第6話 祝い
ピアノの音色が流れる。
それに乗るように、バイオリンの音色が続く。
この瞬間、この時だけは、光のない世界に色がついたような気がした。
流れるように、踊るように、ピアノの鍵盤を弾いていく。
永遠に続いてもいいとすら思えるこの時間も、やがて終わりを迎える。
最後にピアノの高い音を出して、この曲は終わった。
「いやー、何度やっても気持ちいいね」
「……ソロもいいけど、やっぱり俺はデュオの方が好きだな」
「ふーん? 私と演奏した方が楽しいんだぁ」
春のからかうような、にやついた声。まあ、別に間違ってないんだけどな。
「ああ。俺はこっちの方が楽しいな」
「…………」
俺が再び、ピアノを弾こうとした時だった。
ピンポーン
玄関からチャイムの鳴る音がした。
なんだ? 別になにか頼んだ記憶はないんだが……
立ち上がろうとすると、春がそれを止めた。
「私が出るよ」
「え、いやでも――」
「どうせ宅配便でしょ? それくらい私が勝手に名前書いておくよ」
いや、それはダメだろ。それに、宅配便じゃない。来客するような奴もいないし――一体なんだ?
もしかしたら、危ない奴かもしれない。
「待て、春!」
そう静止した時にはもう、春は玄関の扉を開けていた。
「――――え?」
春の呆気に取られる声。俺は急いで玄関の方へと向かった。
ガッ、ドタガタガタッ!
玄関から鳴り響く、けたたましい音。
な、なにが起きたんだ!?
「なにが起きた!?」
すると、低い男の声が返ってくる。
「な、なんで玄関にトラップが仕掛けてあんだよ!」
その声は…………
「公平?」
「いっつつ……っておいギン! こんな所に白杖を置いていたら危ねえじゃねえか!」
「アッハッハッハ! 引っかかってやんの!」
「っち、てめえがやったのか春!?」
「そこに白杖があるのは防犯と、倒れた時に探さなくてもいいためよ! ふっ、一か月前からこうなってるのに、まさか知らなかったの?」
…………それ、今日の朝俺が言ったやつだろ……
「今日初めて来たんだから知るわけねえだろ! てか、なんで春がギンの家にいるんだよ。噂には聞いてたけどお前ら、本当に付き合っていたのか?」
「なッ」
「別に付き合ってはないぞ。住んでいる場所が近いからたびたび遊びに来られているだけだ」
「あ、そうなのか? 悪いな、変な勘違いしちまって。…………ん? どうしたんだ春? タコみたいに顔赤くし――ぶほッ!」
公平が急になにかを吹き出す音がする。
なにも見えない俺には、なにがあったのか分からなかった。
「ど、どうしたんだ公平!?」
「ゴホ、おぇ。だ、大丈夫だ。な、なるほどな。そりゃ大変だ」
大変なのは今のお前だろ。本当になにがあったんだ?
「ま、まあいい。春がいるんだったらちょうど良かった。プリンと、ケーキ。それに、犬のおやつを……持ってきてる……ぜ……」
そう言った瞬間、ドタっと公平が力尽きる音がした。
「ど、どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
「わー! プリンだ! ねえねえ早く食べよ!」
「早くって……公平はどうしたんだ?」
「さあ? そこで寝そべってるけど、寝不足だったんじゃない?」
そ、そんなわけがないだろ。さっき思いっきり吹き出してたし。
「まあ大丈夫でしょ。ほっとけば起きるよ」
「鬼畜かお前はッ」
俺は急いで、公平の体を起こした。
♢♢♢
「それで、なにがあったんだ?」
3人でテーブルに座り、隣から春がプリンを開ける音がする。
こいつ、本当にのんきだな……。久しぶりに目が見えなくて不便だと思ったわ。
すると公平は戸惑ったような、焦ったような声で答えた。
「い、いやー。ね、寝不足だったんだよ」
「そ、そうなのか? まあ、どこも悪くないんだったらいいんだが……」
「体は全然大丈夫だぜ。ほら、ジョンを膝に乗せてもピンピンしてるしな」
ジョンを膝に乗せているのか……ジョンってかなり重いんだけどな。
「それより、ケーキ開けようぜ。最初は2つ買おうと思ってたんだが、残り1つをどっちにするか選べなくて、ちょうど3つ買ってきてたんだ」
「…………どうしたんだいきなり? それに、なんでこのマンションに住んでるって知ってるんだ?」
「ずっと前にギンから聞いてたぞ。後、ドイツで演奏することになったんだろ? だからそのお祝いだ」
「な、なんでそれを……」
「ふっ、これでも俺は音大生だぜ? 耳の鋭さは人一倍ある」
「……なんか、悪いな。金は俺が払うよ」
「それじゃ俺が祝ったことになんねーだろうが」
ま、まあそうかもしれないが…………頑張ってバイトして貯めたお金を、こうやって使うなんて……
申し訳なく思いつつも、俺はどこか嬉しかった。
「ねーそんなことよりも、早くケーキ開けようよ。なにがあるの?」
「ったく、お前が一番食い意地張ってんな。ショートとチョコとタルトだ」
「じゃあ私チョコで!」
「なんでお前が一番最初に決めてんだよ。ギン、お前はどれにする?」
「じゃあ俺はショートで」
「この馬鹿に配慮しなくったっていいんだぞ? お前のお祝いで買ってきたんだから」
「いや、元々ショートが好きなんだ」
やっぱケーキの王道と言ったらショートケーキだしな。初めて食べた時のこいつの味は忘れられない。
フォークを取り、前に置かれたショートケーキを食べようとする。
が、その前にいちごを取って、それをフォークで半分に分けた。
「ほら」
「サンキュー」
半分のいちごを春に渡して、俺も残りの半分を食べる。
すると、公平が驚いたような声を出した。
「いやいや! なんで本命を半分あげちゃうんだよ!」
「え? 昔からこうだけど?」
「いや、じゃあ春もなにか返せよ……チョコケーキの一部とかさ……」
そう言われてみればそうだな。このままじゃフェアじゃない。
小さいころからやってきたから、考えもしなかったな。
「え、でもフォークに口付けちゃったし……」
「え? お前らってまだ間接キスすらしてないの?」
「は、はあ!? それってどういうこと!?」
「いや、別に恋愛的な意味はねえよ。小さいころから一緒にいるんだったらそんなの気にしないもんだろ?」
「えっ、いや、そんなことは…………」
言いよどむ春に、公平はため息をつく。
「案外、お前らの絆も浅かったんだな」
「な、そ、そんなことないし!? ギン、私の分けてあげる!」
「お、おう。ありがとう」
俺の皿にカチャッとフォークの音がした。恐らくチョコケーキの一部を置いたんだろう。
「え? いや普通そこはあーんだろ。……まじかあ。お前とギンの絆って――」
「ああもううるさい! ほらギン、あーんッ!」
いや、完全にからかわれてるし、もうこれやけになってるだろ。
「おい春、冷静になれ――」
「なに!? ギンは私のチョコが食えないっての!?」
ど、どういうことだよ……まあもういいか。
俺は口を開けて、チョコが来るのを待つ。
すると、口の中にチョコの匂いが広がった。
こ、これで口を閉じればいいんだよな? こんなの母さんにしかやってもらったことないから、少しだけ恥ずかしい――
とその時、俺の喉にフォークがぶっ刺さった。
「!? ゴホっ、オエ!?」
「えっ、ちょ、大丈夫ギン!?」
「だッハッハッハッハ!」
むせる俺に、そんな俺の背中をさする春。いや、お前のせいだからな。
そして悪魔のように笑う公平。
今日は随分と、騒がしい一日だ。
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