第11話 一時間の幸せ 6月4日 火曜日
春樹が仕事を終えて会社に戻ると玲香は納金を済ませていた。
納金とは、今日の売り上げを会社に提出しなければならないのだ。
玲香が春樹を見つけると今度の火曜日、
休みが一緒だから食事に行こうと誘いに来た。
「いいですね、でも、お酒は飲めないから、居酒屋も好きじゃないし」
「どこか行きたい所ありますか」 玲香が聞いた。
「そうですね、上野さんはウナギは好きですか、
女性の方は苦手な人が多いみたいだから」
「はい、好きです。名古屋はやはり蓬莱軒ですか」
「いや、俺は澤正へよく行きます。よくって言っても、年に2回程度ですが、
安月給なので中々行けません」と言って苦笑いをした。
「澤正って初めて聞きますが、何処にあるのですか」
「観光ホテルの西側、角のセブンイレブンの南側にあります」
「ありましたっけ」
「あります。昔からあります。老舗です。そこのウナギは後味がいいんですよ、
ウナギを食べた後、仕事をしていても
一時間は口の中がしあわせ、幸せってほころんでいます。
嫌な客が乗ってきても、なんとか、ウナギがカバーしてくれるので、
本当、一時間の幸せ、最高です。他のウナギ屋も行った事はありますけど、
大概がお店の中だけで食べて[おいしかった]ですが 、
一時間の幸せはついていません」
「へぇー 、じゃ、私もその一時間の幸せにつかりたいです。
是非連れて行ってください」
翌、火曜日、玲香は午後六時に本山駅のセブンイレブンの前で待ち合わせた。
春樹は時刻に合わせて行くとまだ少し早かったが、玲香はすでに立っていた。
玲香を乗せると広小路を西へまっすぐ走る。慣れた道だ。
仕事では、この広小路を中心にタクシーを流していると言っても過言ではない。
伏見を超え、ヒルトンホテルの前の信号を北に曲がる、一方通行の道だ。
中ノ町通りの呼び名がある。右側は観光ホテル、そして左側に澤正がある。
駐車場には5台ほどの枠があるが、
まだ、時間が早いのか一台も止まっていなかった。
お店に入ると向かって右側は4人掛けテーブルが四つほどある、
左側は二人掛け用のテーブルが四つ並んでいる。
その奥は、個室席か、畳席か、仕切られているのでよくわからないが
部屋がある事は確かだ。春樹は、ここに来る時はいつも二人席に座っていた、
仕事の制服を着て食事をするのは少し抵抗があったのだ。
一番最初に、この店に入った時、
[すみません、制服でもいいですか]
と云って入った事を記憶していた。
制服を見ればすぐにタクシーの運転手とわかりそうな制服なのだ。
店員さんは気持ちよく案内してくれた。それ以来、何回かは来てはいるが、
いつも、静かに目立たないようにポツンと一番手前の二人テーブルに座っていた。
今日は、堂々と入れる。ドアの開け方も、なんだか、堂々としていると
春樹は思った。4人掛けのテーブルに座ると、店員さんが注文を聞きに来た。
玲香はひつまぶしを注文しようとしていたが、
春樹は「うな丼2つ」と言って注文してしまった。
玲香は申し訳なさそうにビールをせがむ。
その時、丁度、店員さんが来たのでビールを頼んだ。
「ごめんね、今日はうな丼にしよう。ひつまぶしもいいけどね、
だし汁をかけて食べたら、一時間の幸せが半分になってしまう。
うな丼なら、しっかり味を堪能できて口に残るから、ね。」
それも、あったが、実は普通のうな丼でも3500円だ。
2つだと7000円、ビールが600円、春樹には痛い出費なのだ。
「そうなんだ、そうか、お茶漬けにしたら味が残らないのですね、
どうしよう、ビールと一緒に食べたら、ウナギが消えちゃいますか」
「さぁ~、食べたらわかるよ」そう云っていると、うな丼が運ばれてきた。
「おいしそう、いい匂い」 玲香は箸を割ると、ウナギを口に、ほおばった。
「美味しい、香ばしい、本当だ、おいしい」
笑顔、満タンで箸が進む。春樹も、黙々とうな丼を食べた。
「どう、一時間の幸せはありそう」春樹が聞く。
最後のビールを飲むと、
「美味しかった。今、わたし、最高に幸せです」と言って玲香は笑った。
春樹がレジで支払いをしようとすると、玲香が横から
割り込んで店員さんに「これでお願いします」と言って一万円札を出した。
春樹の心の中では、女性に払わせるなんて、様にならんと思う自分がいた。
「今日は私が払うって言ったでしょう」 なんだか、昨日までのよそよそしい
玲香じゃないと春樹は思った。すごく、身近に感じるのだ。
時計を見ると、午後八時を過ぎていた。
「どうする、もし、まだ、飲みたいのなら、
一軒、知ってるスナックがあるけど行く? 1時間くらいなら付き合うけど」
「えぇ、どこどこどこ、行く、行く、行く 」
玲香のテンションが上がっている。
「錦のジャンボパーキングの近くだけど、本当に行く?」
「行くったら、行く 行きます」
春樹が茜のママに電話すると、
「あら、どうしたの」
受話器から優しい声がした。いつもの、上から目線の声じゃない。
「ママ、今から行ってもいいかな、二人だけど」
「いいわよ、ただね、今日、ビルの配管が詰まって、今、工事中なの 、
だから、お店は今日はお休みだけど、おいで!。
二人って、れいちゃん? 修平さんは仕事中だし・・れいちゃんでしょう」
声が大きいので玲香にもつつぬけである。
「あれ、何で知っているの」
「知ってるわよ、茜の専属タクシーは3人なの知らなかった? 」
「いつから、知らなかった、だれもなにも教えてくれないし」
春樹は玲香の顔を見て、【なんで教えてくれなかったの】ってつぶやいた。
春樹がママに問う、
「休みなのに、本当に行っていいの」
「だから、おいでって言っているでしょ、休みだからいいんじゃない」
と言ってママは電話を切った。
春樹はなんで休みの方がいいのかよくわからなかったが、そんな事、
考えても仕方がないと思った。玲香が問う。
「泉さんって、茜のママと親戚かなんか?」 春樹が答える。
「そんな、親戚でも何でもないし、知り合ったのも、去年の暮くらいからだし、
よくわからないけど、ママは俺にはいつも、あんな態度なんだ。
修平には修平さんって言っているくせに、俺には春樹っていつも呼び捨て、
なんだかな~、どうでもいいけど・・・・」
ジャンボパーキングに車を入れると、茜に向かった。
まだ、工事をしているようだ。3人の作業員がパイプを交換していた。
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