第8話

 不器用に、恐々と始まったふたりのデュエット。


 どの一瞬も見逃さないように、春は全神経を音に集約させる。しかし涼香のミスが続き、視界の端でまた唇を噛むその姿が見えた。春は楽器を鳴らしながら柔らかく、しかしちゃんと届くように言葉を紡ぐ。



「聴いて、俺が一緒に弾いてるから」



 涼香に伝わるように、左手で感情たっぷりにビブラートを効かせた春。彼女がスッと息を吸う、その呼吸が音の間を掻い潜り、春にも聴こえる。

 瞬間、ぐっと力が入った奥歯。涼香の指がしっかりと震える弦の上に乗せられる。

 春は確かに、その瞬間を視界の端で捉えた。




 そこから先は、春にとって夢のような時間だった。




 溶け込むふたり分の呼吸、あまりにピタリと重なり、寸分のたがいもない。涼香の可憐で伸びやかな奏法に惚れ惚れしながら、春はそれを抱きしめるようにただ弾き続ける。そして、それに応えるように涼香が春に向き合っている。たまに触れ合う視線同士が、愛おしくてたまらない。

 こんなにも、君の音楽に焦がれていた。





「春さん、私、」

「……涼香ちゃんは本当に、音楽が好きなんだね」



 やがて音が止んだ世界、ふたりきりの小さな部屋で僅かに震えた声。



「すごく伝わったよ。音楽が大好きで、目一杯楽しみたいんだって、叫んでた」



 涼香の瞳が揺れる、とうとう涙が頬を伝う。しかしその瞳の色が鮮やかなのを見て、春はほっと息を吐いた。

 やっと思い出してくれたみたい。

 春にもその感覚がわかる。あの日、涼香が春に与えてくれたものをやっと贈り返すことができた。確かにふたり、音楽に触れている。



「……弾いてくれて嬉しかった。俺はずっと好きだよ、涼香ちゃんの音」



 そっと涙を拭った春の指先、初めて触れた涼香の肌。

 「ずっと」好きだよ。君がその言葉の意味を知るのは、まだもう少し先かもしれないけど。

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