別に、

#はりがね

第1話

 カランコロン。カラン。

 夕焼け色に染まった道に、下駄の音が三人分響く。

 不意に一人が歩みを止めた。二人も立ち止まる。

 「じゃあね」

 「うん」

 「バイバイ」

 お互いに手を振り合う。

 「また来年も一緒に来ようね」

 誰かが、ぽつりとつぶやいた。


一・水原花梨


 受験生というだけで、いろいろなところに制限がかかってしまう。窮屈だけれど、これはもう仕方のないことなんだと思う。高校に合格するまでは、きっとただ勉強に追われて、たまにゲームして、友達と遊んで、塾に行って、時間は過ぎていくんだろう。

 私、水原花梨はどこにでもいる中学三年生だ。

 今は高校受験という壁にぶち当たっている。もうあと数か月もすれば、入試当日。本当に恐ろしい。

 勉強は苦手だ。数学とか、見るだけで頭が痛くなる。ついでに、体育も苦手。入試に体育がなくて本当に良かった。

 そんな私には付き合っている人がいる。受験生なのに、とか言われそうだけど、案外同学年のカップルはたくさんいるから気にしない。

 私の場合は、今年の夏まつりの時、幼なじみの颯太に告白されて付き合いだした。

 本当は、颯太と仲の良い人が好きだった。颯太と付き合った理由なんて、私を好きになってくれたから……ただ、それだけだ。それに、私の好きな人は、私なんてきっと、眼中にない。

 格好よくて優しくて、話していると楽しい人。

 黒田涼真くん。同じクラスの友達。

よく話すし、一緒にゲームもしたりするけれど、絶対、彼は私の気持ちに気づいていない。

 颯太と付き合ってることは、涼真くんも知っている。だから、私とは仲のいい友達ぐらいの距離感で接してくる。

 颯太に申し訳ないと思うこともある。それでも、本当に好きなのは涼真くんだし、付き合いだした頃に比べると、颯太との距離が広くなっているのも事実だ。なんなら付き合う前よりも、話さなくなった気がする。お互いに遠慮してしまって、たまに、本当に私たち付き合っているのかな? と感じることもある。そんなこともあって、涼真くんを好きな気持ちはだんだん加速している。

 「花梨」

 数学の問題に手こずっていると、声が降ってきた。

 顔を上げると月乃に顔を覗き込まれる。

 「大丈夫? もしよかったら教えようか?」

 救世主、登場。

 「教えて……解き方全然わかんない」

 月乃は数学が得意なのでよく教えてもらっている。

 「暇」

 言いながら雅が月乃の隣に並んだ。

 「じゃあ雅も数学教えてよ」

 断られるだろうなと思いつつ頼んでみる。案の定、雅は首をふるふると横に振った。

 「やだ。そもそも私数学できない」

 「私より出来るじゃん」

 月乃は理系で雅は文系なんだろう。でもどっちにしろ二人とも私より出来る人達なので関係ない。

 二人は私の親友だ。月乃に言えば当たり前じゃんと返ってくるけど、雅に言えばそうなんだ……? と言われるのが悲しい。でも、休み時間は三人で駄弁る。

 二人は、私では到底手の届かない偏差値の高い高校を目指している。合格すれば同じ高校に進めるのだ。

 はあ、と大袈裟にため息をついた。

 「モチベがない!」

 二人と同じ高校に行けるなら死ぬほど頑張れる自信がある。でもやっぱり、二人には届かない。

 涼真くんだって、颯太だって、二人みたいに偏差値の高い高校を目指している。こちらも、仲良し二人で志望校が同じだ。本当に皆、なんで仲良い人と同じ高校を目指せるんだろう。一人だけ仲間はずれの気分だ。もちろん、私と同じ志望校の友達もいっぱいいるけど、それとこれとは少し違う。

 「そんなこと言わないで頑張ってよー」

 月乃が困ったように言った。

 「じゃあなんか私のモチベ上がるもの出して」

 「……」

 真剣に考え込む。月乃は変なところが真面目だと思う。

 「合格したら三人でどっか行くとか」

 雅が呟いた。それもいいかもしれない。でも、これだけは先に二人に言っておこう。

 「来年の夏祭り、絶対一緒に行こうね」

 「「うん」」

 実現する保証のない口約束。でも私たちにはそれで十分だ。また今年も二人の浴衣姿を見られると思うと、自然に頬が緩む。

 「ほら解いて」

 紙を見ると、月乃の丁寧な字で解き方がまとめられていた。頭の中、どうなっているんだろう……。

 えーと……? あー、なるほど……。

 「解けた」

 月乃と雅が覗き込んでくる。二人揃って同時におー、と声を上げた。

 「正解。解き方わかった?」

 言いながら月乃が問題集に手を伸ばす。似たような問題ひたすら解くことになるパターンだ、これ。慌てて問題集を月乃から遠ざける。

 「わかった、わかったから。復習は塾でやるから!」

 必死に叫ぶと、二人に盛大に笑われた。


 放課後、涼真くんに声をかけた。

 「一緒に帰ろうよ」

 一瞬、あれ、という顔をされたので、今日は塾なのだと説明すると、じゃあ一緒に帰るかと言ってくれた。

 涼真くんに声をかけたけど、そうするともれなく、帰る方向が同じの男子数人と、颯太がついてくる。私はこの男子グループ全員と仲がいいから、塾があるときはこうして団体で帰るようにしている。

 このグループでいつもするのはゲームの話とか、アニメや漫画の話とか、恋バナとか、様々だ。一緒に歩くだけで沢山の情報が入ってくる。

 涼真くんと颯太の隣を歩いていると、雅が歩いているのが見えた。

 「おーい、雅―」

 ぶんぶんと手を振ると、こちらに気づいて駆け寄ってくる。

 「花梨、塾?」

 「そう。雅は図書館?」

 これでも私たちは受験生。塾の時間まで少しある時は、いつも図書館で勉強してから塾に行くのが習慣になっている。涼真くんも、最近は一緒に図書館で勉強している。頭がいい人と一緒だとわからないところを聞けて便利だ。

 「そう。勉強しないとやばいから」

 案の定、そう言うので、雅も私たちの塊の一部になった。

 颯太は家に帰っていった。

 「花梨は塾に直行しないんだね」

 ノートを取りだしながら、雅が言った。

 「そう。塾まで時間あるからさー」

 私が言うと、雅は俯いた。

 「これから学校帰りに図書館行くことが増えるから、その時は一緒に行ってもいい?」

 涼真くんと二人の時間が減るなぁ……。そもそも、彼氏がいるのにこんなこと考えるのもおかしいんだけど。

 「いいよ。その代わり勉強教えてね」

 なんでもないように言うと、雅は顔を上げ微笑んだ。その様子を見て、涼真くんが小さくガッツポーズする。

 「じゃあ僕はお役御免ってことで!」

 「「ダメ」」

 雅の声と重なる。

 「私数学教えられない」

 「涼真くんにも教えてもらうからね」

 涼真くんが苦笑した。私も笑う。雅はもう、そんな様子が見えていないように、ノートにペンを滑らせていた。


 朝からなんとなく違和感があった。月乃が、涼真くんを避けているのだ。昨日まで普通にアニメの話をしていたのに、どうしたのだろう。

雅にそのことを話すと、意外な答えが返ってきた。

 「月乃は、涼真が好きだったんだよ」

 涼真くんにそのことがバレて、月乃がひたすら涼真くんを避けている……らしい。

 なぜバレたのかと聞くと、雅はわかりやすく視線を泳がせた。大方、雅が原因だろう。

 そっか。月乃も、涼真くんが好きなんだ。

 どうしてだろう。涼真くんを月乃に取られてしまったみたいだ。心の奥がザワつく。

 なんとなくわかる。これは嫉妬だ。私が伝えられない想いを、月乃は不本意だろうけど、結果的に伝えられている。

 わかってほしいんだ。私が涼真くんを好きってこと。

 颯太と別れようか。でも、颯太が私を大好きなのは十分伝わってくる。そんな颯太が、彼女が親友を好きだと知ったら、きっとダメージを受ける。受験前に、そんなことはしたくない。卒業して、別の高校に行って自然消滅する方がいい。

 自分勝手だと思うけど、私にはどうするのが正解かわからない。

 諦めがよかったらこんなことにはならないけど、私はこのまま涼真くんと何もないまま終わりたくない。

 とても、欲張りだと思う。一つ手に入れると次々に新しい欲がムクムクと湧いてでる。

 颯太と別れたい。涼真くんと一緒にいたい。雅や月乃みたいに頭良くなりたい。

 「一緒に帰ろ」

 突然声をかけられて一瞬固まる。振り向くと雅がカバンを背負って立っていた。

 「あ、うん。行こっか」

 涼真くんにも声をかけようと周りを見たけど、先に行ってしまったのか、颯太も含めて見当たらなかった。仕方なく、雅と教室を出る。

 まだ少し騒がしい廊下で、友達どうしのカップルを見て心がザワつく。楽しそうに話している。本当に、楽しそうに。

 颯太は私と付き合って楽しかっただろうか。まだ付き合っていたいと思っているのだろうか。

 ふと雅を見ると、何を考えているのかわからない目で、幸せそうな二人を一瞥し、床に視線を落とした。歩調は変わらないのに、空気が重くなったようだった。

 雅は何を考えているのだろう。何を思っているのだろう。

 雅を見ていると、親友ってなんだろうと思わされる。国語辞典に聞いても、私が望む答えは載っていなかった。

 「……別れようかな」

 ポツリと、言葉がこぼれて消えた。

 雅は一瞬こちらを見て、いいんじゃない、と言った。でも少し考えてからこう言った。

 「花梨は颯太のこと好きだったの?」

 なぜ、そんなことを聞くんだろう。

 「好き、だったと思う。でも、あいつが私を好きだから付き合っているんであって。気持ちは颯太の方が偏ってるよ」

 何言ってんだろ、私。けどこれは、本心からの言葉。

 雅はそっか、と言った。そんなことわかってたみたいな言い方だった。

 「雅と付き合おうかな」

 冗談めかして言ってみる。……意外といいかもしれない。

 「雅が好きだから別れてって颯太フッてこようかな」

 「なにそれ」

 雅が苦笑した。

 「颯太が反応に困るでしょ」

 「それがいいんじゃん」

 二人、笑いながら歩いた。こんな日も、たまにはいい。

 話題がひと段落すると、雅が唐突に言った。

 「花梨が前に好きだった人って、誰だったの?」

 この、前に好きだった人というのは涼真くんのことだ。

 「それだけは絶対教えないもん」

 ……あれは、颯太と付き合う少し前のこと。

 「花梨は、今好きな人いるの?」

 その時も雅と話していた。

 「いるよ」

 「え、誰?」

 「内緒」

 え、何それーと言いながら、、キラキラした目をこちらに向ける。普段は物静かで冷静なのに、恋バナをするとその顔に「興味津々です」と書いてある。本当に面白い。

 「なんかヒントちょうだい、当てるから」

 こうなるともう、雅は止められない。飽きるまで質問をぶつけてくる。苦笑しながら、どうしようかと考えた。

 「……意外な人だと思う」

 誰が意外かなんてわからないけど。そんな言い方をして誤魔化してみる。

 「えー……クラス一緒? 修学旅行の班は?」

 「クラスは一緒。あとは内緒」

 素っ気なく答えると、驚いた顔をされる。

 「珍しいね。いつもはこの位で教えてくれるのに」

 そうなのだ。今まで、特に雅相手には隠し事はせずに過ごしてきた。でも今回は違う。

 「今好きな人は、絶対誰にも教えないことにしたの」

 涼真くんとは、今のままで仲良くしていたい。好きバレして気まずくなって、話せなくなるのは嫌だった。

 絶対隠す。せめて卒業まで。……そう、今の時点では決めている。まあ、私の決意なんてコロコロ変わるから、その時はその時の私の判断に任せよう。

 結局、雅の力は凄まじく、私はさらにヒントを教えることになってしまった。そしてその情報は、月乃どころか、どうしてか男子にまで伝わったらしい。当然と言うべきか、涼真くんも知るところとなる。それ以来、色々な人から誰が好きなのか聞かれるようになった。その後颯太と付き合いだして、しばらくはその話が話題に上ることはなかった。……なんだけど。

 「意外でもなんでもないからまさかとは思うけど、花梨が好きだった人って颯太なの?」

 突然、またも雅から聞かれて答えてしまった。

 「違うよ、別の人」

 ……内緒、で通せばよかったのに。

 この瞬間、雅のこの話題への興味が再び燃え上がったのを感じた。

 「じゃあ誰?」

 この後、新たなヒントを彼女に差し出すことになったのは言うまでもないと思う。そしてその内容も、後日また色々な人に伝わった。

 私、口軽いのかもしれない。普段はそんなことないと自負しているのに。それでも頑張って「内緒」で通していると、やがて雅は物も言わずに空を仰いだ。

 「……寒いね」

 詮索が途切れたことにホッとしつつ、もう雅が再びその話題を口にする暇を与えないよう、一人、話し続けた。

 そんなわけで、ことあるごとに雅は探りを入れてくる。なんだか、意外としつこいなと思った。


 朝、月乃と雅が話していた。

 「花梨が前に好きだった人ってさ……」

 思いのほか声が大きい。しかも、月乃の席は颯太や仲のいい男子たちの席がちょうどよく集まっている。これなら話が広まるのも納得だ。……というか、私がいるのに気づいていないのか。すると唐突に雅がこちらを向いた。

 「おはよ、花梨。ちょうど今噂してたとこ」

 「おはよう。今日も綺麗だよ~」

 この二人、つっこみどころが多すぎる。思わず苦笑した。

 「おはよう」

 もうどこにもつっこまずに席に向かうと、後ろの席で涼真くんと颯太が話しながら問題を解いていた。この二人は真面目だ……。

 と、思ったのだけれど。

 「それで昨日ガチャ引いたんだけどさ……」

 「いやでもそこで出せばあと楽に攻略できたから、あとは……」

 ……前言撤回。絶対ゲームの話してる。それにしても、全く関係ない話をしながら二人とも手が止まらない。最早、器用すぎて感心してしまう。その脳みそを、私にも少し分けてほしい。

 「あ、おはよう花梨」

 「……おはよう、颯太」

 微笑んで颯太に挨拶を返す。私が挨拶したいのはあなたじゃなくてその隣にいる人なんですとは、口が裂けても言えなかった。


 日に日に、涼真くんへの想いが強くなっていく。だんだんと、颯太との関係が煩わしくなっていく。

 私のこの気持ちは、いったいどこに仕舞えばいいんだろう。少なくとも、私の心の中だけでは狭いみたいだ。

 涼真くん。……別に、付き合いたいとかそういうわけじゃないんだけど。身勝手だけど。多分、迷惑だろうけど。

 私の気持ちを受け入れてもらえますか?


二・高野雅


 いつからだったか、図書館で勉強するのが習慣になった。受験は億劫だけど、本当に嫌だけど、そういう面ではあってよかったのかなぁと思う。

休みの日に図書館に行くと、意外と知り合いがいて驚く。みんな考えることは一緒らしい。

勉強の息抜きに館内をぶらぶらしていると、月乃の姿があった。勉強ではなくノートの隅に落書きをしていたので、遠慮せずに声をかけた。

 「つーきのっ」

 「ぅわっ」

 足音を立てず近づいたせいか、月乃が飛び上がる。

 「あ、雅じゃん。奇遇だね」

 あれほどの驚きようだったのに、怒ることもせず心底嬉しそうな顔をこちらに向けた。かわいい。月乃は本当にいい子だと思う。

 「勉強のやる気でないから図書館一周してた」

 「あ、いいね」

 月乃は立ち上がると大きく伸びをして言った。

 「ちょっと、移動しよ」

 図書館を出てすぐのところに設けられた談話スペースに行く。誰もいなかったので二人並んで椅子に腰かけた。……この椅子、意外と沈むな。

 「この椅子めっちゃ沈むね」

 月乃がそう言いながら立っては座って沈むのを繰り返した。長年一緒にいると考え方が似てくるのだろうか。私も真似して立って座って沈むのを繰り返す。

 少し疲れておとなしく椅子に沈むと、同じタイミングで月乃も沈んだ。顔を見合わせ、しばらく笑い転げる。

 「バカみたいだね」

 「しょうがないよ、バカだもん」

 「こんなのがあの高校目指して大丈夫かな」

 「私も同じだから大丈夫だよ」

 どうやら、お互い勉強のし過ぎで壊れてしまったみたいだ。実際には、私はそんなに勉強していないけど。

 月乃と一緒だとどうも頭のねじが緩んでしまう。

 「そういえばさぁ」

 月乃が首を回しながら言う。

 「花梨の好きだった人って結局誰なんだろうね」

 わからない。彼女にしては珍しく、どれだけ聞いてもこれという回答は得られなかった。

 「誰だろうね……」

 二人で静かに、物思いに沈む。

 「意外な人、でしょう?」

 「そう。それで一応、クラスは一緒で、花梨と仲がいい………」

 花梨から引き出した情報を前に、二人で首をひねった。

 「全然わかんないや」

 お手上げ、というように月乃が万歳のポーズをした。

 その後、さすがに休憩しすぎだということになって、嫌々お互い自分の勉強に戻った。それから一時間もたたないうちに、月乃はわざわざ私に一声かけて帰っていった。本当にいい子だ。


 学校に行くと、月乃と涼真がぎこちなく話しているのが目に留まる。こうなったのは私のせいだと言うこともできるので心苦しかったが、それでも月乃の表情がだんだんと楽しそうなものになっていくのを見てホッとした。

 放課後、図書館が閉館日なので月乃と一緒に帰った。

 「月乃は、涼真のどんなところが好きなの?」

 気になって尋ねると、月乃は少し考えて言った。

 「なんか、眼が綺麗な人が好きなの」

 納得した。涼真の眼は色素が薄く、ずっと見ていれば吸い込まれそうな不思議な美しさがある。

 「涼真くんだけじゃないけど、そういう人の眼を見るとうわ、綺麗~ってならない?」

 「わかる。もう芸術作品みたいだなってなる」

 真剣な顔でうなずくと、月乃は嬉しそうにぴょんぴょんはねた。

 「やっぱ、雅ならわかってくれるよね!」

 ……ずっとこの時間が続けばいいのに。

 私は、笑顔で帰っていく彼女を見送った。

 実を言うと、私も涼真が好きだった。このことは、まだ誰にも教えていない。……この先だれかに教える予定もない。

 なんだか、月乃を騙しているような気分だ。でも教えたところで誰も得をしないと思っているから、口を閉ざす。

 涼真とは、名簿が前後していたことがきっかけで話すようになった。最初から、どことなく同族の空気を感じていたのかもしれない。割とすぐに仲良くなった。

 涼真と私には、本当に共通するところが多かった。自分で自分を陰キャだと思っているところも、割と勉強ができるところも、人と関わるのが苦手なくせに、相手にしてくれる人がいないとダメな寂しがり屋なところも。あと、面倒くさがりなわりに、根は真面目なところも。

 自意識過剰なところもあると思う。でも本当に、私たちはどこか……性質が似通っていた。少なくとも私はそう思っていた。

 妙に意識してしまっていたのだろう。無意識に目で追いかけるようになって初めて、恋心を自覚した。

 そうして見ていると、彼は面白いほどにモテていた。月乃はもちろん、他にもクラスの友達が一人、彼に告白してフラれていたし、後輩にも好かれていた。ひどい時には盗撮やストーカーまがいのことまでされたらしい。あとは、誕生日に差出人が分からないプレゼントが机に入っていたり、放課後知らない子が彼の椅子に座って、なぜかひたすら彼の教科書類を愛でていた、なんてこともあった。……本人は「変な人にしか好かれない体質なのかなぁ」と、よくぼやいていた。

 月乃が彼を好きだと知ってから、涼真とよく恋愛の話をするようになった。その流れで、彼自身の好みを聞き出そうとしていた時もある。

 結果としてわかったのは、涼真が他の男子のように、女子を女子として好きになれないということ。そして彼の関心が向くのは愛猫だけだった。

 そのことに少し落胆したが、同時に少しホッとしていた。どれだけ彼を狙っている女子がいようと、彼が好んで誰かと付き合うことはないということだからだ。

 そして、彼は女子による度重なる被害に、「女子に好かれる」ということを避けたがっているようだった。そのことに気づいて、改めて私は決意した。

 「私の想いは伝えず、彼にとって良い友人でいよう」と。


 放課後、委員会で遅くなり一人歩いていると、ゆっくりと進む集団に鉢合わせてしまった。

 顔をあげると、花梨や涼真、颯太をはじめとする男子陣……要はいつものメンバーだ。

 花梨は涼真と楽しそうに話していて、その様子を颯太が静かに眺めていた。何かを諦めたような顔だった。

 颯太は本当に、花梨のことが大好きなんだろう。そして、大好きだからこそ、花梨が自分のことを好きじゃないことを十分理解している。なんなら、花梨が本当は別れたがっていることも知っているのかもしれない。颯太が少し気の毒に思えた。

 花梨は人を引き付ける魅力がある。明らかに周りから愛されている。その笑顔とフレンドリーな人柄には多くの人が魅了されるのだ。ゲームやアニメも好きだから、共通の話題ができて男子ともよく話している。彼女の周りには、いつも人がいる。

 そんな彼女が、何から何まで正反対の私に懐いてきたのは本当に謎だ。本来なら少なくとも私からは絶対に仲良くしようとしない。けれど、小学校からの付き合いと言うこともあり、最後のクラス替えで同じになったのを機に、何かと「雅、雅」とかまってくるようになった。

 不思議なものだな、と思いつつ集団の後ろを少し間をあけて歩いていると、唐突に涼真が振り向いた。

 「あれ、雅さんじゃん。委員会? お疲れ様です」

 涼真が立ち止まったことで、周りの人も皆私の方に目を向ける。

 「雅、お疲れ~」

 花梨や、周りの男子からも労われた。私も「みんなもお疲れ」と返す。

 歩いているうちに、集団から一人、また一人と離脱していき、図書館に着いた時には私と花梨と涼真、それから浩人くんだけになった。ちょうど空いていた四人掛けの席に座る。

 各々課題や問題集を広げたが、浩人くんはその上でスマホを出しゲームを始めた。彼はそういうやつだ。

 「これ難しい~」

 早速、花梨が音を上げた。教えてと言われたので手元をのぞき込む。

 「あ、これ昨日やったやつだ」

 私にしては珍しく、数学を教えられる。かつてない達成感だ。

 「おお~、解けた。ありがと、雅」

 「どういたしまして」

 そのうち、浩人くんがスマホをしまった。そろそろ勉強するのかと思いきや、やる気が起きないらしく涼真と話し始める。やがてこちらにも話を向けてきた。

 これは、今日は勉強できないなと苦笑したが、まぁたまにはいいかと思いなおす。考えなくても済むので問題集をしまい、漢字練習に切り替えた。手を動かしつつ、意識は耳に集中させる。

 「あの先生、表裏激しすぎるって……」

 「確かに……あ、花梨も割と表裏あるよね」

 男子二人から注目されるが、花梨は全く動じずに言った。

 「え、私こそ表裏ない人間だと思ってたんだけど!」

 すると涼真くんが薄く笑った。

 「じゃあ、花梨が前に好きだった人が誰なのか教えてよ」

 えーそれ表裏関係なくない?と花梨は面白そうに笑う。この流れでついに判明するのかと、期待して私は手を止める。

 「ヒントなら、私浩人くんに全部教えたから」

 その一言で、浩人くんに注目が集まる。というか、私の知らない話がまだあったのか。

 「えっと……同じクラス、花梨さんと仲良くて、背は高め、手が綺麗で、意外な人で、颯太のことではない……あといくつかあった気がするけど忘れた」

 花梨はよくできましたというように頷いた。

 「まだ今も割と未練たらたらなんだよねー。まだ好きっていうか」

 「じゃあその人に告白すれば?」

 涼真が言うと、花梨は少ししんみりした口調で言った。

 「仲いい人って言ったでしょ。友達としての関係壊したくないよ」

 浩人くんはその様子が見えていないようにつづけた。

 「この条件に当てはまるのが4人いたけど、手が綺麗かどうかと意外かどうかはよくわかんなかった」

 名前が上がった四人は、いつものメンバーにいる男子三人と、涼真だった。

 「そういえば、涼真は割と手ぇ綺麗だよな」

 「手が綺麗かは知らないけど……爪は日常的に、綺麗でしょってみんなに自慢してるよ」

 涼真が手の指を眺めそう言った。

 花梨の方を見ると、明らかに涼真だけを見て微笑んでいる。

 私はようやく理解した。

 花梨の好きな人は……涼真。

 頭をガツンと殴られたような衝撃。心臓が激しく動き始める。こんなの、頭の片隅で予想していたようなことなのに。

 信じたくない。花梨がそんな人なわけがない。だって。なんで。

 花梨は知っているはずなのに。……颯太が自分を大好きなこと。その上で、今もまだ付き合っているのに。

 涼真が特定の誰かを好きにならないことも、月乃が涼真を好きなのも。

 自分の恋情のために、自分を好きでいてくれる二人を傷つけるのか。まっすぐで、優しい、あの二人を。

 全て私の勘違いだったのか。

 違う。私はただ、花梨に嫉妬しているだけだ。それに、花梨は涼真が好きだとはっきり言ったわけじゃない。

 だけど、なおもしゃべり続ける花梨の言葉は、まだ気づかないのかと言っているようだった。全て、涼真が好きだと考えれば説明がつく。全て。全てが、一つの事実に繋がっていく。

 帰るときはいつも、颯太じゃなくて涼真に声をかける花梨。涼真と話している時が一番楽しそうだった。……私や月乃と話す時よりも。涼真によくちょっかい掛けて、休み時間に見るとよく涼真の頭をなでていて。二人でゲームしてたことだってあった。

 あの時も。あの時も。全部全部。

 颯太は? 月乃は? ……あえて、二人がいない時に言ったってこと? こんなの……卑怯だ。

 好きな人との友達関係は壊したくないんだっけ? じゃあ、月乃とは? 颯太とは? 壊れても、いいの? 

 『そんなの勝手に期待した方が悪い。期待された方は期待してくださいなんて頼んでないんだから』

 いつだったか、花梨が言っていた言葉が唐突に思い出された。確か、彼女の推しが炎上した時の……。私は今まで、花梨に勝手な期待をしていたのか?

 嘘つき。……全然、意外じゃないし。

 全部全部馬鹿馬鹿しい。受験生のくせに。そんなに余裕あるんですか。私はいつも焦っているのに。彼氏いるくせに。みんなから、愛されているくせに。

 次から次にいろいろな考えが浮かんでは消えていく。花梨が、自分が、どんどん真っ黒になっていく。心の中はぐちゃぐちゃだった。

 一言も発せないまま、ずっと固まっているのは不自然だと思いシャーペンを握る。冷たい感触がいくらかこわばった心をほどいてくれた。

 少しできた余裕に、無心で漢字練習帳にペンを滑らせる。そのうちに、花梨は時間だからと帰っていった。去り際に、怪しく美しい微笑みを残して……。

 急いで荷物をまとめ席を立った。男子二人に怪訝な顔をされたけど、もうこれ以上、涼真の顔を見ていたくなかった。

 離れた別の席で勉強を再開することもできたかもしれないけれど、集中できる気がしなかった。迷った末に、談話コーナーに足を踏み入れる。幸い、利用者は私以外居なかった。

 涼真も勘がいいから、花梨の真意には気づいただろう。だからといって問いただしても、彼は謙遜したりはぐらかして、はっきり認めることも否定することもしないだろう。

 私はこんなに、涼真のことが好きだったのか。

 私はこんなに、花梨のことが好きだったのか。

 花梨だって、人間なんだ。……女なんだ。私と、同じなんだ。

 荷物の入ったかばんを、床にたたきつけたい衝動に駆られる。

 どうしようもなく怒りが湧いた。自分勝手で弱い私自身に、簡単に友達の想いを踏みにじれる花梨に、それを見ても平然としているふりをする涼真に。

 どのくらい時間が経ったのか、そのうち親が迎えに来てくれて、家に帰った。その日の夕食は、味がしなかった。


 翌朝、いつも通りの朝食が用意されていた。ご飯に味噌汁にサラダ。食欲はなかったが食べないとどうしたって授業中にお腹が空く。いつも通り、食べようと席に着いた。普通のご飯のにおいが漂う。

 その時、吐き気を催した。と同時に、私は事の深刻さを理解する。

 ストレスが、溜まりすぎている。

 溢れそうになる涙をこらえながら、やっとの思いでサラダと汁の半分ほどを胃に流し込む。食べれば食べるほど吐き気が強くなってしまって、全部は食べられなかった。

 ショックでふらつきながら学校に行くと、花梨は何もなかったように話しかけてきた。当たり前といえば当たり前かもしれない。彼女からすれば、昨日のあれは、何気ない会話の流れで質問に答えて少し匂わせをした程度のものだろうから。

しかし、その時の私には、そのように考えて昨日のことも含め全てを鷹揚に受け流すだけの余裕はどこにも残っていなかった。

 「……話しかけないで」

 思ったよりも、低い声が出た。花梨の顔から表情が抜け落ちるのを見ながら、拳を握って痛みに耐えた。

 「……え?」

 「話しかけないで!」

 花梨は唖然としたようにこちらを見たが、すぐに別の子たちといつもと変わらない調子で話し始めた。そのことに少し傷つく。

 それでも、遠ざけなければ壊れそうだった。私はとてつもなく弱くなっていたのだ。移動教室に行く時も、あえてきついことを言って一人で行動した。

 その日のお昼も主菜のにおいで気持ち悪くなりはしたが、少しは落ち着いたのかご飯は平気になっていた。少し、安堵した。

 そんな日が、長いこと続いた。そのうち、だんだんと吐き気を催すことも減っていった。

 花梨は最初の方こそ今まで通り、もしくはそれ以上の頻度で話しかけてきたが、私が素っ気なく最低限の返しをし続けるとそのうち、あまり話しかけてこなくなった。

 月乃はそんな私たちの仲を取り持とうとした。私と花梨、それぞれと仲良くしつつ、お互いを避けるようになった私たちに気を遣い、移動教室は一人で行くようになった。幾度となく仲直りするよう勧めてくれたが、喧嘩をしたわけではないと言うと戸惑っていた。月乃はどこまでも純粋だった。

 月乃に迷惑をかけていることは十分わかっていた。なんなら、花梨と仲直りしたいと何度も思った。そうしなかったのは、花梨のしたことを忘れられなかったからだ。あの日感じた彼女のなかの黒い部分が、ずっと私の心に突き刺さっていた。変に意地を張っていたところもあったかもしれない。

 結局、何も関係に進展がないまま、入試まで終えた。花梨はまだ、変わらずに颯太と付き合い続けていた。涼真とも、普通に話していた。私がどうしようが、他は何も変わらなかった。

 この時点で私たちの関係は、完全に壊れていた。


 自分の弱さを自覚して。

 自分から遠ざけたくせに、寂しくて。情けなくて。

 何度、涼真を好きになった自分を呪っただろう。何度、あの日花梨と帰ることを選んだのを後悔しただろう。

 どれだけ悔もうが時間は戻ってこない。前を向いて進むことしか許されない。

 ごめんね、花梨。大好きだよ。

 素直に伝えられたらよかったのに。

 タイムリミットは近づいていた。

 卒業すればもう、滅多に会うことはできなくなる。……仲直りなんて、尚更__。

 その時、無意識に握りしめていたスマホが震えた。

 あの日以来、一度も話さなかったラインのアイコンが表示されていた。

 「花梨……」

 恐る恐る、画面をタップしてラインを開く。

 『明日の放課後、話せませんか?』

 スマホを持つ手が震えた。唇を噛む。

 私はそのまま、そのメッセージを凝視したまま固まっていた。

 そして金縛りが解けたようにキーボードを表示させると、返事を考え始めた。


 夏。

 月乃と花梨と一緒に、駅を目指して歩いていた。

 カランコロン。カラン。

 夕焼け色に染まった道に、履き慣れない下駄の音が三人分響く。

 不意に花梨が歩みを止めた。私たちも立ち止まる。駅前の駐車場には、花梨のお母さんが乗っている車が見えた。

 「じゃあね」

 「うん」

 「ばいばい」

 お互いに手を振り合う。月乃だけが、自然な笑みを浮かべていた。

 「また来年も一緒に来ようね」

 花梨はそう言って微笑み、母親の待つ駐車場へ去っていった。

 「また来年も三人で来れるといいな」

 月乃が駐車場の方を向いたままつぶやくように言った。そんな月乃に目をやり、すぐに目をそらし下を向く。額から出た汗が頬を伝って落ちていった。

 「雅? ……どうかした?」

 月乃が怪訝そうにこちらを見てくる。

 ゆっくりと顔を上げ、息を吸い込む。私は微笑んで答えた。

 「別に、なんでもない」

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