第2話 

 ついて行くと、ベスタは腰に下げていた鍵を使い民家の中へと入る。

 神類の家にしては平凡だ。

 

「フギャアアア!!!」


 入るや否や、金切り声が上の方から聞こえてくる。

 ドアの隙間から光が漏れてるし、誰かいるのだろう。

 薄暗い壁に手を付け、ベスタは一歩ずつ階段を上がっていく。


〈この先です。これから死のうとされている方を相手します。彼女は今とても危険な状態で、先ほど声を掛けてみましたら拒絶されました。今回はフィルさんへのご説明も兼ねてお家に突入します〉

「死のうと……? それに突入って、ここはベスタ様の家なんじゃ」

〈とりあえず見ていてください〉


 ベスタがドアを開いた瞬間、茶色のネコが何かギラリと光るものを持ち、駆け寄るところが見えた。

 そうしてベスタへ近付いていた彼女は歩みを止め、トスっと何かが床に落ちる。


「神類ベスタ。アタシがこうなるまで放っておいて、邪魔はするんだ……」


 ドアの隙間からさらに様子を伺う。

 ベスタの向かいには中学校の制服を着て、茶色い体と髪をしたネコ種の女の子がいる。

 M字前髪で、涙ぐむ黄色い瞳。

 耳を押さえていたその中学生は、ベスタから離れてしゃがみ込む。


「……そう、所詮アンタも獣人とあまり変わりないってことね」


 なんだ? ベスタとこの中学生の他にも喋ってる誰かがいるのか?

 部屋に入って見渡しても誰もいない。

 ん、床に光るものがある。


 そこには、包丁が刺さっていた。


「──うわあああああ!!」


 壁に背中が当たり、体がずり落ちる。

 コイツ、ベスタを刺そうとしてたんだ……!

 中学生はおれと目を合わせると、口元を緩ませてニヤニヤと笑う。

 なにが可笑しいんだよ。

 おれは体を起こし、その腕を掴み上げる。


「何? うわぁ、変な髪型。ねえ、どうして前髪を束ねてるの?」

「そんなことよりお前、人を刺そうとしといて何笑ってんだ」


 見上げてきていた虚ろな目は、静かに下を向く。


《大丈夫です。私の体に刃物は刺さっていませんので》

「そういう問題じゃないでしょうが! コイツはベスタ様を殺そうと——」


 ——ゴツゥン……


 股の間から来た痛みで、体が床に倒れる。

 何とか見上げると、ベスタの心配そうな顔と、中学生の憎たらしい笑顔が見えた。


「うるさい。二度と触んな、ダサネコ」

《大丈夫ですか?》


 コイツがやってくれたのはそうだが、そもそもベスタは、おれに何を手伝ってほしかったんだ……。

 声が出ない……。


「何か、死にたくなるような気分じゃなくなった。……え? ……そうだったんだ」


 ベスタは、おれに聞こえないようにコイツと話しているらしい。

 へえ……。そう……。などとコイツは相槌を打ったあと、おれを見下ろす。


「……頭突きしてごめん。アタシがどうかしてた」

「ううっ、謝るんなら許すよ……」

「アタシの名前はパルサ。アンタは?」

「フィル」


 床に全身を付け、股を手で抑えながら答える。

 生まれてこの方、こんな情けない姿で自己紹介をすることになるなんて。

 久々にイヤな気分だ……。

 けどそれより、気になることがある。


「パルサ、死にたくなるような気分じゃなくなったって。包丁はもともと、自分を刺すために持ってたのか?」

「そうだよ」

「もうするなよ。死んでも悲しくなるのは、パルサに死んで欲しくなかった人だけなんだからなっ」


 パルサは目を逸らしてから頷いた。

 勇気出せなくて死ねないようなおれが、言えることじゃないけどな。

 それにしても痛い……。


《ではお二人とも、神殿へ向かいましょう。パルサさんは、環境を変えることが第一ですからね》


 ベスタは床の包丁を引っ張って抜き取り、部屋の端っこに置いてからおれの背中をさする。


「それで、ベスタ様……仕事の手伝いっていうのはなんだったんですか?」

《私は口下手なので、フィルさんにパルサさんの説得をお願いしようと思っていたのですが、違う形で何とかなりました》

「そうでしたかっ」


 死のうとしてるヤツの説得をいきなりしろだなんて言われても、お断りしていた。

 自殺するほど思い詰めていた友達を見過ごしたおれが、誰かを助けられるはずない。

 こんなのは偶然だ、ベスタは声を掛ける相手を間違えてるっ。


 ……時間が経ち、痛みはある程度治った。

 パルサは耳を動かしたり手で押さえたり、妙に調子を気にしている。


「パルサ。耳の調子悪いのか?」

「弱虫なオスが話しかけてこないでよ」

《パルサさん、そんな態度は良くありません。答えてあげてください》


 おれから目を逸らしたまま、パルサはため息混じりに「大きくてやな音がした」と答える。


《私のテレパスです。刃物を持っていたり、危ないことをしそうな方には使っています》

「……死亡者ゼロの迷信、本物に近付いた気がするわ」


 パルサはベスタに対し、嫌そうに下の牙を見せる。


「でも、何で死のうとしたんだ」

《それは私も気になります》

「……また今度話す」

《それでは落ち着いたことですし、パルサさんとフィルさん。神殿へお引越ししましょう!》




 雇用契約書に印鑑を押していると、ドルルと音を立てながら、我が家の側にトラックが停まる。

 パルサは……パルサの親とベスタが話し合った末、神殿への引っ越しが決まった。

 ダンボールに荷物を詰め、トラックへ運び込もうと短い廊下を歩く。

 玄関では、ベスタが両手を差し出して待っていた。


《私がトラックに乗せますよ》

「ありがとうございます」


 助手席に乗ってから自分の荷物も運ばずに出てこないパルサとは、大違いだ。

 でもまあ、自殺を止められた後に暴れて疲れたのだろう。




《フィルさん、名前の由来は何ですか?》

「土地の名前らしいです」

《フィルさんって、おいくつですか?》

「18です」

《私は9歳です。彼女はいますか?》

「いません」

《フィルさんは、どんな子がタイプなんでしょうか!》


 トラックの荷台内で、おれとベスタは包装された布団の上に座る。

 案外揺れないし、走る音も静かだ。

 それにしても、ベスタはこういう話題が好きなのだろうか。

 ていうか9歳なのか……。

 右隣に目を向けると、ベスタはキラキラとした目でこちらを見つめていた。


 好きなタイプ、ねえ。


「クールな感じですかね。それでいてリーダーシップのある、尊敬できるような人です。でもって独り言は言わなくて、包容力があって、よくハグしてきて、体毛がサラサラしていて、料理が上手くて、DIYが趣味で、歌をよく歌う人で、鼻先が常に湿ってる健康的な人で、休みの日はよく日向ぼっこをしながら昼寝をする人で、夜には必ず読書をしていて、尻尾がたまにクネクネしていて、自由奔放でものごとに無頓着だけど明るくて、信念が強くて、運動が得意で、爪の手入れは欠かさない。あと興味がないことに対してもしっかり話を聞いてくれる、そんな人が好きです」


 ベスタを見たら、頬を紅潮させている。


〈何だか、告白されてるみたいで恥ずかしいです〉

「ベスタ様のことはかわいいし好きですけど、こうしてたわいもない話をするだけでも恐れ多いです」

〈気を遣わなくていいんですよ。それに私と一致する部分が多かったなら、お付き合いしてもよろしいんですよ? 私が好きな人はですね、律儀で頼もしいお方です〉


 ベスタはおれの肩に指先で触れ、照れくさそうに顔を背けた。

 おれは自分のことを律儀で頼もしいと思えないのだが、ベスタにとってはそうらしい。


「揶揄わないでください。おれなんかはベスタ様に相応しくありませんよ。好きになった相手にだって、きっと何もしてやれない」

〈そうでしょうか。そんなことないと思います〉


 ベスタはキリッとした真剣な表情でそう言うと、すぐにあの眩しい笑顔へ戻る。


《では、私がフィルさんを前向きにしてみせます》


 そう言われても。

 おれは好きで苦しんでる、邪魔しないでもらいたいものだ。

 しかし神殿に向かうというのは、どうも胡散臭いな。

 ベスタはやけに大人びてる気がするし、もしかすると裏でベスタを操ってる人がいて……。

 契約書は信じ込ませるために書かせてきただけですぐに破棄し、おれやパルサをタダで奴隷みたく働かせる気なんじゃ。


 ——ドシン


 荷台が揺れ、ベスタの肩にぶつかった。

 ベスタはよろけ、布団に倒れる。


「すみません。……大丈夫ですか?」

《あいっ、大丈夫です。神殿前には段差があるので、そこを通ったのでしょう》


 荷台の入り口が開く。

 そこには、死んだはずのアイツと瓜二つ……だが体は大きく、2メートル以上はある真っ黒な裸の狼男がいた。

 癖の付いた長い体毛が全身から生えていて、風で揺れている。

 トラックを運転していたのは、この人なのだろう。

 狼は黒白目の中で光る青い瞳を、おれとベスタへと向けた。


「着いたぞ。荷物を降ろせ」


 冷たく力のある低い声が、荷台内に響く。

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