金曜日 お金で解決すること
次の日。
七月末の金曜日。僕達の小学校では、今日が終業式の日だった。
「帰ろうぜ」
ヒロトくんが僕達の教室に来た。今日は終業式だけなので、十時にはもう放課だった。
「うん」
僕とシュウくんは、ヒロトくんと一緒に教室を出た。
そしていつもの帰り道を歩く。夏休みの予定なんかを話しながら、多すぎる宿題に愚痴を溢した。
「あ、そうだ」
その時、ヒロトくんが何か思い出したように、僕達に言った。
「俺、これから兄ちゃんの大学に行くんだけど、お前達も行かね?」
「大学?」
「おう。お兄ちゃんも午前で学校終わりなんだってさ。それで学校終わりにご飯連れて行ってくれるらしいんだよ」
「それ、僕も行っていいの?」
「いいぜ。友達も連れて来いって、兄ちゃんも今朝言ってた」
最近、外食に連れて行ってもらっていないので、願ってもない話だ。
「うん。お母さんに聞いてみる」
「おう」
しかし、シュウくんは残念そうに首を横に振った。
「ごめん。僕はいいや。僕の家も今日外食するんだ」
「そっか。じゃあ、また今度な」
「うん」
そう話したところで、丁度分かれ道になってしまった。
「じゃあ、バイバイ。シュウくん」
「うん。また夏休みに会おう」
そして僕も一旦家に帰り、お母さんにご飯のことを話した。お母さんが許可してくれたので、僕はそのままヒロトくんの家に向かった。
「お待たせ」
「おう。じゃあ、行こうぜ」
こうして、僕はユキオさんの通う大学に行くことになったのだった。
大学は僕達小学生でも自由に出入りできるらしい。けれど当然、大学の敷地内には大人の人ばかりで、僕はなんだか居心地が悪かった。
大きな建物の入り口でユキオさんを待った。行き来する大学生が、僕達のことをもの珍しそうに見ている。それがとても恥ずかしかった。
「悪いな、お待たせ」
声の方へと顔を上げると、ユキオさんが立っていた。
「ユキオさん、こんにちは!」
「おう、こんにちは」
「それで兄ちゃん、テストはどうだった?」
「もう楽勝!」
ユキオさんはピースサインを掲げた。
……過去問使ったくせに。と思ったけれど口にはしなかった。テスト終わりのユキオさんがあまりにも幸せそうだったので、水を差すのも悪い気がしたのだ。
それに、大学生のテストは本当に難しいのだろう。責め過ぎるのも可哀想だ。
「まあ、お疲れ様」
なのでヒロトくんと一緒に、ユキオさんを適当に褒めた。それでユキオさんはますます調子が良くなった。
と、その時
「あれ?」
視線の先。廊下の奥に、見知った顔を見つけた。
「千夏さんだ」
なんという偶然、と思ったが、しかしここはお姉さんが通う大学でもある。千夏さんがいるのも当然といえば当然かもしれない。
「ヒロトくん、ユキオさん、少しだけ待ってもらってもいい?」
「いいけど、どうした?」
「ちょっと知り合い見つけて」
二人は不思議そうに顔を見合わせた。詳しい説明をするのも面倒なので、そのままお姉さんのところに向かう。
昨日のお姉さんはどこか様子が変だった。だからというわけではないけれど、今日は普段通りに話せることを期待して、千夏さんに話しかけることにしたのだ。
「あれ?」
よく見ていなかったので気づかなかったが、お姉さんは誰かと話しているようだった。邪魔をしては悪いかと思って、立ち止まったその時だった。
「はい、丁度。まいど」
「……ありがとうございます」
千夏さんが男の人にお金を渡して、そして何かを受け取った。
「困ったらまた言ってね」
「……」
それで会話は終わった。お姉さんは小さく礼をしたまま、その場を動かなかった。一体、なんだったのだろう。お姉さんは何を買ったのだろう。
「あの、こんにちは」
恐る恐る話しかけると、お姉さんはびくりと大きく身を震わせた。
「……きみ。どうしてここに?」
「友達のお兄ちゃんがここに通ってて。その友達の付き添い」
「……そう」
千夏さんは先ほど受け取った物を、後ろ手に隠した。
「……?」
それで気になって、つい尋ねてしまった。
「お姉さん。さっき何買ってたの? それ何?」
するとお姉さんは、何故か青ざめた。
「まさか、見てたの……?」
「え? うん……」
「……」
お姉さんの顔色は、みるみる内に悪くなっていった。その時になって、僕は自分の過ちに気が付いた。買った物を僕に知られたくないから、後ろ手に隠したんじゃないか。それを尋ねるなんて、僕はどこまでバカなのだろう。
「えっと、訊いちゃ駄目だった?」
「……そんなことないよ」
「あの、ごめんなさい」
「だから、どうして謝るの」
「いや、その……」
……ああもう。なんだってこう、お姉さんの気に障ることばかりしてしまうのだろう。昨日から、どうも会話が下手くそだ。
「……じゃあ、私、帰るね」
「え、もう帰るの?」
すると、またお姉さんの表情が小さく歪んだ。
「うん。もう帰るの」
そう言って、お姉さんは出口に向かってしまった。その背中が見えなくなるまで、僕はただ見つめることしかできなかった。
「もう、何なのさ」
昨日から会話がうまくいかない。けれど原因もわからない。
やり場のない苛立ちがふつふつと湧いて出た。
あの後、ファミリーレストランに連れて行ってもらって、ハンバーグセットを食べた。嬉しいことに、ユキオさんはドリンクバーもつけてくれた。太っ腹だ。
それにしても、ドリンクバーを頼むときいつも思うのだけれど、ジュースが飲み放題だなんて、お店は大丈夫なのだろうか。僕は十杯も飲んだ。絶対に払ったお金以上の量は飲んだ自信がある。
「ふう」
家に帰ってソファに寝そべり、お腹をさすった。冷房の真下なので、涼しい風がずっとさらさらと流れている。
もう夏休みということもあって、気温は上がるばかりだ。帰り道をただ歩いただけで、汗が止まらなかった。ドリンクバーであんなにおかわりしたのに、家に帰ると喉が渇いて仕方がなかった。
窓の方に目をやる。建物の隙間から突き抜けるような青空が見えた。
この青は、夏の青だ。
不思議とそう思った。別に春でも秋でも冬でも、空の色に大きな違いがあるとは思えない。けれど、今そこにある空は確実に夏のものだった。これがみんなの言う「夏空」というやつなのだろう。
窓を閉めても聞こえてくるセミの声に耳を傾けながら、夏空を見つめた。
いつもなら授業を受けている時間。冷房の下、膨らんだお腹を撫で、どこまでも広がる夏空を眺めながら、セミの声に思いを馳せる。
こんなにも贅沢な夏の感じ方があるだろうか。僕はなんだか可笑しくなって、口元が緩んでしまった。
今日から夏休み。午前中は実感がなかったけれど、こうして怠けていると去年の記憶が蘇って、本当に夏休みなんだと嬉しくなる。
今年は何をしようか。考えるだけでワクワクする。
おじいちゃんとおばあちゃんの家には行く。それと毎年恒例の海もきっと行くはずだ。あとはなんだろうか。
多分、動物園か水族館のどちらかには行く。というか僕からお願いする。それから、お母さんの趣味で上野の特別展示にも行くだろう。そして、お父さんが釣りに連れて行ってくれるかもしれない。僕ももう四年生。今年こそキャンプに参加したい。
あとはお祭り。お祭りに行って、たくさん色々なものを食べたい。かき氷とアイスクリームは外せない。焼きそばも、屋台で食べると不思議なくらい美味しく感じられるのだ。
そしてイベントだけではない。僕はきっと、ヒロトくんとシュウくんとたくさん遊ぶだろう。夏休みの間、学校はプールを開放する。僕達は毎日プールに行くことを約束した。午前中はプールで遊んで、その後はみんなの家で遊ぶのだ。
それから、学校でワークショップが開かれるらしい。なんでも、木材を使って自由に工作ができるらしいのだ。それにも参加する予定だ。
それから……。
それから。
「……科学館にも、行きたいな」
ぽつりと呟く。
今年の自由研究に何をするのか、まだ決まっていない。そしてそんな小学生のために、科学館は夏休みの間、自由研究のアイデアを一緒に考えてくれるらしいのだ。
毎年、僕は自由研究を最後の方に残してしまう。漢字ノートとか算数ドリルは、日課として毎日取り組むことができる。しかしその一方で、交通安全ポスターとか、読書感想文とか、そういう大きな宿題は後回しになってしまうのだ。
特に自由研究。自由と言われたって、何をすれば良いのか全くわからない。一番の厄介者だ。
だからこそ、今年こそは早めに終わらせてしまおうと考えていた。千夏さんも「科学館に来ればきっと、すぐにアイデアが思い浮かぶよ」と言ってくれた。科学館のアドバイスを聞きながら行う研究は、きっと凄いものになるはずだ。優秀賞だって夢じゃないかもしれない。
……そう思っていた。けれど。
「……」
昨日と、今日のお姉さんのことを思い出す。
昨日。木曜日。お姉さんにあの風景を見せてから、お姉さんの気分は沈んでしまった。そして日記を見せると、更に落ち込んでしまったのだ。
そして今日。金曜日。お姉さんがお金を払って何かを買っていた。それについて尋ねると、お姉さんは青ざめた。
こうして思い出してみても、やっぱり原因がわからない。どうにも僕が悪いようには思えなかった。隠した物をわざわざ尋ねたのは申し訳ないけれど、それにしたって、あんなに焦ることはないように思ってしまう。
しかし結局のところ、原因なんてどうでもいいのかもしれない。
「千夏さんは、僕ともう会いたくないのかな」
昨日から僕の頭をぼんやりと支配する不安。千夏さんが面と向かって僕にそう言ったわけではない。けれど、僕と一緒にいても、お姉さんは笑顔になれない。
静かに目を閉じる。
閉じて、これまでのことを思い出す。
……嫌いなら、嫌いだと言ってくれればいい。
会いたくないなら、会わなければいい。
それなのに、お姉さんはただ顔を曇らせるだけで、僕を許すことも突き放すこともしない。僕は闇雲な不安の中、ふわふわと浮かんでいる。宙ぶらりんだ。
そんな状態では僕は何もできない。足掻いても、どこにも届かない。もどかしい状態のまま、お姉さんの苦しそうな顔ばかりが頭に浮かんでいる。
「わかんないよ、もう……」
原因がわからないのでは、考えても仕方がない。考えようと思っても、何もない暗闇に一人ぷかぷかと浮かぶ自分ばかりを想像してしまう。重力も消え失せて、どこまでも広がる宇宙を漂っている……。
そして、そんな妄想を続けている内に、疲れた体が心地良い風に冷やされて、熱を失い、涼やかな眠りへと落ちていった……。
土日。夏休み初めての休日なので、思いっきり遊ぶことにした。もっとも、もう毎日が休日なので、なんだか変な話なのだけれど。
月曜日。さすがにずっとダラダラしているわけにはいかない。朝は地域のラジオ体操に参加して、その後プールに行った。勿論、ヒロトくんとシュウくんと一緒だ。
午後は一旦家に帰って、また二人と会って一緒に遊んだ。夕方になって家に帰ると、漢字ノートと算数ドリルを一日分終わらせた。
火曜日。月曜日と同じように、朝はラジオ体操、午前はプールに行った。日差しが強く、焼けるように暑い日だったので、プールが気持ち良かった。プールサイドで待っている時間は地獄だったけれど。
月曜日とは違って、午後はずっと家に居た。一日分の宿題を終わらせて、その後は家で映画を見た。
夏休み序盤なので、まだゆっくりしてもいいだろう。むしろ、休みになったばかりなので、平凡な日々を楽しむのが正解なのだ。そう言い聞かせ、ソファに寝転がった。
そして水曜日。
ラジオ体操とプールを終え、帰宅。今日も用事があるようで、ヒロトくんとシュウくんとは遊べなかった。
お昼ご飯を食べて、何となく机に向かう。早々に漢字ノートと算数ドリルを終わらせて、ソファに座った。
テレビゲームでもしようかとコントローラーを握ったけれど。
「ううん」
なんだか気分じゃなかった。テレビをつけてみるけれど、昼下がりのニュース番組ばかりで退屈だ。映画もやっていたけれど、難しそうな洋画だった。途中から見ても話がわからない。僕はテレビを切った。そのままソファに横たわる。
……退屈だ。
折角の夏休みなのに、ヒロトくんもシュウくんも二日連続で遊べないなんて、ツイていない。二人と一緒じゃないと、こんなにも退屈だ。
別にやることがないわけではない。時間を潰せるものなんて探せばいくらでもある。けれど、今は何をしても心は動かない。そもそも心が灰色なのだ。
そして、その原因は明らかだ。それは最近の僕を支配する気がかり。
「……千夏さんは、何してるんだろ」
ぽつりと呟く。金曜日以来会っていないので、あの日見たお姉さんの薄暗い顔が、僕の脳に張り付いて離れない。
千夏さんは今日も、あの暗い顔のままなのだろうか。それとも今日会いに行けば、木曜と金曜のことが嘘であったかのように、明るい笑顔を向けてくれるのだろうか。
「……」
心配と不安と、そしてほんの少しの不満が、ぐるぐると頭の中を回っている。
「……ああ、もう!」
僕は立ち上がった。このまま悩んでいても、答えが出るはずがない。
「科学館に行こう」
そう決めた。元々、自由研究について相談をしようと思っていたのだ。それを今日済ませてしまうだけだ。
そしてそのついでにお姉さんに会う。会ってどうするかはわからない。まさか「千夏さんは僕のこと嫌いなの?」なんて訊けるわけもないけれど、このまま何もしないよりかは、とにかく科学館に行って話した方が良い。
そして会って、お姉さんが笑っているなら、それでいい。
時刻は午後二時。まだ科学館は開いている。そして今日は水曜日。お姉さんが科学館でバイトをしている日だ。
僕はそのまま家を飛び出して、科学館に向かった。
それから約二十分後、科学館に到着した。
「……なんだか人が多いな」
科学館といえば人の少ないイメージしかなかったけれど、今日は何故か人が多い。どうしてだろうと考えて、そして思い至った。
「そっか、夏休みだからか」
夏休みの期間、科学館では様々なイベントが行われる。自由研究のアドバイスもその内の一つだし、今後は実験教室も開かれるらしい。
遊びながら学ぶことができる科学館は、小学生の夏休みに丁度良いのだ。
人混みを避けながら科学館の中を歩く。夏休みということもあって小さな子供が多い。そしてその子供達に向けて、スタッフのお兄さんお姉さんが科学の説明をしている。
しかし、そのスタッフの中に千夏さんの姿は見当たらなかった。
「今日はレジ打ちとか受付なのかな」
それで周りを見回してみるけれど、やっぱり千夏さんはどこにもいなかった。
「休憩中かな」
少し疲れて、ベンチに腰を下ろした。
「……何やっているんだろ、僕」
思わず呟く。夏休みが始まって早々、お姉さんを探しに科学館に来て、そして結局お姉さんの姿はどこにもない。自分に呆れて、笑いすら漏れてくる。
と、その時だった。
「あれ? きみは……」
前の方から声が聞こえた。顔を上げて見ると、そこにはどこかで見た顔があった。一体、どこで見たのか……。
「あ、科学館のおばさん」
思い出した。学校をサボった雨の日、科学館で会ったスタッフの人だ。普段は入れない職員専用の部屋で、僕に優しく話しかけてくれたのだ。
おばさんはその時と同じ笑顔で僕に微笑んだ。
「こんにちは。今日もサボり?」
「……夏休みです」
顔を顰めるとおばさんは笑った。
「ごめんなさい。冗談よ。今日は遊びに来たの?」
「はい、まあ……」
「そんなところです」と言おうとして、思い留まる。このまま一人で千夏さんを探すより、スタッフの人に訊いた方が早いかもしれない。
「えっと、千夏さんを探してて」
「千夏さん?」
おばさんは少し考えて
「ああ、水曜日はあの子、午前勤務よ」
「え?」
現在二時半。午前勤務なら今いるはずがない。無駄足だったようだ。それでがっくり肩を落としたところで
「あ、いえ。そもそも今日は来ていなかったかしら」
「え?」
「うん。そうね。今日はお休みだったわ」
おばさんはそう言い切った。
「……どうしてですか?」
思わず鼓動が早くなる。お姉さんは最近、落ち込み気味だ。それが原因でバイトを休んだのかもしれない。そうであるなら、つまり、僕の所為かもしれないということだ。
しかしそれは考えすぎだったようだ。
「今週はテストが多いらしいの。ほら、大学生でしょ? あの子」
「あ、そっか」
確かに、ヒロトくんのお兄さんであるユキオさんも、先週の金曜日にテストだった。きっとテストの時期なのだろう。
「今日も一限にテストがあったらしいわ」
大学生はテストで良い点数を取らないと、進級することができないらしい。なのでテストは休めない。バイトが休みになっても仕方ない。
「いつテストが終わるか知ってますか?」
「え? えっと……あ、思い出した。金曜の午前で終わるって言ってたわ」
「そうですか。ありがとうございます」
「どういたしまして。あ、私もう行かなきゃ。じゃあ、ゆっくりしていってね」
おばさんは少し忙しそうに、そのままどこかに行ってしまった。今日は科学館の客が多い。おばさんも暇ではないのだろう。僕はおばさんの背中をぼんやりと見送った。
「金曜日か」
ぽつりと呟く。今日は千夏さんと会えなかったけれど、収穫はあった。テストは金曜日に終わる。その後ならば、千夏さんと会えるだろう。
僕はそのまま科学館にしばらく残った。僕よりも小さな子が多く、あまり自由に遊ぶことはできなかったけれど、暇を潰すことはできた。
そしてぼんやりしていると閉館時間になり、僕は家に帰った。
そして寝る直前に
「あ」
自由研究の相談を忘れたことに気が付いた。
次の日。木曜日。
今日は雨が降った。激しい雨ではないけれど、一日中降り続けるらしい。そのためラジオ体操も、プールも中止だ。
「暇だな」
曇っているので、家の中が薄暗い。朝から居間に電気が付いているのは、不思議と少し気持ち悪かった。
午前中は暇になってしまったので、宿題を済ませてしまおうかと考えた。けれど、机に向かう気になれなかった。椅子に座ることくらい、なんてことはないはずなのに、宿題をやるのかと思うと急に体が重くなる。
結局、午前中は朝ご飯の時からずっと、テレビを見続けてしまった。子供向けの番組をぼんやりと眺め、「僕が普段学校に行っている間、こんな番組をやっていたんだ」なんて思った。別に見ていて面白いものでもなかったけれど、平日の朝からテレビを見るのは特別感があって、テレビの前から動けなかった。
そして授業の無い平日の午前中は、あっという間に過ぎていく。
「ご飯だよ」
時刻は正午をまわり、お母さんと一緒にお昼ご飯を食べた。
そしてお昼ご飯を食べている時も、食べ終わった後も、ダラダラとテレビを見ていると
「そろそろ宿題しなさい」
とお母さんに叱られた。僕は渋々テレビを消し、自分の部屋へと向かった。
なんとか勉強机に向かい、漢字ノートを開く。けれどやっぱりやる気は出なかった。鉛筆を持ったまま、窓の外をなんとなく眺める。
昼間になっても薄暗いままで、昼なのか夕方なのか、感覚がおかしくなってしまいそうだ。
その時、気づいた。
「セミだ」
空は曇り、雨が降っている。それなのに、セミの鳴き声が聞こえてきた。
「雨でも鳴くんだ」
普段と比べると静かだけれど、それでも閉めた窓の向こうから、確かに鳴き声が届いている。夏空じゃないのにセミが鳴いているのも、僕には少し奇妙に思えた。セミが鳴くのなら、晴れてくれれば良いのに。
そんなことを考えていると、時間ばかりが過ぎていく。無意識でノートを鉛筆で叩いていたようで、乱雑に散らばった点々の落書きがノートを汚していた。ため息を吐いて、その落書きを消す。
「大学の勉強って難しいのかな」
ふと思った。小学生の夏休みの宿題がこんなにも面倒なのだ。きっと大学生の勉強はとても難しいのだろう。この間ユキオさんと会った時、「事前に問題を知らないと、テストに合格するのは難しい」と聞いた。進級を決めるテストだ。難易度が高いのは当然かもしれない。
「お姉さん、大丈夫かな」
僕は無意識に千夏さんのことを考えていた。今頃、テストをしているのだろうか。それともテストに向けて勉強しているのだろうか。もし、もしも、僕の所為で勉強に集中できていなかったら、どうしよう。
そんな心配をしてもどうしようもないのは、僕にもわかっている。テストが終わるまでは会えないだろうし、それにいずれにせよ、明日テストは終わる。
しかし、そうとわかっていても、考えるのをやめようとしても、それで無視できるものでもない。僕の意識はお姉さんに支配されてしまったのだ。
「先週の金曜日、千夏さんは何を買っていたんだろう」
尋ねた時、お姉さんは気まずい顔をしていた。買った物を、僕に見られたくない様子だった。僕に見られて困る物。それは一体なんだろう。どうしてお姉さんはそれを隠そうとしたのだろう。
隠したがっているのに、知ろうとするのは悪趣味かもしれないけれど、それでも気になってしまう。隠し事をされるのは、なんだかむずむずする。
一度考え出すと、もう止められなかった。様々なことを思い出してしまう。
違和感は先週の木曜日からだ。木曜日、お姉さんは僕の日記を読んで青ざめた。特に変なことは書いていないはずなのに。あれから僕は何度も日記を読み直した。けれどやっぱり、お姉さんを傷つけるようなことは書いていなかった……はずだ。
一体、お姉さんは何に悩んでいるのだろう。何を隠しているのだろう。
僕はもう、明日まで待っていられなかった。今すぐにこのモヤモヤを解決しないと、この夏が歪んでしまう気がした。
だから僕は考えた。つい先日まで、僕は千夏さんの助手役だったはずなのに、今度は僕が探偵になろうとしている。そう考えると、やっぱり少し違和感があるけれど、それでもこの謎は、僕が解くしかないのだ。
月夜に浮かぶ手紙の謎を解いた、月曜日。
神社に放たれようとした火の謎を解いた、火曜日。
水に濡れたツバメの死骸の謎を解いた、水曜日。
不自然な穴の開いた木の謎を解いた、木曜日。
千夏さんがお金を払って何かを買った、謎に包まれた金曜日。
僕は事細かに思い出す。お姉さんとの日々を。ユキオさんから聞いた大学生の話を。そして昨日科学館のおばさんから聞いた話を……。
「あれ?」
そこで、ふと引っかかりを覚えた。
「千夏さんは昨日、テストがあった」
一人呟く。昨日おばさんが言っていた。テストがあるから、千夏さんはバイトを休んだと。一限にテストがあった、と。
「でも、変だよ。それは、変だ」
僕は深く考える。一体、どうしてお姉さんは……。
「……」
一度その違和感に気づくと、お姉さんの行動の全てが奇妙に思えてくる。僕は、その行動の意味を考えた。一つ一つ、千夏さんとの思い出を追っていく。
そして
「……もしかして」
とある結論に辿り着いた。それは信じ難い結論で、もしもこの仮説が合っているのなら、千夏さんに対する認識が大きく変わることになる。
けれど考えれば考えるほど、今までの行動に納得ができてしまうのも事実だった。
では、この仮説を当てはめれば、お姉さんが金曜日に買った物がわかるだろうか。金曜日の謎が解けるだろうか。
僕は少し考え、
「……わかる」
わかってしまった。お姉さんが買った物。お姉さんが隠したかった物。その全てがわかってしまった。
「そうか、そうだったんだ」
これで謎は解けた。千夏さんの謎を、僕が解き明かしてしまった。
僕は椅子の背もたれに体重を預け、
「……なんて」
ため息を吐いた。
「なんて、くだらない」
窓の外を見る。灰色の雲が暗く、重く、夏の空を押しつぶしていた。
次の日。金曜日。
僕は千夏さんの通う大学に足を運んだ。時刻は十二時の少し前。そろそろテストが終わる時間だ。僕は先週の金曜日にユキオさんと待ち合わせた建物で、千夏さんを待った。
十二時になるとチャイムが鳴り、建物内は囁き声でざわめいた。そしてもうしばらく待つと、いくつかの教室のドアが開き、大学生がどっと流れ出た。
テスト終わりだからだろうか。心なしか彼等の顔は疲れているように見えた。
「大問三、あれって四十五度?」
「え? そんな綺麗な数字になる?」
「ラプラス変換表載ってんのかよ。覚えちゃったよ」
「あれどうなった?」
「なんだっけ。確かサインのルート三乗があるやつが分母で、分子にサインの二乗があるやつ」
僕が聞いてもわからない会話が、廊下に響き渡っている。こんなに大学生がいるのに、みんなテストの話ばかりしている。中には、友達と答え合わせをして間違いを発見し、絶望している大学生もいた。もうテストは終わったのだから、どうせならもっと楽しい話をすればいいのに。
そんなことをぼんやり考えつつ、人混みの中から千夏さんを探した。人が多いので千夏さんを探すのも一苦労だ。それに、やはり小学生は珍しいのか、みんなが不思議そうな目で僕を眺める。それが恥ずかしかった。
そしてお姉さんを待つこと十分。
「遅いな……」
千夏さんの姿は見当たらないまま、人の数も減ってきた。もしかして、気づかない内にすれ違ってしまったのだろうか。それとも、千夏さんがテストを受けたのは、この建物ではないのだろうか。
僕は諦めて帰ろうとした。
しかしその時だった。目の前の教室のドアが開き
「あ」
千夏さんが出てきた。
「千夏さん……」
「きみ……」
お姉さんは僕を見ると、驚いたように目を見開いた。
「なんでここにいるの?」
「……」
先週とは違って答えられなかった。ただ黙ってお姉さんの顔を見つめる。そんな僕の表情を見て何を感じ取ったのだろうか。千夏さんは小さく息を吐いて
「とりあえず、二人で話せるところに行こうか」
そう言って僕に微笑んだ。それはとても柔らかい笑顔だった。けれど、どこか諦めの感情が混じっているような気がした。
僕が何を話したいのか悟ったわけではないと思う。それでもお姉さんは、自身の秘密がこれから僕によって暴かれてしまうことを直感したのだろう。
「どこに行こうか。ゆっくりできる場所がいいよね」
「どこでもいいよ」
「そっか、じゃあ、私の家でもいい? ここからそう遠くないし」
「うん。いいよ」
そうして僕はお姉さんの後をついていった。
今日は昨日と違ってよく晴れている。
蝉時雨の中、強い日差しが降り注ぐコンクリートの道を歩く。太陽の光が何もかもに反射して、僕は思わず目を細めた。すると、前を歩く千夏さんの姿が熱気に歪んで見える。真っ白なTシャツだけが目に焼き付いて、他はゆらゆらと煙のように溶けてしまった。
千夏さんのアパートに行くまで、僕達は一言も話さなかった。
「お邪魔します」
お姉さんの部屋はアパートの一階だった。カーテンが閉められており、昼間なのに部屋は薄暗い。冷房は切られていたけれど、日光が遮られているからか、外と比べると涼しく感じた。
「ごめんね、散らかっていて」
「そんなことないと思うけど」
確かに、本や紙切れが床に散乱しているけれど、僕の部屋よりかはよっぽど綺麗だ。なにより玩具が無い。本や紙なら、何となく散らかしても許される気がしてしまう。
お姉さんは冷房をつけて
「あ、やば」
小さく呟いた。
「どうしたの?」
「……いや、これ誘拐になっちゃうなって」
「? 誰が誰を?」
「私が、きみを」
僕は思わず首を傾げる。これは誘拐ではないと思う。
「僕は自分の意思でここに来たよ」
「それでも誘拐になるの。親の許可取ってないでしょ? そうするともう誘拐になっちゃうんだ」
「そうなんだ」
変な決まりだ。一体なんのための決まりなのかわからない。これが誘拐だというのはなんだか少し可笑しかった。
「じゃあ、お姉さんは犯罪者だ」
「そうなるね。だから、内緒」
お姉さんは苦笑しながら肩をすくめた。僕も笑って頷く。
「さて、そろそろ本題に行こうか」
そう言ってお姉さんはベッドに腰掛けた。
電気もつけないまま、カーテンも開けないまま、薄暗い部屋に二人。エアコンの冷えた風がようやく僕のもとに届いて、さらりと頬を撫でた。
「ここ、座って」
千夏さんはぽんぽんと布団を叩き、僕を呼んだ。僕はその指示通り、お姉さんの隣に並んで腰掛ける。
「それで、何の話かな?」
「うん」
僕は一度呼吸を整えて、お姉さんを見つめた。
……僕は今、探偵になろうとしている。
お姉さんが必死に隠してきたことを、目の前で解き明かそうとしているのだ。それは千夏さんからすれば不快なことだろう。僕は嫌われてしまい、今までの千夏さんとの思い出が、全部なかったことになってしまうかもしれない。
……それでも、僕は解くのだろうか。
お姉さんの瞳を覗き込む。その瞳は、興味も、不安も、絶望も、その全てを映し込んでいるように見えた。いや、それも僕の勘違いなのだろう。瞳を見ただけで……表情を見ただけで、人の全てがわかるはずがない。そんな当たり前のことに気づけなかったから、僕はお姉さんのことを勘違いしてしまったのだ。
……だからこそ。
僕は唾を飲み込んだ。
だからこそ、話し合わなくてはいけない。
千夏さんは大学生で、僕は小学生。年が離れているからこそ、勝手な思い込みで相手のことを決めつけてしまう。僕が千夏さんのことを誤解していたように、千夏さんだって僕のことを誤解している。
そのせいで、お姉さんは僕に隠し事をしなければいけなくなった。そのせいで、僕は不安になった。本来発生しなくてよかったはずの捻れが、僕達の間に生まれてしまったのだ。
そして、その捻れを元に戻すのは、会話しかあり得ない。
僕は意を決して、息を吸った。
「お姉さんの秘密を、暴きに来た」
小さく息を呑む音が聞こえた。
カーテンの隙間から漏れる光だけが唯一の明かりで、外の眩しさとは反対に部屋は薄暗い。そして、夏であるのが嘘かのように涼しい。外は夏の熱気に包まれているはずなのに。
なんだか、空間も時間も凍り付いてしまったかのような……別の世界に飛ばされてしまったかのような、そんな奇妙な感覚があった。
「……私の、秘密」
千夏さんが小さく呟いた。その顔に感情は無かった。しばらく視線が絡み合う。お姉さんは僕の推理を止めようとはしていない。僕は話を続けることにした。
「先週の金曜日、お姉さんは何かを買ったでしょ。お金を払って、何かを受け取ったのを僕は見たんだ。そして、千夏さんはそれを隠そうとした」
それこそがお姉さんの秘密だ。
「千夏さんが何を買ったのか、どうして隠さなきゃいけなかったのか、僕はその謎を明らかにしたんだ。それを今から説明するよ」
お姉さんは何も言わない。表情を変えない。
「その謎を解くためには、千夏さんの行動を追っていく必要がある」
「私の行動?」
「うん。順を追っていけば解ける謎だったんだ。少し考えれば、小学生にだってわかるんだよ」
別に僕だって、お姉さんの買った「何か」の正体を、突然思いついたわけじゃない。今まで千夏さんがやってきたように、その人物の行動を追って、奇妙な点を考えて、その理由を理解したのだ。そしてその結果、ほとんど自然な形で「何か」の正体に行き着いた。
この夏、僕はお姉さんと一緒にたくさん遊んだ。その一日一日を思い出す。そして思い出す中で、気づいたことがある。
「お姉さんの行動には、明らかに奇妙な点があった」
「奇妙な点?」
僕は頷く。
「初めに違和感を覚えたのは、一昨日……水曜日の行動だよ。その日、僕は科学館に行って千夏さんを探したんだ。でも、いなかった」
「……ええ。テストがあったから」
「うん。そうスタッフの人から聞いたよ」
大学生のテストは重要だ。だからバイトを休む必要があった。確かにもっともな理由だ。しかし。
「でも、それがおかしいんだよ。それは、変なんだ」
断言する。お姉さんは「何が?」と冷たい声で訊いた。
「僕の友達のお兄さんも大学生でさ。その人に、テストについて色々聞いたんだ。そのお兄さんは先週の金曜日、一限のテストを受けていたんだよ。大学生のテストって難しいらしいね。お兄さんはこう文句を言ってたよ」
お姉さんは目を伏せた。僕は言った。
「『金曜一限の講義なんて、毎週起きているだけで精一杯。眠くて何もわからない』ってね」
ここで重要なのは、一限が眠いかどうかではない。
「お兄さんは金曜日の一限に行われていた講義のテストを、金曜日の一限に受けていたんだ」
つまり大学のテストも、普段の時間割通りに行われる可能性が高いということだ。月曜日の一時間目が算数なら、算数のテストは月曜の一時間目に。金曜日の一時間目が理科なら、理科のテストは金曜日の一時間目に……といった感じだ。
「ねえ、千夏さん。教えて欲しいんだけど、テストの予定って、普段の授業の時間割と同じ?」
一応確認してみる。すると、お姉さんは小さく頷いた。それを見て、僕は自分の推理を更に展開させていく。
「もし、テストが普段の時間割通りなら、水曜の千夏さんの行動は明らかにおかしいんだよ」
一昨日、スタッフのおばさんに聞いた話では、千夏さんは水曜日の一時間目にテストがあるということだった。そしてテストが普段の時間割通りというのなら、毎週水曜日の一時間目には講義が入っていたことになる。
けれど。
僕は思い出す。
いつかの水曜日。雨が降った水曜日。僕がツバメの謎に疲れて科学館に訪れた水曜日。
「少なくともあの日から、お姉さんは毎週水曜日の午前中、科学館でバイトをしていたよね」
あの日、お姉さんに出会ったのは、八時半の少し前。一時間目の授業の前だ。
僕は千夏さんの顔を真っ直ぐ見つめ、尋ねた。
「千夏さん。お姉さんは水曜日の一時間目にある授業を、一体どうしていたの?」
「……」
千夏さんは答えなかった。
構わず推理を続ける。
「それに気づいてから、お姉さんの行動の全てが奇妙に見えてきたんだ」
思えば先週の木曜日、千夏さんは僕の日記を見て青ざめていた。その理由も今ならわかる。
日記には僕の日々が記録されている。お姉さんと過ごした日は、必ずそのことを日記に書いていた。別に千夏さんに見られて困るような内容は書いていない。単にその日あったこと、その時感じたことを書いただけだ。
だからこそ、千夏さんがあの日記の何を見て青ざめたのか、僕にはわからなかった。けれど違った。千夏さんは、日記のどこか一文を読んで青ざめたのではない。言うならば、僕の日記全体が千夏さんを憂鬱にしたのだ。
僕は日記を思い出す。その不気味さを噛み締めながら。
「月曜日。夜に飛んだ手紙の謎を解いた時、千夏さんは科学館でバイトをしていたね。小学校が五限で終わりだったから、あれは三時くらいだった。お姉さんは、午後はずっとバイトだったのかな。
火曜日。神社に放火しようとした子の謎を解いた日、偶然神社で会ったよね。一緒に居た時間は長くないけど、でもあの日お姉さんは言ったんだ。『今日は散歩に来ただけ』って。その言葉を信じるなら、お姉さんはあの日、散歩だけして家に帰ったってことになる。
水曜日。濡れたツバメの謎を解いた日、科学館で会ったよね。さっきも言ったけど、水曜の午前中には授業があったはずなのに、千夏さんは科学館でバイトをしていた。
木曜日。奇妙な木の謎を解いた日、あの日も確かバイトだったよね。そしてバイト終わりは僕と会って、あの木を見に行ったんだ。
金曜日。千夏さんが『何か』を買ったあの日、僕と会った後、千夏さんは『もう帰る』って言って帰っちゃったよね。あの時はまだ午前中だった。それなのに千夏さんはすぐに帰っちゃったんだ」
月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日。僕はその全てでお姉さんと会っている。そして言うまでもなく、これらの曜日は平日だ。
だからこそ浮かんでくる疑問。僕は息を吸って、その疑問をゆっくり言葉にした。
「千夏さん。千夏さんは、一体いつ大学に行っていたの? 一体いつ授業を受けていたの?」
当然、僕が全ての曜日で会っていたからといって、毎週、毎日休んでいたとは限らない。それに、僕が日記に書いた日だって、大学に行く時間が完全に無かったわけではない。
しかし。
そもそも平日の内、三日もバイトの日があるという事実。そして水曜日の授業を確実にサボっているという事実。その二つが、根拠の無い疑いを確信へと変える。
ユキオさんは「週に一日だけ行けば良い人もいる」と言っていた。しかし、それは「卒業に必要な単位をすでにたくさん取った人」だとも言っていたのだ。千夏さんはまだ大学一年生。そして今は一学期だ。卒業に必要な単位を取っているはずがない。
だからやはり、千夏さんは大学を休んでいる、としか考えられないのだ。
「……」
千夏さんは少し俯いた。そして
「うん」
小さく頷いた。
「そうだよ。私は、大学をサボってるんだ」
感情の無い声で言った。その声はとても弱々しく、目はどこを見ているのかわからない。薄暗い部屋で、千夏さんの瞳は空っぽになって光を失っている。
その顔を見て、僕は胸が痛んだ。千夏さんが必死に隠していた秘密に、無神経に踏み入って、わざわざ本人に聞かせている。
外で鳴り響いているセミの声が、くぐもって聞こえた。
「……だったら」
僕は言う。
「お姉さんが大学をサボっていたなら、謎は全部解けるんだ」
金曜日、千夏さんは「何か」を買った。その謎が解けるのだ。
「友達のお兄さんが言ってた。大学生のテストは難しいって。普通に授業を受けていても、合格できないこともあるらしいよね」
だからこそ、みんな合格するためにあらゆる手を尽くす。勉強の苦手な人が少し卑怯な手を使ってしまう程、テストは難しいのだ。
「千夏さんは大学をサボっていた。授業をちゃんと受けてない。それで千夏さんは、テスト大丈夫だったの?」
千夏さんは答えない。けれど聞くまでもない。授業をまともに受けていない千夏さんは、テストが大丈夫なはずがないのだ。
そして小学生とは違って、大学生のテストは重要だ。点が悪いということは進級できないことを意味する。
千夏さんはそれを避けたかったはずだ。テストが難しくても、授業に出ていなくても、それでも良い点を取りたかったはすだ。
……たとえ、どんな手を使うことになろうとも。
「友達のお兄さんは頭が悪くて、勉強が苦手だったんだ。だからズルをするしかなかった。問題と解答を手に入れて、テストの内容を前もって把握していたんだ。去年の問題と今年の問題がほとんど同じだから、先輩から去年の問題を貰ったらしいよ」
テストの前に問題がわかっているなら、良い点を取ることは難しくない。だから当然、千夏さんもこの方法を取ろうとしたはずだ。
しかし。
「でも、千夏さんにとっては、過去問を手に入れることだって難しいよね。だって、千夏さんは大学をサボっていたから」
ユキオさんは、先輩から問題と解答を貰ったと言っていた。けれどそれは、ユキオさんが大学に行って先輩と仲良くなったから可能なのだ。
千夏さんは学校に行っていない。行かなければ、人と知り合えすらしない。先輩はおろか、友達だっていないのかもしれないのだ。
でも、テストには合格しなければいけない。問題を手に入れなければならない。
「だったら、残っている手段は一つしかない」
知り合いがいないなら、譲ってくれる人がいないなら。
「お金で、買い取るしかない」
「……」
恐らく、過去問を管理、販売している業者のような大学生がいるのだろう。僕が金曜日見たのは、その取引だ。
「千夏さんはテストに合格したかった。だから問題を手に入れる必要があった。それで千夏さんはお金を払っていたんだ」
僕は「つまり」と話をまとめた。
「あの日千夏さんが買った物は、僕から隠したかった物は……過去問とその解答だったんだ」
過去問と解答の買い取り。千夏さんがそれを隠そうとした理由は、はっきりとはわからない。けれど、考えればいくつかは思い浮かぶ。
まず、問題を前もって把握しなければテストに合格できないという事実。ユキオさんが言うには、大学生の多くが過去問を利用しているようだけれど、でも卑怯な手段であることに変わりない。
そして、千夏さんに大学の知り合いがいないという事実。先輩にも友達にも頼ることができず、お金を払うしかなかったのだ。
その後ろめたさと情けなさが恥ずかしくて仕方なかったのだろう。
……実際、僕もお姉さんがこんな人だとは思わなかった。学校をサボっていたなんて、勉強が苦手だったなんて、友達がいないなんて、僕の知っている千夏さんからは想像もできなかった。
「……きみの言う通りだよ」
千夏さんは静かに言った。
「私は、駄目な人間なんだ。弱くて、怠惰で、そのくせ体裁だけは気にする。楽して単位だけは貰おうとするし、」
千夏さんは僕を見た。
「きみの前で、かっこいい大人を演じた。きみを騙した。でもやっぱりバレちゃうよね。だってきみに見せていた私は、本当の私とは正反対なんだもん。……がっかりしたでしょ。こんな私」
「……」
千夏さんの声はとても小さかったけれど、静まりかえった部屋なので僕の耳にきちんと届いていた。
そしてそれを聞いて、
「くだらない」
僕ははっきりと言い切った。
千夏さんは少し顔を歪ませて、胸の前でぎゅっと拳を握った。
「……そうだよね。くだらないよね、こんな大学生。今まで騙してごめんね。きみの憧れを壊してごめんね。くだらなくて、ごめんね」
千夏さんは俯いて、僕から目を逸らした。
……僕は千夏さんの謎を解いた。
探偵になって、お姉さんの秘密へと土足で踏み込んだ。必死に取り繕っていたところを、僕が壊してしまったのだ。
当然、そんなことをしたら千夏さんは傷つく。千夏さんの表情は辛そうだ。瞳は色を無くし、手は何かを必死に抑えつけるように固く握られている。
けれど、僕は別に千夏さんを傷つけたかったわけではない。
お姉さんを苦しめてまで謎を解いたのは、僕達の勘違いを正したかったからだ。
「違うよ」
僕は首を横に振った。
「お姉さんのことを、くだらないって言ったんじゃないよ!」
「え?」
「お姉さんのその勘違いが、その悩みが下らないって言ったんだ!」
確かに僕は、千夏さんのことを誤解していた。頭が良くてかっこいい大人の女性だと思い込んで、尊敬の眼差しを向けていた。
それでお姉さんは引っ込みが付かなくなってしまったのだろう。頭が良いとか、凄い人だとか言って、どんどん持ち上げてしまった僕に対して、本当の自分を見せるのが怖かったのだ。失望されるのが怖かったのだ。
けれど、僕がお姉さんのことを誤解していたように、千夏さんだって誤解している。
僕は千夏さんに強い視線を送り、無理矢理目を合わせた。
「僕は、そんなことで失望なんてしない。千夏さんのことを嫌いになんてならない!」
確かに、想像とは違った。思っているよりも千夏さんは強くなかったし、全知全能でもなかった。
千夏さんの正体は、卑怯な手でなんとかテストを耐え抜く、ユキオさんと同じ怠け者だ。
けれど
「怠け者だから、何だよ。勉強できないからって、何だよ。それが、何だよ」
今さらどんな秘密があっても、お姉さんの正体が何であっても
「それでも、千夏さんと一緒に過ごしてきた時間は、楽しかった!」
あの月曜日も、あの火曜日も、あの水曜日も、あの木曜日も、そして今日も。僕にとってはかけがえのない思い出で、夏の太陽のように煌めいている。それが今さら、ちっぽけな秘密程度で曇るはずがなかった。
「僕の想像を押しつけちゃったことは、ごめんなさい。本当のお姉さんを見ようとせずに、期待ばかり向けて、お姉さんを苦しめた。
でも、お姉さんのことを凄いって思ったのは本当だよ。今だってそう思ってる。だって、お姉さんはいつだって僕の疑問に答えてくれた。謎を解いている時のお姉さんは、本当に凄かったよ」
どんな秘密があっても、今さらお姉さんを見る目は変わらない。ただ新しい一面を知っただけだ。これまでの千夏さんが嘘になるわけじゃない。
「だから、怖がらないでよ。僕から逃げないでよ」
前のめりに、訴える。
「これから千夏さんの何を知ろうと、それが千夏さんの全てだとは思わない。今までの千夏さんだって、千夏さんだよ」
この数日間、千夏さんは僕に秘密を知られることを恐れて、僕を避けていた。けれど僕はその秘密を知ってしまったし、その上で千夏さんへの印象は変わっていない。失望などしていない。
だから、千夏さんが僕を避ける理由はもう無いはずだ。
しかし。
「……違う。駄目なの」
千夏さんは首を横に振った。
「……! どうして!」
「それは、私じゃないの」
千夏さんは静かに、けれど強い口調で否定した。
「きみに今まで見せていた『お姉さん』は、私じゃないんだよ……。弱くて臆病で怠惰な私だけが本物で、それ以外はまがい物なんだ」
「……昔から、人と馴染むのが苦手だった」
千夏さんは再び目線を外して、独り言のように話し始めた。
「でも、高校までは教室っていう狭い世界があって、人との繋がりが全く無かったわけじゃない。家族だっていたし、なにより……科学館に行けばお姉さんに会えた」
そういえば、千夏さんも高校生の頃、科学館に行ってスタッフのお姉さんと話していたと以前聞いた。学校が嫌になった時、科学館に避難していたのだ。
「けど大学生になって、私は一人になった。大学には教室がない。自分から行動しない限り、人と関われないんだ。一人暮らしで家族もいない。……お姉さんも、もういない。そうして私は一人になって……」
千夏さんは困ったように笑った。
「全部が無意味に思えて仕方がなかったの」
「全部が無意味?」
僕は首を傾げた。どうして一人になると、無意味になってしまうのだろう。僕は一人になることは滅多にない。学校に行けば友達がいるし、家に帰ればお父さんとお母さんが待っている。だから千夏さんの言っている意味がわからなかった。
千夏さんは「そう。無意味なの」と頷いた。
「だって、何をしてもその記憶は私の中にしか残らない。どんなに綺麗な景色を見たって、どんなに楽しい経験をしたって、どんなに美味しいものを食べたって、それを知っているのは私だけ。誰一人として共感も共有もしてくれない。一緒に懐古して、過去を慰めることができない。……誰も、私の過去を保証してくれないんだ」
確かに僕にはわからない話かもしれない。一人になることのない僕は、思い出の中だって常に誰かと一緒にいる。
僕の思い出は、誰かと共有できるものばかりだ。
「でも、全部が無意味に思えたからといって、何もしないでいることも私にはできなかった。家の中でじっとしていると外の明かりが漏れてくる。外には世界が広がっているのに、薄暗い部屋に閉じこもっているのが、とても惨めに思えた。
勿論その焦燥に駆られて家を出ても、やることなんて一つもない。無理矢理に行動してみても空虚な達成感が募るばかり。経験のカタログにスタンプを押しているだけに過ぎないんだ。そんなことをしても心が満たされるはずがないでしょ?
どうしたって、どうにもならない。世界から切り離されて、自分が生きていても死んでいても、周りには何の影響も及ばない。その虚無感の中で、ただ在りし日の、誰かと共有していたはずの過去ばかりが頭の中を巡って、それがもう二度とは手に入らないという絶望に、胸を苦しめられる。
……私は、孤独地獄に落ちたんだ」
行動しても、しなくても、心が落ち着かない。千夏さんはそんな状況に陥っていたのだろうか。想像もできないけれど、それはとても……僕には耐えられそうにない。
「そんなの、どうすれば良いの?」
僕は尋ねた。千夏さんの言う状況は八方塞がりだ。どうすれば逃げることができるのだろう。
「一つだけ」
千夏さんは言った。
「一つだけ、逃げる方法があるの」
「どういう方法なの?」
「それはね、私が、私じゃなくなればいいんだ」
僕は首を傾げた。自分を、自分じゃなくす。そんなことが可能なのだろうか。
その疑問に答えるように、千夏さんは微笑んだ。
「きみが見ていたのは『千夏』じゃない。『科学館のお姉さん』だよ。……昔憧れたお姉さんを、私は演じていただけなんだ」
千夏さんが昔憧れたお姉さん。高校生の時、科学館で会っていたお姉さん。その人を演じることで、自分を自分じゃなくす。
「元々科学館でバイトしようと考えたのは、単なる思いつきだった。一人暮らしでお金も無かったし、科学館は好きだったし、丁度いいから始めただけだったんだ。でも、大学に入って数ヶ月。孤独地獄に落ち始めた時に気づいたんだ。科学館でバイトしている時だけは、私はその苦しみから逃れることができるって。だから私はひたすら働いた。働くしかなかった。……大学をサボってでも、ね。
私は働いている時、『お姉さん』の真似をしていたんだ。大人っぽくて、冷静で、聡明なお姉さん。人間として、科学館のスタッフとして憧れていたから、無意識に倣っていたんだろうね。
私はお姉さんのように振る舞った。子供達の悩みを聞いて、答えを出してあげて、子供の憧れる大人を演じた。そうやって本来の自分を忘れた。
でもそれは嘘なんだ。どう頑張っても、私はあのお姉さんにはなれない。結局は真似事で、お姉さんが何を考えて、どんな行動をするのか、自分で判断することができないの。私の知らないお姉さんの姿を、真似ることなんてできない」
だからね、と千夏さんは小さく目を細めた。
「だから、綻びる。きみに見抜かれる」
「……」
「これでわかったでしょ? きみが今まで見てきたのは偽物。私自身が追っていた幻影に過ぎないんだよ。謎を解いていたのだって、きみにとっての『お姉さん』になろうとしていただけ。本当の私は、どうしようもなくくだらない、空っぽな大学生なんだ」
……それを聞いて、なんと言えばいいかわからなかった。正直、お姉さんの話は全体的によく理解できなかったし、結局お姉さんがどうしたいのかもわからない。
そもそも、嘘でも真似事でも、それが千夏お姉さんであることに変わりないと僕は思う。誰かに憧れて、その人の真似をするなんて、多かれ少なかれ全員やっていることではないだろうか。
けれど、そんなことを言っても意味がないのだろう。「あれも本当の千夏さんだよ」といくら僕が言っても、千夏さんの中であの姿は偽物だ。僕の本心を伝えたところで千夏さんは納得しないだろう。「本当の千夏さん」について議論すること自体、無意味なのだ。
だから僕はそのことについて話さない。何も言うことはない。
僕が話すのはその前だ。
そもそも、千夏さんが「科学館のお姉さん」を演じることになったのは、孤独地獄に落ちた所為だと言う。
ならば、千夏さんを孤独地獄から引っ張り上げれば済む話だ。
僕は、薄暗い顔で俯く千夏さんに向かって、
「バカ」
罵倒した。
「へ?」
暗い話をした直後、僕に罵倒されるなんて予想だにしていなかったのだろう。千夏さんは間抜けな声を出して、目を見開いたまま固まった。
なのでもう一度言う。
「バカだって言ったんだ」
「バカって……」
しかし、本当にバカなのだ。
「何が『誰一人として思い出を共有してくれない』だ! 何が『孤独地獄』だ!」
確かに、千夏さんはその苦しみを味わったのだろう。けれど
「僕との思い出は、どうしたんだ!」
千夏さんはずっと一人だったわけじゃない。僕がいた。毎日会っていたわけじゃないけど、それでも僕は、記憶のいくつかを千夏さんと共有している。
そのことを無視して孤独だなんて、僕が許さない。そんなの、とても悲しいじゃないか。
「……いや、だから、きみと会っていた時の私は、私じゃないんだよ」
「じゃあ、千夏さんの中には、僕はいないの? 演じていたからって、その記憶すら嘘なの?」
「それは……」
千夏さんは口籠もった。千夏さんと一緒に過ごした思い出が僕の中にしかないなんて、そんな酷いことは言えないようだった。
「もし、それでも千夏さんが納得しないなら、これから作っていけばいいじゃん。本当のお姉さんの記憶を、僕が持つから!」
千夏さんは僕の目をじっと見て……しかし、俯いてしまった。
「でも、私ときみはずっと一緒にはいられない。きみはすぐに大人になって、私のことなんて忘れちゃう。そうしたらきっと、また私は孤独地獄に落ちる。蜘蛛の糸を掴みかけて叩き落とされるくらいなら、そんな希望は初めから掴みたくない……」
その弱音を聞き、僕は「ずっと一緒にいるよ」と即答しようとして……思い留まった。言葉にするのは簡単だ。けれど、ずっと一緒にいることなんてできるのだろうか。僕が中学生になったら? 千夏さんが大学を卒業したら? 僕が大人になったら?
その時も、絶対一緒にいるなんて、誰が約束できるのだろうか。
「……確かに、一緒にはいられないかもしれない」
しかし
「でも、これだけは絶対に約束できる」
僕は千夏さんの手を掴んで、顔を寄せた。
「僕は絶対に忘れない。大人になっても、何歳になっても、他のこと全部忘れても、千夏さんとの思い出だけは絶対に忘れないよ」
千夏さんは困ったような顔をした。絶対忘れない、なんて言われても信じられないのだろう。
しかし、僕は絶対に忘れない。
「証拠が、あるんだ」
何かを断言する時には、信用に足る証拠が必要だ。千夏さんとの日々の中、様々な事件の推理を通して学んだことだ。
「証拠?」
千夏さんは首を傾げた。僕は頷いて鞄を漁った。そして「それ」を取り出す。
「あ、それは……」
千夏さんは思わず声を漏らした。「それ」は今回の事件の発端となったともいえる物だ。あの日千夏さんはこれを見て、青ざめたのだ。
僕はそれを掲げて、笑顔で言う。
「そう、日記だよ」
僕の日課。その日にあったことを毎日記録しているのだ。
「千夏さんは日記つけてる?」
尋ねると、千夏さんは首を横に振った。やっぱりと言って、僕はペラペラと捲った。
「日記って凄いんだよ。ここに僕の過ごした日々が全部載っているんだ。そして何より、日記を読み返すだけで……」
千夏さんとの夏の日々を読み返し、思わず微笑む。
「その日々の記憶が、はっきりと蘇るんだ」
全部、全部覚えている。
千夏さんと出会った時のことも、月曜日のことも、火曜日のことも、水曜日のことも、木曜日のことも、金曜日のことも、何もかも。全部が鮮明に思い浮かぶ。
「だから忘れないよ。忘れるはずがない」
僕は強く断言する。これが証拠だ。この日記がある限り、僕は絶対に忘れない。
しばらく部屋は静かになった。千夏さんは僕の日記をじっと見つめている。
そして
「見せて」
と言って、手を差し出した。
「うん」
僕はその手に日記を乗せる。千夏さんは恐る恐る日記を開いて、じっくりと目を通していた。千夏さんとの思い出が書かれているページを、一行ずつ目で追っている。先週の木曜日に読んだ時よりも、丁寧に、優しい目で。
そして数分かけて、いくつかのページをめくると、お姉さんはゆっくりと僕の方に視線をやった。僕の日記を読んで、お姉さんが何かを言おうとしていた。
今回の事件のこともあるし、そもそも日記を読まれること自体こっぱずかしいし、本当にこれが証拠になりうるのかも不安だし、とにかく僕は少し緊張していた。僕の日記に対するお姉さんの言葉を、じっと待つ。頬に汗が伝ったのを感じた。
そして
「字、汚い」
お姉さんはそう微笑んだ。
「な……」
ここに来てのその感想に、思わず肩を落とす。緊張していたのがバカみたいだ。千夏さんに何か文句の一つでも言おうと思って顔を上げた。
その時だった。
「わ」
千夏さんは身体を少し倒し、僕にもたれ掛かった。こつんと頭同士が軽くぶつかり、触れあった。
「私も、覚えてる」
千夏さんは言った。
「全部、全部覚えてるよ」
その声は少し震えていた。
「……うん」
僕も体重を千夏さんに預け、頭を千夏さんの方に倒した。くしゃり、と髪が絡み合う。
カーテンの隙間から刺す光は眩しく、窓の外からは聞こえる元気なセミの声が、部屋の中にも響いている。
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