第5話 悩み
「ドイツ…………しかも、あのベルリン・フィルハーモニーで演奏か……」
日本では知らない人も多いところかもしれないが、ピアノに興味のある人だったらほとんどの人が知っている有名どころだ。
俺が……そこで演奏? なんでそんな急に……
一応返事は保留させてもらったが、やっぱり断ろうかな。
俺は今までも大勢の人の前でピアノを弾いたことが何度かあるが、今回のはそんなのとは比べ物にならないほど大規模だ。
ソファで寝っ転がりながら考えていると、春が気楽な声で喋る。
「いいんじゃない? そんなところで演奏できる機会なんてなかなかないんだし、受けてみればいいじゃん」
「あのなぁ……そんな簡単に言うけど、俺はただの三流ピアニストだぞ? それに、まだ大学生だ。そんな俺に超一流の演奏場所を用意されても、荷が重いだけだよ」
「でも演奏してくれっていったのはドイツにいる人なんでしょ? ハンス先生がそう言ってたじゃん」
そうなのだ。別に俺やハンス先生が頼んだわけじゃなく、ハンス先生が俺がピアノを弾いている姿を録画して、それを知り合いに送ったらそう言われたらしい。
「ギンのピアノが認められたってことなんだから、自身持てばいいのに」
「…………俺のピアノっていうか、俺が全盲だからだろ。全盲のピアニストなんて物珍しいし、それで頼んだんじゃないか?」
まあ俺はピアニストですらないんだがな。ピアニストの定義が良く分からないが、ピアノで稼いでいるわけじゃないし、ただのピアノが好きな一般人だ。
「それもあるかもしれないけど、ギンの演奏を気に入ったから呼んだんだよ。そうじゃなきゃ、全盲ってだけでそんなすごい場所には呼ばないと思うよ」
「……そうかな」
「うん、きっとそうだよ」
そんな励ましに、俺は心が少しだけ軽くなる。
昔から俺は、全盲であることを可哀想だとか大変だねとか、色んな言葉をかけられてきた。
ただ、俺からしてみればこのなにも見えていない景色が当たり前だから、なにを憐れまれているのか分からなかった。
始めは目が見えていたけど、ある日突然全盲になったというのなら俺も多少はがっかりしたり落ち込んだりしたのかもしれない。
けど、俺は生まれてからずっと目が見えないのだ。もちろん、この世の中は目が見える人用に作られているものが大多数だから不便を感じることもあるが、そこまで自分の生まれを恨んだことはない。
逆に、恵まれている方だと思う。
母さんと父さんは目の見えない俺を全力で可愛がってくれて、過剰なまでのサポートもしてくれた。
隣の家に住んでいた春はずっと俺と仲良くしてくれるし、他にも友達が大勢いるはずなのに気を遣っているのか俺とばかり話してくれる。
その上ハンス先生を始めとした教師にも恵まれたし、今回なんて行きたいと願っても行けないような場所に行けることになった。
「…………春、俺って恵まれているよな」
他愛のない言葉をかけられることも多いが、俺自身はそう思っている。
「え、どうしたの急に?」
「……いや、やっぱなんでもない」
春になにを聞いているんだと恥ずかしさを覚えながら、寝返りを打つ。
すると、春が強引にソファに座ってきた。
「おい――」
「まあこんな可愛い幼馴染がいるんだし、恵まれてるんじゃない?」
少しドヤった声色でそう言ってくる。
「可愛いって……俺には分からないんだよ」
春は昔から自分のことを可愛いと言っているが、果たして本当なのだろうか。
まあ俺からすればブスでも可愛くても関係ないんだけどな。見れないし。
「ふっ、ギンは知らないかもしれないけど、私ってこれでもモテてるんだからね」
果たしてどこまでが本当なんだか。
「ふーん。まぁ、お前性格はいいしな。見た目は知らんけど」
「なつ」
「…………まだ決められたわけじゃないけど、前向きに考えてみるよ」
すると、春がゆっくりと俺の体に寄りかかってきた。
春の体温が俺の体に伝わってきて、焦る。
「お、おい!」
「私はいいと思うよ。決めるのはギンだけど、そんな大舞台でギンのピアノが聞けるってなったら、私は嬉しい」
「…………聞けるって、ドイツだぞ?」
「ドイツだろうがブラジルだろうが、ギンが演奏するなら私は行くよ」
行くって……お前そんな、金を持っているわけでもないだろうに。
俺は演奏する立場なので旅費なんかはあっちが出してくれるだろうが、春には出ない。
「私はギンのピアノのファンだからね。……せっかくだし、今一緒に演奏してみる? バイオリンは持ってきてあるよ」
「……少し寝たら弾くかな」
「…………そう、だね。私も……起きたら……弾こうかな」
春の眠たそうな声。
こいつ、ここで寝るつもりかよ。ベッドに連れて行って…………いいや、いいか。
いつもだったら、春をベッドに連れて行って俺がソファで寝たはずだ。
なのに今日はなぜか、このままでいいと思ってしまった。
俺はそのまま、意識を閉ざしていった。
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