの韓国料理屋であった。橘は距離を近づけるためのいいチャンスだと思うのであった。橘はかなりの酒豪で酒癖が悪かった。過去に酒が原因で父親と殴り合いの喧嘩をしたことがある。酒量でいうとストロング系のチューハイ500㎖缶を一日8本くらい飲んでいたのであった。たばこもヘビースモーカーで一日に2箱は吸っていたのであった。また夜遊びも盛んで一人で性風俗店などにも頻繁に出入りしていた。これは最初に入社した会社の代表が言った言葉で若いころは仕事と遊びを全力でやれという教えのもとに自分の興味を持ったことは何でもやったのである。もちろん法律の範囲内であるが。

そうして飲み会が開かれることになったのである。席としては気になる女性と離れた距離に座ることになった。橘は、普段は大人しく温厚な性格であると周囲の人からは言われる。普段の仕事でも気になる女性にアプローチする機会はあったがシラフの時にはそんな勇気はなかったのであった。飲み会は最初は静かに始まったが段々とみんな酒に酔ってきたのか場が盛り上がってくる。橘も酒をどんどんと飲み気分が大きくなりよくしゃべるようになってきたのであった。もう調子がよくなってきており、止まることはなかった。そして近くにいた上司に自分の仕事のモチベーションを上げるためにオフィスの席を気になる女性の近くにして欲しいとお願いしたのだ。最初は冗談だと上司も思っていたようだが橘が何度も彼女のためなら何でもすると言っており気づけば飲み会に参加している全体の人が橘の話に耳を傾けていたのであった。すると気になる女性が「私は、黒いですよ」と言ってきた。橘は黒いとは何のことだろうと思った。気になる女性曰く一度に複数人と付き合ったことがあると言っていたのであった。普段の橘であれば冷静な判断ができていたと思うが酒に酔っていて冷静な判断が出来ず橘も自身のことについて色々と話してしまった。話した内容はどういうことかというと、20歳の時に10万円の性風俗店で童貞を捨て以後、100 人以上の女性と体の関係を持ったことや、パチンコなどのギャンブルにハマったこと、前にいた会社は金融系の事務所(銀行などを相手にする会計事務所のこと)、会社を潰したことがある(お客さんの会社の清算手続きをやっただけ)、薬をやっていること(薬とは抗うつ剤)といったことを話したのであった。その話をした瞬間に場の空気が凍ってしまった。上司から君はうちの会社に向いているよと言われたのである。なぜ向いているのかはこの時にはわからなかった。上司が君はコッチ系? と、頬を斜めに指でなぞりながら聞いてきた。橘は意味がよくわからなかったが酒のせいで冷静にいられずによく考えず「はい」と答えたのであった。なら君はうちの会社向きだと上司は言ったのである。ここにいる人達はみんなコッチ系だよと上司は言った。当時の橘は向精神薬を服用し、現代社会においては精神疾患をもっていることは珍しくないと思っており上司からは「薬をやっているなら言ってくれよ」と言われたのであった。橘は「そうかみんな精神疾患なんだ」と思ったのだった。上司も薬をやっていると言っていた。みんな薬やってるよという話になったのである。凍っていた空気が一気に賑やかになった。よかった、精神を病んでいるのは自分だけではないのだと安心感を得たのであった。さらに酒の勢いが増し調子に乗り始めてしまったのである。気になっている女性から付き合ってもいいという返事が来たため橘の気分は有頂天になったのだった。橘は経理部に所属していたが所属しているほとんどの人が女性であり自分の指示に従っていたため経理部の女性全員と付き合いたいと言ったのだった。そうすると、冗談なのか本気なのかはわからないがみんな「いいよ」という返事が返ってきたのである。橘はさらに調子に乗り全国の女性全員と付き合いたいと言った。そうするとある人が「そういう方法もあるけど色々な人が寄って来ちゃうけどいいの?」と聞いてきたのである。橘は構わないと言い自分のプロフィールを言ったのであった。プロフィールの内容は「自分は公認会計士だ、金融系の事務所出身だ、薬もやってる、会社を潰したこともある、裏金、裏帳簿、脱税、粉飾決算何でも相談に乗る。経理部の女は全員自分の支配下にある、会社の金は俺が握ってる。困ったら俺のところに来い」と冗談のつもりで言ってしまったのであった。ある人が「本当にそれでいいの?」「色んな人が寄って来ちゃうよ?」と言ったがそれでも構わないといい「じゃあ本当にやっちゃうからね」と言われたのであった。ある女性社員が、見慣れないタバコらしきものを吸っていたがその時に自分が危険を冒してしまったことに気づけばよかったと橘は今になって思うのであった。

橘は、翌日の朝は酒が抜け冷静さを取り戻していたのであった。昨日の飲み会では調子に乗り過ぎたとかなり後悔した。記憶も曖昧で何か自分が自己紹介のようなものを何かに載せてしまったことは覚えていたのであった。本当にそんなものが存在するのであろうか? と、期待と不安を募らせていたのであった。橘はいつもと同じように会社に出勤した。そこで隣に座っている先輩に「昨日のこと覚えてる?」と聞かれたが自分は酒に酔っぱらっていたため覚えていないと答えたのであった。そうすると先輩は「それならそれでいい」と言ったのであった。中山テクノロジー社内には社員向けのポータルサイトがある。そのポータルサイトには社員情報が顔写真つきでが紹介されているがずっと更新されずにいたのであった。その日ポータルサイトを開いてみると社員情報が更新されており自分の顔写真も載っていたのであった。顔写真は入社した際にIDカードに載せるために会社が撮影したものであった。その時、橘は本当に何かやらかしてしまったのではないかと思うようになったのであった。仕事の途中で印刷物があるためプリンターの前に立っていたところ社長と鉢合わせすることになった。社長は何も言わなかったが何か怯えた様なそれとも何か不味いものを見るかのような顔をして橘の方を見たのである。不自然なことは続いた。エレベーターの前で立っていると、同じ会社の人ではあるが顔も知らなければしゃべったこともない人に挨拶されたのであった。「私○○事業部の○○をしております、○○と申します。あなたには今後お世話になると思いますのでよろしくお願いします」と。また、ある時は突然、部長クラスの人間からメールで業務の質問が来るようになったのである。メールの宛先は橘だけでCCなどには誰も入っていなかった。橘は違和感を覚え始めて本当に飲み会で何かまずいことをやらかしてしまったのではないかと思うようになっていったのだった。次第に周りの人が自分の方を見ており自分のことを話しているのではと感じるまでになってしまっていたのであった。橘は仕事に集中できずに体調が悪いため早退させてもらう日も出てきてしまったのである。そんなある日、隣の事業部の顔見知りの同僚が「今日、何人かで飲みに行くんだけどよかったらどう?」と誘われたのだった。橘は何が起きているのか知りたかったため、その飲み会に参加することにしたのである。そのためその日は仕事を早めに切り上げることにしたのだった。頭の中では今現在、自分がどういう状況に置かれているのかが気になって仕事どころではなくなってしまっていたのである。飲み会の場所はオフィスから徒歩数分で着く居酒屋であった。飲み会の場所に行くと三人が集まっていた。顔見知りが二人に全く話したことがない人が一人という人員構成であった。席に着くと、同僚が「さすが、仕事が早いね~、もう来たんだ」と言ったのであった。橘は適当に話を合わせて軽く自分の自己紹介をしたのであった。最初は仕事の話や世間話をしていた。一人の同僚はたばこを吸うらしくたばこを取り出した。しかし、そのたばこは見慣れないものだったのであった。初めて会った同僚も飲み会の席の時はもらいたばこをするらしく一本もらっていたのであった。同僚はたばこを吸いながら「フルーティーな味わいだ」と言ったのである。橘も見慣れないたばこであったため一本もらい吸ってみることにしたのだった。特に至って変わりない普通のたばこであった。取りあえず、橘は緊張のあまりどんどんと酒を飲んだのだった。するとやはり気分が大きくなり気分がよくなっていったのである。初めて会った同僚が突然こんな質問をしてきた。「注射って痛くない?」「ニュータイプの様に何か感じるときある?」などよくわからない質問であるのであった。橘は適当に話を合わせていたのだった。初めて会った同僚が「いや~、見た感じただものじゃないと思ってたけどさ、ここまでやらかす大物は初めてだよ」と言ってきたのである。やはり、橘は何かやらかしてしまったんだと気づいたのだった。橘は正直に今の自分の置かれている状況が知りたいと同僚に質問したのである。すると初めて会った同僚が「いやさ、なんでもおごるから俺の経費精算は見逃してくれないかな~?」と言ってきたのだった。同僚は「君は、コッチ系なんでしょ?」と言ってきたのである。橘は前からコッチ系の意味がわかり始めていたのだった。ただ、言葉にするのが恐ろしかったのである。同僚が「君は金融系の事務所出身で、クスリもやってるんでしょ?」と言ってきたのだった。橘は、金融系の事務所というのは銀行などの金融機関を相手にしている会計事務所のことで薬とは抗うつ剤であることを必死に説明したのである。すると同僚が「俺なんて公認会計士なんて職業初めて知ったよ、うちの会社で金融系というと闇金、クスリというと覚せい剤のこと、君は俺たちのことバカだと思ってるんだろう?」。橘はそんなことはないと必死に説明したのであった。すると同僚が「うちの会社にはヤバい奴らがうようよいるの知ってる? 漫画に出てくるような奴らがさ。君はもう顔と名前を覚えられて色んな奴らに目を付けられてるんだよ? 特に鬱なんかの奴は格好の的だ。君をクスリ漬けにし犯罪者に仕立て上げ会計士のライセンスを剥奪させることも出来るんだよ? 君は気になる女性と付き合いたいみたいだけど彼女はもう色んな男に輪姦されてるんだよ? それで彼女は体を提供する代わりに、あれ買って、これ買ってだ。しかも君は住所なんかももう言っちゃってるんだよ?」。橘はもう理性を保つことができなかったのであった。自分は踏み込んではいけない世界に足を踏み入れてしまったのだと思ったのである。

次の日、橘は正気を保つことが出来なかったのであった。自分はなんてことをやらかしてしまったのかと後悔したのだった。色々と考えた結果、感情が爆発してしまったのである。何が何なのかわからなくなっていたのであった。考えた結果、両親に事情を話すことにしたのである。自分はとんでもないことをしてしまった。危ない人たちに喧嘩を売るようなことをしてしまったと親に泣きついたのである。中山テクノロジーにはヤクザがいると必死に説明したのであった。親もただ事ではないと思い話を聞いてくれた。橘は警察に連れて行ってくれと両親にお願いをしたのである。しかし、両親は会社にヤクザなんているわけないだろうと橘の話を一蹴したのであった。「お前は、精神的におかしいんだ。精神科に行くべきだ」。橘は誰でもいいから自分を助けてくれる人を求めていたのであった。橘は自分の情報を何かに載せてしまったことを両親に言った。両親は「そんなわけないだろう」と橘の話を聞かなかったのである。テレビの画面を見ると、テレビのニュースが自分のことを話しているように感じ余計取り乱してしまったのである。両親は、慌てて橘をなだめ落ち着かせようとした。両親がすぐに行きつけの病院に電話をし、今から診察を受けに行くことを伝えたのであった。急いで車に乗り病院に向かったのであった。病院に向かっている最中も誰かが自分の命を狙っているように感じ終始落ち着かなかった。病院に着き受付を済ませ待合室で呼ばれるのを待っていた。待っている間も色々なことが頭の中をよぎった。早く誰でもいいから自分を助けて欲しいと思うのであった。橘の名前が呼ばれた。診察室に入り、主治医に今までの経緯を話したのである。中山テクノロジーには覚せい剤を使うようなヤクザがいる。自分はそんな人達を敵に回してしまったと。自分は監視されており命を狙われている。もう、会社には行くことが出来ないと言ったのであった。主治医もただ事ではないと思い診断書を書くからもう会社には行く必要はないと言ったのであった。橘は少し安心した。それから一緒に来ていた両親と三人だけで話したいと主治医が言ったので橘は診察室を出たのであった。しばらくして両親が診察室から出てきたのであった。両親は「あなたは疲れているのよ。しばらくゆっくりしなさい」と言うのであった。それから家に帰りここ数日ほとんど眠っていなかった橘は医者からもらった薬を飲み自分の部屋のベッドに横になりすぐに眠りにつくのであった。

一週間ほど自宅で療養し冷静になった橘は仕事に対する情熱を思い出し始めるのであった。確かに会社には危ない人がいるようだが自分に危害を加えた事実自体はない。仕事も充実したものであった。通院日になり主治医に仕事に復帰したい旨を伝えたのであった。主治医は「君はもう今の会社では働いてはいけない」と言った。橘はなぜなんだと言うのであった。主治医は重い口調で「君は妄想が激しい。普通の会社ではもう働くことは出来ない。君は統合失調症だ」と言うのであった。橘は愕然とした。自分は妄想を話した覚えはない。全て事実だ。そのことを主治医に必死に説明したが主治医は橘の話を信じることはなかった。橘は中山テクノロジーに入社して数か月しか経過しておらず休職期間は一か月しかもらえなかったのだった。会社としても医師の診断書を提出されては復職を認めるわけにもいかず欠勤扱いになり自然と退職せざるを得ない形となってしまった。橘は絶望したのであった。自分は仕事以外に誇れるものは何もない。それを失って自分は何のために生きているのかと思うようになったのであった。両親も医者が働くなと言ってるんだからもう働くなと橘に強く言い聞かせるのであった。この日から長い療養生活に入るのであった。




橘の療養生活は辛い日々であった。周りの友達は仕事で成果を出し、出世し、結婚して子供を作ったり、家を買ったりと順調の中、自分は無職でただ家でぼーっとしているだけの日々。橘は自分はエリート街道を歩んでいるつもりでいた。そのプライドがズタボロにされたのであった。主治医の勧めでデイケアなどにも通ったがプログラムがくだらないとしか思えず、また、自分を障害者だと認めることが出来ずすぐに通所するのをやめたのであった。主治医からはもし働くのであれば障害を理解してもらえる職場でないとだめだと言われていたので履歴書に統合失調症のことを記載して就職活動をしたが全て病気が原因で書類選考すら通ることがなかった。橘は毎日絶望の日々を過ごしていたのであった。両親も病気のことを隠して就職してはだめだと強く言っており橘は次第に主治医と両親にいらだちを募らせるのであった。橘はこれから何を生きがいにして生きていけばいいのかわからず自殺サイトなどを見るようになっていた。橘はとにかく毎日が辛かったが、両親にいくら働きたい旨を伝えてもだめだと言われ両親と顔を合わせるのが苦痛になっていた。声を聞くだけでストレスが溜まるのであった。自分はもう生きている価値がないと思いほとんどの友達の連絡先を削除したのである。唯一残したのは昔からの付き合いのある友人だけであった。好きだった酒も主治医から禁止され親からも厳しく管理されたのであった。統合失調症の薬であるリスペリドンを服薬していたが副作用でろれつが回らなくなり口からよだれがだらだらと出ていた。そんな日々が2年ほど続いたのであった。

ある日、尻に痛みが走り膿が出てくる。両親に話し、肛門科に行くことになったのだった。そこで医者に「これは痔瘻だね。手術しなきゃ治らないよ。取りあえずほかの病気の合併症の可能性があるから内視鏡検査をしよう」と言われ大腸内視鏡検査を行ったのだった。その結果、大腸に炎症が起きておりクローン病であることが判明したのであった。クローン病に似た病気としては安倍元総理が患った潰瘍性大腸炎があるが潰瘍性大腸炎は大腸にしか炎症が起きないのに対してクローン病は、胃、大腸、小腸と消化器官の全てに炎症が起きる病気であった。橘はまた病気かと絶望したのだった。取りあえず痔瘻を治すため手術を受け痔瘻を完治させたがクローン病自体は完治することのない病気であり、食事制限などもあり一生付き合っていかなければならない難病であったのだった。

このような2年間という歳月は橘を変えたのだった。もうすべてがどうでもよくなっていたのである。完全に開き直っていたのであった。仕事に対する情熱も消え去っていたのだった。もうどうでもいいと思い両親に隠れて酒を飲むようになっていた。しかし金がないのであった。橘は借金をし始めたのであった。橘は外出すると言い外に出ては公園で一日中酒を飲んでいる日々が続いたのである。段々と昔の調子が戻ってきたと感じていたのだった。取りあえずお金を稼ごうと思いまずは簡単に働ける日雇い派遣の仕事をしてみたのだった。しかし橘はずっとデスクワークでの仕事しか経験しておらず体力を使う仕事は向いていないことがわかった。そこで経理系の長期の派遣の仕事をしようと思い派遣会社に登録し仕事探しを始めたのであった。もちろん統合失調症ということは隠して活動を行ったのだった。色々なところに応募したが案外簡単に派遣先が決まったのであった。その派遣先は大手の有名企業であった。仕事内容はというと大手だけに細分化されており単純作業が続きすぐに橘は飽きてしまったのである。それからというもの仕事を仮病でたまに休むようになっていたのだった。仕事が終わっても家に帰りたくない日々が続き毎日飲み歩いていたのだった。当然派遣というのはそんなに給料が高くなくボーナスも出ない。働いてもお金が足らない日々が続きやはりボーナスの出る正社員が一番だと思い転職活動を始めたのだった。転職活動は病気のことを隠して活動したのである。この間に主治医も変わりあまり厳しいことを言われることもなくなっていたのであった。薬ももう飲むのをやめていたのであった。ある日両親に飲酒していることがばれて大喧嘩になったのである。橘は自分のやりたいことを邪魔する両親を敵だと認識するようになっていた。転職活動は順調に進んでいったのだった。病気のことを隠し性格も明るくなっていた。面接での印象もよくすぐに監査法人から内定をもらうことが出来たのだった。橘は仕事が決まり安定した収入が入ってくるので両親に話し、家を出ていくことを話したのであった。両親は大反対したのだった。母からは「あんたなんか産まなければよかった」と言われたのである。橘も両親に対し暴言を吐きそれから一人暮らしをするまで会話することはなかったのであった。一人暮らしをし、仕事も再開した。自分はまた昔のように輝けると思っていたのであった。しかし、監査法人に入社したが思っていたほど甘くはなかったのである。仕事では毎日のように注意され思ったようにいかない。気づけば酒におぼれる日々を過ごすようになっていた。出勤前に飲酒し仕事後も寝るまでずっと飲酒していたのであった。精神科の通院も勝手にやめていたのである。職場でも孤立し家でも一人。圧倒的な孤独感が橘を襲ったのであった。仕事も休みがちになっていたのであった。孤独感に耐えられずひたすら飲酒し、たばこを吸い人肌が恋しいから風俗店に通ったのであった。出費が増える一方で借金がどんどんと増えていったのであった。苦しい生活が続いた。食事は一日一食にしたのである。しかし酒とたばこはやめることが出来なかったのだった。監査法人という職場がもう嫌になっており転職することを決心し一般事業会社の経理部に転職することにしたのであった。転職する旨を職場に伝え退職する運びとなったのであった。

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