第8話 全盲の俺の、光の君








 指が鍵盤に触れる。

 

 それによって、音が鳴る。


 隣を押すと、違う音が出る。


 それだけで、世界が作れる。


 俺は今、俺だけの世界に入ってた。


 光のない視界に色がつき、見たことのない景色が映し出される。


 ああ、やっぱりピアノは楽しい。こんなにも自由な楽器は、ピアノだけだと俺は思う。


 指が躍る。それに合わせるように足が踊り、ペダルを踏む。


 肩が動き、全身で”世界”を表現する。


 どんなに丁寧な楽譜があったとしても、弾く人によってその世界は変わると俺は思う。


 だから、これは俺の世界。俺が作り出した、俺だけの世界。


 永遠に続いて欲しいとも思えるその楽しい世界は、やがて終わりを迎える。


 

 ――ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。深い哀愁から激しい情熱まで表現するラフマニノフのこの曲は、俺が好きな曲の一つだ。


 約30分にも及ぶこの曲は、最後の激しい曲調によって終わりを告げた。


「はあ、はあ、はあ」


 肩で息をする。頬に汗が流れ落ちた。


 こんなにも疲れたのはいつぶりだろうか。


 大きな歓声と、惜しみのない拍手が降り注ぐ。


 ああ、できた。やったんだ、俺は。


 立ち上がると、案内の人が俺の腕を取った。


 満足しながら、俺は舞台から降りて行った。




 ♢♢♢




「ギンちゃんッ!!」


 控室に行くなり、泣きじゃくった声で母さんが抱き着いてくる。


 俺は母さんを抱きしめていると、ゴツゴツとした硬い手が俺の頭を撫でた。


「よくやったな、ギン」


「…………うん。俺、やったよ父さん」


「お前は俺の、自慢の息子だ」


 そんな父さんの言葉に、俺も思わず涙が出る。


 ――ああ、やってよかった。


「ギン…………」


 前から春の声がする。すると、母さんが俺から離れた。


「春……ありがとう。励ましてくれて」


「ううん……すごく、かっこよかったよ」


 そう言う春の声は、どこか潤んでいた。



「ギン、君は世界に、大きな影響を与えられたね」


 ハンス先生がそう言ってくる。そうなのかな……


「今まで聞いてきた中でも、本当に素晴らしい演奏だったよ」


「……ありがとうございます」


「こんな時に言うのもあれだけど……君に話があるんだ」


「話……ですか?」


「ああ。できれば、2人だけで話したい」


 少し間を置くと、父さんと母さん、そして春が控室から出ていく。俺にだけ聞かせたい話ってなんだろうか。


 するとハンス先生は静かに、そして真剣にこう言った。






「君のその目に、光を灯せるかもしれない」



「――――え?」


「スイスで研究が進んでいる、人工網膜というものがあってね。私も詳しくは知らないんだけど、その道に進んでいる人がぜひ君に治療を施したいらしい」


 あまりにも急な言葉に、俺は同様を隠せない。


「これを施した人はまだ数少ない。正直、成功するかも分からない。ただ、君がやりたいと言うのなら、無償でやってくれるそうだ」


 この目に光が宿るかもしれない。そう考えただけも、俺の中には希望が湧いてくる。


 やってみたい。例え失敗する可能性が高くとも、やってみたい。ただ…………


「目の見える俺を、認めてくれる人はいるんでしょうか?」


 俺がここで演奏できたのも、ここの人に絶賛されたのも、俺が全盲だったからだろう。


 俺は特別他の人よりも弾けているわけではないと思うし、それ以外の理由が思いつかない。


 全盲の人が、曲を弾く。それだけで感動する人はいるんじゃないだろうか。


 実際、それで感動した人は今日にもいたはずだ。でも、目が見えていたらと考えると、その人達はここまで感動してくれたのだろうか?


 そんな俺の悩みに、ハンス先生は真摯に向き合ってくれた。



「少なくとも、私は認めるよ、ギンジ。目が見えないから、今の君があるんじゃない。君が努力をしていたから、今の君があるんだ。目が見えるようになったって、君の努力の結果は変わらない。そしてそれは、多くの人が同じ気持ちだろう」


「先生……」


「これは君の人生だ。君の物語だ。だから、決断するのは君だ、ギンジ。君は自分の人生を、どう紡ぎあげていきたい?」


 俺の人生。俺の物語。 



「先生、俺は、その治療を受けてみたいです」


 その言葉を発することに、迷いはなかった。






 ♢♢♢







 ~1年後~



 俺は黒い目隠しをして、病院の外へと出る。


「ギン、まだ絶対取らないでよね! 本当に取らないでね!」


「おいおい春、それだと取れってことになっちゃうんじゃないか?」


「公平は黙っててっ!」


「ふふ、春ちゃんったら、緊張しすぎよ」


「…………っ、うー……」


「はっはっは、じゃあ目隠しは春ちゃんが取るといい」


「えっ!? そ、そんな!」


「いいのよいいのよ。さあ、ほら」


「きゃっ」



 母さんに押されたであろう春が俺の目の前へと来る。


「ぎ、ギン。私の顔を見ても、嫌いにならないでね」


「嫌いになんてなるわけないでしょっ。春ちゃんの顔ったら超可愛いんだから~」


「母さんは静かにしててくれ。春、そんなことで俺はお前を嫌いになったりしないよ」


「……ッ」


「あらあら、お母さんは少し離れていましょうかね」



 そう言って母さんの足音が離れていく。


 すると、春の震えた手が目隠しに触れた。




「い、行くよ? ギン」


「ああ。頼む」



 ゆっくりと、黒い目隠しが俺の頭から取られる。


 少しだけ怖がりながらも、俺は瞼を開けた。















 ――――そこに飛び込んできたのは、光だった。


 この光を、景色を、なんて表現したらいいのか分からない。


 色の名前は知っている。青とか赤とか、色々な種類があることも。


 ただ、初めて見るその色達は、どれがどれなのか分からない。



「ど、どうギン? 見えてる?」



 目の前にいる、春が動く。人の口って、こうやって動いていたのか…………


 不思議と、涙が溢れ出てくる。



「えッ、 ど、どうしたのギン!? 大丈夫!?」


 そう言って春は、俺の背中をさすってきた。


 正直に言って、春の見た目が可愛いのかどうかも俺には分からない。俺は可愛いものもそうでないものも、見たことがないからだ。



 ただ間違いなく、目の前の春は、世界で一番可愛いんだろう。俺にはそう、確信できた。



「ぎ、ギン、大丈夫? 私、可愛い?」


 不安そうな声で、顔で、春はそう聞いてくる。


 俺は涙を堪えながら、精一杯答えた。



「……可愛く、可愛くないわけないだろ」



「――――え?」






「世界で一番、可愛いよ、春。この世に存在するどんなものよりも、君が一番、綺麗だ」




 なぜなら君は、全盲だった俺の、光だったのだから。









『全盲の俺と、光の君』――END





――――――――――



『全盲の俺と、光の君』いかがでしたでしょうか? 二万字以内に収めるという工程から、かなり展開が急なところも多々あったと思います。

文字数制限のギリギリとなってしまいましたが、私としては満足して良く書けたんじゃないかと思います。

盲目の主人公という設定から視覚情報が後半まで一切ないという変わった作品でしたが、楽しんでいただけていたら嬉しいです。


ここまでお読み下さり、ありがとうございました。m(_ _)m













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全盲の俺の、光の君 百面卿 @gandolle

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