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第3話 神殿

「ベスタ様、あの人は？」

《ワースさんです。私の身の回りのお世話をしてくださっていたバトラーの方ですよ。都市へ来て、もう三年の付き合いになります》

　ワースか。

　彼には少し聞きたいことがある。

　一緒に荷物を降ろすワースのところへ近付くと、立ち止まってギロリと睨んできた。

「何だ」

「ワースさん」

「ワースでいい、アンタより二つ下だ」

　……おれの個人情報は、ここでは知れ渡っているのだろうか。

　そんなことより、ワースはあまりにもプライスと似ている。

　ここまで体は大きくなかったけど、それでも似ているのだ。

「ワース、苗字はボナンザなのか？」

「そうだ」

「じゃあ、プライスの弟なんだな？」

　ワースはおれから目を背けると、白い石造りの神殿へと入っていった。

　無視だと……？　でもまあ、おれが悪いか。

　ベスタが交換条件にしていることを関係者に聞いても、答えてもらえるはずがない。

　大人しく、ベスタの手伝いをやるとしよう。

　と、ベスタが目の前に来て不思議そうな表情を浮かべる。

《フィルさん、どうされましたか？》

「なんでもありません」

《車酔いなどしていて気分が悪いようでしたら、いつでもお声がけくださいね》

　……やさしいけど嘘っぽさを否めない、仕事感のある言い方だ。

　さっきの会話が聞こえていなかったとは思えない。

　それに恐らく、ベスタがテレパスを使う相手は一人か複数人か選べている。

　それは、他人には全く聞こえない陰口や連絡ができるということ。

　テレパスを使って警察からバレないよう、おれの家族から巧妙に金を騙し取るとかが本当の目的なのではなかろうか。

　……ベスタは純粋そうな笑顔でいるが。

　おれだけが被害に遭うならまだしも、そういうのは困る。

　ヤバそうだったら逃げよう。

　ベスタとワースが、おれのかなり後に続いて荷物を運ぶ。

　神殿のすぐ奥には、ゴツゴツした太く白い塔が見えた。

　バイトの帰り道で遠目に見る分ではただのモニュメントだと思っていたけど、ベランダがあり、そこには洗濯物が干されている。

　人が複数人住んでいる様子だ。

　ここに住む……のだろうか。

　塔が目の前の建物に遮られる。

　ドアのない広い玄関、すぐ先の大広間には噴水、その真上にはシャンデリア。

　二階へ続く曲がった階段。

　白い大理石の床に、赤と金のカーペット。

　ここはまるで、お屋敷風ホテルである。

　噴水前では、パルサが座っていた。

　いつの間にか白黒のメイド服を着ていて、よく似合ってる。

　……パルサはイライラした様子で、流れ落ちる水をひたすらピチピチと手の甲で殴っていたが、おれに気付いて耳、目線、そして顔を向けた。

「フィルだっけ。あんなに小さい家だったのに、アタシより荷物多いんだ」

「小言は一人で言ってくれ」

「で、どうしてフィルは前髪を束ねてるの？　それにどうして和服？　いいや、ハオリっていうんだっけ」

「額に触れてると頭痛が酷い。服装は地元由来だよ」

「へー、それなら切ればいいのに。つまんない理由だねー」

　パルサは卑しい目で笑っている。

　何だかイライラしてきた、やり返すか。

「そういやパルサ、自殺しようとした理由は？　二つも質問に答えてやったんだ、答えてくれ」

「学校で虐められてたの。ネコ種のくせに愛想がないってね。……けどもう、どうでもいいわ」

　意外とあっさり答えるんだな。

　でもパルサの表情は、少し強張っている。

「ソイツの股にも頭突きしたのか？」

「した。……倍以上でやり返されたよ。学校に行ったら、また同じかそれ以上のことされると思う」

　パルサは体を震わせ始めた。

　何をされたかは聞かないでおこう、聞いてもおれには何もしてやれない。

　しかし、先生や親を頼れなかったのだろうか？　その辺気になるけど、これを聞くと責められてると思わせてしまうか？

　……頼ってもダメだったりしたのだろうか。

　って揶揄うつもりだったのに、おれは何を心配してんだ。

　と、ワースが荷物を持ったまま、傍を通る。

「パルサ、風呂の掃除を頼んだろ。今すぐやりに行け」

「あいさー。じゃ、もう話すことはないだろうし。ダサネコフィルくん、さよならー」

　パルサは身体の震えを止め、一階の右にある扉へと走り去っていった。

　……他人をバカにする行為。

　それはよい場所に馴染もうとしていくと、自分を強く卑しめることになるだろうに。

　チャリチャリと、ベスタがおれの目の前へと回り込む。

　荷物を持ち笑顔でいる姿は、プレゼントを渡す寸前のようにも見える。

《ごめんなさいフィルさん。パルサの面倒は私、そしてワースやメイドたちが厳しく見ていきますので、気にせずに行きましょう》

「別に、少し心配なだけです。イヤな風には気にしてませんよ」

《おお。フィルさんは本当に私好みです！》

　喜ばれて嬉しいような、怪しいような。

　そうして荷物を部屋に運び終えたものの、部屋が広過ぎる。

　とりあえずカーペット敷の床上、その真ん中に布団を広げ、服を壁収納に閉まう。

　あとの雑多なモノは、折り畳み式の小棚を上に伸ばして置いた。

　広い部屋には布団と小棚、あと入り口に立て掛けた和傘と靴だけである。

　三人で部屋に集まり、ボーっと室内を眺めた。

《フィルさん。このままではお部屋が寂しいでしょうから、何か欲しい家具があれば言ってください。ワース、例のものを》

　ワースから家具のカタログを受け取る。

　ペラペラとめくり、目に止まったコタツの写真のあるページで止めた。

　めちゃくちゃに値段が高い……。

　椅子一個で、おれの二カ月分の給料と同額だ。

《フィルさん、好きにインテリアを決めてくださいね》

　眩暈がしてきた。

　ベスタって、こんなに高価なものをポンポン買えるのか？

　それを幾つも買って部屋を埋めるなんて、本当にやってしまえるのなら、犯罪を犯してしまうのと同じくらい恐ろしい所業だ。

　なんか、ベスタへの疑いが一気に吹き飛んだ。

　……狭い部屋がいい。

　ワースにカタログを返す。

「おれ、やっぱり壁収納の中とかで充分です」

《なら私の部屋の収納が空いているので、そこを使ってください！》

　おい、どうしてそうなる。

　収納の壁一枚でお互いのプライベートが守れると、ベスタ様はそう思ってるのか？

「ムリです。どっか別の収納に住みます」

《一緒の部屋なら、沢山お話できるのに》

　そうは言われても、男女で同室に住むのはさすがに恥ずかしいし、緊張する。

「狭いのが好みなら仕切りがある。それを買え。オレは事務作業を片付けてから寝る、おやすみ」

《おやすみなさい、ワース》

　部屋を出ていくワースを、二人で見送る。

　——ギュッと、ベスタが飛び付いてきて布団に倒れ込む。

〈また二人きりになれましたね、フィルさん〉

「何ですか？」

〈好きです、フィルさん！〉

　ベスタはおれに抱きついたまま、布団の上を左右にコロコロ転がる。

　ちょっと鬱陶しいけど、かわいいので許す。

　そうして今度は、隣で添い寝を始めた。

　……おれの腕を取り、ベスタは赤い切り傷と白い膨れに触れる。

《それにしても、フィルさんはどうして腕を切ったのですか？》

「それは……言えないくらい、しょうもない理由です」

《いいえ、きっと立派な理由です。でも自分を傷付けるなんて、間違っています》

　……何だよ。

　おれがそんなふうに話せてたら、プライスを死なせずに済んだ気がしてくる。

「でも、おれは自分を傷付けたくて切りました」

《どうして傷付けたいんですか？》

「イヤだからです、プライスが死のうとしていることに気付けなかった自分が。ただ天気が晴れているだけでも明るい気分になっていたような、呑気な自分が。……それに約束したんだ、お前が死ぬつもりならその時はおれも死ぬって」

　声が震える。

　……子供相手に言わなくていいことまで、おれはどうして話す。

《プライスさんは、フィルさんのそういう明るさが好きだったんだと思いますよ》

　ベスタは何を言っているんだ？

　……頭が痛くて、何も理解できない。

　ふわふわな手が両頬に触れてくる。

　キレイな赤い瞳に映る自分の顔は、より醜悪に見えた。

《フィルさん、そんな悲しい約束は無効です。ご自分を許すべきですよ》

「許したら、どうなるっていうんだ」

《プライスさんが喜ぶと思いますよ。……もちろん、私やワースも嬉しいですけど。今日はご飯を食べて、ゆっくり休みましょう》

　もう死んだアイツが、喜べる訳ない。

　不愉快だ……同時になぜか、ものすごく眠い。

　落ち続けていた体が非現実的にも、地面にゆっくりと着地するような……。

　起きると、隣にはベスタが眠っていた。

　随分と寝相が良いらしく、昨日見た姿そのままだ。

　ご飯も食べず、おれに付き合ってくれていたのだろう。

　人には言うくせ、自分のことは後回しか。

　子供とはいえベスタもやはり、何か抱えているんじゃ。

　と、ベスタが目をパチパチと開けて《んー》と背を延ばす。

〈おはようございます。フィルさんが眠った後、ご飯食べてお風呂入っちゃいました〉

　言われてみれば、服装は神類らしさのある白いドレスになっていた。

　しっかり者だ、安心安心。

　それに葉っぱのような、いい匂いがする。

《フィルさんもお風呂入ってご飯食べてください。まずは、この神殿の中枢をご案内します》

　神殿の中枢……？　何だそれ。